2012年5月に作成された記事

 抗がん剤の副作用と言われて当初思いついたのは、吐気、脱毛。最初はその位の知識しかありませんでした。ところが、倦怠感、骨髄抑制、色素沈着、涙管狭窄、粘膜の弱り、しびれ、視力低下、手足症候群、不眠・・・・・・あげればきりがないですが、様々な症状が現れました。体調が悪いのも大変ですが、女性にとっては美容面での副作用が精神面に与えるダメージは相当に大きいです。

 でもお医者さんは、生命維持にかかわる副作用=重い副作用、それ以外は軽い副作用、という見方です。はじめはそれが腑に落ちませんでしたが、今となっては、ごはんが食べれて体が動かせることが一番大切なのだと、わかります。

 美容面の副作用については、医療関係の人ではなく、患者の会的な集まりや、ウィッグや下着の会社がやっているセミナーなどでとても有用なアイデアをいただきました。女性ならでは、経験者ならではの知恵が蓄積されています。また、ネットで調べるのとは違って、微妙なニュアンスを詳しく話してくれたり、気軽に質問できたりするのもよかったです。何より同じ悩みを抱える仲間と、他愛もないお喋りができたのはホッとしました。

 そんな集まりに、時折看護師さんもそっと参加されていることがあります。業務外のことなのに、何か患者さんの役に立てることはないかとお勉強されているようです。えらいですね。そういう看護師さんがたくさんいてくれたら本当に心強いです。

 さて、治療を終えて1ケ月経った現在の、美容面での副作用回復状況を以下に記しておきます。

●髪の毛・・・術前FEC&アブラキサン(脱毛する薬)を終えて約1年が経ちました。(確信は持てませんが、術後服用した脱毛しないTS-1も、毛根の成長には影響があったのではないかと思います。)  今も、髪の量は少なめに感じますし、生え際などの産毛はやっと生え始めたところです。でもベリーショートの域は脱しつつあり、成長の遅かった前髪も眉にかかってきました。実は結構マメにカットに行っているので、本当のところどのぐらい伸びているのかはわかりませんが、ただひたすら伸ばすよりも、ヘアスタイルを整えることを優先した方がきれいに見えるし気分も良いと思います。この1ヶ月ほどで不自然さは驚くほど解消し、「こういうオバハンよくいるよね」というぐらいの髪型になっています。ちなみに私の友達は前髪がなかなか伸びないと言っています。

●眉・まつげ・・・アブラキサン終了半年後から徐々に生え始めましたが、なかなか成長せず本数も半分ぐらい、長さも半分ぐらいで止まっています。もしかしたらこのままなのか・・・。 でもほんの少しずつは増えているようで、昨日久しぶりに眉カットをしました。流涙が激しくてつけまつ毛がつけられないので、まつ毛の方も何とか伸びてほしいものです。

●ムダ毛・・・なかなか出てこないので、それはそれで好都合なのですが、鼻毛だけは少し増えてくれないと、ゴミを全部吸いこんでいそうで怖いです。同じ毛でも、生えて喜ばれる毛、喜ばれない毛、身勝手だなと思います。

●皮膚・・・TS-1の恐ろしい色素沈着は、薬終了後1ヶ月余り経ち、ようやくどす黒さの「どす」は消え、日焼けしてしばらく経った感じの黒さになりました。色白にはほど遠いけれど、不健康さは解消されてきた気がします。(見慣れただけでしょうか) 何故か、顔、手足の方がお腹周りより回復が早いです。

●手足症候群・・・赤みや腫れが9割がた引きました。あとは黄色っぽさが取れて柔らかさが戻ってきてほしいところです。

●爪・・・半年間のTS-1より、一番最初の3ヶ月のFECの方が、結果的にはひどかったです。FECでは爪が萎縮して、薬を終えてしばらくたってからその部分がはがれたりしましたが、TS-1は爪の変形まではいきませんでした。薬量を途中で減らしたせいか、最初の方はドス紫、最後の方は濃いベージュ的な変色でした。爪が伸びれば治るのですが、伸びが遅いような・・・。でも、一番ひどい時には、何層にもネイルを塗らないと色が隠せませんでしたが、現在はクリアのラメをひと塗りし、先の方に重ね塗りすると、ベージュのグラデーションみたいに見えるので、お手入れが楽になりました。

 今の悩みは、髪から顔の皮膚に移りつつあります。多少黒さは取れたものの、シミがソバカスみたいにたくさん出ているし、首の皺も黒い線に見えます。まだまだですが、美容に良いものをしっかり食べて、抗酸化力をUPしたいと思います。
(とは言え、胃潰瘍復活が復活し、生野菜とか昆布とかが食べれない・・・)

 TS-1終了時の診察で、「これで全部終わりです。しっかり治療できていると思います。再発や転移もしっかり予防できたと思います。本当にお疲れさまでした。」と主治医に言われました。TS-1が終わったら一通り検査して、また悪いところがあれば治療が続くのかと思っていたので拍子抜け。検査は術後1年経過したときにするそうです。不安だから本当はその時すぐに検査してほしかったけど・・・まあ焦らずのんびり行こうと思いました。そして1年検診の予約をして、あっけなく終了。

 癌発覚から、術前化学療法、手術、術後放射線、化学療法と、およそ1年半をかけて初発の治療を終えました。その間、先のことを考えると不安になるので「今この瞬間」だけを考えて過ごしてきました。治療が終わった時には嬉しさや喜びではなく、安堵を感じました。そして、明日からのことを考えよう、そう思うことが出来ました。

 病気になる以前は「希望」=「明日を感じられること」だと思っていましたが、病気になってみて「希望」=「今この瞬間をしっかり感じて生きること」だと思うようになりました。この先転移・再発とか他の病気とか、何があるかわかりませんが、いつも希望を持って進みたいと思います。

 治療を振り返って、ざっくりと流れのままに書いてきましたが、今後も治療に関して思い出したことや、治療後のことについて、時折書いていければと思います。

 読みにくい文章だったと思いますが、何か一つでもお役にたてればと、恥を省みず書いてみました。ありがとうございました。

 きつかったです、TS-1。頭の中はいつも曇天、ボーッと眠い日々が続きました。以下、副作用の詳細です。対応に苦慮した順に書きます。

①涙目・かすみ目・視力低下・・・本来涙はひっきりなしに出ていて、涙管という管から口の方に流れ出ているらしいが、副作用でその涙管が狭窄し、逃げ場がなくなった涙が目から溢れる。常に泣いているような状態。そのせいか目が霞むし乱視は進むし、何より四六時中涙を拭いていないとならないのでとてもとても不自由。寝ている間には涙が乾いて固まり、朝、目が開かない。ストレスも溜まるしいつも視界がぼんやりしているし車の運転も厳しいしお化粧もできない。気にし始めるとイライラするので極力意識しないようにした。ティッシュだと涙を吸い取り過ぎるので、ハンカチで目から溢れた分だけ拭くようににした。眼科でも見てもらって「涙洗」という処置をしてもらうが、ほとんど効果はなかった。他に対策はないらしい。

②色素沈着・・・顔、手首から先、足首から先 が真っ黒になる。日焼けの黒さとは違うドス黒さ。ファンデーションなんかでは隠せないぐらいの黒さ。本当に黒い。もちろん爪も黒くなる。人前に出るのが気がひける。どうしようもない。トラネキサム酸を飲んでみたが効果はなし。

③手足症候群?・・・手首から先、足首から先が、むくむ。皮膚が硬化し時々ベロベローっと剥ける。お風呂に入った時のようにシワシワになっているのに、且つ乾燥が激しく指紋が機能しなくなり、ツルツルしたものを持つのが難しい。最後の方には真っ赤にパンパンに腫れあがり痛みを伴うこともあった。効くかどうかわからないけど、リリカ(アブラキサンの副作用の末梢神経障害の薬)を飲んでみたら改善した。とにかく保湿!保湿!保湿! 保湿を怠るとガサガサのえらいことに。

③胃痛・・・食べると痛くなる。治療後半は胃炎の薬とH2ブロッカーをずっと飲んでいた。他の副作用と違って「痛い」のは別のつらさがある。

④倦怠感・・・とにかく眠くてだるい。体を動かすのがつらい。精神的にもどんよりと集中力がなくなり、深い思考が出来なくなる。朦朧と生きている感じ。でも楽しいことならがんばれたので、多少怠け心もあるかもしれない。運動不足になってしまった。

⑤便秘・下痢・・・よくわからないが、前半は軟便、後半は便秘だった。一応整腸剤を服用。

⑥末梢神経障害・・・アブラキサンの副作用が手先・足先にずっと残っている。リリカや漢方薬を服用していたが、効かないので一旦止めた時期もあった。③の手足症候群の悪化とともに服用再開。一体いつまで続くのか、アブラキサンの副作用。

⑦骨髄抑制・・・1クール目でいきなり白血球が激減したので、抗がん剤量を予定より減らして継続。

⑧脱毛・・・髪は抜けなかったし伸びた。が、眉毛、睫毛はアブラキサン中止後生えてきたものが少し抜けて、その後成長ストップ。

あと、術前の時もありましたが、鼻はやや詰まり気味、喉もやや腫れぼったい、鼻血も時々うっすら出る、目眩・息切れも時折現れました。

 日を追うごとに各種症状はひどくなり、最後の方は「何もしたくない、何も考えたくない、ただ眠っていたい」そんな感じの日々でした。でも、楽しいことで気分転換するとその時だけでも楽になるので、体がしんどくても生活は積極的にと心がけて暮らしました。体力がだいぶ落ちてからのスタートでしたので、副作用もきつかったのかもしれません。

 放射線治療が終わりに近づいた時、乳腺科の主治医の診察があり、悪性度が高い癌のため、再発予防に術後抗がん剤治療を薦められました。全身に散らばっているかもしれない癌細胞を徹底的に潰しておくための、再発予防の治療ということです。先生はやった方がいいと言いましたが、やらないという選択もありました。だって、全身に散らばっていないかもしれないし、そもそもアブラキサンは効果がなかったので次の抗がん剤だって効かないかもしれない、効果が見えない中で、また半年もつらい抗がん剤生活を送る価値があるのか。とても迷いました。

 結論としては、初発に関してはやれることは全部やっておこうと、受けることにしました。放射線治療が終われば治療終了だと勝手に思っていたので、また抗がん剤治療をすると言われた時はショックでした。やっと終わったと思ったのに。あと半年も続くのかと。

 放射線治療が終わると同時にTS-1を開始、今度は点滴ではなく経口の薬です。2週間毎日服用を続けその後1週間休み が1クール、それを8クール続ける、およそ半年間です。長いです。

 最初の頃は様子見のため1クールごとに診察がありました。骨髄抑制がひどく、薬量を減らしました。4クール目には各種副作用がひどいため、3週間休薬しました。残り5~8クールは副作用が悪化しつつも力技で決行、という感じでした。予定より1ヶ月ほど余分にかかって無事終了しました。

 先生がFECやアブラキサンよりずっと楽な薬だと言ったので、軽く構えていましたが、なんのなんの、むしろ厳しい薬でした。確かに、脱毛はしない、通院不要、点滴なし、そういう面では楽かもしれません。ただ長期間同じ副作用が続くのはつらかったです。半年ぐらいで長期間なんて言っていたら甘いですけどね。1年半の治療生活の中で、この半年が最もヘビーでした。

 術後3週間後の診察で、手術で取った腫瘍の病理検査の結果報告と、今後の治療について説明がありました。病理検査の結果は当初の診断と変わらず、紡錘細胞癌でした。核増殖能70%という驚く数値だし、他にもがっくりすることばかりでしたが忘れることにしました。

 さて、放射線治療です。温存手術と放射線治療はセットなので、傷口が順調に治っていることを確認し、すぐに始めることになりました。60gryの予定で、50gryまでは“X線非対向2門”、残り10gryは“電子線”とのことです。局部にあてるのと全体にあてるのと、という違いらしいですが詳しくはわかりません。1日2gry×週5日×6週=60gry ということで、翌日から通院が始まりました。

 放射線科での治療の流れは、まず診察があり、その後“位置決め”という作業があります。小一時間かかったように思います。これはどのような方法(向き)で放射線をあてるか、毎回確認すると時間がかかるので、最初に印をつけておくための作業です。ですので、油性マジックで体にしっかりとマークを書かれます。お風呂に入ってもこすって洗わないよう、厳重に注意されました。実際の照射では、1回に数分しかかかりません。あっという間に終わります。時間をかけて病院に行っているのに、少し物足りない気がするぐらいです。

 胃癌や食道癌で放射線治療を受けた知人が大変な思いをしていたので、自分はどうなることかと戦々恐々でしたが、幸い拍子抜けするぐらい何もありませんでした。放射線をあてる場所によるのでしょうね。だるくもないし、皮膚は焼けますがただれることもなかったし、抗がん剤の副作用もだいぶ抜けてきたようでとても元気になりました。皮膚焼け予防にと、知人にニアウリのエッセンシャルオイルを薦められ使っていましたが、効果があったかどうかわかりません。

 髪が少し生えてきたので下地なしでウィッグをかぶれるようになったし、毎日通勤するように病院に行き、生活にリズムが出来て楽になりました。(ただ、毎日通院ですので、遠い病院だとちょっとつらいかもしれません。) 治療の終わりがどんどん近づいて気分UP、発病して以来、この頃が一番溌剌としていたと思います。が、この後、一番つらい状況が待ち受けていました。

 乳がんの手術の後遺症で一般的の多いのは、術側の腕が上がらなくなること。そしてリンパ節摘出をしたら気をつけなければならないのはリンパ浮腫。こちらは何年か後に現れることもあるそうです。

 術後すぐは、腕は頭のあたりまで上がりましたが、そのままにしているとどんどん悪くなっていくようなので、予防策として入院時に習ったリハビリ体操は1日3回きっちりやりました。また、入院時にDVDで見せてもらったリンパドレナージュ、こちらも1日3回きっちりやりました。どちらもこの先TS-1の副作用が悪化するまでは続けていました。

 たまたま知り合いにリンパドレナージュの専門家がいたので、術後2ヶ月間通って施術をしてもらいました。効果のほどは測れませんが、これは精神的にも非常によかったし、自分ではとても効果があったと思っています。ただし“リンパドレナージュ”と言ってもあやしい商売をしているところも多いようなので要注意です。これを病院できちんとやってくれれば救われる人もたくさんいるだろうに、そうはいかないようで、医学界というのは色々難しいようです。

 幸い、現在は腕も普通に上がるし不自由はないですが、まだ術側の脇のあたりに痺れ(麻痺感)は残っています。これはあまり気になりませんが、ずっと残るかもしれないとリンパの先生が言っていました。とにかく、たくさん動かした方がいいみたいです。

 アブラキサンを中止し、(骨髄抑制の回復を待つため)およそ一ヶ月後に手術をすることになりました。待つ間も腫瘍はどんどん大きくなっていたので、全摘の方がよいのではと申し出ましたが、大丈夫とのことで、予定通り温存手術を行いました。

 私は手術経験が何度かあるので術前の緊張はありませんでしたが、万が一のことを考えて多少身辺整理はしておきました。それよりも、手術後は温泉に行ったりノースリーブの服を着たり出来なくなると思っていたので、再び訪れる喪失感(髪の毛が抜けた時のような)への恐怖は非常に強かったです。

 入院初日は、今となっては思いだせないぐらい、入れ替わり立ち替わり説明を受けました。看護師、麻酔医、薬剤師、えっと・・・。あとは思いだせません。朝イチで入院手続きをして、11時には病室に入りましたが、忙しくてあっという間に夜になりました。24時までは飲食OKでしたので、夕食後にモリモリお菓子を食べました。消灯前に下剤と睡眠薬を飲みました。

 翌日の午後、オペです。朝から点滴。(今回は浣腸がなくてホッ) 呼ばれたら点滴棒をコロコロ持って歩いて手術室まで行き、白いキャップをかぶります(髪がなくても)。服を脱いで手術台に横になったら麻酔?を吸って、麻酔の注射をして、あとは即意識を失い、気がついたら手術が終わってリカバリー室に向かうところでした。体にはドレーンと尿のチューブがついています。リカバリー室である程度落ち着いたら消灯時間前には病室に戻されました。今までの手術で一番イージーでした。リカバリー室はつまらないので早く病室に戻してもらってありがたかったです。

 でも、毎度毎度、手術の夜はきついです。体が熱を持っていて全く眠れません。手術って大けがをしたのと同じようなものだから仕方がありませんね。起き上がるのも禁止だし何もできないし、永遠に夜が続くのかと思います。時間の流れがおかしくなっているのではないかと思うぐらい。でも幸いベッドから空が見えましたので、天体の動きを一晩中眺めて、時折ドレーン排液回収に訪れる看護師さん(とってもいい人)とのトークを楽しみに過ごしました。術後は消毒も抜糸もありません、傷口に貼られたシールが自然に取れるのを待つだけです。医学は進んでいるのですね。

 手術翌日は、ドレーンがついているけど朝から普通に生活です。手術の跡を見てびっくり! 術前とほとんど変わっていない。傷跡も脇の方でほとんど見えない。(術側の腕を上げるとつっぱりましたが、これは退院後すぐに治まりました) その時初めて、主治医のすごさを知りました。これは本当に不幸中の幸いというか、先生のお陰というか、外科医というのはやはり手術の腕がものをいうのだと、初めて実感しました。多少性格は悪くても、手術の腕がよければそれでいい、というドラマでありがちな設定も理解できました。(私の主治医は性格も良いですが) でも、色々なケースの人が一緒に入院しているので喜ぶことはできません。心の中でひっそりと先生に感謝しました。

手術3日後にドレーン撤去、4日後朝イチで退院、計6日間の入院でした。

 入院に際し、前回までの経験から、個室はさびしいし2人部屋は結構気を使うし、迷わず大部屋を選びました。とても素敵なメンバーに恵まれ、楽しく賑やかに入院生活を送ることが出来、もっと入院していたい感じでした。みんなが同じ病気、同じ年代ですので、気楽でした。このお仲間たちとは退院後も時々連絡を取り合っています。すぐに仕事に戻った人、治療を続けている人、そして、残念ながらなくなった人、それぞれです。色々な思いを共有できる仲間が、発病以来初めてできました。彼女たちといるとホッとします。同じ病気にならなければわからないこと、たくさんありますものね。本当に感謝しています。

 通常、治療開始から半年ぐらいで手術ですが、だいぶ遅れてようやく到着した感じでした。その間に本当にたくさんのことを考え、悲しんで、悩んで、傷ついて、落ち込んで、ボロボロになってここまでたどり着いた感があります。治療はまだ終わっていないけれど、一旦区切りとして、今までの色んなことは全て病院に置いてきて、また新しい人生、気持ち新たに過ごしたいと思いました。

 FECの副作用が残りつつ、アブラキサンの副作用がかぶってきて、抗がん剤開始から時間の経過とともに症状が厳しくなってきました。私の場合のアブラキサンの副作用は、以下の通りです。

①しびれ・感覚麻痺・・・2クール目あたりからひどくなる。肘・膝から先は特にひどい。手足とも指先の感覚がない。手先足先が冷たく感じるが、冷えているのではなく感覚が麻痺しているのだ。具体的にどんな感じかというと、1サイズ小さい新品の革靴で、雪道を1時間程歩いたあとのつま先みたいな感じ。歩いていると、時々カックンとなったり、何もないのにつまづいたり、持ったと思ったお皿を落としたり、包丁を持つのが怖かったり、不自由なことが多い。対策として漢方薬、VB6、リリカを服用するがまったく効果はなかった。途中からリリカを増量したが変化なし。また、痺れがひどくなると体を動かすのがつらくなるので、必然的に運動不足になる。この頃から筋肉が見る見る間に衰え始めた。そして残念なことに、アブラキサンを終えて1年以上たつ今も、症状は軽くなったものの未だに治らない。

②筋肉痛・関節痛・・・時折、体の色々なところに筋肉痛が現れる。入院した時に知り合った人は、痺れよりこちらの方がひどかったと言っていた。人によるみたいだ。

③骨髄抑制・・・白血球が減る一方なので途中で抗がん剤の量を減らした。

④脱毛・・・FEC終了後一瞬生えてきたが、アブラキサンを始めて再びツルツルに。

⑤爪の変色・・・FECの時変色&ボコボコになった爪が皮膚から剥がれ始める。剥がれて落ちるところまではいかなかったが、皮膚と爪の隙間にバイ菌が入ると化膿しそうなのでよく消毒していた。何か作業をする時には、爪を固定するためにテーピングを巻いた。

他に、生活に不自由はないが、FECの時から続いていたのが、肌のガサつき、シミ大量発生、視力低下、時々鼻血、等。

 FEC終了の3週後、アブラキサンウィークリー開始です。アブラキサンは当時認可されたばかりの抗がん剤。点滴を週1回×3週+1週休み の4週間が1クールで、それを4クール、16週間の予定でした。1回あたりの量が少ないので、点滴は1時間かからなかったと思います。新しい薬だからか、お値段はかなり高め。

 白血球減少のため点滴延期や薬量減が度々ありました。気持ちが急いたけれど、かなり癌が小さくなっていたので、忍耐強くガンバレ、ガンバレ、と自分に言い聞かせていました。FECの最後の方は、腫瘍が1㎝ぐらいまで小さくなったので、このまま抗がん剤を続けたら消えてくれるのではないかと仄かな期待をし始めていました。ほぼ毎週通院しましたが、快方に向かっているとさして苦ではありませんでした。

 ですが、アブラキサンに変えてから腫瘍の大きさは変化せず、途中から明らかに大きくなり始め失意の底に。早くしないと元の大きさに戻ってしまう、一刻も早く手術を、と焦りました。3クール目の途中で行なった臨時の画像検査では、死滅後の癌細胞と思われるものもうつっていて大きさの判断がつかず、主治医も判断を迷っていましたが、触診でもわかるぐらいの変化があり、アブラキサンを中止することになりました。

 すぐにでも手術してほしかったのですが、骨髄抑制が戻るまでは手術できません。こんなにつらい思いをしたのに無駄だったのかと、情けないやら虚しいやら。薬が効いていると思えば耐えられる副作用も、効いていないとなると重くのしかかってきました。重ねて無念なことに、このアブラキサンの副作用が今も一番ひどく残っていて、よくなる気配がありません。

 効かない、高い、副作用が治らない、私にとってはかなり印象の悪いのお薬です。

 FECの副作用について書きますが、副作用は個人差があるので参考程度に読んでいただけると幸いです。

①脱毛・・・体のすべての毛が抜ける。

②疲労感・・・点滴後4~5日続く。倦怠感を超えて疲労感という感じ。その間はほぼ寝ていた。寝ていればつらくない。

③静脈炎・・・赤い薬がきついのか、点滴をした血管が腫れて痛い。2クール目ぐらいから症状が現れ、回を重ねるごとに痛みが増す。じっとしていると大丈夫だが、伸ばしたり捻ったり荷物を持ったりすると結構痛い。手術後は左手しか点滴できないので(癌は右側)、痛くても右で点滴を続けた。逆手は大事にしておかないといけないようだ。 

④吐気・・・点滴当日夜~翌朝は食欲なし。無理すれば口に入るが気持ち悪い。その後はなんともなくなる。吐き気止めの薬が強力に効く。

⑤爪・・・2クール目の途中ぐらいから紫色になってきて、どんどん濃くなる。何故か手の親指がひどい。手先を見る度に気分が沈む。

⑤骨髄抑制・・・自覚症状がないのに重大で、怖い。白血球が少ないと投与延期なので面倒。傷が出来ても治りが遅い気がした。あと、白血球や血小板が少ない時、すごく眠いように感じた。どれも気のせいか。生ものは一応避けた。人混みではマスク必須で感染症予防に努めた。

⑥便秘・・・投与から4~5日は強烈な便秘に。便秘の経験がなかったのでこんなにつらいものだとは思わなかったが、2クール目からは予防策で乗り切れた。乳酸菌系のサプリやお通じが良くなるお茶やストレッチなど。投与の2日前から初めておくと大丈夫だった。

⑦口内炎・涙目・・・常に口が渇く。口内が腫れぼったい感じがある。目の渇きも異様で涙が止まらず困った日があった。どちらも点滴から2週間後ぐらいに3~5日続く。

⑧生理・・・どのタイミングだったか正確に思い出せませんが、FECの後半でストップしました。

という感じで、まだ最初だからかあまりつらくはなかったです。よく言われる吐気とか口内炎はほとんどなく、静脈炎と骨髄抑制の方が症状が重かったように思います。あと時折不整脈と回転性のめまいがひどかったですが、これは持病か副作用かはわかりません。

 FECの最終クール(4回目)を前に、自分でも腫瘍が小さくなったのがわかりました。とても明るい気分で病院へ行きましたが、残念ながら白血球が少なくなっていて、点滴は1週間延期となりました。そして、FEC終了後の翌週に、腫瘍の変化を確認するためMRIとCTを撮ったところ、1.5㎝まで縮小していました! 骨シンチでひっかかっていた部分も、MRIを撮って異常なしと判明!(←以前手術したところが反応して写っていただけだった)

 治療を始めた頃は、腫瘍に変化がなく辛く暗い日々でしたが、後半には目に見えて小さくなってとても嬉しかったです。抗がん剤が効くか効かないかわからないと言われていたので、安心しました。少しでも良くなっていると思うと精神状態も好転しました。病気であることが嘘みたいに穏やかに日々を過ごせ、心境が変化していきました。

 癌になって失ったものを、早く取り戻せるよう頑張らなきゃ、最初はそう思っていました。でも、今までの人生の延長線上に今があり、今の延長線上に未来があり、全ては繋がっているから、癌は人生に降りかかったオプションではなく人生の一部だということに気づきました。(うまく言い表せませんが)

 同様に、辛いことを乗り越えたからと言ってその先に何があるのか、どうせいつか死ぬならわざわざ辛いことをせずに今死にたい、生きる意味がわからない、そんな風に思ってしまったけれど、生きることの意味だとか、何のために生きるとか、そんなことは最初からなくて、何かをする、動く、感じる、その結果が“意味”になっていくのだと思えるようになりました。
 やたら前向きになっていました。そう調子よくは行かないことを、もうすぐ思い知るのを知らずに。

 検査結果を聞いて治療方法を決めた日、診察後に看護師さんからお話しがありました。治療や副作用の説明については、治療初日に点滴センターの人から説明がありますので、この時の説明は、ウィッグのことなど生活面のことだったように思います。

 ですが「FECはほぼ100%髪が抜けるので、必要でしたら早めにウィッグを準備してください」と言われ、他の説明が全て吹っ飛んでしまい、今となっては思い出せません。“髪が抜ける髪が抜ける髪が抜ける髪が抜ける髪が抜ける・・・・・・・・” 頭の中はそのことだけ。でも2日後に治療開始を控え、迷っている余裕がなかったので、翌日すぐにウィッグをオーダーしに行きました。この時ばかりは、普段の鈍い性格からは考えられない素早さでした。

 とにかく、ショックの一言に尽きます。癌のことでは泣きませんでしたが、髪のことを考えると涙があとからあとから出てきました。そんな時、ある方のブログを読んで救われました。たしか「スキンヘッドも人生の貴重な経験の一つ。癌にならなければ絶対にできなかったことだから。すごいことじゃない?」という感じの内容でした。ああ、すごいポジティヴシンキング! かっこいい! そうだ、他の人にはできない経験をこれからするんだ。そう思うと、胸がすっきりして気分が上向きになりました。とても感謝しています。

 髪に関してはいくらでも書けますが、要点をかい摘んで、以下、私のスキンヘッドライフ。

●長い髪がバサバサ抜けおちるのは見たくないので、脱毛直前に坊主頭にしました。脱毛は初回投薬後キッカリ2週間後から始まりました。抜け毛対策として、寝る時に薄いコットン帽(病院の売店でよく売っているもの)をかぶり、朝起きて窓の外ではたきました。家の中では、その帽子の上にニット帽をかぶりました。洗髪時は短すぎてお風呂の排水溝ネットから流れてしまうので、台所で使う水切りネットを切って排水溝ネットにその都度はめていました。

●最初のウィッグはオーダーの高価なものでしたが、オーダーのものは大切にしておきたかったので、慣れてきたらご近所外出用として「クスノクス」というネット通販で1~2万円のものを買いました。こちらは多少自分でカットしたりアイロンをかけたりとアレンジが必要です。その後も違うヘアスタイルのものを、セールなどで2~3個買いました。

●帽子は色々買って研究しました。ウィッグなしで出かけられるよう、深くかぶれるものが良いのですが、夏場は浅い帽子ばかりで困りました。

●夏場は厳しかったです。暑いから何もかぶりたくないのですが、頭皮はとても柔らかいので何かかぶせないと怖いのです。家の中ではバンダナを巻いたり手ぬぐいで作った帽子を使っていました。外出時は布のキャップに髪がついているウィッグもどきに麻の帽子をかぶりました。(帽子が風で飛ぶとOUTなので、子供みたいに紐をつけました) 後で知りましたが「通販生活」によさそげな帽子がありました。

●夏場のフルウィッグはとても暑いので、「クスノクス」の夏用下地(ウィッグの中にかぶるもの)はよかったです。

●抗がん剤が変わったり休薬したりすると、一時的に髪が生えてくることがありましたが、すぐ抜けました。

●髪が生えてきたのは抗がん剤終了後、1ヶ月半ぐらいたってからでした。よって入院中はスキンヘッドです。まわりにも同類がたくさんいるので気になりませんが、あまり親しくない見舞客が来るのは正直ありがたくなかったです。

●生え始めは量も少なく、くせ毛です。ウィッグなしで外出できるようになったのは、抗がん剤終了7ヶ月後です。それでもまだ生え揃っておらず、長さも数センチで、周りにはちょっと早いんじゃない?と言われました。自毛デビューの2ヵ月後には早くもヘアカラーをしましたが、全然大丈夫でした。(おすすめはできませんが。) 今後の経過はまた後に書いて行きます。髪質が元に戻るのか、それともくせ毛のままなのか、興味津々です。

●睫毛、眉毛、鼻毛は、髪の毛より3ヶ月ぐらい遅れて抜け始めました。鼻毛は美容的にはどうでもいいのですが、ないと機能的に結構つらいです。(鼻水がたれる・・・)

ちょっとまとまりがなくなりました、ごめんなさい。気づいたことがあればまた書き足します。

 身近にも抗がん剤治療を受けていた人がいたので、だいたい流れはわかっていたものの、事前説明の“ほぼ100%髪が抜ける”という件では耳を疑いました。脱毛する薬なのか・・・・・・。治療開始までに日数があれば、抗がん剤治療をやめようなどと無駄なことを考えてしまったかもしれませんが、考える時間がなかったのでそのまま成り行きで治療に入りました。髪の毛については、私にとってはかなり重要度が高かったので、後日詳しく書きます。

 精神的にはこの時期が一番しんどかったように思います。少し大げさですが、後から思い返すと“慟哭”という言葉を思い浮かべます。病気自体のこと、仕事のこと、これからのこと、不毛な不安があとからあとから湧いて出て、完全に負のスパイラルに陥っていました。以下は当時の日記から抜き出した言葉です。

“日中忘れていた恐怖が、朝の目覚めとともに蘇る”
“健康な人の世界とこちら側には見えない壁がある”
“治るのか、治らないのか、治らないのであればあとどのぐらい元気な生活を送れるのか”
“久しぶりに会社に行って思わぬことを感じる。病院と家の往復や身近な人たちだけの生活では、自分が癌であることはあまり違和感がなかったけれど、会社に行って社員達の顔を見ていると「なぜこの人たちではなく私が?」という今まで気づかなかった思いを感じた”
“つらいこと、苦しいこと、痛いこと、失うこと、奪われること、離れて行くものばかり”
“死ぬって私がいなくなることかと思っていたけれど、私がみんなと会えなくなることなんだ”
“薬、癌には効いてないのにハゲるの!?”
“治療法が尽きた時、受け入れてくれる病院があるだろうか”
“母よりは長生きしたい”

とまあ、キリがないのでこの辺で。
今思い返すと不要な不安ばかりで、なんとまあ大げさなことかと思いますが、環境に慣れた今だからそう思えるのであって最初は仕方がないです。まるで落とし穴に落ちて一人ぼっちになった気分でした。

 特殊がん(紡錘細胞癌)と言っても特別(有効)な治療法があるわけではなく、一般的な治療をするそうです。悪性度が高い部類の癌らしいので、術前化学療法(抗がん剤)2種類→温存手術→放射線→場合によっては、術後化学療法も行う、ということになりました。腫瘍が大きいので抗がん剤で小さくした後、温存手術をするらしいです。トリネガなのでホルモン療法や分子標的薬はやりません。

 検査結果が出た2日後から、早速術前化学療法(抗がん剤)『FEC』が始まりました。3種類の薬の頭文字をとってFECというらしいです。投薬パターンは、(私の場合は)通院で3週に1度点滴×4クール(回)=約3ヶ月の予定でした。

 治療日の流れは、血液検査→点滴センター面談→担当医診察→点滴、という順で、点滴だけでも正味2~3時間かかったと思います。治療開始にあたって、点滴センターの医師と看護師、そして薬剤師から詳しい詳しい説明と注意事項を聞きました。耳からこぼれそうになるぐらいたくさんの情報。それだけシビアな治療ということなのでしょう。ですので緊張していたはずですが、点滴中は疲れて爆睡してしまいました。副作用は概ね、当日→食欲なし、3~5日後→だるい眠い という感じで、まだ重い症状は出ません。

 癌患者の知人から、抗がん剤治療中はとにかく気にしないこと、とアドバイスをもらいました。たしかに、精神的なものからくる吐気や嘔吐などもあるそうです。あとは免疫力を上げるとよいと聞きましたので、野菜をたくさんと良質なたんぱく質を食べて、サプリメントにも凝りました。効果があったかどうかはわかりません。ただ抗がん剤治療中もおいしくご飯を食べて時々お酒も飲んで平和に暮らせたので、多少効果があったのかもしれません。あとは毎日少しでもいいから歩くことを心がけました。

 髪も抜け、副作用も出始め、でも腫瘍に変化なし。つらい状況が続きましたが、3クール目の診察時に、腫瘍が若干、若干ではあるが小さくなっていました。とても嬉しかった。それまでただひたすら耐えるばかりの日々でしたが、目の前が急に明るく開けました。

 紡錘細胞癌って??? 検査結果や治療の説明で、聞きなれないwordに出会う度に動揺の振れ幅が大きくなりました。中でも、病理の結果で「紡錘細胞癌」だと聞いた時が最も不安が大きくなりました。乳がんに関する一般知識は予習していたので、「トリプルネガティブ」とか抗がん剤の名前などは、ああ、あれね、と軽く受け流せたのですが、「紡錘細胞癌」という言葉は頭の中にまったくなかったので、過剰に反応してしまいました。

 検査結果を聞いてすぐ本で調べましたが、どの本も乳管癌、充実線管癌、硬癌に関する説明ばかりで、紡錘細胞癌については特殊な癌の中の一つとしか記述がありません。ネットでは多少の情報が得られましたが「乳がん全体の0.1~0.2%」とか「症例が少なく有効な治療法が確立していない」とか「予後が悪い」とか不安をあおるような情報ばかりです。あまりよくないものだということだけがわかる程度の情報しかありませんでした。紡錘細胞癌の人が書いていらっしゃるブログもわずかにありましたが、それぞれ状況が異なるようで、自分の参考になるのかわかりませんでした。論文などで治療例などもありましたが、もちろん医学知識のない私には専門的な内容は理解できません。担当医も、一般的な癌と同じように治療していくしかないが、抗がん剤が効くかどうかはやってみないとわからないとおっしゃいました。

 行き着いたところは、①調べてもわからないものは調べる必要がない ②調べて詳しいことがわかったところで、良くなるわけではないし自分で手の打ちようもない ③癌細胞は一人一人違うものなので人のことが参考になるかどうかわからない という自分なりの結論でした。

 主治医も「紡錘細胞癌でも治療後何年もお元気な方もいらっしゃるし、再発や転移した方もいらっしゃる、ただ、他の乳がんでもそれは同じです。」と力強く励ましてくれました。さすがプロだと思いました。確率的には悪い癌なのかもしれないけれど、確率(%)というのはあくまで平均に過ぎない、一個人からみたら1か0なのだと思いました。そしてそれ以降、自分の癌が特殊癌であることを気にならなくなりました。

 「トリプルネガティヴ」は想定内でしたが、「リンパ節転移有」「特殊癌(紡錘細胞癌)」には事前に考えが及びませんでした。リンパ節ってなんだろう、というぐらいの知識しかありませんでしたが「転移」という言葉はショックでした。「特殊癌(紡錘細胞癌)」の方はまったくの初耳。

 一つ一つ、新しい言葉を聞くたびに、追いつめられて逃げ場がなくなって行くのを感じました。YesNoチャートでNoの方ばかりに進む感じです。「もしかした診断違いかもしれないし」「軽い癌かもしれないし」「手術しなくても治るかもしれないし」等、数々の淡い期待を裏切り、状況はどんどん悪い方へ悪い方へ。

 ただ、結果が出て間髪を入れずに治療に入る流れは、大変ありがたかったです。「さあどうしましょう」などと選択肢をたくさん与えられたり、治療まで間があると、ああでもないこうでもないと余計なことを考えるばかりです。次のことが決まると不思議にそちらに気が向きます。

 診断結果が出た翌日から髪が抜け始めるまでが、精神的に一番ヘビーな時期だったように思います。仕事のことは?家のことは?周りの人にはどう話す?とにかくあらゆることが頭の中でひっくり返り、挙句には身辺整理をした方がいいだろうかということまで考えました。

 考えても仕方がないことですが、ついつい考えてしまうのが“なぜ癌になったのか”“何がいけなかったのか”。  今までの全てのことが癌につながっているような気がして、食べ物が全て毒に見えだしました。携帯電話やパソコンやIHの電磁波か?はたまた他の病気で飲んでいた薬のせいか?ありとあらゆることが悪いことに思えました。また先のことを考え、いつまで元気で暮らせるのか不安に陥りました。今思うと、がん患者の典型的なパターンでした。

 紹介状を持って大学病院に行きました。病院が変わればまた一から検査です。初診担当医の診察、マンモ、エコー、触診、生検、血液検査、一通り検査をしました。病理検査の結果がでるのは2週間先でしたが、担当医となる先生がたまたま顔を出してくださり、すぐに治療に入れるよう、結果が出るまでに各種検査をしておくことになりました。もうがんであることは明らかですものね。

 結果を待つ2週間のうちに、乳房のMRI、CT、転移を調べるため内臓エコー、骨シンチと、即入院の場合に備えて入院前の基本検査 等々、何度も通院しました。こうする間にも腫瘍はどんどん大きくなり、皮膚表面に突き出してきました! 実際に見えてくると恐ろしさも増してきます。

 2週間後、病理検査の結果は、
 ・癌のタイプは特殊がん(紡錘細胞がん)
 ・トリプルネガティブ
 ・リンパ節転移有
 ・大きさは7㎝大!
すぐに治療を開始した方が良いとのことで、2日後から術前化学療法をすることになりました。一応予習して行ったし信頼できそうな先生だったので、即決しました。

 検査機関で「悪性腫瘍であることはほぼ間違いない」と言われた後、どこの病院に行くか、色々調べました。いきなり大病院に行くと、あれよあれよと言う間に事が進み引き返すことが出来なくなるので、まずは手近な乳腺専門クリニックで診てもらいました。初めて行った病院でしたが、とても患者思いの先生で救われました。検査機関で撮ったMRIデータを見てもらって、マンモ、エコー、触診、生検をしましたが、生検の結果を待たずに、ソフトに「おそらくがんでしょう」と言われました。

 1週間後、病理検査結果を聞きに行くと、やはりがんでした。この頃になると、もうがんと言われてもショックはなく(慣れてきた)、病気に関する知識をだいぶ得てきたので、次はどんな種類か、どんな進行具合かが心配になっていました。大きさは5㎝。小さくはないですね。でもこれは触れればわかることなので、あまりショックではありませんでした。

 一方、予想外のことを言われました。一般的な乳がんとは違う、知らない癌の名前を告げられました。「化生癌もしくは紡錘細胞癌と考えられる」とのこと。病気についてかなり勉強もしましたし、冷静さも少し取り戻して「どんと来い」という感じでしたのに、また新たな展開で動揺しました。それっていい癌なの?悪い癌なの? もう少し詳しい検査をしないと断定はできないとのことで、先生の知り合いの大学病院の先生に紹介状を書いてくださいました。この先生の紹介ならきっと良い先生だと思い、その点だけは安心でした。

 帰りがけ玄関まで見送ってくださり「大きな病院だとなかなか話しにくい雰囲気があるでしょうから、何か不安があれば気軽にうちに来てくださいね。治療は大変かもしれないけれど、がんばってください。」と言って送り出してくださったのが、本当にありがたかったです。

 すでに癌であることは確信していました。病院に行くまでにネットや本で予習をしましたし、身近に癌の人が何人もいたので今後の流れもだいたいわかっていました。でも、検査の結果を聞きながら見た画像には衝撃を受けました。
 ああ、やっぱり。そこには大きな丸いものが写っていました。

 帰り道、頭の中で「ああ、やっぱり」がずっとこだましていました。しばらくすると、血が逆流し始めたかのようにザワザワと動揺が襲ってくるのがわかりました。まるで宙を歩いているように平衡感覚が希薄になり、周りの風景は走馬灯のように流れ、夢の中に放り込まれたような感覚でした。

 この日はとにかく早く結論を知りたかったのと、病院を吟味している時間(心?)の余裕がなかったので、即日結果が出る検査専門機関に行きました。(料金はかなり高かったです) そこで病院を紹介してくれると言われたのですが、これまでの経験で、大きな病気ほど病院(ドクター)選びが大切だと身に染みて感じていましたので、病院探しは自分ですることにしました。

 がんという事実を認識すること、これから先のこと、周囲のこと、一辺にたくさんの“どうしよう”が降って来て、不安を通り越えてパニックでしたが、まだまだこんなのは序の口だったのだと、この先に知ることになるのでした。

 胸のしこりに気づいたのは出張先のホテル。慣れない枕で肩が凝ったのか、重い荷物で筋肉痛になったのか、肩が痛かったので自分でマッサージをしていた時です。最近妙に胸筋が凝るなと、その辺りにも手を伸ばしたその時、 「あ」 指先に感じたわずかな違和感が脳に伝わり、脳内でしばらく検索が続いたのでしょうか、数秒して乳がんという言葉が浮かび上がりました。まだ現実味を帯びていないので、驚きも慌てもしませんでしたが、心の中にポツッと黒いインクが落ちたようでした。気にはなるけれど、出張先だしすぐにどうにかできるわけでもないので、その日はそのまま仕事に行き、忘れました。

 その日以降、時折しこりのことが頭を掠めますが、乳腺が張って痛みを感じることもしばしばあったし、乳がん検診でもそれは異常ではないと言われていたので、似たようなことかもしれないとしばらく様子を見ていました。今思えば、怪しいとわかっていながら、現実逃避していたのでしょう。認めたくないことからはつい目を逸らしがちです。

 しかし、その逃避も長くは続きません。1ヶ月もすると小豆粒ぐらいだったしこりの直径が3センチぐらいになったのです。それでも、パニック状態だったのか、ちゃんと考えなければならないのに無意識にそれを避けてしまい、いたずらに時間が過ぎました。

 そしてある朝、突然冷静になりました。これが “異常なし” のわけがない。すぐに!すぐに調べないと!! その日のうちに病院の予約をとり、覚悟を決めました。