ウェブブラウザのJavaScript(ジャバスクリプト)の設定が無効になっています。Javascriptが無効になっていると、サイト内の一部機能がご利用いただけません。 【骨鯰中心】餡と珈琲【現代カフェパロ】2015年4月29日 22:18「純喫茶鶴丸」でバイトをする高校生鯰尾とその双子の兄弟の骨喰を中心とした現代カフェパラレルです。・メインは骨鯰・現代パラレルですのでキャラクターの設定等々妄想で補完しております。・何でも許せる人向け・女装以上の要素を含んでおりますので、苦手な方はご注意ください。だいぶ古くなってきた鞄に教科書と空の弁当箱を詰め込んで、鯰尾は自分の教室を出た。途中で自分の双子の弟の教室に首を突っ込んでみるが、彼の姿は既にない。彼もまた自分の予定をこなしに行ったのだろう。今日の夕飯は何だろう……とうきうき考えながら、鯰尾は学校を後にする。彼が向かうのはこの町の中心地から少し外れた場所にある小さな喫茶店だ。純喫茶鶴丸。洒落た字体でそう打たれた金属のプレートを前に、鯰尾はふむと少し考え込んだ。それから背後を確認し、店の近くで人が隠れられそうな場所もくまなく見回した。「……よし。いないな」やれやれと溜息をついて、彼はようやく喫茶店の扉を開ける。店は1階にあるが、大きな窓には木のブラインドが掛っているため、日光は控え目に差し込んでいた。店の中は洒落たアンティーク調のランプに照らされ、ゆったりとした雰囲気を醸し出している。木作りの家具で統一された空間に、コーヒーの香りが漂っていた。一歩踏み込んだところで、鯰尾はカウンターの中にいるはずの人物がいないことに気付く。代わりにカウンターの席に座って足をぶらぶらさせながらパフェをつついている知り合いを見つけた。「あれ、蛍丸さん。打ち合わせですか」その小柄な彼が頷くたび、加えたままのスプーンが上下に揺れる。危ないですよと鯰尾が指摘すると、彼はようやくスプーンを口から離した。「次の原稿の打ち合わせでさ、ついさっき終わったとこ」彼はこの店の常連で、蛍丸という。本名なのかペンネームなのかは知らないが、他の常連からはホタルと呼ばれていた。「へえ、次はどんなお話になるんですか?」「うーん?……恋愛ものかな」おや、と鯰尾は胸の内で少々意外に思う。普段彼が書いているのはもう少し固い話だった。既に成人しているようにはどう頑張っても見えない童顔とふわふわ甘い雰囲気からは想像もできないような緻密で重く、どちらかというと薄暗い雰囲気の話を良く書く。以前新刊だといって一冊貰ったことがあるが、鯰尾が読んでも正直なところさっぱりだった。双子の弟や兄は面白いと言っていたが。「俺だって根暗な話ばっかり書いてるわけじゃないんだよ」「えっ!?いや、そんなこと思ってませんよ!」慌てて否定した鯰尾を見て、蛍丸はにやにやと笑っている。「そうだねえ。主人公はそうとは知らず生き別れの兄弟を好きになってしまって、後から知って苦悩する話とか良いかなあ。破滅までの道を突き進む人間の姿とか、書き甲斐がありそうだよね」「やっぱり暗い話じゃないですか!」鯰尾は思わず口を滑らせていた。しかし相手は鯰尾の失言など全く気にも留めていない様子である。パフェのアイスクリームが溶けかけているのをフルーツと一緒に掬い、大口を開けて押し込んでいた。ゆっくりと咀嚼して呑み込み、満足気に息をつく。「暗いか……、それはどうだろう。ああ、それと」背後がお留守だね。彼の一言で、鯰尾は咄嗟にその場から逃げ出そうとした。しかし少々遅かったらしい。背中に衝撃が走り、耐えきれずによろめいた。「今だ!かかれー!」嫌に見覚えのある白髪が突然視界に映り込み、鯰尾を巻き込んで床に転がる。倒れ伏した床に多少埃が見え、ああこれは掃除が要るな……などと呑気に考えてからはたと我に返った。上に圧し掛かったままの人物に向かって、鯰尾は抗議の声を上げる。「あーもう!鶴丸さん!毎度毎度何なんですか!」「ふははははは!驚いたか!」すっかり策にはまってしまった鯰尾の上で、彼は至極ご機嫌のようである。鯰尾は身を捩って逃げようとしたが、生憎体格差がありすぎてびくともしない。「はいはい驚いた!驚いたからさっさと退いてくださいよ」しかし相手は一向に退く気配がなかった。上に乗られているため相手が何をしているのか分からない。パフェの最後のひとくちを堪能した蛍丸が、呆れた様子でこちらを見ている。「鶴丸も懲りないよね。今度はメイド喫茶でも始めるつもり?」メイド喫茶。嫌な予感がして、鯰尾は無理やり首を回して上を見た。そして見なければ良かったと後悔した。「念のため聞きますけど、手に持っているものは何ですか、マスター」「見れば分かるだろう、ウェイトレスの制服だ」「この店に女性店員はいないはずですけど」それどころかこの店のスタッフは店長の鶴丸とバイトの鯰尾だけのはずだ。相変わらず腰の辺りに乗ったままの鶴丸が、何も言わずにこちらを注視してくる。嫌な予感はどうも的中したようなのだった。「……着ませんよ」「人生とお客様には驚きが必要だと思わないか」この店主は何かにつけ驚きだ驚きだと言っては碌なことをしない。悪戯が大好きな、いつまで経っても子供のような人だ。「客を不快にさせてどうする!」鯰尾はついに声を荒げたが、カウンターに座っていた蛍丸がのんびりと応じる。「ああ、大丈夫。ここの客は多分喜ぶと思う。あと僕も見たい」「請け負わないでくださいよ!敵ばっかりか!ああああ何脱がそうとしてるんですか鶴丸さん!」ははは良いではないか、などとどこかの時代劇で聞いたような台詞を吐きながら、鶴丸が鯰尾のブレザーに手をかけてくる。ネクタイを解かれそうになって必死の形相で抵抗していると、すぐ近くで何かシャッターを切るような音がした。蛍丸である。彼は自分の携帯電話をこちらに向けていた。「何撮ってるんですか!?というか止めて!この人止めてくださいよ!」「うん?その筋には高く売れるかなと思って」どの筋だ!と泡を飛ばす勢いで怒鳴る鯰尾を押さえ付け、鶴丸が彼のワイシャツのボタンを二つ三つ外していく。蛍丸が次々シャッターを切った。「おいおい、それ俺が殺されるやつじゃないか」口ではそう言うが、鶴丸に止める気配は無い。尚も暴れる鯰尾に、彼はやれやれと肩を竦めた。「おちーびちゃん、俺の頼みが聞けないのかい?」「いくら鶴丸さんの頼みでも俺はまだ社会的に死にたくありません!」大げさな、と鶴丸が少々呆れた様子を見せるが、鯰尾にとっては由々しき問題だ。この店に学校の友人が来たことはないが、これからも来ない保証は無い。その上兄弟に見られる可能性だってあるのだ。友人ならばまだ化粧や髪型で誤魔化せるかもしれないが、一緒に暮らしている彼らはすぐに見抜くだろう。「仕方ないな……、これ着て今週末接客してくれたらバイト代に色つけてやる」「やります」しかし鶴丸の提示した条件に、鯰尾はころりと態度を変えた。蛍丸が携帯電話を取り落としかけるほどの早さだった。***[newpage]「おはよう」「ああ、おはよう骨喰。今日はゆっくりだな」少し朝寝坊をした骨喰が台所を覗き込むと、そこにはいつも通り弟の薬研がいた。彼は黒いエプロンをつけ、せっせと皿を洗っている。もともと真っ黒だったそれに、縁起が悪いからといって可愛らしい猫の刺繍をしたのは乱だったはずだ。はじめは胸の部分に大きな猫の顔を縫い取ろうとしたのを、薬研がそれは恥ずかしいから勘弁してくれと頼んだのを覚えていた。結果、猫は左右にあるポケットに1匹ずつ縫い取られている。白と灰色の猫だった。薬研が朝飯は、と尋ねたので、骨喰は食べると頷いた。「すまないな。……苦労をかける」彼はこの家の台所を管理している。毎朝兄弟全員分の食事を用意し、学校のある日は弁当まで作っているのは彼だ。骨喰も鯰尾も、長兄の一期一振でさえも、彼には頭が上がらない。「気にすんなって。こんなの、昔に比べれば苦労でも何でもない」彼はそう言って作り置いてあったらしい料理の皿を出してくる。1枚の皿に卵焼きとほうれん草の胡麻和え、こんがり焼かれた塩鮭が一緒に載っていた。全員揃いの汁椀にはわかめと豆腐の味噌汁、それから1人1人柄が決まっている茶碗にはふっくら炊いた白米。骨喰の茶碗は鯰尾と色違いのお揃いだ。骨喰はテーブルに着くと、両手を合わせていただきますと呟いた。「今日は皆出掛けているのか?」「チビどもは遊びに行ってる。いち兄はまだ寝てるよ。昨日も残業で夜中に帰ってきたからな」塩鮭を解しながら、骨喰は一期一振の部屋の方に視線をやった。物音一つしないところを見ると、本当にまだ眠っているのだろう。「……鯰尾は?」骨喰がそう聞くと、薬研はにやりと笑う。骨喰が鯰尾ばかり気にしているのを、彼は何だか少し面白がっている節があった。「鯰尾はバイトだ。早出だって言って慌てて出て行った。……骨喰は午後からか?」「……いや、食べ終わったら出かける」そう言って、骨喰は箸を動かす手を速めた。***[newpage]兄弟と聞くと、少し不思議な気分になる。兄弟というからには同じ親から生まれて、かつては一緒に暮らしていたと思うのだが、骨喰には一切その記憶が無い。物心つくころには拾われた神社で暮らしていたし、自分にとっては“その前”というものは存在していなかった。兄弟の中で初めて会ったのは鯰尾だ。まだ小学校に通い始めてそれほど経ってはいない頃だったと思うが、その日に神社の境内にある桜が満開に咲いたのを良く覚えている。鯰尾はこちらのことを知っていた。骨喰の名前を何度も呼んで、一体何があったというのか泣きながらしがみついてきた。どうやら自分は彼に探されていたらしかったのだ。骨喰の兄弟は鯰尾だけではなかった。歳の離れた兄の一期一振と、沢山の弟たち。自分と鯰尾は双子なのだという知識は、後から教えられたものだった。どちらが兄で弟かは意見の分かれるところである。鯰尾は自分の方が兄だと言っているが、真相は良く分からない。一期一振も鯰尾も、両親に関しての情報はあまり与えてくれなかった。鯰尾は覚えていないと言ったし、一期一振の方は知ってはいるものの、話したくないと言う。しかし骨喰にとってはそれほど重要なことでは無かったので、敢えて聞きだそうとも思わなかった。骨喰にとっての親は、自分を拾ってくれた養父だからだ。見た目はどう見ても兄と呼んだ方が良い歳格好だが、中身は寧ろ祖父と呼びたい雰囲気の、どうにも変わった青年だった。骨喰がお世話になっていた神社の麓、鳥居のすぐ傍には一軒の和菓子屋が建っている。それが養父の営む店で、骨喰のバイト先だ。「……おはよう」「おや、おはよう骨喰。今朝は何か良いことがあったか?」店の前を掃除していた養父は朗らかに笑っていた。しかし骨喰には思い当たるようなことはなく、不思議に思いながら首を振る。「そうか。……いやなに、今年は桜が見られるかもしれないと思ってな」気にするなと彼は鷹揚に笑い、骨喰を店の中へと招いた。相変わらず古風な口調だが、いつものことなので気にしない。古き良き時代の面影を色濃く残すこの町には似つかわしいのかもしれなかった。骨喰がちらりと上を見ると、神社の境内にある大きな桜の木が目に入る。鳥居を越えて階段を上っていった先にあるそれは、枝が大きく張り出していて下界からでも一部を窺うことができた。咲いてはいないようだが、薄桃色の蕾のようなものが微かに見える気がする。年によって花をつけたりつけなかったり、気まぐれな桜だと記憶していた。「そういえば今日は、鯰尾がコーヒーの配達に来る日だったか」三日月は毎週土曜日に鯰尾がバイトをしている喫茶店にコーヒーの配達を頼んでいる。ポットを抱えてやってくるのはいつも店主ではなく鯰尾だ。嬉しいだろう、という様子で三日月が少し笑っているので、骨喰は素知らぬ顔で首を傾げていた。「……着替えてくる」行っておいでと朗らかに返ってくる養父の言葉を聞きながら、骨喰は慣れた足取りで昔住んでいた母屋の方へと歩いて行った。***[newpage]上等な黒い生地が胸や腰を締め付ける感触に、鯰尾は顔をしかめた。どうしてこう、女性の服というものは窮屈に作ってあるのだろう。少し大きめに開いた胸元には清楚な白いレースがあしらわれているが、屈んだ拍子に服の中身が見えそうで心もとない。(こういうのは巨乳のお姉さんが着てこそ映えると思うんだけどな……)健全な男子高校生としてはそちらを期待したい。が、生憎着ているのは自分である。ワンピースの裾は膝下までで、鯰尾はクラスの大人しい女生徒たちを思い出した。彼女たちのスカート丈がちょうどこのくらいだ。ワンピースの裾からも白いレースのフリルが覗いている。肌の透けない黒いタイツは、今の時期は良いがもう少しすると暑いに違いなかった。「ひゅう、似合うじゃないか」鶴丸がにやにやしながらこちらを眺めている。黒いワンピースの上につけているのは真っ白なフリルのエプロンだ。これは所謂新妻エプロンというものではないかと渋い顔をして見せるが、鶴丸の方は気にもしていない。おまけにさっきからごてごてと顔に化粧品を塗りたくられているせいで文句も言えなかった。動くと筆を取っている清光に怒られるのだ。「本当は次郎太刀に頼もうと思ったんだけどさ」カウンターに座ってカフェオレを飲んでいる蛍丸がそう言うと、清光が無理無理、と言って笑う。「あの人昼間は寝てるでしょ。デコるのは俺にお任せ!」「あんた店番は良いんですか」思わず口が出てしまって、清光が唇を尖らせる。「ああこら、口は動かすなって言っただろー?」店は安定に任せてあるから平気だと彼は言うが、後で絶対怒られるに決まっていると鯰尾は思った。清光と安定は些細なことで良く喧嘩しているのだ。彼はこの町ではかなり老舗の沖田呉服店の店員を務めており、安定はその同僚だった。2人とも小さな頃その店の主人に拾われており、今では家族の一員なのだそうだ。それならば2人は兄弟のようなものかと思ったが、そうではないらしい。鯰尾の感覚でいうのなら、気の置けない友人といった風情だった。鯰尾が嫌がっても、清光は化粧の手を止める気配が無い。せめてもの抵抗に唇を尖らせて不服を示すと、彼は涼しい顔をしてそこにも薄いピンク色の口紅を塗りたくった。「髪の毛はどうしようかなあ」普段は適当に一本に結えている黒い髪も、今は解かれて流しっぱなしになっている。毛先を摘まんで矯めつ眇めつする清光の唇の下にあるほくろを、鯰尾は何とはなしに眺めていた。「何?俺が可愛いから見惚れちゃった?」ニヤニヤする清光に、鯰尾は扁平な声で返していた。「いや、そういえば昔加州さんのほくろをゴミだと思って抓ったことあったなあって」「お前本当にどうでも良いこと良く覚えてるよね……それ一体何年前だよ」6歳くらい?と首をかしげて見せると、清光ははいはいと生返事をしながら鯰尾の髪にワックスをつけていく。ゆるふわゆるふわ、などとご機嫌の様子で呟いていた。「あの頃のお前、ちっちゃかったよなあ。俺もまだ中学生だったし……超可愛かったのに、見た目を裏切る悪戯小僧ぶり」「悪かったですね中身は可愛くなくて」「はいはいぶーたれない。良いんだよ見た目可愛い上に中身まで可愛かったら俺の立つ瀬が無いだろ」よしよしデコレーション完了。そう言ってから、清光は蛍丸から受け取ったタオルでワックス濡れの手を拭った。鯰尾を覗き込んだ鶴丸が、おお、と感嘆の声を上げる。「こりゃ驚いた。どっからどう見ても良いとこのお嬢さんだ」「良いとこのお嬢さんはメイド服なんか着ないでしょうよ」呆れて口を挟むと、鶴丸は一本取られたななどと呑気に返してくる。そして次には信じられない爆弾を投下した。「よし、まずは手始めにその格好で三条に配達に行って来い」「鬼ですか!?いきなりハードル上げたな!」憤然とする鯰尾に、まあ落ちつけよと言って彼がポットの入った配達鞄を押しつけてくる。反射的に受け取ってしまったが、動き出せなかった。何しろ配達先である三条の和菓子屋には骨喰がいるのだ。今日もバイトだと聞いていたし、売り子として店頭に立っているに違いない。尚も渋っていると、清光がにやにやしながら鯰尾の顔を覗き込んできた。「1人じゃ嫌だってんなら、おにーさんがついて行ってあげようか?」子供扱いだ。鯰尾は憮然として、がつがつと可愛らしい黒い靴の踵を鳴らして清光に背を向け、店の扉を乱暴に開ける。道を歩いていた人々が何事かとこちらを見るのでいたたまれなかった。努めて無視をして、鯰尾は一度背後を振り返ってそこにいた面々を睨みつける。「行ってきます!」腹立ちまぎれにそう叫ぶと、店の外へと踏み出した。***[newpage](……勢いで出てきたものの……)道行く人々が皆こちらを見ているようで落ち着かない。肩掛けにした配達鞄をぎゅっと握りしめ、なるべく下を向いて歩く。顔が分からないようにどこかで帽子でも買おうかとも思ったが、この格好では店に入るのも気が引けた。(そりゃぶっちゃけふざけて女装したことも、無いわけじゃないけどさ)あの時は友達が一緒だったし、もっと軽いノリだったのだ。化粧もしなかったし、髪の毛もぞんざいに結んだままだった。意外と似合っているなどと評してはげらげら笑って、それでお終いだった。勿論兄弟たちには黙っていた。「……っていうか誰が作ったんだろう、この服」上等な生地も、しっかりとした縫製もデザインの秀逸さも、既製品ではあり得ない。どちらかというと一点物、オートクチュールの雰囲気すら醸し出していた。「鶴丸さんは裁縫できないしなあ」料理の腕は認めるが、針を持っているのは見たことが無い。そもそもこれほどの物を仕上げるには相当な技術とミシンが必要だろうが、あの店主はどちらも所持していないはずだ。まさかわざわざ専門の店に頼んだのだろうかと少し呆れたところで、鯰尾の足は目的地に辿りついてしまった。店先でよく寛いでいる野良猫までもがこちらを不審げに見ている気がして、なんともいえない気分になる。「……嫌だなあ」木枠に硝子を嵌めこんで作られている古風な引き戸をほんの少し開けて覗くと、中の人影はひとつだけだった。それで、鯰尾は幾分安心して店内へと踏み込んだ。炊いた小豆の甘い香りがする。心が少しふくよかになるような、良い匂いだ。小ぢんまりとした店のショーケースの中にはその日の朝に作られた甘味がずらりと並ぶ。まだ昼前だというのに、人気の団子と豆大福はかなり売れていた。売り切れを見越して常連は開店直後に来るのだろう。「おや、……これはまた、かわいいお客さんだ」ショーケースの向こうにいた店主が、鯰尾を見るとゆるりと笑う。しかし鯰尾の方は思いきり顔を顰めた。「分かってて言ってるでしょう、三日月さん」鞄から出したポットをずいと差し出すと、彼はにこにこしながら受け取った。基本的にいつも笑っている人だが、顔は笑っていても中身が良く分からないというのが鯰尾の正直な感想だ。彼とは旧知の仲の骨喰ならば、また違って見えるのかもしれない。「いつもすまんな。その格好は、鶴の仕業か」「あの人じゃなかったら誰がやるんです」腰に手を当てて憮然とした鯰尾に、彼は今度こそ破顔する。彼はスタイルといい顔といいまだ三十路には達していない美丈夫に見えた。この店の客の半分ほどはこの藍の髪に特徴的な瞳をした青年が目当てなのだろう。彼は鯰尾にそう思わせるほど、一見魅力的な人物だった。しかし口調と笑い方が妙に年寄り臭い。それが彼の愛嬌でもあり、彼をどこか浮世離れした人物に見せる要因だとも思わせる。そして更に、彼は自分を年寄りだと言って憚らなかった。「良く似合っているよ。少し待っているといい。骨喰は今母屋の方へ行っているが、すぐ戻る」どうも本気で似合うと思っているらしいことが分かるので質が悪い。鯰尾は首を思いきり横に振った。「冗談じゃない。鉢合わせする前に帰りますよ」骨喰に見られたらと思うと、それだけで心臓が痛くなりそうだ。これ幸いとさっさと帰ろうとする鯰尾を、三日月がのんびり呼び止める。「すまんが、ついでにこれを鶴丸に持って行ってくれないか。おやつに2人で食べるといい」彼は配達に来た鯰尾にこうして良く菓子をくれた。鶴丸は彼の作った菓子に目が無い。鶴丸自身も喫茶店を営んでいるのだから勿論料理の腕は人並み以上で、洋菓子は店にも出している。しかし彼が自分で和菓子を作っているのを、鯰尾は見たことがない。少なくとも十年ほど見ているが、一度も無かった。礼を言って包みを受け取り、鯰尾は急いで店を出た。骨喰が戻ってくる前に逃げおおせてしまわなくてはならないのだ。しかし鯰尾の願いも虚しく、店の前から数歩進んだところで、骨喰とあっさりはち合わせてしまった。おまけにぎょっとしたせいで立ち止まってしまい、相手はおや、と不思議そうな顔でこちらを見る。目が合ってしまう。(やばい……!)骨喰はしばらく黙って鯰尾の顔をまじまじと見ていた。それからぱちぱちと瞬きをし、何事か言おうとして口を開く。鯰尾の背筋を冷たい汗が伝っていく。その時だ。視界を白っぽい何かが横切った。ちらちらと舞い落ちるそれを、鯰尾は初めは雪かと思った。しかしその白く小さな何かは、薄く薄く赤色を刷いたようにほんのりと色づいている。掌を差し出して受け止め、それが花弁だということに気付いた。骨喰が驚いたように上を眺める。鯰尾もつられてそちらを見ようとしたが、ふと骨喰の視線が逸れていることに気付いた。気付いた途端、思わず走りだしていた。骨喰の脇をすり抜け、一目散に駆ける。とにかく逃げたい一心だった。角を曲がり、彼が追いかけてこないと分かるとようやく足を止める。心臓がばくばくと音を立てているようだ。「み、見られた……」胸の辺りを押さえ、何度も深呼吸する。顔が赤くなっているのか青くなっているのか、もしかしたら青を通り越して白くなっているかもしれない。最悪だ。よりにもよって兄弟にこんな恥ずかしい格好を見られるとは。おまけに走って逃げてきてしまった。これではごまかしも弁明もできないではないか。舌打ちして、握りしめていた拳を開く。掌には握りしめたままの少しひしゃげた花弁が載っていた。「桜……、だよな」桜が咲くにはまだ早い。飛んで来た方角に当りをつけて目を凝らすと、神社の境内からのようだった。確かあの神社の境内には桜の巨木があったはずだ。骨喰が以前お世話になっていた、三条という名の人々が管理する場所だった。遠目には良く分からない。しかし、薄桃色は微かに見えるようだった。美しく花弁を散らす、満開の桜。見間違いだろうか。***[newpage]甘い香りがした気がしたのだ。餡や餅よりも上品で、艶やかな花の芳香が。三日月は少し建てつけの悪い店の扉を開け、ゆっくりとした動作で外へと出る。「おや、おや」風に乗って優雅に舞う桜の花びらに、思わず笑みが浮かんだ。今頃神社に詰めている石切丸も間近でこの光景を見、驚いていることだろう。鳥居の先を遠く見つめると、柔らかそうな薄桃色が巨木の枝に零れんばかりに咲き乱れているのが分かる。春先の、まだ少し白が強い薄青の空に重なって見える桜の色が、辺りの空気を暖めているように思われる。そうしてわけもなく嬉しくなる。単純なものだと苦笑が漏れるが、悪い気はしないのだった。「不知春が咲いたか」はるしらず。三日月たちはあの桜をそう呼んでいた。春を知らず、咲くことのない古い花。その蕾を固く閉ざし、何かを待つように立っていた。十年ほど前に一度開いたきりで、あの桜を見るのは久しぶりのことだ。「待ち焦がれた春が来た……。なあ、骨喰」いつの間にか彼は、三日月の傍らに戻って来ていた。「何か良いことがあったか?」三日月の問いに、骨喰はやはり小首を傾げるばかりだった。