二階堂高嗣*裸の時代
―10000字インタビュー―

 




10000字ロングインタビュー
『裸の時代~僕がJr.だったころ~』
二階堂高嗣

失敗も挫折も全部
抱きしめて、笑いたい




◆コンサートは、いつ始まるんだ?

―小さいころから、いたずらばっかしてたんじゃない?

「はい(笑)。それが原因で、僕、4つくらい幼稚園を転々としてるんです。いたずらしすぎて女のコ泣かしちゃったり、お昼寝の時間に抜け出してどっか行っちゃったり、灯りをつけて寝てる友だち起こしちゃったり。先生や親に叱られても、全然聞いてなかったですね」

―注意されたら素直に聞く、かわいい時代はなかったの?

「人の言うことを聞くようになったの、18才とか20才くらいからかな」

―おそっ!

「なんか、思ったことやっちゃうんです。じっとしてらんなかったんですよね。ウズウズしちゃって。“絶対、やるなよ”って言われると、絶対やりたくなる(笑)。火災報知機のボタン押したこともあるんですよ」

―手がかかるコだったんだ。

「ですね。でも、姉がいるんですけど、家族は、みんなすっごく仲がよくて。小学生のときとか、よく温泉とか家族旅行で行ってました」

―小学校では、どんなコだった?

「目立ちたがり。目立ちたくて親父にバック転を教えてもらいました」

―バック転できたらモテた?

「“すごいね!”って言われたけど、それ止まり。モテることはなかったかな。度がすぎるお調子者だったんで。通知表に、“人の話をよく聞きましょう”って、絶対に書かれてましたから(笑)」

―ハハハハ。そのころから、モノマネが得意だったの?

「先生のマネとかはしてたかな。でもなんか、モノマネのためじゃなくて、小さいころから人間観察が好きだったんですよ。“あ、この人、クセこうなんだ”とか、“ウソつくとき、こうなるんだ”とか探すのが。なんか、見ちゃうんですよね」

―小4でジャニーズのオーディションを受けてるよね。

「お姉ちゃんにだまされたんです」

―だまされた?

「お姉ちゃん、キンキ(KinKi Kids)さん好きだったんです。僕が学校から帰ったら、郵便受けに封筒が届いてて。ジャニーズって書いてあったから、お姉ちゃんにだと思って、“なんか来てるよ”って渡したら、それを読んだお姉ちゃんが、“いついつキンキのコンサートに行くからね”って。で、言われた日、ついて行ったら渋谷で」

―いつオーディションだって気づいたの?

「コンサートは、いつ始まるんだって最後まで思ってて(笑)。受付の人に、“オーディションだね”って言われたけど、オーディションって言葉を知らないから、“それ、何?”みたいな。そしたら“じゃ、私はここで”って、お姉ちゃんがどっか行っちゃって。いきなり振りつけをおぼえさせられて、“な、何が始まったんだ!?コンサートは?”って」

―それでも踊ったんだ。

「一生懸命踊りましたね。背がめっちゃ、ちっちゃかったからか、年上にかわいがられたんですよ。それが、楽しいなーって」

―宮田(俊哉)くん、横尾(渉)くんもいっしょだったんだよね?

「印象、全然ないです。あ、でも、ワッター(横尾)には、なぜか“振りつけ、おぼえました。見てください”って話しかけた記憶があります。で、その後、撮影をして」

―受かると思った?

「なんもわかんない。撮影も、なんのための写真かも知らなくて。後日、僕は見てないんですけど、雑誌に載ったらしくて、お姉ちゃんは興奮してたと思います。その後、連絡が来るようになって、レッスンに参加するようになって」

―学校で、急に人気者になったりしなかった?

「なかったですね。男としか基本遊んでなかったんで、変化は感じなかったです。Jr.の活動にしても、最初は仕事って感覚じゃなくて、遊びに行くみたいな感じで」

―そのころ、将来なりたいものってあった?

「小4のときはねえ……、なりたいもの“納豆”とか言ってたなあ。あと、“クルマのタイヤ”とか」

―う~ん、人ですらなかったんだ(笑)。

「ですね。フツーなりたいものってヒーローとかじゃないですか。戦隊モノとかの。俺、好きなものになりたくて。つねに納豆になりたいって言ってたと思います。そのころから、ぶっ飛んでたんでしょうね(笑)」


◆俺、“THE子ども”だったんですよね

―北山(宏光)くんが言ってたけど、Jr.の最初のころ、“二階堂一味”は悪さばっかりしてたらしいね。

「なんか悪さするのが好きなのが集まって。いや、俺がいたずらばっかしてたから、されたくなかったら仲間に入るしかないって感じでグループになってたのかな」

―たとえば、どんなことしたの?

「人のお菓子を勝手に食うとかは日常茶飯事。チーズ味のポテトチップスってあるじゃないですか。匂いがけっこう強いやつ。それを、レッスン服に着替えるんで、脱いである誰かのジーパンのポケットに入れて、めちゃくちゃにつぶしたり(笑)。そいつがジーパン履いたとき、“誰だ、やったヤツ!くっせー!”ってなったらおもしろいだろって思うと、がまんできなくなっちゃうんですよ」

―じゃあ、よく怒られたでしょ?

「なんとなく、怒られないラインがわかるんですよ。ギリギリが。ここ超えたらヤバイとか、なんかちっちゃいころからわかってましたね」

―とはいえ、怒られたことあったんじゃない?

「ワッターかな。勝手にワッターのパン食べたら、“人のもの勝手に食べるとかダメだよ”ってすっごい冷静に言われて。あ、本気で怒ってるって思って、直立不動で、“はい。ごめんなさい”って謝りました」

―それで反省したんだ。

「ですね。ワッターのだけは食っちゃいけないんだって」

―反省のポイント、まちがってるでしょ(笑)。

「ハハハハハ。俺、“THE子ども”だったんですよね。よく言えば素直で、悪く言えば礼儀がまったくなってないクソガキ。一度、社長が、レッスンに香取(慎吾)くんを連れてきて“みんな、知ってるよね?”って紹介してくれて。周りは全員うなずいてるんだけど、俺は“誰それ、知らねー”って大声で言いましたからね。今、しゃべりながら背筋が凍りました。でも、知らなかったから。赤西(仁)くんにもレッスン中、“おい、仁、ちゃんと踊れよ!”って言ったことあります(笑)。なぜかスゲーおぼえてますね」

―怖いものなかったの?

「なんもなかったです。それに、なんかしんないんですけど、かわいがられたんですよね。(今井)翼くんとか、タッキー(滝沢秀明)とかからも。Jr.に入ってすぐの東京ドームのコンサートで俺、タッキーにおんぶされるJr.に指名されたりもしたし。薮(宏太)は翼くんにおんぶされて。で、おんぶされるはずだったのが、タッキーに“俺をおんぶして”って言われて、俺がおんぶして」

―緊張したんじゃない?

「全然。“やったー!!目立てる!!”って」

―好かれてたんだね。

「当然、俺を嫌いな人はとことん嫌いだったと思います。好かれるか嫌われるか、両極端でしたね」


◆“俺は世界一強い!”
 “いちばんダンスがうまい!”


―その後、mintを経て、宮田くん、玉森(裕太)くん、千賀(健永)くんとA.B.C.Jr.に。

「そこくらいからかな。“こいつらには負けたくねー”って気持ちが出てきたのは。それまでは、ただ楽しいだけだったけど。とくに千賀には、ダンスで負けねーぞとか思ってた」

―千賀くんが、ダンスの全国大会で入賞してるのは知ってた?

「知ってた。でも負けたくなかった。“ちっちゃいころからダンスやってんだか知らねーけど、お前には負けねーよ”みたいな自信があって」

―根拠のない自信ってやつ?

「そっちです。“何を根拠に言ってんだ”ってのも、小さいころよく言われた言葉です(笑)。でもなんか、“俺は世界でいちばん強い!”とか、“Jr.でいちばんダンスがうまい!”とか思ってたんで」

―万能感ってやつだ。でも、宮田くんが、“じつはひとりでダンスの練習してた”って言ってたよ。

「あいつ、そういうことは言うなって言ってるのに、余計なことばっか言うんですよね(笑)」

―でも、口だけじゃなかったんだ。

「口に出して言って、自分を追い込むじゃないけど、言ったんだったらやるってのが、俺のやり方で」

―努力する姿、アピールしたくはない?

「見られたくもないですね。知らないうちにできちゃうほうがいいでしょ!?“お、できてんじゃん”って。“あいつ、努力してるもんね”って言われるのがイヤなんですよ」

―じゃあ、玉森くんと、宮田くんの印象はどうだった?

「タマはすごく物静かで、“このコ、なんで、こんなに人がいっぱいいるのに楽しまないんだろう?”って思ってた。宮田はもう優柔不断。俺、ずっとイライラしてました。“で、どっちがいいの?早く決めろ!”みたいに」

―A.B.C.Jr.では、いろんなグループのバックについたよね。

「めっちゃ使ってもらってましたね。横浜アリーナのコンサートのリハーサルだったかな。一日で何十曲って振りつけを覚えて。休憩で楽屋に戻ろうとしたら、振りつけ師さんに、“後輩に振り教えとけ”って言われて。後輩の人数少ないし、4人じゃなくて、ふたりで教えに行こうってことになって、じゃんけんで誰が行くか決めることにしたんです。ヘトヘトだったけど、元気出して行こうってテンション上げてじゃんけんしてたら、ちょうど振りつけ師さんが入ってきて。“何、遊んでんだ!”って、めちゃくちゃ怒られて。“何、このタイミング。マジ!?”って。4人で、“俺らって、なんなんだろうね……”ってへこみましたね。間が悪いこと、けっこーありました」


◆反抗するのがカッコいいみたいな

―2005年、Kis-My-Ft2が結成されたよね。

「あ、でも最初、俺、“.(ドット)”だったんですよ」

―ドット?

「正式にメンバーとグループ名が発表される前に撮影があって。それぞれアルファベットが書かれた風船を持たされたんです。俺の風船は、ドットで。“え、俺なんで点、持たされてんの!?”って。自己紹介、どうすればいいんだって。Kの北山です。Sの千賀です。ドットの二階堂ですって、ちょっとマジかよと」

―ハハハハハ。

「撮影の数日後に、社長に呼ばれて、“グループ名、決まったよ。ツーだよ、ツー”って。もう、“よっしゃー!!”ですよ」

―2が自分って、すぐ気づいた?

「気づきましたね。まっ、Nなんだけどなとも思いましたけど(笑)。でも、マジで感謝してます。社長には。あんなに忙しい人が、俺のために、何分間か、何時間か使って考えてくれたってことですから」

―年上組の3人はどう映ったの?

「俺、ぜってー負けねーって思ってました。当然、根拠ないです。でも、“先に生まれただけでしょ!?それがエライの?”って思ってましたね。だから、呼び捨てにはしてないですけど、ため口でしたし、心の中では呼び捨てでした(笑)」

―ハハハハハハ。このグループで、デビューしたいって思った?

「最初は全然、考えてなかったな」

―露出もだいぶ増えて、学校でも人気者だったんじゃない?

「いや、その逆で。中学は友だち少なかったんですよね。“ジャニーズだからって調子に乗ってんなよ”みたいな目で見られて。けっこーつらかったですよ。クラスで1日、誰ともひと言もしゃべらない日があったり。いろいろグループができてるけど、どこにも入れなかったし」

―きついね。

「きつかったっすね。ひたすら耐えてました。“子どもだな~、こいつら”って思いながら。でも今思えば、クラスメイトのことをダッセーなーって思いながら、さびしかったんでしょうね。少しゆがみましたもん」

―ゆがむ?

「だったら、とことんカッコつけてやるよって思ったんですよね。そっから仕事でも、二枚目を狙ったんですよ。しゃべらないし、笑わなくなって。なんか、亀梨(和也)くんみたいに、セクシーで、多くはしゃべらずみたいな路線をめざそうって」

―路線変更は、うまくいった?

「全然。ホントに勘ちがいクソ野郎で。ダンスで手を抜いて踊るとか、“ローラーやだ”とか、“なんで俺、これしなきゃなんないの?やなんだけど”とか、よく言ってました。そういう態度がカッコいいって思ってたんでしょうね。“イヤだ”って反抗するのがカッコいいみたいな」

―Jr.の活動自体がイヤだったの?

「Jr.ではいたかったです。もう、この世界が好きになってたんで。反抗的な態度をとりながら、Jr.をやめる勇気も度胸もなかったですね。なんか、あのころ苦しかったな」

―救ってくれたのは?

「ミツ(北山宏光)です」

―何があったの?

「友だちとメシを食ってたら、ミツから突然、電話があって。“今からそっち行くから”って。明らかに、いつものトーンじゃないんですよね。友だちに“ちょっとゴメン”って帰ってもらって。しばらくしてミツが来て、もう、それはそれは(笑)」

―それはそれは?

「“仕事ってさ”“グループってさ”って話をミツがして。俺は屈折してたし、自分のこと最強だと思ってたから、すぐには納得できなくて」

―どうなった?

「途中からは、もう殴り合いですよ。ミツ、カッコよかったです。“おまえ、そんなんだったらやめろ”って。仕事の意味、もっと考えろ。どれだけの人が携わってるか、なにより、雑誌、テレビ、どんな仕事も、その向こうに、どんだけのファンがいて、俺たちを支えてくれてるか、わかってんのかって。やめたかったら、やめればいい。でも、おまえはひとりじゃない。俺たちはグループなんだ。全員でKis-My-Ft2なんだって。そんなこともわからないで、グループからやめてくヤツがいるのは悲しいって。最後、おたがい泣きながら話してましたからね」

―そんなことがあったんだ。

「気づきましたね。俺は最強じゃないって。俺よりも上がいると」

―そこか!

「冗談です。これじゃダメだって気づきました。そして、俺のこと、そこまで思ってくれるメンバーがいるんだって。あの夜がなかったら、今、ここにはいないですね。俺の人生の一度目の分岐点です」


◆タマのやさしさ
 宮田のクズさ


―Hey!Say!JUMPがデビューしたときは、どう思った?

「先、行かれたって思いましたね。クッソーって。でも、俺らの力不足だよなって。ぜってー抜くって全員で言ってました」

―そんな思いを抱きながら、キスマイとして、いろんな仕事をこなしてきたよね。

「いろいろありましたね。『滝沢演舞城』に出させてもらったときとか、リハーサルではなかった水芸が、俺らの出番直前に入ってて、ステージがびしょびしょ。あれ、ヤバかったです。ローラーまだ、うまくできないときで。水なんかプラスされたら、もう生まれたての小鹿同然ですよ(笑)。コケて客席に落ちそうになって。ツーって滑ってくから必死でもがいて。なつかしーっすね」

―ほかにも、何か印象に残ってることってある?

「いろいろあるけど、個人的にはNEWSのコンサートかな。楽屋に行こうと思ってタマと宮田と歩いてたら、俺らの楽屋の前にパンツ一丁の人が立ってたんですよ。俺、目、悪いんで遠くは見えなくて。後輩だと思って、“何やってんだ、バカヤロー”って言ったんです。何歩か歩いて、顔が見えたら錦戸(亮)くんで。“あ、やべ~、俺、終わった”って。でも、錦戸くんが、“なんや~”って言った瞬間、タマが助けてくれたんです。“なーに冗談言ってんだよ”って。で、パッて後ろ見たら、宮田はスーッて消えてって。“うわ、逃げた!”って(笑)。俺、“マジ、すみません。目、悪いんです”って必死で謝って許してもらって。そしたら、それまでコンサート中、俺らの紹介ってなか
ったのに、その事件をきっかけに錦戸くんが紹介してくれるようになって」

―いい先輩だね。

「はい。次の日もコンサートだったんですけど、俺、いつも集合の15分くらい前に行くんです。でも、会ったら気まずいなと思って、その日だけ1時間前に行って着替えてたら、そんなときに限って錦戸くんが早く来ちゃって、ふたりきりになって。“二階堂!”って呼ばれたんで、“すみませんでした!”って大声で即答したら、“気にせんでええよ”って。あのやさしさは忘れられないですね。あと、タマのやさしさと、宮田のクズさも(笑)」

―ハハハハハ。

「宮田、そんなんばっかですよ。ふたりで渋谷にいて、なんかの時間に間に合うようにダッシュで走ってたんです。そしたら、知らない人に“なんや?”っていきなりからまれて。“え、なんで?”って思ってパッて見たら、宮田、俺のほうをチラッと見て、そのままスーッて行っちゃうんです。結局、何もなかったんですけど、解決した後に戻ってきて、“どうしたの?怖かったね”みたいな。どうしたのじゃないでしょ!助けてよって(笑)」


◆“あと1年だけがんばってみろ”

―さっき、「人生の一度目の分岐点」って言ってたけど、二度目の分岐点があったってこと?

「2010年ですね。それが、いちばんの転機です。俺、舞台『少年たち』に出てないんです。キスマイ7人のうち5人が出てる。俺とワッターだけ出てない。今の俺じゃ、足りないんだって思い知らされて。“あ、俺はもうこのグループにいられないんだ”って」

―ショックだね。

「落ち込みましたね。舞台、見に行けなくて。毎日、めっちゃ泣いてましたもん。ドラマとかで泣きながら家を飛び出すシーンってあるじゃないですか。あんなの、現実じゃぜってーないだろって思ってたら、自分がなりましたからね。家にいても、ふと思い出すと泣けてきて、家飛び出して。もうどこにいるのかもわかんないくらい、泣きながら歩いて」

―メンバーに相談したりはした?

「話せないですね。だってグループの未来にかかわる大切な問題だから。俺、もうジャニーズやめようと思って(田中)聖くんに相談したんです」

―なんて?

「うまくいかないし、やりたいこともできないから、やめようと思ってるって。そしたら、“おまえよりやりたいことできないヤツなんていっぱいいるよ”って。おまえは恵まれてるし、グループにもいる。テレビにも出れてる。“あと1年だけ、がんばってみろ”って。1年たって今のままだったらやめればいいって。それで、踏みとどまれたんです」

―ちがうアドバイスだったら?

「やめてましたね。支えは、聖くんの言葉だけでしたから」

―そうだったんだ。そもそも、田中くんとは、いつ仲よくなったの?

「Jr.に入ったばっかりのころ。同期とかみんな“怖い、怖い”って言ってたんですよ。でも、なぜか俺は、一切怖くなかったんで話しかけたんです。“ねーねー、怒ってんの?みんな怖いって言ってるよ”って。そしたら、“怒ってねーよ。おまえは怖くねーのか?”って言われたから、“全然、怖くないよ”って。そっからかわいがってくれて」

―それだけ苦悩して、デビューが決まったら、うれしかったでしょ?

「めっちゃうれしかったですね。“あ、俺も入ってる”って。もし、キスマイがデビューできても、そこに俺はいないかもしれないって恐怖があったから。デビューが決まったあの瞬間、一生、忘れないです」

―よろこびを田中くんに伝えた?

「はい。“俺もデビューできました。やっと同じステージに立てるんで負けません”って。“がんばれよ”ってひと言返してくれて。いっつも多くは語らないんです、聖くん」

―家族の反応は覚えてる?

「泣いてましたね。父親に言われたんです。“おまえも入ったな”って。それを聞いて、俺が悩んでることわかってたんだな、支えてくれてたんだなって」


◆誰かが笑ってくれるって、いちばん深いと思います

―ただ、キスマイでデビューできたものの、「今の自分じゃ足りない」って感じた劣等感や、状況は変わってないよね?
「ですね。最初の『濱キス』の放送を見たら、俺、全然しゃべってなくて。“なんで、コイツ出てんだ?”って自分で自分のこと思ったんですよ。テレビ出たら、爪あと残さなきゃいけないでしょ。じゃないと、出してもらってる意味ないですから。“俺ってなんだ?”って考えて」

―自問自答したんだ。

「はい。俺って人間はなんなんだろうって。いろんなことも思い出して。俺、すげーふざけてるヤツだったな。でも、なんでも楽しんでるヤツだったなって。二枚目をめざして、一切しゃべんなかったけど、心の中ではしゃべりたいって思ってるよな。もう、二枚目ムリだって」

―で、どうしようと?

「キャラって必要だけど、ムリに作ろうとするからブレるんじゃね?持ってるものをそのまま出したら、キャラになるんじゃんって」

―なるほど。

「思ったことはなんでも言って、とにかく、いつでも楽しもう。そして笑ってようって。小学生のとき、ポテトチップスを人のポケットに入れたときみたいに。進む路線が明確になったというか」

―それは、どんな路線?

「キスマイのガヤ芸人ですね。MCのミツがいて、あとの5人もいるからこそ、できる立ち位置がある。なんで俺じゃなくて、あいつがメインなんだよとか、そんなこと考えてる時間もったいないです。こいつらがいてくれるからできることがある」

―考え方を変えたら、世界は変わった?

「はい。カッコつけてた時期、俺は後輩を寄せつけてなかったし、ちっちゃいコのファンがまったくいなかったんです。ちょっとダメだな、この人って思われてたんでしょうね。でも最近、ちっちゃいコにも話しかけられるようになって。この前、レンタルショップでDVDを選んでたら、5才くらいのコが、“ニカちゃ~ん”って笑いながら抱きついてきてくれて。俺がやってること、笑顔でいることってまちがいじゃなかったなって」

―笑顔の大切さを、実体験で知ってるって素敵だね。

「誰かが笑ってくれるって、単純なようでいちばん深いと思います」

―そうだね。

「だから最近、その想いがもっと強くなって、笑顔でいるってことを人生のテーマにしようと思って。“あのコ、いつも笑顔だよね。つねに元気だよね”って、ずっと言われるようにしようって。70才になっても、80才とかになっても」

―笑顔でいること。つまり、飾らない二階堂高嗣でいるってことかな。

「ですね。『濱キス』が終わって打ち上げがあったんですけど、スタッフさんに、“いちばんコメント使ったのニカちゃんなんだよ。なんか純粋に楽しんでる感じが、素人さんが混ざってるみたいだったから”って言われたのが、めっちゃうれしくて。最高のほめ言葉だなって」

―番組初期は、無口だったのにね。

「あと、最終回の収録のときなんですけど、過去の俺が笑ってる映像が流れたら、ミツが泣いてくれて。“ちょっと俺、二階堂には弱いんです”って。ミツは、俺のいろんな姿見てるから。それもうれしかったな」

―今度はメンバーを支える番だね。

「今、俺、トークがうまくなりたいから、移動中とか落語を聞いてるんです。落語って、言葉だけで世界を見せてくれる。そりゃあ落語家って話し上手になるわって、すっげー勉強になります。あと、松本(人志)さんの『放送室』ってラジオ番組を録音したのも繰り返し聞いてて。こんなの話すの本当はイヤなんですけどね。でも、トークがうまくなったら、もっと想いを伝えられるでしょ。メンバーのいいとことかも」

―だね。でもなんか、思考が芸人に近い気がする(笑)。

「ガヤ芸人めざしてますから。やっぱ知ってほしいんですよね。メンバーのこと、もっともっと」

―やめようと思ったとき、引き止めてくれた田中くんや、支えてくれた人たちに感謝だね。

「いろんな人に支えられましたね。ホントに感謝です。でも、あのころみたいな驕りじゃなくて、アドバイスもらっても、最後に決めるのは自分ですよね。俺の人生を決めたのは俺であって。あきらめなくてよかったって思う。昔の中途半端な気持ちがあったから今があるというか。“あのときのあれ、いらなかった”とかってのは、まったくないです。ニュアンス、伝わります?」

―わかるよ。全部含めて、自分が歩いてきた道ってことだよね?

「そうです。過去がなかったら今はない。ふざけてた時代、中途半端な時代があったから、今の自分があるんだなって。失敗も挫折も、カッコ悪かった自分も、全部抱きしめながら、俺はこの先、ずっと笑ってようって思います」




.