第一章 まえがき
競馬場などでパドックを凝視していると、よく聞かれるのがパドックで馬の良し悪しが解るのか?どこをどのように見ればいいのか?といったことである。
まず、いきなりだが、もしも、パドックでその馬を初めて見たという場合、その馬の調子の良し悪しを判断するのはほとんど不可能である。何故ならば、馬にはそれぞれ個性があり、体型や体格、性格もおよそ同じ個体はいないからである。
すなわち、太って見えたり、逆に細く見えても、それがその馬の体型であったり、後肢が薄っぺらく見えてもそれがその馬の体格であったり、チャカチャカ軽快にイレ込んでいてもそれがその馬の好調の表れであるということもある。
たとえば、スペシャルウィークは腹回りが細い体型であったし、トウカイテイオーなどは後肢が薄く、故大川慶次郎氏などはこれが強いとは思えなかったということを言っていた記憶がある。
ダイユウサクが有馬記念を制した時のパドックでは、前脚をペタペタとしながら歩いていたそうだが、実は、それこそがダイユウサクが絶好調の時に見せる仕草だったというのである。
いきなりパドックを見ただけで、その馬の好不調を判断することはほとんど不可能であるというのが競馬関係者のほぼ一致した見解である。
パドックでその馬の好不調を判断するためには、その馬の過去のパドックでの姿を思い出し、好調時とは異なる動きをしていたり、不調時の動きを見せたりしているときは調子が良くないと判断できる。
たとえば、いつもは落ち着いてパドックを周回するのに、やたらと頭を上げて発汗しているとか、厩務員にじゃれついている又は厩務員の手に噛み付こうとして怒られているという場合には、何か精神的に問題があって、レースに向かう精神状態ではないと判断できる。
要するに、パドックでは隣の馬と比較するのではなく、その馬の過去と現在とを比較して、好不調を判断するほかない。
このことを踏まえたうえで、以下、具体的にパドックでの見るべき部分とその理由を述べる。
第二章 パドックでは馬のどこをどう見ればいいのか?
第一節 踏み込みとは何ぞや?
踏み込みとは、簡単に言えばパドックでの常歩において、前肢の着地点を基準に、後肢がどの辺に着地するかを示す言葉である。
すなわち、後肢の着地する地点が、前であればあるほど、「踏み込みが深い」と評される。パドックにおいて踏み込みの深い馬は、大抵歩く速度も速いものであり、一般にプラスに評価されるものであるが、気合が入りすぎた、人間でいえば肩に力の入りすぎた馬も、このような動きを見せることがある。
第二節 肩の出がいい?
両前脚が同じようなリズムで、ゆったりと大きく前に踏み出す動きを見せる馬を、一般に「肩の出が良い」と評される。これもパドックにおける歩くスピードに反映されることがある。
第三節 イレ込み?
イレ込みとは、気負い過ぎていたり、緊張のあまり精神や身体のコントロールができていない状態をいうものと考えて差し支えない。
イレ込みの判断材料は多々あるが、総合すると、耳がグルグル一貫性なく動き続けていたり、尻尾を上下左右あるいはグルグル回転させている、頭を上下左右に振り続ける、あるいは強いツル頸の状態を続けている、そして決定的な事柄として、肩や背中、ゼッケンのあたりや股間に白いもの、すなわち激しい発汗がみられる。
ただ、馬にも個性があるので、これが一つ当てはまるからといって直ちにイレ込みと判断することはできない。
しかし、明らかにイレ込みと判断できた場合、それがどんなに強い馬であっても、大幅に割り引いて考えることができる。
とりわけ、発汗は重要な要素である。激しく発汗し、肩や背中、ゼッケンのあたりまで、真っ白に白濁させながらレースに勝った馬といえば、筆者にはゴーゴーゼットくらいしか思い浮かばないのである。
第四節 ボロ(糞)をするとよくない?
パドックにおけるボロは、通常軽いストレスによるものである。一般に動物は緊張すると糞をするものであり、馬も例外ではない。
パドックでは普段よりも柔らかいボロをする馬が多い。したがってボロをしたからといって直ちにプラスかマイナスかの判断はすることができない。
ただし、下痢の場合には注意を要する。このような下痢は、人間でいう神経性の下痢というもので、強いストレスを感じている表れである。ゲート入り直前にボロをする馬がおれば、これから始まるレースに対して強いストレスを感じていることを示すものと言えよう。
なお、スーパークリークはレース中にボロをしながら、天皇賞(春)を制しており、他にも筆者はパドックでボロをしながらレースに勝った馬を多く目撃している。ボロをすることがプラスかマイナスかは、やはり馬それぞれで判断するのが良いだろう。
第五節 馬体が立派(太い)?ガレている(細い)?
馬が太り過ぎか痩せ過ぎかは、腹を見て判断する。具体的にどこを見るかと言えば、あばら骨である。これは競馬場で実物を見ないとなかなかはっきりと見て取れるものではない。
ウインズなどのモニターで、太く見えたり細く見えたとしても、個々の馬の体型によってそう見えることがよくあり、明らかにあばら骨が浮いて見えるなどの事情がない限り、モニターで太い細いを判断することは得策ではない。
第六節 毛ヅヤがいい?
いうまでもなく、毛ヅヤがよく、ピカピカに光っている馬は体調が良いと判断していい。
第七節 馬っ気?フケ?
馬っ気とは、牡馬の発情状態をさし、フケとは牝馬の発情状態をいう。
牡馬のそれは、生殖器がビヨ~ンと伸びているのですぐに判断できる。
牝馬のそれは、見た目ではほとんど分からない。
では、これらの症状が、競馬に行ってプラスなのかマイナスなのかと言えば、どちらでもない。
牡馬の馬っ気としては、ピルサドスキーがジャパンカップで見せていたし、筆者もパドックで馬っ気を見せていた馬が勝ったところを何度も見ている。馬っ気とともに、イレ込みの仕草を見せていなければ、特別気にする必要はないというのが、筆者の考えである。
牝馬のフケは、不可解な敗戦をしたときによく用いられる敗因だが、フケが運動能力に影響することはないというのが世界的な見解であるようであるし、季節的要因であるので初春から初夏にかけては、ほとんどの牝馬が発情状態に陥るのであって、フケが運動能力に影響するならば、およそ計画的にレースに使うことができない。
ただ、フケは強い調教=ストレスによって抑制されることが知られており、フケの兆候を見せる馬は、強い稽古が不足している可能性はある。
第三章 結局、どんな馬がいいのか?
馬が絶好調であるかどうかは、個々の馬によって異なるので、これだと断言することはできない。
そのうえで、あえて理想像を言うならば、毛ヅヤがよく、所々に斑が浮き上がって見え、肩の出がよく、踏み込みは深く、歩くスピードが速い。足音はカッカッという音がする。頭は上下または左右に動かしたり、厩務員に甘えたり、高く上げたりせず、時折ツル頸を見せて気合をあらわにしたり、物見をする余裕をみせたりする。耳は前に向けてピンと立て、尻尾はやや上向き。口はパクパクしたりしない。適度にじわっと発汗しており、馬体を白く泡立てたりボタボタと滝のような汗を垂らしたりしない。全体的に落ち着いている。騎手が跨ると耳を騎手と前方と交互に向けたりする。
というところであろうか。あくまで筆者の理想像である。
第四章 あとがき
いうまでもなく、パドックに見える馬の状態は、馬の能力を示すものではない。また、出遅れや不利によって、状態の良さを生かすことができないこともままある。
さらに、レースで勝つ馬というのは、絶好調とまでは言えない好調な馬である。絶好調な馬は一日に何頭もいないし、いくら絶好調でも能力の絶対値が上位の好調馬には敵わない。
確かにパドックは非常に重要であるが、それがすべてではないことを心に留めておかなければならない。
なお、ここに著した内容は、当方のブログ「多事済々」の中の拙著「パドックで見よう」(約9,000字)を要約、加筆したものである。リンクは文末に示すので、興味があれば参照されたい。
蛇足
最近GⅠのパドックを映すモニターの中で、前走時のパドックの様子をVTRで映しており、前走時との比較が容易になってJRAのサービスも玄人好みになっている。パドックでは横の馬との比較をするのではなく、その馬の過去と現在を見比べなければならないということを忘れてはならない。
まれに、ウインズなどでこの前走時VTRについて、「余計なものを映すな」などと腹を立てている自称パドック派の人がいるが、その人は基本的にパドックの何たるかが解っていないのである。
文献
楠瀬良(JRA競走馬総合研究所)
平成14年JRAレーシングプログラム・コラム「馬のひみつ」JRA競走馬総合研究所
「ボディー・ランゲージ」1月14日
「馬の動き」3月10日
「返し馬とコンディション」4月7日
「スタートにのぞむ馬」5月4日
「ギャロップ中の馬のあし運び」6月2日
平成15年JRAレーシングプログラム・コラム「馬のひみつ」JRA競走馬総合研究所
「馬の汗」7月13日
「手前肢と手前変換」11月15日
「パドックでのボロ、レース後の尿」12月13日
平成17年JRAレーシングプログラム・コラム「馬のひみつ」JRA競走馬総合研究所
「気合の乗り具合」10月1日
競馬ブック 平成20年8月30日号
「競走馬の心技体 馬博士楠瀬良の“競走馬のこころ”Vol.4」
藤井良和(JRA競走馬総合研究所)
月刊優駿 平成20年4月号
「サラブレッドのおはなし」
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