ウェブブラウザのJavaScript(ジャバスクリプト)の設定が無効になっています。Javascriptが無効になっていると、サイト内の一部機能がご利用いただけません。 プロローグ ボロボロの隊長室、僕の執務室なのだが、この状況ではろくに仕事など出来ない。そもそも書類を作る為の紙もペンも不足している状況でどう執務をしろと言うのだろう?もっともこれは別に事務官の怠慢等では無い。物資が届かないのだ。使える紙は全て使って書類に流用してきたが、もう残っているのは壁に貼り付けられている写真くらいの物。皆で撮った写真、その中で無邪気な笑みを見せる仲間達は、まだあどけない。 そう、本来ならまだ中学三年生として平穏な暮らしを許されているはずの子供たちだ。この中学生部隊の主幹用員として僕が配属されたのは、まだほんの二週間前の事。そして、予期せぬ幻獣の大量発生が起きたのがその一週間後。…本音を言えば、散っていった仲間達を悼む心は無い。そう言い切ってしまえる程までに、彼らと過ごした時間は短かすぎた。顔も名前も覚える暇さえ無かった。級友の死を嘆き、互いに涙を拭いあう彼らの中で、僕が感じていたのは悲しみではなく、むしろ孤独感だ。仲間の死を嘆く事の出来る彼らを僕は妬んでさえいた。 今やこの隊長室で唯一まともに機能しているのは、通信機だけ。まあこれさえ機能していれば本部から孤立することは無い。そして今、まさに本部と通信中だ。相手は「芝村」の準竜師。血も涙も無い男だが、反面手段を選ばない性質のおかげで条件次第では取引に応じてくれる。だから…上手くいくかも知れない。 「良いよ、引き受けても」 僕がそう答えると、モニターの中の男は満足そうに頷いた。ニヤニヤした笑い方がどうにも気に入らなかったが、取り敢えずは上手くいきそうだ。 「そうか、で、希望の褒美は何だ?ただと言う訳では有るまい。地位か?金か?任務後には新しい戸籍を作ってやるからそこは心配要らんぞ」 ふん、見え透いた嘘を言ってくれる。でも構わない。僕が欲しい物はそんな物じゃ無い。 「そんなのじゃダメだよ。準竜師。もっと良い物があるじゃないか」 「ほう?言ってみろ」 相変わらずのニヤニヤ笑いが癇に障るが、まあ良い。 「返して欲しいんです」 そう、何かをくれ、なんて図々しい事を言う気は無い。僕はただ返して欲しいだけ。 「皆の幸せを」[newpage]AM5:33 小隊司令室 襲撃まで後26時間 小隊指令室の奥。小隊長の席に、善行が座っていた。朝一番に登校して辞令を受ける。小隊長としての基本と言える業務をこなす為だ。もっとも、その朝に届いた辞令は普段の物とは大きく外れた物だった。 「はい、いいえ準竜師。この事案に適当な人材は、私の部下にはおりません」 最敬礼ではありながらも、きっぱりと拒絶を申し出る善行。準竜師はその反応を予想はしていたらしくくっくっく、と小馬鹿ににするような含み笑いをもらした 「そうか、では…」 と、ここで準竜師はモニターの中で手を組む。何かを楽しみにしている時の、この男の癖だ。 「『部下』には居ないと言ったな。ならば部下以外でお前の知る適当な人材とは誰だ?」 いよいよ馬鹿にしている。善行は心の中で悪態をついた。この質問自体、答えを誘導しているからだ。 「イエッサー。それは準竜師。貴方です」 「ぷっ…うひゃひゃひゃひゃひゃ、言うと思ったぞ、千翼長」 まったく、この男は。冷徹なようで沸点が低い。つまりは非常に扱い難いのだ。何の理由で殺されるか判断も出来ない。あるいは、そう思わせているだけかもしれないが。 「俺もそうしたいのだがな、千翼長。残念な事に今は腹が出過ぎてウォードレスを着れんのだ」 そう言って、モニターの中で自分の立派な腹をポンと叩く。いちいち嫌味な男だ。 「適当に処理せよ。以上だ」 それを最後に通信は切れ、手元には第4216号指令書と記された書類だけが残された。 「くそガエルめ」 忌々しさを隠そうともせずに、通信の切れたモニターを睨み付ける。 今回の任務は特殊だ。しかも特殊で困難でその上不愉快だ。 善行は悩んだ。特殊だという点はまだ良い。しかし困難なのは困る。頼める相手が限定されてしまう。その上不愉快な任務なのだ。たとえ成功しても大なり小なりの報復は覚悟しなければならないだろう。…当然、優秀な人間であるほど、その報復が正比例して強烈なものになる。正直なところ、自分でやった方がよほど気が楽だ。しかし、残念な事に自分でやるにはいささか荷が勝ちすぎる。覚悟を決めて人選に取り掛かる。 「若宮君なら…しかし今の彼には新井木君が…」 そう、今の彼には恋人が居る。それは本来備品として生まれた彼にはありえない事だ。かつてのように備品として運用するのは危険過ぎる。そして人として見た時の若宮が適任かと言えば難しい。ほかの候補とするなら来栖か速水だろう。 「来栖君には荷が重過ぎますね。まあ、引き受けてはくれるでしょうが…」 結局、速水を選択するよりほかありませんか。 それは恐らく、その後の報復が最悪のそのまた上をいく最悪な物、凄惨とか壮烈とか、普段はお目に掛かれない類の表現が必要な物になるだろう。 今のうちに遺書を原さんに渡して置きますか。ため息混じりにそう結論付けるのだった。[newpage]AM12:22 調理実習室 襲撃まで後18時間 「おーい、みんなー…ウンと、えっと…」 ののみは大声を上げて食堂に居るみんなの注目を集めたのだが、大声を上げた拍子に何を言うべきなのかが飛んでしまったのか、それとも注目を集めた事で上がってしまって思考回路がショートしてしまったのか、威勢の良い呼びかけは、途中から尻すぼみになっておろおろしだしてしまった。こうなると呼び掛けられた側も対処に困ってしまう。そのののみに、隣の速水がそっと耳打ちをした。 「ほら、ごはん出来たよ。だよ」 「あ。ありがと…すぅー…ごはんできたよー!!」 数拍遅れてようやく炊き出しの準備が整ったことが通達され、ののみと速水はお揃いのふりふりエプロンで居並ぶ隊員達に給仕をはじめた。まだかまだかと待ちかねていた隊員達の間には、意外にも歓声が広がる。ここ最近の炊き出しのメニューは材料不足からジャガイモ尽くし、と言うよりジャガイモオンリーの内容で隊員達には極めて不評だったのだが、今日のメニューは目を疑う代物。なんと現れたのはふかふかのパンケーキ。香ばしそうな焼き色とたっぷりのボリュームは、とかくジャガイモ以外の物に飢えていた隊員達に歓喜を持って迎えられた。若宮に至っては感極まって涙まで流している。 「お、おおおおおお、速水!凄いぞ!!どこからこんな物を…いや訊くまい。例え芝村の魔手を借りてまで用意された代物であっても、今日だけは何も訊かずに食う、食うぞー!!」 大の芝村嫌いである若宮にとって、芝村の手で用意された食事に手をつける事は屈辱なのだろう、だがそれ以上に久々のジャガイモ以外の食事の誘惑は強かったのか。しかし若宮は気付いていない。離れて座っている舞が若宮の絶叫(そうとしか表現出来ない)に首を傾げている事に。 「はて、私は何も手配した覚えが無いのだがな…」 そのつぶやきが終わるか否かと言う所で、若宮は豪快にパンケーキにかぶりつき…そのまま凍り付いた。文字通り完全に凍り付いている。至福に満ちた満面の笑みまでがそのままに固まっている。いうまでも無いが不気味で仕方が無い。短時間でさえ見るに暑苦しい若宮の100%の笑顔が、時間無制限で公開されているのはもはや公害と呼んでもいいだろう。勿論、それには相応の訳がある。若宮の脳は、パンケーキにかぶりつくその寸前まで、脳細胞の全てのレセプターを全開にして、このご馳走がもたらすあらゆる刺激を漏らさず受け止めようとしていた。その甘やかな味わい。香ばしい香り。モチモチとした食感。だがその全開に開かれたレセプターに注ぎ込まれたのは、絶望的なまでのジャガイモの味。淡白な風合い。ホクホクした食感。微妙な粉っぽさ。なにからなにまでが慣れ親しんだそれ、馬鈴薯、きんか芋、さんど芋、どう呼び変えたところで味は変わらないが。その現実から逃れる為に若宮は全ての活動を停止したのだ。良く視ると呼吸はおろかまばたきすらしていない。…意外に器用な男なのかもしれない。若宮ほどでは無いにしても、他の隊員達も直ぐにこのパンケーキの正体に気付き、大なり小なりの落胆を隠せないでいた。ただ一人、原 素子を除いて。 「へえ、ジャガイモのパンケーキ。ドイツ料理にそんな物があるって、聞いた事くらいはあったんだけど…実際にお目に掛かったのは初めてよ。速水君が作ったの?」 「あはは、ハイ。せめて気分だけでもって思ったんですけど…悪いことしちゃったかなぁ」 ポリポリとこめかみを掻くしぐさが可愛い。正直にいえば、原も多少は期待を裏切られた口だ。嫌味くらいは言いたかったのだが、ふりふりエプロンと速水の組み合わせが醸し出す可愛さに、流石にそれを口に出す気は失せてしまった。とは言え、言いたい事はある。 「貴方の努力は評価するけど、やっぱり美容の為にも何か別の物が欲しいのよねぇ。特にたんぱく質。お肌が痛んじゃうわ」 ほう…とため息をつく。確かに美味しいものが食べたいのも有るけれど、大半の女性隊員の関心はむしろそこだ。無論、原とて例外ではない。と、それを聞き、速水が台所から一杯のスープ持ってきた。何か透明な麺状のものが入っている。 「何かしら、それ?食べて良いの?」 聞きつつも僅かながらの警戒は怠らない。この流れでいけば、これもどうせジャガイモを使った物に違いないのだ。 「原先輩ならそう言うだろうと思って、作ってみたんですジャガイモで…」 …ほら来た。原は内心げんなりとした。 「春雨スープ。春雨はジャガイモのグルテン、つまりはたんぱく質を練り上げた物だからお肌ツヤツヤになりますよ」 にこにこ微笑みながら、他をはばかる様子も無く説明してくれる。…この男、自分が今何をしているのか分かっているのだろうか?原は軽いめまいと頭痛を覚えながらも… 「…ねえ、それって一杯しか作らなかったの?」 …恐る恐る聞いてみた。この朴念仁のことだから、おそらくはその通りなのだろう。 「え、うん。結構大変だったから。お代わりしたかったんですか?」 スープを手にしたままきょとんとして聞き返してくる。はぁ…この、愚か者め。原は変わらぬ笑顔の内に、密かに殺気を込める。まあそれは速水に対してでは無いのだが。予想通り、ガタリ、ガタリと食堂のあちらこちらから席を立つ音が聞こえて来た。そしてゆらゆらと亡者を思わせる不気味な足取りで女性隊員達が速水の周りを取り囲み始める。この頃には速水も周囲の変化に気付き始めていた。だがすでに遅い、気付いた時には完全に女性隊員達に取り囲まれてしまっていた。付かず離れず、だが逃げ出せそうな隙は一部も無い。速水はもはや生きた心地がしなかった。何せ周囲の仲間達の様子は尋常ではない。瞳には殺気、いや、執念、もしくは怨念にも似た強烈な思念をたぎらせている。 「あ、あははは、ねえねえみんな。ど…どうしちゃったの?」 速水の額につぅ、と汗が流れ落ちる。その速水の問いに答えたのは舞であった。 「たわけ!今すぐ訂正するならば許す。その一杯はそこの雌狐などの為では無く私の為の一杯なのだとな」 それを皮切りに、女性隊員達が一斉に声を上げ始めた。 「ちょっと!そーゆーのは育ち盛りの僕に一番必要なんだよ!ぽややんもそのくらい分かってるよね!」 「フフ、ミナサンもバーニングしてますネ。ワタシも負けませんヨ」 「あ、ああああのあのあの、ごめんなさい。で、でも舞さんの綺麗になりたいって気持ちが理解出来るなら…私の気持ちも分かってくれますよね?」 懇願なんだか脅迫なんだか怨嗟なんだか分からない様々な声に包まれ、速水はこれが現実に起っている事だとは信じられなくなっていた。いつの間にかホラー映画の中にでも迷い込んでしまったのではないか?出来ればそうであって欲しい。 ガタン、と音を立てて最後の一人が席を立った。直ぐ目の前の女性。原だ。「馬鹿ね。速水君、猛獣の檻に生肉抱えて入るより愚かな事をした事に、まだ気付かない?」 ううん、気付かない訳じゃ無いよ。気付きたくないだけなんだ。速水は声にならない声でパクパクと返事らしきジェスチャーを返してきた。その仕草に、原にも微かな同情が芽生えたが、まあ自業自得という物だ。あっさりと一欠けらの憐憫さえ捨て去ると、原はにっこりと微笑み、最後の一言を伝えた。 「分かっていると思うけど、それ、一滴でも零したりしたら…公開処刑だからね?」 その一言が引き金となり、速水は執念の鬼と化した女性達に飲み込まれた。あまりの恐怖に、速水が意識を保つことを放棄したのは、それとほぼ同時だった。 「やれやれ、若いってのは羨ましいねぇ」 少し離れたところでパンケーキをかじりながら本田がこぼした。速水は悲鳴と罵声と怒号の渦に飲み込まれてもはや生死すら定かではない。いや、多分生きてはいると思う。この後「公開処刑」されるはずなのだから。羨ましいとは言いつつも、本田の顔にも微かな恐怖がにじんでいる。 「…同感ですね、でも、だからこそ我々は助かるかもしれません。やはり速水君に頼むことにします。」 向かいに座る善行の方は、こっちは本心から羨ましそうに眺めながらつぶやいた。 「そうか、まあそりゃあ別に良いんだが…」 「どうかしましたか?」 「あれ、ほっといていいのか?」 そう言って本田が指差した先には、笑顔で凍りついたまま、白目を剥き泡を吹く若宮の姿があった。[newpage]PM20:18 小隊司令室 襲撃まで後10時間 善行は仕事上がりに速水を呼び出したのだが、呼び出しに応じて現れた速水を見てまず感じたのは頭痛だ。 「何ですかそれは」 いや、別に聞かないでも分かる。チャイナドレスだ。切れ長のスリットから魅惑的な白い足がのぞく、一部の男性に熱狂的に支持されている東洋の神秘。問題なのは、一応は男子である速水がそれをまとっている事だ。わざとらしいくらい下手くそに施された化粧が、またなおのこと頭痛を悪化させる。良く見ると、スリットからのぞく足にも「芝村専用」だの「ののちゃんのだもん!」だの愉快な落書きがなされている。 「あ、あはははは…公開処刑だそうです」 引きつった笑みを浮かべて速水が答えた。ふりふりエプロンはOKでもチャイナドレスはNGらしい。なにを基準にOKとNGが分かれるのかがイマイチ分からなかったが、善行は取り敢えず先を進める事にした。 「ま、そんな所だと思いましたがね。でもこれからちょっと真剣な話が有るので、そのつもりで聞いて下さい」 ス…と声のトーンを落とす。善行は元々は声音も顔つきも非常に冷淡な印象を持っている。意識的に作った柔らかな仮面を脱げば、直ぐにその本性を現すことになる。滅多には出さないが、最近は極珠にこの顔を見せている。それももっぱら速水に対してだ。 「『山賊』の噂は、聞いた事くらい有りますよね?」 そう切り出す。「山賊」。最近熊本を賑せている有名人だ。極悪人と言った方が正しいかもしれない。熊本各所に神出鬼没する文字通りの「山賊」。もっぱら熊本軍の補給車をターゲットとして略奪行為をする人類の反逆者だ。その手口は非常に残虐で、襲われた補給部隊は護衛も含めていつも全滅。その被害も甚大で、今や熊本軍の機能を麻痺させかねない程だと言われている。当の5121小隊も、「山賊」の被害者だ。お陰で連日ジャガイモ尽くしの食事を強いられている。 「明朝、補給部隊に偽装した特殊部隊が編成、運用されます。『山賊』を誘い出し、始末するのが目的です。貴方をこれに派遣する事にしました。」 速水には何故自分が選ばれたのかが理解出来なかった。真っ先に疑問をぶつける。 「と、言うことは作戦にはウォードレスでの参加になるのですか」 「当然です。戦車同伴の補給部隊では襲撃してくれませんからね」 「じゃあどうしてスカウトじゃ無い僕に…」 と、言いかける速水の前に善行はそっと幾つかの書類を差し出した。 「これから話す事を聞いて、私を殺して部隊から脱走するなら、それでも構いません。その時はこれを使ってください。新しい身分証と戸籍。ちゃんと舞さんの分も用意して有ります」 いつもの癖で微笑みそうになり、頬を引き締める。刺すような目つきを隠す為の仮面としての微笑み。今は必要ない。むしろ、これが冗談ではない事を示す為に微笑んではいけないのだ。もし速水が自分を殺して部隊を脱走すれば、残った隊員達は自分よりも悲惨な、泥沼の消耗戦の果ての死を強いられる事になる。速水を説得出来るか否かに、部隊の生死が掛かっている。それを速水自身に理解させる為にも、普段は見せない自分本来の、冷たい、人をコマとして見る事を憚らない指令としての目つきを、今だけは表に出す。一方で、速水には善行が何を言いたいのかが理解出来なかった。何故自分が善行を殺して脱走すると考えたのか?可能性は、確かに一つだけは有ったが。 その様子を見て取ったのか、ふー、と息をつくと、善行はこれが遺言となる覚悟を決めた。 「私は貴方の過去を知っていますよ。本当の名前も。だから貴方に頼むのです」 速水はその言葉にすぐには反応せずに、しばらく言葉を噛み締めてから、やっとという様子で言葉を吐き出した。 「ぼくは…僕は速水厚志だ」 たぶん、それが「彼」の精一杯の抵抗だったのだろう。ならこちらもおとなしく屈するべきだ。だから答えはあらかじめ用意してあった。 「ええ、ここではそれで構いません。これからも。でも、今だけは、もう一人の貴方に頼み事をしたいのです。我々を救って欲しい、と」 「…」 「駄目なら、来栖君に頼みます。下がっていいですよ」 「…し」 「はい?」 「了解しました。任務に付きます」 「有り難うございます」 そう言うと、善行は深々と頭を下げた。その姿に速水は当惑した。どんな理由が有ったとしても指令が部下に頭を下げることは無い。つまり、善行は速水に頭を下げている訳では無いのだろう。その相手は速水の中のもう一人。彼が誰かに必要とされ、感謝される日が来るとは思ってもいなかった。そのことに当惑する速水に善行は写真を差し出した。 「これはお守りです。貴方がここへ帰って来れる様に」 5121小隊全員で撮った写真。この道しるべが有れば、きっと地獄からも帰ってこれる。そう思った。彼は「速水 厚志」なんだ。彼が速水で無くなってしまったら意味が無い。地獄からでも帰ってこられるように、その為の道しるべ。善行にはこれ以外には考えられなかった。[newpage]AM6:12 明午橋通り 襲撃まで後17分 明午橋通り。熊本南西部を縦貫するこの道路も、連戦につぐ連戦で今や破壊し尽くされていた。その上幻獣の自然再生能力によってもはや密林に近い様相を呈している。皮肉にも、熊本は幻獣の手によって歌に聞く杜の都としての姿を取り戻しつつあるのだ。そしてそれこそが、5121小隊の補給線を寸断している。森は移動に時間を要するため、それだけ襲撃を受ける危険が増すことになる。その上奇襲も受け易く、かつ大型車両も使えない。豊かな自然も、ここまで来ると地形兵器に近い。幻獣共生派に言わせれば人間が自然とは対立する進化を遂げた結果だというところだろう。弾圧されるのも自明の理だ。その明午橋通りを、一台の補給車が走っている。ぱっと見にはパン屋か何かのトラックに見える。いや、実際その通りなのだが。 なにせ車体の横には、でかでかと子供が食パンほお張るイラストが描かれている。ばからしいが、もはやこのようなトラックしか確保出来ないのだから仕方が無い。もっとも、その荷台の中に入っているのはパンでもなければ補給物資でも無い。完全武装した一個分隊が詰め込まれているのだ。熊本には珍しい大人の兵士。つまりは第4世代の本物の兵士達だ。そしてその中に一人だけ、ウォードレスを着た少年が紛れ込んでいる。速水だ。 「…おい!」 「ほっとけよそんなヤツ」 なにやら数人の兵士がちょっかいを出してくる。無駄口をたたく暇などあって良いものではないが、なにせ狭い荷台の中にもう三時間も閉じ込められているのだ。ストレスは頂点に近い。なにか憂さ晴らしをしなければたまらないのだろう。つまりは僕を苛めようと言うのだ。 「だってゲンが悪いじゃねえか。こいつら『学兵』ってのは、時間稼ぎの為の捨て駒だろう?何で俺たちと一緒の車に乗ってるんだよ」 「決まってるだろ」 「はは、自分で言って気付いてないのか。まんまさ、俺らの為の捨て駒なんだよ。そ・い・つ」 「ぎゃはははは、そうか、そうだったのか。済まん済まん。まあ宜しく頼むぜ。大将!」 僕は車内に満ちる下卑た笑いを、ただ黙って聞いていた。なんと言われようとも、彼らは僕らの補給線を回復させるために危険な任務を買って出ているのだ。感謝することはあっても怒る理由など無い。そんな事を考えていると、不意にトラックが止まった。運転席の分隊長から通信が入る。 「ターゲット確認。各員戦闘準備」 「ラジャー」 と返信が終わるか否かと言う所で、轟音と共に車体が派手に揺れる。まるでバイクかなにかと正面衝突したみたいに。 しかし兵士達は少しも慌てずに内部に仕掛けられたパージ用の火薬を点火する。小さな、しかし確かな爆音と共に四面の外壁がはじけ飛ぶ。先制攻撃でドアが歪む事を想定し、初めから用意していた仕掛けだ。外壁がなくなると、襲撃者を迎撃するため兵士達は無駄の無い動きで密林に散る。いや、散ろうとした。だが展開するよりも早く襲撃者が中心部に降り立ったため、慌てて振り向く羽目になった。展開しようと外向きに構えていた兵士達が慌てて向き直る。その僅かの時間に三人の兵士が肉塊となって飛び散った。 そこに居たのはウォードレスを着た少年。ただ一人。 その手には銃も無ければ軍刀も無く、ただ赤くぬめる液体が滴っていた。 武尊 目の前のウォードレスの名前を思い出した。今、自分が身に着けている互尊とは別次元の代物、いや、あるいは同じ物と言えば同じ物と言える。 強化人工筋肉の導入を前提に設計された最新型のウォードレス。それが互尊の本来の姿だ。強化人工筋肉の量産が成功すれば、の話だったが。 結局強化人工筋肉の量産は失敗し、テスト生産された一着と、ロシアからの援助物資で互尊を改装したもう一着だけがその本来の性能を手に出来たと聞いた事が有る。それらは日本の古い神の名前になぞらえて武尊と名付けられた。とも。 いま、その内の一着が目の前に在る。神は神でも、最悪の死神として。 「う、うわああああ」 「怯むな、撃て、撃てええええええ」 だが銃声が鳴り響く頃には少年の姿は忽然と消えていた。代わりに幾つかの兵士の首がシャンパンの栓の様に小気味良く跳ね飛ぶ。銃の狙いを定める間も無く叩き込まれた手刀は、次々とお喋りな栓を叩き飛ばし、頼まれても居ない迷惑極まりないシャンパンサービスに励んでいる。その押し付けがましいサービスを断ることが出来た兵士は、今の所は一人として居ないようだ。 僕はその様子を冷静に観察した。決して兵士達の死に無関心で有った訳では無い。しかし自分が生き残る為。そして任務を成功させる為に、何よりもこの敵を観察しなければならなかった。そして解った事が一つ。そして分からない事が一つ。 分からない事とは何故彼が撤退しないのか、だ。輸送車は罠だった。彼が物資を目当てに襲ってきたのならばこれ以上戦う意味は無い。僕らの武器を奪う?それにしても一人で運び出せる量ではない。 もう一つ、分かった事とは言うまでも無い。彼は戦闘の天才だ。 練磨と意思の力で叩き上げられた秀才などでは無い。経験も努力も必要とせずに力を持って生まれた天才。踊るように、舞うように、思うままに死を撒き散らしている。蹴り、叩き、投げ飛ばす。まるで子供がヒーローごっこをやっているかのようで、酷く現実味が無い。そこに転がる死体はヒーローショーのエキストラか何かで、合図でもすれば、すぐに起き上がってくるのではないかと思わせる程に。 でも、コレは現実。だから立ち上がる者は居ない。数秒後には、立っているのは自分一人だけになっていた。 意を決してアサルトライフルを構える。しかし照準を定めるより早く少年は間合いを詰め右の手刀を繰り出してきた。正確に首を狙ってきたその一撃を、しかしかろうじてかわし、カウンターで膝蹴りを返すがあっさりと空を切った。僅か数ミリの差で届かない。少年はぎりぎりで見切ってかわしそのまま距離をとって木立の中に姿を消した。 武尊は機動性にこそ優れるが、装甲は互尊と変わらない。つまりウォードレス兵が相手では一撃の被弾が命取りになる。それを理解し的確なヒット&アウェイを仕掛けてきている。しかもウォードレスの発揮する驚異的な運動能力の増幅効果のコントロールも隙が無い。第六世代とウォードレスとはセットで開発されたとは言え、それでもウォードレスのコントロールは容易では無い。軽く握ったつもりで銃を握り潰し、暴発させて死ぬ兵士なんてザラに居る。走り出せば勢いを止められずにビルに激突する、なんて事もある。互尊ですらその有様なのだ。ケタ違いの性能を持つ武尊のコントロールがどれほど困難な物なのかは容易に想像できる。それをミリ単位の精度で制御しているのだから、超人といっても良い。 踊る死神。軍学校のおとぎ話の悪魔が、おとぎの国からさまよい出てきたとしか言いようが無かった。 だからと言ってここで狩り殺される訳にはいかない。…何ヨリ、狩人はコッチナノダカラナ…クッククク、ハハハハハハハハハハハハ 久しぶりの感覚が甦る。頭の芯が冷え切って、吐き気を催すほどの寒気が襲い掛かってくる。今なら…見える。赤い、赤い糸のようなモノが。コレが何なのかは解らない。だからただ「線」と呼んでいる。コレが見える限り、少なくとも無駄は無くせる。そう、世の中は無駄だらけだ、無駄、無駄、無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄だ。ハハハハハ、アハハハハハハハ。 そら、当ててみろ。さっきは天才と呼んだが、悪いがソレは撤回させて貰うよ。あんたの動きは無駄だらけだ。名も知らない少年に、赤い線が次々と絡み付いていく。俺はその線が示す通りに動くだけ。武尊のパワーで繰り出される神速の一撃も、あらかじめ軌道がわかっていれば当りようも無い。 数撃をかわした時、それまで絡みつくだけだった線が、少年の背中を貫いた。そこか、焦って繰り出したらしい体当たりを寸でのところでかわし、その背中に蹴りを叩き込む。だが姿勢が不十分だったためか、致命傷とはいかなかったようだ。クソ。かわしながらの攻撃じゃ効果が薄い。かと言って射撃をする隙も容易には作らせてくれない。 …ち、忌々しい。 改めて相手を分析する。まず疑問なのは、何故武器を使わないのか?だ。死んだ兵士達の銃を使わないのは解る。ウォードレス兵用の銃は大幅に強化されていて、中には大砲並みの威力を持つ物さえある。それはウォードレス兵が、その異常なまでの身体能力で無茶なキックバックにさえ耐えられるからこその特徴だ。 逆に言えば、第六世代にとっては第四世代の銃は非力すぎるともいえる。あの銃を使うくらいなら素手の方がまし。まだ小石でも拾って投げた方が強力な位だ。形状的に投げ難いという意味で、第四世代の銃は小石以下の代物とさえ言える。しかし、今まで補給車を襲撃して来たのなら、ウォードレス兵用の銃も入手しているはず。なのに何故使わないのか?考えられるのは、使わないのでは無く、使えない。という可能性だった。 …なら、いい手が有るな。考えがまとまると、アサルトライフルを銃口を握り潰してから投げ捨て、SMGに持ち替えた。取り回しが容易なコイツなら武尊の機動力にも対応出来るはずだ。森を駆け抜けながら引き金を引き絞る。狙いを定めるような隙はなかなか見つけられないが、牽制射撃くらいなら充分可能だ、とりあえず接近さえさせなければ向こうには攻撃手段が無い。なかば闇雲に吐き出された弾丸は、子供の癇癪に晒された積み木の様に木々をなぎ倒していく。 その破壊力は凄まじく、木々を貫き藪を打ち払い森その物さえ引き裂いていく。当然のように大量の木の葉吹雪を巻き上げ、自ら作り出した木の葉の煙幕は敵に攻撃のチャンスをさえ与えてしまっている。それに乗じて接近を挑んでくるが、そこにも牽制射撃を浴びせて追い返す。襲われ、目眩撃ちで追い返し、また木の葉吹雪で視界が塞がる。そんなやり取りを数回繰り返すうちに、弾はどんどん消費されていき、もうほとんど残ってはいない。いいぞ、そろそろ頃合か。 イジェクトレバーを引き、カートリッジを引き落とす。そして太もものスリットから新しいカートリッジを取り出し、弾丸のリロードをする。この動作は、もちろん無駄なく行っている。時間にして一秒有るかどうかという程だ。普通の相手なら付け込む事など出来はしない。だが、この相手なら出来るだけの技量を持っている。だから必ず狙ってくるはず。 …それが君の運の尽きとも知らずに、な。 思った通り、その隙を見逃さずに少年は体当たりを仕掛けてきた。全身にビッシリと赤い線を巻きつけて、ククククク、ハハハハ。 完全にかわしては意味が無い。致命傷は避けつつも、わざと相手の体当たりを受けて吹き飛ばされる。数本の木をへし折り、地面を30M以上も転がされた所でようやく止まった。喉の奥から熱い物が込み上げてきて、たまらずに吐き出すとバイザーの内側一杯に血の臭いが充満した。数回むせては吐きむせては吐きを繰り返した後、四つん這いの体勢になって地面に手を着き、何とか立ち上がろうとと試みてみる。が、流石にすぐには動けそうも無い。 いい感じに木がクッションになるように、角度を考えて吹き飛ばされたのだが、それでも思った以上にダメージを受けてしまったようだ。当然ながらカートリッジはどこかに落としてしまっている。いや、わざとらしくは見えないように、わざと落とした、と言うのが本当の所だったが。 ふふふ、さあ、止めを刺しに来い。敵はこっちがダメージで思うように動けないのを確認してから、ゆっくりと傍に来て、右手を振り上げ、と、そこで動きを止めた。 …なんのつもりだ?何かは分からないが、足元に落ちている何かを見ている。まあいい。さ、コレでゲームセットだ。なかなか楽しかったよ。 赤い線は、少年の左手を貫いていた。 タァ…ン 酷く軽い音が響いて、SMGの弾丸が少年の左手を撃ち抜いた。俺の手にはカートリッジの抜けたSMG、だがその銃口からは硝煙が立ち昇っている。っは、ざまあ無いね。思った通りだ。銃の構造を知らなかったのが命取りさ。オートマチック銃は常に一発、カートリッジから薬室に弾が装填される。その弾は、当然の事だがたとえカートリッジを抜いても銃身内に残る。つまりはそういう事。 少年は既に倒れ痙攣を起こしている。弾丸は左手の多目的結晶を正確に撃ち抜いていた。中枢神経と直結している多目的結晶を破壊されたんだ。即死こそ免れただろうが、もう二度と目を覚ますことはないだろう。 ふと興味を覚えて、少年が見ていたらしい足元の「何か」を確認してみる。そこに落ちていたのは、 「作戦前に善行に貰った写真!?…そうか、吹き飛ばされた時に落としてたんだ。でもなんでこんな物に気をとられたんだ?」 少年はまだビクビクと不気味な痙攣を繰り返している。もはや質問など出来る状態じゃないのは分かっているが、どうしても気になった。 「おい、聞こえるか?」 声を掛けながら少年のウォードレスのバイザーを外した。そこに有った顔は…。 「うそ…だろ?おい、なんだよ…なんなんだよコレはーー!?あああ、うわああああああぁぁぁぁぁ!」[newpage]AM9:32 小隊司令室 襲撃より3時間経過 「ご苦労様でした。これで私たちも助かります。本当に有り難う」 善行の労いの言葉は右から左に聞き流す。そんな事はどうでも良い。それより確かめたいことが有る。 「一つだけ、教えて下さい」 ギリ…と、握り締めたこぶしの音が、いやにハッキリと隊長室に響いた。返答如何によっては、自分はこの男を殺すかもしれない。そんな決意がどこか他人事のように感じる。 「…良いですよ、何でも訊いて下さい」 善行が返事をしつつこっそりと机の中に手を入れるのが見て取れた。拳銃を手に取ったのか?だがこの間合いなら問題ない。対処は可能だろう。覚悟を決めて質問を続ける。 「…隊長は…『山賊』の正体を知っていたんですか?」 善行はその質問にすぐには答えず、たっぷりと1分は見詰め合ってから、答える代わりにゆっくりと机の中の何かから手を離し机の上で手を組んだ。 「…何のつもりだ?」 思わず声がでる。すると善行はツイ、と眼鏡を押し上げあっさりと答えてきた。 「勿論です」 一瞬混乱した。ああ、そうか。最初の質問。「山賊」の正体を知っていたのか?に対する答えか。なら… 「『山賊』となった理由もですか?」 「当然です」 今度は即答。…ヤルか… それまで後手に組んでいた手を解き、一歩前に歩み出る。すると包帯に包まれた僕の左手を見咎めて、善行は眉をひそめた。 「左手を負傷したのですか!?まさか多目的結晶を損傷してはいないでしょうね」 そう、第六世代にとって左手の負傷は致命傷になりうる。だがお前に心配されるいわれは無い。構わず更に一歩、歩みを進める。 「…速水君…?」 訝しげに声を上げる善行。…速水?………そうか、確か今朝僕を殺しに来た男の名前が速水だったな。そんな事を思い出しながら、構わず更に一歩間合いを詰める。 「速水…いや、違う、貴方はまさか!!」 善行も今更ながら僕の正体に気付いたようだ。血相を変え机の中の拳銃に手を伸ばす。だがもう遅い。その手が拳銃に届く前に机を真上に蹴り上げる。派手な音を立てて机は天井に叩きつけられる。そしてその向こうには善行が椅子から立ち上がることさえ出来ずに無防備な姿を晒していた。 チェックメイト。 机が落下してくるより早く、右手を翻し、得意の手刀、今までさんざに命を刈り取ってきたその一撃を振るう。 数瞬遅れて、隊長室からは悲鳴が響いた。[newpage] 「気は済んだか?」 隊長室を出ると、ポニーテールの少女が声を掛けてきた。彼女は…確か舞と言ったか。「芝村」だとも言っていた。その隣には女子と見紛いかねないような容姿の少年も居る。こちらの名前は速水。それにしても人は見掛けで判断は出来ない。なにせ彼はこの僕を完膚なきまでに叩きのめした猛者なのだ。 「ねえ、善行は…どうなったの?」 その速水が恐る恐る聞いてくる。ぷ、戦闘時と普段とのギャップに思わず吹き出してしまった。 「大丈夫、生きてるよ。寸止めにしておいたし。…もっとも、漏らさなかったのがしゃくだったから、ズボンの中にたっぷりお茶を注がせてもらったけれどね」 そう言って後ろ手に隠していた魔法瓶を見せつけ逆さに振る。 「ぷ、あははははは、さっきの切ない悲鳴はそれか。部外者で無ければ出来ない芸当だな」 舞とかいう「芝村」が腹を抱えて笑っている。どうやら僕と笑いのセンスは合うようだ。もっと違う形で出会えたら。そんなつまらない事を考えてしまう。いや、コレでも充分過ぎる位良い出会いなのかもしれないな。 「楽しんで貰えて何よりだね、僕を治してくれたお礼のサービスだったから。でも完全に壊れていたのに良く治せたね。さすが芝村といった所かな」 そういって包帯に包まれた左手を見せる。そこには速水に砕かれた多目的結晶に代わり、新しい多目的結晶が埋め込まれている。もっとも、単に新しい多目的結晶を埋め込んだだけでは僕を治す事など出来はしない。結晶を砕かれたダメージで僕の心も壊されたんだ。普通なら廃人は免れない。 「私はただこやつの心をおぬしにコピーしただけだ。それに、いくら同系のクローンとは言え心が全く同じ訳ではない。以前のおぬしとは大なり小なり変わってしまったはずだ。恨まれこそすれ、感謝される事ではない」 そういって、隣に立つ速水を肘で突付いた。 そう、その速水と僕はまるで鏡を挟んで向かい合っているような姿だ。完全な生き写し。同系クローン体、か。だから敵わなかった、なんて言い訳はしない方が良いかな。 「それも別に良いよ。むしろ感謝しているくらいだしね。…以前の僕なら、君らの司令を殺していたかも知れないし」 善行はこの僕と速水が同系クローンと言うことを知った上で、速水を送り込んできたんだ。その悪趣味さには反吐が出る。だが今の僕には殺す以外の報復も考えられる位には心に余裕がある。これは速水と舞がくれたものだ。いくら感謝しても感謝しきれる物ではない。 「…おぬしも、厚志と同じくらいの大ばか者だな。まあよい。早く逃げないと騒ぎを聞きつけて人が集まってくる。さっさとコレを着て何処へでも消えるがいい」 そう言って傍らに置いてあるウォードレスを指す。武尊。僕のたった一つの守り神。もう随分ボロボロになっていたのだが、これもすっかり直されていた。ここはお言葉に甘えて早めに退散させて貰う事にしよう。そそくさウォードレスを身にまとい始めた。 「…ねえ、どうして『山賊』なんてやってたの?」 速水が訊いて来た。それを訊いてどうするつもりなのだろう。ま、興味本位だとしても彼は僕に勝ったのだ。真実を知る権利くらいは有るか。…ちら、と彼の隣に立つ舞の顔を伺う。彼女も「芝村」なのだ。この山賊騒動の正体を知っているかもしれない。すると案の定舞は不機嫌そうにそわそわし始める。ま、この可愛い「芝村」に意地悪するのも良いかもしれないな。そんな不純な動機も混じって、ウォードレスのセットアップを続けながらも、僕の口はすらすらと機密を吐き出していた。 「…熊本全域の補給物資の不足は、別に『山賊』の略奪行為が原因なんかじゃない。単に本土の補給路と生産体制の乱れが原因さ。一部のタヌキどもの横領もあったみたいだけどね」 速水はきょとんとして呆けたような顔をしている。どうやら本気で「山賊」に物資を奪われていたと思い込んでいた口らしい。やれやれ、僕に勝った君がそれでは僕も浮かばれないよ。 「分かんないかな?本土としては自分等の不手際や小遣い稼ぎが原因なんて事になって責任追及されるのは嫌だったんだよ。そこで別なところに物資不足の不満や責任を一手に引き受ける身代わりを立てたのさ。それが僕。つまりは『山賊』の正体って訳」 舞の顔が露骨に歪む。おそらくはその黒幕どもとつながりが有るのだろう。ま、「芝村」なのだから当然か。それにしてもこんなに可愛げのある「芝村」が居たなんて驚きだな。 「ちなみに僕が実際に襲っていた補給部隊は全部君と同じ『山賊狩り』の特殊部隊さ。…アレはね、各部隊から選抜された『物資の横領や横流しの疑いのある者達』で編成されてたんだ。彼らも自分らに掛かる疑いを逸らすチャンスと思って任務に飛びついていたらしいね。それが彼らを始末する為の罠とも知らずに。ほら、本土のタヌキどもは、自分らの着服は良くても、末端部の摘み食いはお気に召さないから。何と言うか…出来の悪い茶番劇だよね」 ここまで話すと、流石にいやらしい笑みが出てきてしまう。自分の罪を僕に擦り付けに来た連中を始末する。そんな日々を送っていた事を今更ながらに思い知らされたからだ。もっとも本土のタヌキどもまでは始末できないのだが。 「…じゃ、じゃあ僕も善行に疑われていたって事!?」 速水が見当違いのことを口にするのを聞いて、またか、とため息をつく。頼むから僕を倒した君にはしゃんとしていて欲しい。 「君は違うよ。僕を始末する為に選ばれたんだ。多分、本土の補給体制が整ったんでしょ。でも補給を再開するには元凶になっていた『山賊』には死んでもらわなければならない。だって『山賊』が健在なのに補給を再開しちゃったら、補給を絶っていたのは『山賊』じゃないって事がばれちゃうし」 「…君はもう用済みって事?」 ようやくまともな事を言ってくれたか。まあここまで話してまだ間抜けなことを言われたら流石に泣きたくなるけどね。 「でもじゃあ君はなんでそんな『山賊』なんて役目を引き受けたの!」 ま、当然の疑問かもしれないね 「それは…」 「それはこやつが取引に応じたからだ」 と、舞に途中で遮られてしまった。ちょっとイジメ過ぎたかな。流石に耐えられなくなったらしい。まあ少しでも罪悪感がまぎれるなら、自分で暴露してもらうのもいいかも。そっと手を差し出して先を促してみた。その僕の様子に一瞬たじろいだ後、舞は先を続けた。 「こやつの部隊の物資不足はまさに極限状態だったのだ。特に食料と医薬品の不足は待った無しの状況だった。だから…だからこやつは『山賊』となる事を引き受けた。仲間の為に自分を売ったんだ、この…大ばか者め」 しん…と場が静まる。ま、真実なんて物はいつだってろくでも無いシロモノだって相場が決まっている。 「そう深刻な顔をしなくても良いよ。僕はお尋ね者になってしまったけれど、別に死んだ訳じゃ無い。」 「…補給体制が回復した以上。お前は必ず抹殺されるぞ。お前が生きている限りは補給を再開出来ないと自分で…」 「なら何で僕を助けたのさ!君は全てを知っていたんだろ!?」 ようやくウォードレスのセットアップが終わった。仕上げにバイザーを下げると、僕は速水の胸へと右手を伸ばす 「僕が生き残る手段は一つしかない。僕の身代わりを仕立てあげて摩り替わる事。同系クローン体を探し出して、ね」 握り拳を速水の胸に伸ばす。僕は素手でも人の首をへし折るくらいは容易い。まして武尊を身に纏えば武器など必要も無い。それを、それは僕と一度は相対した速水が一番解っているはずだ。なのに速水は、僕の手が真っ直ぐに心臓へと伸びてくるのをつまらなそうに見下ろしている。呆れるというか、尊敬するというか。速水はここまで脅しても平然と突っ立っている。生身で武尊と相対している事を、まるで脅威とは感じていない。その事がありありと伺える。速水の瞳は、にっこり笑っては居ながらも、さっきまでとは別人のように寒々しい冷気を帯びていた。多分、今朝ウォードレスの下にあった顔はこれか。そんな事を思う。…武尊を着ていても生身の速水にさえ勝てない。本能的にそれを察する。やれやれ、僕は自分を天才だと自惚れていたけれど、それはとんだ思い上がりだったか。いや、僕は天才だとして、こいつは化け物だ。僕と、僕の守り神でさえたやすく捻り潰すほどの。 「…一体、何が僕と君の間にここまでの差をつけたのかな。ははは、芝村。君が僕を助けたのはそういう事?結局、僕の希望なんて初めから無かったって、ああ、そうか、ここは準竜師の直属だったっけ。僕がここに来る事も、速水と摩り替わろうとする事も、僕が速水に敵うはずも無い事も全て分かってて、僕の目の前にニンジンをぶら下げて必死に掴み取ろうと足掻く様を見て楽しんでいるのか。ははは、あーっはっはっは……ふざけるな!全部、全部貴様らの筋書き通りに行くと思ったら大間違いだ。」 数瞬、無言で見詰め合ってから、その場を駆け出した。振り返らない。だって僕は僕の出来る最善の事をしてきた。出来る努力は全部した。だから、これは僕にとって一番幸せな結末。でも、皆は僕を恨んでいるかな?裏切り者だって、反逆者だって。でも皆は生きている。死なない。…何故なら、僕の部隊は、僕の反逆の連帯責任という口実で解散して、もう軍務から解放されているんだ。 だから、もう仲間達はただの中学生として暮せる。そう、取り返したんだ。僕は、皆の「幸せ」を。 「行きましたね」 「山賊」が居なくなるのを見計らって、善行が隊長室から出てきた。その股間はビショビショに濡れていて、気持ち悪そうにがに股で歩いているものだから、威厳も緊張感もあったものではなかったが。 「我らを試したのか?」 「…はい」 善行は流石に苦しそうに答えた。 「それと、もう一つ訊くが…」 「何でしょう?」 「…あの魔法瓶、お前が自分で渡してお茶を掛けられた事にしてくれと頼んだのでは無いのか?お茶にしてはいささか臭うぞ?」[newpage]エピローグ 善行は思う。この世には絶対に追い抜けない相手が三人居る、と。 彼らは史上最も優れた人間だ。 一人目は「史上最高の天才」芝村 舞。 オリジナルヒューマンで有りながら第六世代をすら凌駕する頭能と身体能力を併せ持つ天才。 バイオテクノロジーが人工の天才を作ろうと足掻く様を、あざ笑うかのような存在だ。 二人目は「史上最悪の化け物」速水 厚志。 彼は天才でもなければ努力家ですらない。でも彼は望んだ時に、望んだ相手を殺すことが出来る。 本人は「線」と呼んでいる、理不尽なまでに圧倒的な力。全く、理解不能だ。 神か、で無ければ化け物でしかない。 三人目は「史上最低の汚物」芝村 勝吏。 この世のあらゆる薄汚い穢れを全て掻き集めたかのような存在。 まるで全ての穢れを一つに集める事で世界を浄化しようとした結果の、廃棄物のような男だ。 「失敗か」 モニターいっぱいに写る汚物が呟く。反吐が出そうな映像だが吐くわけにもいかない。吐くべき物自体胃袋に収まっても居ないが、今は胃液すら惜しい。直にこの男に浴びせられるなら話は別だったが。 「はい、現状では彼を殺せる者など居ません」 つい、とメガネを押し上げる。ズレていた訳では無い、ただイライラするとどうにもメガネが気になる、もともと目が悪い訳ではない。熊本に来てから掛け始めた伊達メガネだ。普段はともかく、虫の居所が悪い時はどうにも鬱陶しく感じる。 「何?」 分かりきった事を聞き返すな。内心では腸が煮えくり返る思いだ。 「当然でしょう。仮にも相手は元・中央区のトップエースですよ。彼を殺せる人間は、キイクニと姫以外には居ません。彼らがターゲットの味方になってしまったのだから、もう彼を殺す手段は在りません」 にやにやと笑いながら、モニターの中の準竜師が手を組む。どうせまた分かりきった事を訊いてくるのだろう。 「現状で、と言ったな。ならば状況を今に限定しなければどうだ?誰か奴を殺せる候補者はいないのか?」 いい加減この禅問答はうんざりだ。何故なら、いつも答えが一緒だからだ。 「イエッサー。それは準竜師。貴方です。…いい加減ダイエットしましょうよ」 「ふふ、相変わらず無茶を言う。まあ、検討しておこう」 善行は拳を振り上げると、モニターを叩き割った。fin