透明カンバス #8

 性悪猫の自殺未遂はシロの心を引き裂いて、掻き毟った。
 まだ過去の傷が癒え切ってはおらず、病的に弱っていた心を完治とは真逆の方向に突き飛ばした。
 せっかく改善に向かっていると思ったのに。少しずつ安定してきたと思ったのに。おれとKの戦いは正に一進一退の攻防戦だ。
 シロの心を手っ取り早く掴むにはセックスが一番だった。一方的なフェラチオではなく、心の通い合ったセックス。白状すればシロの性癖は相当に偏っていて、変態じみた行為もかなり多かった。シロは倒錯的なセックスを好む傾向がある。端的に言えば、自分を虐めて追い詰めるようなセックス。おれはシロがその手の行為に溺れることにあまり良い印象を持たなかった。必死に声を殺すシロが痛みや苦しさに酔いしれているように見えたから。それも酷く逃避的に。シロはセックスの最中、いつも猫を傍に置きたがった。
 投身自殺を謀ったKは、何事もなく家に帰って来た。心配したシロが獣医に連れて行っても傷一つないと言われた。あいつはおれの肉体に、シロの心に、引っかき傷を残しただけだ。言うまでもなくシロは白猫を耽溺し始めた。以前の比じゃないくらいに猫に愛情を注ぎ込んでいた。おれにはそれが面白くなかったが、口を挟むことは出来なかった。そんなことは許されなかった。そもそも愛し合っている者たちを第三者が引き裂くことは出来ないのだ。ロミオとジュリエットのように物理的には引き裂けても、愛は、心はどうにもならないのだから。
 シロの状態は決して良いとは言えなかったが、本人はとびきり幸せそうだった。当たり前だ、肉体はおれで、心はKで、疼き上がる渇望を存分に満たすことが出来るのだから。でもシロの心は確実におかしくなっていた。それを実感したのはある月の綺麗な春の夜だ。
 Kは本当に不思議な猫で、避妊手術をしたというのに春が来たら盛りが来ていた。実は避妊手術が失敗したのだろうか、それとも窓の外から聞こえてくる交尾の気配に触発されたのだろうか、急にシロの周りをうろうろとし始めて前屈みで腰を振っていた。最高の媚が含まれた甘ったるい鳴き声。あそこが疼いて疼いて仕方がないんだと言いたげに彼女はシロに欲情していた。
「ん、どうしたお前。もしかして盛ってるのか?」
 驚いたシロが猫の腰をとんとんと叩いてやると、猫はとろんと気持ちよさそうな顔で床に転がった。ごろごろと喉を鳴らして恍惚としているから、猫なりに『感じて』いたのかもしれない。避妊したのにな……、と首を傾げたシロが面白がって腰をとんとんし、Kはあおあおあおあおと悶えていた。シロは、おいでK、と猫を膝に乗せ、腰をすりすりとさすってやっていた。猫はとろーっと至福の顔付きで後ろ足をもぞもぞさせる。シロはそんな彼女をくすくす微笑いながら延々と悪戯していた。エッチしたいの、なぁお前、俺とエッチしたいんだろ、と冗談交じりに話しかけては嫌な手つきで猫の下半身を撫で回しているシロ。その光景はおれに生理的な嫌悪をもたらした。とにかく不快だった。シロの目に復讐めいた残虐さがあったから余計に、だ。例のフェラチオ男をやり込めた気にでもなっているのだろうか。
「シロ、もうやめなよ」おれは思わず苛立ち声で言った。「無駄に性欲を焚き付けるのはやめろ。Kが可哀想だ。様子がおかしいなら明日にでも獣医に連れてって必要ならもう一度避妊手術してもらえばいい。そういう悪戯は悪趣味だよ」
 シロは故意におれの言葉を無視した。聞く耳なんか持たなかった。むしろおれの忠告がおかしな方向に作用したらしく、シロが意地を張る始末だ。けーちゃん、と微笑んだシロが白猫の頬や額や耳に口付けながら腰を揺さぶる。あーお、と猫が返事をして二人はちゅっと唇を重ねた。もそもそと下半身をまさぐり続けるシロは、何とかしてKをイカせようとしているらしかった。動物にエクスタシーがあるかは分からないのに。けぇ、と呟いたシロが自分の腰をもぞっとさせた時、まさか、と吐き気に近い感情に襲われた。ねぇ俺がイカせてあげようか、なぁけーちゃん俺もけーと一緒に……、とシロの指が例の場所を探り始めた瞬間、おれはシロの腕を掴み上げていた。
「シロ!?」
 おれの勢いに気圧されたのか猫がシロの膝からずり落ちていく。無防備になったシロの股間にくっきりと屹立が浮かび上がっている。刹那、おれは腕を掴むどころかシロの胸ぐらを掴み上げていた。いくら心が病気だろうがさすがにこれは見過ごせない。
「おいシロ!! しっかりしろよ!! 猫相手に欲情してどーすんだ!? なぁ今Kに指突っ込もうとしたよな? いい加減にしろ!! このまま本気で獣姦でもするつもりかよ!? ちゃんと見ろよKはただの猫だろ!? しかも雌猫だ。シロが大好物のちんぽ持ってる人間の男は間違いなくおれだよな? そんなに欲求不満なの? じゃあいいよ今からヤろうよ死ぬほどイカせてやるから」
 Kには出来ないよな、シロを縛ったり焦らしたりすんのは。
 おれはシロの体をがくがく揺さぶりながら下品に笑ってみせた。今までは消極的にしか手を出せなかった倒錯的なセックスを迷いなく選んだのはその晩が初めてだ。おれはとにかく焦っていた。シロが自分の予想よりも遥かに早いスピードで壊れていっていたから。シロをひょいと抱き上げて寝室に向かう。おれたちを追ってきたKを閉め出そうとしたが、シロが一緒にいると言い張って聞かなかった。シロは不安でたまらないのだ。Kを自分の傍に置いておかないと、また自殺されるんじゃないかって異常に怯えていた。ある意味でシロはKの奴隷なのだ。あの糞猫は自殺や別れをちらつかせて相手を意のままにする性悪メンヘル女みたいなものだった。

 シロは血色の悪いイチゴみたいに頬を紅潮させて、っあ、……っう、と淫らにもがいていた。喘ぎは少なめなのがシロらしい。シロ、と、目を細めてやるとペニスの先端からとろとろとカウパーが滲む。右手首と右足首を、左手首と左足首を、それぞれ一つにまとめられて股間を剥き出しにされているっていうのに、シロは恍惚の表情で欲情していた。半開きの物欲しげな口元。変態なのだ、シロは。
 にゃーぅ、と猫が鳴く。白猫はシロの頬をぺろりと舐めた。
「けぃ……」
「なぁシロ。一つだけはっきりさせておきたいんだ。シロはね、……治りたいんだよな? 最初に言ったよな、助けてくれって」
 おれの指がぐちゅぐちゅとシロのアヌスを掻き回す。執拗に焦らしながら尋ねると、シロはおれの言葉に撃たれたように動かなくなった。感情が消えて血の気の引いた顔。ぐっ、ぐぐっと前立腺を刺激してやると、んぅ……っ、あ、や、……っ、弱々しい声で悶えて少量の精液を吐き出した。シロはぐったりと横たわったまま沈黙する。つまりはおれの言いたいことが分かっているのだろう。
 おれとシロは海岸で出会ったが、あの時とは状況が変わってきているということだ。
 今はシロの傍にKがいるのだ。Kは明確な意志を持って例の男の身代わりになろうとしている。
「おれが何を言いたいのか、分かるよな? おれは別にKを捨てて来いとは言わないよ。一緒にいて心休まるのなら好きなだけ一緒にいればいい。だからおれはシロの本音を知りたい。このところシロの様子がおかしいから。なぁシロ、本当のこと言えばおれじゃなくってKが自分の救いなのかもって、思ってるよな? おれに求めた救済とやらがシロの中で揺らいでいる。違うか?」
 シロが苦しげな顔で沈黙する。
 実際シロだって分かっているのだ、Kに救いを求める道はグロテスクな悪夢に閉じ込められるようなものだって。
 何いじめてんだよふざけんなよ馬鹿と怒ったKがうみゃうみゃと抗議してくる。狡賢いシロは口を閉ざしたままだ。沈黙と比例する量のローションをシロのペニスにだらだらと垂らして指先を滑らせる。シロの体がぴくんと勢い良く跳ね上がって膝ががくがくと痙攣していた。ちゅく……、と、ペニスやアヌスから透明な糸がつたう。握った手を素早く上下させると、やっ、んっぅ……アオ、アオ、っとシロが喘いだ。ローションの刺激が強すぎたのか必死に口をぱくぱくさせていた。先端を、ぎゅ、と軽く握り込まれるだけでペニスがびくびく暴れる。
「ねぇシロ、雌猫に過去の男を投影したって虚しいだけだよ。いくらこいつが代わりをするって息巻いても、Kがシロを抱いてくれると思う? エロいこと大好きで淫乱で変態なシロを満足させてくれると思う? 所詮、猫は猫だよ」
「アオくんとKが合体すればいいのに」
 その晩は艶かしい月が空に浮かんでいた。開け放たれたカーテンの向こうを見上げながら、シロが呟く。おれはその発言がいびつでおぞましいと感じた。おれとKに交互に視線を向けて満足そうに微笑んだシロの壊れっぷりに慄然としてしまう。
「ねぇ、シロは過去に何があったの」
 たまらなくなったおれは愛撫をほっぽり出してシロに尋ねた。なぁ、シロに一体何があったんだよ、と涙をこらえて叫んでいた。
「アオくん……」
 うにゃん、と猫が鳴く。いっそのこと話してやればと上から目線でシロに顎をしゃくってみせた。
「けい……」と、シロが泣き出しそうな顔になる。
 シロは本当に少しだけ昔の話をしてくれた。初めてシロが好きになった男はシロをこっぴどいやり方で裏切って、捨てた。そいつこそがシロとのセックスを拒み続けた糞男だ。傷ついたシロはその後に少しだけ遊んだけれど、ようやく「合う」と思える男を見付けて一緒にいた。そいつは散々シロを好き勝手して慰み者にしてから、捨てた。要は始めから体しか目的じゃなかったのだろうとシロは言った。ただそれだけの話だった。ただそれだけのことで、シロの心は病的な何かに侵され、倒錯的なセックスに走るようになってしまったのだ。
 それだけのこと、か。
 それだけのこと、と切り捨てそうになった自分を恥じる。
 心の痛みには個人差があるのに。感受性の強そうなシロが人よりも傷付きやすい性分なのはおれでも分かる。そうして、どちらかと言えばおれもそうなのだ。シロの声は通りが悪くて広範囲には響かない。甘ったるくて耳に優しい声質なのだが、何となく覇気がなくて気怠い感じがする。一瞬で夜に溶けそうな囁き。ビターチョコレートみたいな声色で淡々と過去の話をされるのは正直キツかった。痛かった。なまじシロが一番始めに「俺はね、最初はアオと同じくらいにノーマルで健全だったんだよ」と懐かしむように目を閉じたから余計に。
 シロにとって、その過去は隔絶された過去ではない。懐かしんで、何度も手に取れるような親しい過去だ。それがシロの病気の主原因でもある。シロはまだ何かを隠している気がした。何をだ、けーごとかいう糞男はシロに何をしたんだ。どうしたらシロをこんな風に壊してしまえるのだ。ろくすっぽ愛されてもいなかったシロがどうしてそこまで阿呆男に執着するのかも理解出来ない。うみゃう、と猫がシロを褒める。よく話せたね、偉かったよ、とシロにキスをした。お前も元凶の一つだろーが、と舌打ち混じりで八つ当たりしたくなる。
「なあ、もう一回聞くよシロ。本当に、前向きな意味で変わりたいと思ってるんだよな? その為におれの手助けが必要なんだよな?」
 うみゃーぅ、と猫がシロの心を惑わし始める。
 静かに、と人差し指を立ててやると彼女は不満気にそっぽを向いた。
「必要だって、言ってくれよ……。そうしたらおれは何でもする。シロの為に何でもしてやる。嫌なことだってしてやれるよ」
「アオくん」
「おれ、シロのことが好きなんだ」
 おれはシロの髪を撫でながら告白する。そんなこと言われなくても分かっていただろうけど。
 アオ、と呟いたシロが苦しそうに顔を歪めたのはシロの返事がノーだからだ。シロの本命が最初の男だってことは知ってる。こくりと息を呑み込んだシロがおれを真摯に見上げてくる。穴が空くんじゃと恥ずかしくなるくらいにおれを凝視していた。
「でも答えは要らない。返事はまだ必要ない。シロが無理しておれの気持ちに応える必要はない。ただ知ってて欲しかったんだ。シロには味方がいるんだってこと。おれはどんなにシロがおかしくなっても見捨ててなんかやらない。なぁ、普通は獣姦の疑いが出た時点で別れ話切り出されてもおかしくはないよ。こんなこと言いたくはないけど、でもシロは本気で欲情してるもんな。自分の愛撫で悶え狂う猫見て勃起したもんな。……異常だよ。でもおれは、ちゃんとシロを引き留めてやる。ちゃんとこの糞猫と闘ってやる、から」
「アオ……」
「言ってよ、助けが必要だって……。それだけで、おれは、充分だよ」
 シロ、と呼び掛けた瞬間に声が震えて涙の雫がぽたりと落ちた。アオ、アオ、とシロが繰り返す。
「ごめん俺、縛られててアオくんのこと抱いてやれない。抱いてやりたいのに、……だからこれ取ってアオ……」
「ん、大丈夫自分でやるから」
 おれはぎゅむっとシロに抱き着いた。四肢を拘束されて不自由なシロはアオくん、と呟いたままじっとしていた。にゃーうん、と気を引くように猫が鳴いたけど、シロは顔を向けなかった。アオくん、俺はね、とシロがおれの体にキスしながら言う。
「アオ、俺はアオと会った時に思ったんだよ。アオのいるこの世界で生きてみたいって。その時の俺は自分が生きているのかも死んでるのかもよく分かんないくらいに無気力で、だからあんな風に絵を描いてたんだと思う。でもアオと会って話してた時にふっと目の前が開けた気がしたんだよ。あぁ俺、アオくんみたいな子がいてくれるこの世界が好きだなって思ったんだ。俺さぁきっとこの世界に執着する理由を探してたのかもしれない。ほら、あいつを欠いた喪失感が凄かったから。でもそれが見つけられなくて、見つからないから悩んでた」
「けーご……、のいない世界ってシロにとってそんなに空虚だったのか?」
「ん、……まぁ、そうだね。空っぽだって感じがしてた」
 おれの不躾な質問にもシロは嫌がることなく答えてくれた。けーご、とやらの氏素性は分からないが、とにかく多感だったシロに絶大な影響を与えた人物らしい。でも、と言葉を切ったシロが不恰好に顔を持ち上げておれの頬にキスしてくれる。
「でもアオくんがいるから空っぽじゃない。俺さぁ、とにかく生きてやるぞって思えたんだよね。ほんと暑苦しくて格好悪いけど、うじうじ悩む頼りないアオくん見てたら熱い気持ちがめらめら燃えてたの。意味とか理由とかどうでもいいやって。時の流れを感じたっていうか。けーごはいないけど、アオくんがいるやって。これもある意味で一目惚れだよな。その時の気持ちはずっと変わってないんだよ」
「ほんとに? おれとKのどっちが大事?」
 単細胞なおれは馬鹿正直にシロに尋ねた。にゃーう、と猫が可愛らしく鳴き、シロの顔がすぐにとろとろのでれでれになる。
「どっちもだよ」と、これまた馬鹿正直にシロが答えた。
 おれもKも激しくがっかりしていた。そこはおれだと言って欲しかった。
「もう一回、聞く。シロはおれを必要としてるんだよね?」
 何となく話をはぐらかされた気がしたから、おれはシロの顔を覗き込んで尋ねる。
「うん。アオくんはおれにとって必要な人だよ」と、シロがきっぱり答えてくれたから。おれにはそう、それだけでいい。

 夢中でシロに口付ける。手足の拘束を解いてやるとシロががむしゃらにしがみついてきた。
 シロはおれをリードするのが上手い。意識的なのか無意識なのかは分からないが、自分の望む行為にさり気なくさり気なく誘導しようとする。四つん這いになったシロが白猫の頭を撫でた時、おれは物凄く嫉妬した。嫉妬させられた。思わずシロに背中にきつく噛み付いてぐりぐりとペニスを穿ってしまう。そうすることでシロが喜ぶのが分かっているから。シロは乱暴に扱われるのが好きなのだ。
 にゃう、と猫がシロを見つめる。頻りに腰をもぞもぞさせてシロを誘っていた。
「けーご……」
 シロがぎゅうっとシーツに指を突き立てながら泣きそうな顔を歪めた。血を吐くみたいな痛々しい喪失の叫びだった。ぱすん、と荒っぽく腰を打ち付けると、あっ、んぅ……あっ、あぁっ、と、膝をがくがくさせながら感じている。おれはとにかくKにシロを渡したくなくてシロの望む行為を全て与えた。羞恥や屈辱に満ちたプレイ。でも猫の魔力の方が格段に上で、猫がふらりとベッドを降りようとする度にシロは気を取られた。待って、いかないでK、と、腕を伸ばして必死に懇願している。シロはKを失うことに異常なくらい怯えていた。
 ぎしぎしとベッドが軋んだ音を立てる。四つん這いすら崩れ始めていたシロの元に白猫がとことこと歩み寄る。猫がシロの勃起に舌を這わせた時、おれは大して動じなかった。この猫はただの猫ではないのだ。シロに愛されるためなら何でもする。しまったと追い払っても手遅れだった。ペニスを掴んだシロはぼんやりと術中にはまっていた。おれは思わずシロの背中に爪を突き立てる。
「痛い?」と、シロに尋ねる。
「うん、でも痛いのがいい」と空っぽの声が返って来た。「もっと痛くて苦しいのがいい」
 それはまるで醒めない夢を夢見る死人だった。自分が永遠の眠りに就いていることに気が付いていない哀れな魂。さっきまで生きたいだのなんだのと言っていたシロが、今はこんなにも死んでいる。猫の魔力で死の淵へと引きずり戻されている。シロが目に見えぬ神様に願い事をするような顔でおれを見た。みゃーう。ベッドに手を掛けて立ち上がった猫がちょこんと顔を覗かせ、その頭を撫でてやったシロが壊れた微笑を浮かべる。あはは、いっちょ前にフェラチオ好きだなんて、お前やっぱりけーごだよ、って。
「痛い?」と、血が滲むまで肌に爪を食い込ませる。焦っていた。何とかシロをこちら側に引き戻したかった。
「ん……、痛いよ」と、シロがまともな声で答え、眉を寄せた。きっと今は正常と異常がせめぎ合っている。
 なぁ猫けーご、分かってんだ、お前は俺とエッチしたいよな、とシロが微笑う。
 みゃうみゃうみゃうと白猫が応答し、うん俺もお前とエッチしたいよ、ねぇフェラチオしてけーご、とシロが泣きながら崩れ落ちた。

 何なんだよ、これは。
 一体何なんだよこの馬鹿馬鹿しい光景は。

 シロと猫の結び付きが強すぎて途方に暮れそうになる。あの時と同じだ。この猫はシロの感情を暴走させすぎる。狂わせすぎる。シロは猫を相手にわんわん泣いていた。こんなのはシロらしくない、ってくらいに涙で顔をぐしゃぐしゃにしていた。けーご、ねぇけーご俺にフェラチオしてよけーごぉと子供のように奔放に泣きじゃくっているシロを引き寄せて、抱き竦める。
「お前じゃ、駄目だよ」
 白猫がすいと足を踏み出したが、おれはゆっくりとかぶりを振った。っ、うぁ、……うぁ、けーご、けーご、と嗚咽で喉をひくつかせるシロを抱き締めた瞬間、迷いなんか吹っ切れていた。何者も寄せ付けない口調に気圧されたのか、猫が緊張の顔付きで後退る。
「上手く心を惑わしたつもりになってるんだけろうけど、お前じゃ駄目だって分かってるからシロは泣くんだ。傷付くんだ。シロを泣かせているのはお前だよ。シロの心をずたずたに引き裂いて狂わせてるのもお前だ。それがお前の願いなのか? お前はシロを泣かせることは出来ても立ち直らせることは出来ないだろうな。欲情させることは出来ても宙ぶらりんで放置するだけだろ? 結局はシロの心を痛めつけることになるんだ。お前はシロの心を真に癒すことなんか出来ないよ。お前がシロを愛してることは分かる。でもお前の愛は何もかもが中途半端なんだよ! いいかおれはお前のこと猫だなんて思ってない。ライバルとして対等に話をしているつもりだ。出て行けとは言わないよ。シロがお前のこと心から大切にしていることは分かっているから。でもこんな形でシロを苦しませることは金輪際やめろ。猫相手にセックスねだらなきゃいけなかったシロの惨めさが分かるなら、おれの言ってることを理解出来るなら、せめて今だけはこの部屋を出て行け。今のお前じゃシロを泣き止ますことは出来ないよ。その可愛い舌にフェラチオされたところでシロが死にたくなるだけだ」
 おれは淀みなく猫に告げた。思った以上に落ち着いていられた。
 あ、っ、ぅう……ぁ、と泣き続けているシロがおれの話を聞いていたのかは分からない。白猫はじっとおれたちを見つめた。耳やひげをぴんとさせて小さくなったシロを見ていた。猫が微かに口を開いた気がしたが、鳴き声は出て来ない。白猫は熱心におれの顔を眺めてから、ふいっとドアの方に歩き始めた。軽やかにジャンプして器用にドアノブを開けている。彼女は部屋を出て行った。
「シロ……」
 おれはシロを抱き締める。取り乱したシロは暫くおれの腕の中で泣き続けていた。きっとシロはある状態まで心が追い詰められると感情が爆発するタイプなのだと思う。普段は感情の起伏が少なくてフラットなだけに反動も大きいのだろう。心が麻痺しているらしいから、キャパシティがオーバーするほどの痛みや歪みを抱え込んでしまうのかもしれない。いや、何かを感じたいから痛い方向へと流れていくようにも見える。痛みを感じたいから、痛みを欲する。痛みを打ち消すために、より強い痛みを求める。物静かな容姿の内側では血に飢えた獣が咆哮しているように見えるシロ。シロが倒錯的で被虐的なセックスを求める理由が分かった気がして、余計に愛おしくなってしまう。
「なぁシロ、おれはシロに何をしてあげればいい? どうすればシロを助けてあげられる?」
 おれは腕にしっかりとシロの体躯を抱いたまま、額をこつんと頭にぶつけた。シロの呼吸は元通りになりつつある。白猫の呪縛から解放されつつある。シロの背中を優しく撫でてやると、シロが鼻をぐすぐすさせながら抱き着いてくる。シロの体はぽかぽかだった。低体温動物のくせに、こんな時だけは子供みたいに発熱している。アオくん俺って異常だよな、とシロが呟いたが、おれは聞こえないふりをした。シロが時々おかしくなるのは確かだが、それは決してシロだけのせいじゃない。
「好きだよ」と、おれは真剣に告げた。「好きだよ。おれはシロのことが好きだよ。なあ、好きになってもいいよね? おれ、シロのこと好きになってもいいよな? おれのこと好きなだけ利用してもいい。Kの代用品にしてもいい。でもおれは絶対に諦めないから。シロへの気持ちだけじゃない。おれはシロが立ち直るまで傍にいるよ。約束する。おれは諦めたり、しないから」
「アオくん……、」
 シロ、シロ、とか細い声でシロの名前を呼んでいたら涙が抑え切れなくなる。どうして許可なんてもらってんだろ、超かっこわりい、泣きながら告白なんて最悪だ、と何度も腕で顔を拭った。シロが泣き止んだかと思えば今度はおれだ。シロがおれの背中に手を回す。まるで出来の悪い弟を宥めるようにぽんぽんと背中を叩いていた。参ったな、と困惑を隠さずにシロが苦笑する。
「ありがと、アオくん。俺さ、心のどこかではずっとこういう展開を望んでたって気もする」
「ってことは、告白、オーケーってこと……? っあ、いや、なんでもない、まだ返事は要らない。ごめん」
「ううん、こんな俺でもいいなら」
 シロはおれを力強く抱き寄せながら深い息を吐いた。つまりはオーケー、か!? 本当にオーケーなのか!?
 おれの告白を受け入れてくれたけれど、シロの心に別の男が巣食っていることは分かっていた。でも敢えて指摘はしない。シロがおれを選んでくれた、ただそれだけが希望の光に思えたから。それは前進したいと願うシロの光みたいな祈りだ。
「アオくんは強いね」
 シロがおれの涙を指で拭う。どこがだよ、と、シロに口付けながらおれは呆れがちに笑った。びーびー泣きながら告白する成人男性のどこか強いんだよと涙が止まらぬままに深いキスをする。ぽろぽろと転がり続ける涙の珠。「しょっぱいキスだなぁ」と、シロが顔を離し、次の瞬間には更に激しく吸い付いてくる。透明だ。おれの前に広がる世界は涙に水没して透明な海が広がっている。まだまだ痛い。まだまだ痛みは消えないけれど、白っぽい日差しに照らされて宝石みたいにきらきらと美しく輝いている。




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