今日言いたいことを一言で言うと、「矛盾に目くじらを立てるのをやめるとハッピーになれるよ!」です。

それでは行ってみたいと思います。

矛盾とは何か?

そもそも矛盾とは何でしょう?

元々は故事成語で、中国の昔の人が「この矛はなんでも貫くよ」といって矛を売り、「この盾はどんな矛でも貫けないよ」といって盾を売っていたので「じゃあ、その矛で盾を貫こうとするとどうなるの?」と質問したら答えに窮した。という出来事に由来していると言われています。

なので、厳密に言うと「お互いに相反することを言う」ことが「矛盾」となると思いますが、現在では拡大解釈されており、単純に話しが噛み合わない「齟齬」や時と場合によって条件が変わる「タブルスタンダート」なんかも、一絡げに「矛盾」と言われています(なので、以降これらの用語を「矛盾」に統一します)。

人は、論理的な思考を持っていますので、人の話や文章なんかに矛盾を発見すると、多かれ少なかれ不快な気持ちになります。

「これは是非とも正さなければ」という感情がわきますし、自分自身の思考や言説にも矛盾がないことを目指したりします。

そのため、一般的には「矛盾=悪」であり、「その話は矛盾しているよ」というのは、不正を正すという意味が込められます。

論説に矛盾が生じていれば、どんなに素晴らしい内容でも一瞬にして「無価値」と判断されることも珍しくありません。

矛盾は本当に悪か?

さて、このようにとかく悪者にされがちな矛盾ですが、「いらない子」として排除することが本当に正しいことでしょうか?

無矛盾であることが、即ち正義であり幸せなのでしょうか?

実は、矛盾と上手く付き合っていくことが、トータルで見た時の人生の価値をより豊かにしてくれるということは無いでしょうか?

人は、無意識の内に矛盾を避けようとする傾向があります。

優秀なセールスマンは、この性質を利用して、「イエス」を引き出すというテクニックを使うといいます。

人は、質問に対して「イエス」と答え続けると、自身の整合性を保とうとする意識が働き、多少無理な質問でも「イエス」と答えやすくなるそうです。

セールスマンや販売員と話している内に「引くに引けない」感じがして思わず買ってしまった。という経験がある人もいるのではないでしょうか(かくいう僕が、そのひとりです)。

この「引くに引けない」感じは、自身の矛盾に対しての防衛反応が原因かもしれません。

自己の一貫性というのは、「多少の犠牲を払ってでも保ちたい」と思えるものなのかもしれません。

また、ダブルスタンダードについても、同じようなことがいえます。

ダブルスタンダードと言えば、中国政府ですが(失礼)、「時と場合に応じた最適の対応をする」というロジックに基づいて動いており、その点においては矛盾していません。

例えば、2012年に中国国内で起きた反日デモについて「責任は全て日本側にある」と突っぱね、デモによる被害についても何の対応もしていません。それに対して、2014年にベトナムで起きた反中デモに対しては「避けることのできない責任を負っている」とベトナム政府を非難しています。

一貫性を評価基準とするのであれば、大きな矛盾を抱えるわけですが、中国にとって都合の良い対応を取ったという点においては、全く問題ない対応となりますし、それに対するペナルティはほぼ皆無ですので、トータルでの利益は大きかったと言えます(日本人の対中感情が大分悪化しましたが、中国にとっては微々たる影響でしょう)。

つまり、自己の発言に対して「どの程度厳密に無矛盾を求めるのか?」という問題に対して、一本調子に「無矛盾」を目指すだけでは、やや熟慮に足りないのではないか。ということです。

無矛盾であろうとするがために、思考が硬直化し、自分自身をがんじがらめにしてしまうのであれば、本末が逆と言わざるを得ません。

矛盾に対するペナルティというのも「自身に対する不満足」を除けば、気にしなくて良い程度のものかもしれません。

ある程度、矛盾におおらかになることと、矛盾を含んだ状況全体を見渡して、最適と思われる選択肢を選ぶようにする事で、自由で柔軟な判断ができるようになりますので、メリットが大きいといえます。

(大事なことですが、カッコ書きで書きます。僕自身、このことに気づいた時、「自分自身から解放された」気がしました。無矛盾でいようとする心の働きは、自分でもびっくりするほど、自分自身を縛り付けているものです)

他者の矛盾に対してはどうか?

他者の矛盾に対してもおおらかであるべきだと思います。

そもそも、この世は矛盾に満ちていて、論理の整合性なんてものは、各所で破綻しています。

なんせ、基礎物理の世界でも相対性理論と量子力学の整合性が取れず、大統一理論に向けて世界中の物理学者が頭を悩ませていますし、数学においてもラッセルのパラドックスなど、矛盾があちこちに転がっており、整合性の取れた世界とは無縁のように見えます。

このような世界において、無矛盾であろうとすることは、聖杯を求めるのに等しい行為です。

理屈や言説というのは、矛盾に満たされた器の中に浮いているひとかけらの氷のようなもので、やっと構築された理論であっても、元を質せばただの水であり、儚くも溶けかかっているのです。

であれば重要なのは、無矛盾を目指すことではなく、価値を見出すことでしょう。

「昨日と今日とで言っていることが違う」としても、それはその人の変化や成長を表すのかもしれません。

ダブルスタンダードな対応を目にしたとしても、それはその人の立場や思想をありありと映す鏡として使えるかもしれません。

同じ事象に対して、AさんBさんで、言っていることに齟齬が生じていたとして、そのことがどのぐらい重要でしょうか?

急いで答えを求めないのであれば、両方の意見を参考にして、結論自体は遅延させることも出来ます。

つまり、「これはAとB、両方の可能性がある」として中身は封印してしまうのです。

答えが明らかにならなかったとしても、役に立つことは結構あります。

二人の意見の共通項を見つけることや、「Aさん(Bさん)はなんでこういう答えを出したのだろう?」と考察することは、問題自体の答えを知らなくても状況を改善するのに十分効果的かもしれません(というか、そういうことはよくあります)。

大事なのは、矛盾と対峙することではなく、矛盾を受け入れてでも考えを先に進めることではないでしょうか。

一つ一つの問題をその場で解決できない分、可能性のレパートリーが増大し、困難を伴うかもしれませんが、足踏みしているよりはましです。

こうなってくると、おおらかに受け入れるというより、「矛盾を受け入れてでも先に進む覚悟を決める」といったほうが正しいかもしれません。

まとめると

矛盾というのは、問題を含んでいますが、それ自体は問題ではありません。

必要なのは、結果的に人生が豊かになる選択をすることです。

どうせ、正しいことや無矛盾なことなど無いのです。

相手の矛盾も可能な限り受け入れ、自身が無矛盾であることにがんじがらめになることを避けることで、ハッピーになれることが、このセカイにはいっぱいあるんだと思います。

二十歳ぐらいで目が悪くなって以来、ずっとメガネ男子な自分ですが、以前使っていた眼鏡市場のフレームのレンズを入れ替えました。

1万3千円ぐらいでした。

1年ちょっと前(正確には2016年4月)、「眼鏡なんてなんでもいーや」と安さに釣られてJINSでメガネを作ったのですが、完全に「安物買いの銭失い」でした。

銭だけなら良かったのですが、疲れ目や頭痛でだいぶ生産性を落としていたかと思うと、失った損失は計り知れないかもしれません。

QoLもだいぶ下がっていたと思います。

まあ、酷い言いようですが、個人の感想ですので、他の人には当てはまらないかもしれません。その点はご容赦ください。

JINSのメガネを選んだ経緯

それまで使っていた眼鏡市場の眼鏡のレンズに小さい傷が無数に入り、乱反射で見えにくくなっていたのと、度が合わなくなってきたので、メガネを新調しようと決意しました。

これが、1年半前ぐらいだと思います。

激安メガネ店で名前が通っているのがJINSかZoffなので、たまたま行ったイオンモールに店があったという理由でJINSでメガネを作りました。

JINSは、若者向けのデザインで、店舗の作りも簡素ながら小洒落ており、その日も大変な賑わいでした。

流れ作業で、促されるがままに視力測定→お会計→待ち時間に買い物→受取という流れで、当日メガネを作れたので、その日はそれで満足していました。

ただ、受取の際にフレームが少しキツかったので、「調整して欲しい」とお願いした所、「このデザインは調整できない」と言われました。

ここで結構嫌な予感が。

仕方ないので、「力ずくで曲がることころまで調整する」という調整方法で、少しゆるくして使っていました。

1週間後にレンズが取れる

最初の悲劇は、1週間ほどで訪れました。

なんと、仕事をしていたらレンズがポロっと取れました(!!!)。

びっくりしました。もう、20年ほど眼鏡のお世話になっていますが、買って1週間で取れるなんていうことは記憶にありません。

使って2,3年ほどして経年劣化でレンズを取れるワイヤーが切れたり外れたりしたことはありましたが、こんな新しい状態で外れるのは異常です。

驚いたと同時にちょっと頭にきました。

大手チェーン店なのが幸いして、職場の秋葉原にも支店がありましたので、昼休みに訪れて「買ったばっかりなのに取れた」という旨を説明して、付けなおしてもらいました。

「縁を削り直すので少々お時間を頂きます」という対応だったので、最初に買った店の加工精度の問題だったのでしょうか?

兎に角、レンズを付けなおしてもらって一旦は落ち着き、それ以来レンズの脱落という目にはあっていないので、店によって当たりハズレがあるのかもしれません。

急激に事業を拡大したために、店員の質が追いついていない店があるのでしょうか。

まあ何にせよ、メガネで当たり外れのあるガチャを引くというのはちょっといい気持ちがしませんね。

つけ心地が最悪

とりあえず、物理的な破損というのは、それ以来発生していないのですが、日々使用していて気になる点がありました。

メガネを付けている時の焦点がおかしいのです。

物を持つときなどに「ズレ」を感じるのです。

これは、JINSのメガネを掛けているだけだと気づきにくい(というか慣れる)のですが、他のメガネ(お古のメガネ)と掛け替えると顕著に現れます。

そして、先程も言いましたが、フレームの調整ができないため(会計終わってから言うなよ!)、こめかみの圧迫感が強く、長く掛けていると苦痛を感じます。

ある日、耐えきれなくなって、お古の眼鏡市場に戻したのですが、あまりのつけ心地の良さに「今まで何をやっていたのだろう?」と馬鹿馬鹿しく思えてきました。

さらに2,3日経つと、近頃感じていた疲れ目や頭痛、肩こりがウソのように消えていることに気が付きました。

「お前の仕業か!」と、これには憤りを感じました。

眼鏡市場でレンズを作る

ということで、JINSへの恨みはこのぐらいで、お古の眼鏡のフィット感が最高なので、このままレンズだけ交換しようと眼鏡市場に足を運び、視力測定をしてレンズを作ってもらいました。

前回、レンズに小キズが大量にできて使用感が低下したので、今回は「スーパーハードコート」付きにしました。

コーティングに1週間ほどかかりましたが、先日受け取りに行き快適に過ごしています。

眼鏡市場最高!とまでは行かないですが、過去に利用していたメガネスーパーやメガネの愛眼と同程度のクオリティであることは間違いないです。

メガネ選びは大切

裸眼の人は羨ましい限りですが、メガネ男子(メガネおやじ)にとって、メガネ選びは人生の質を左右する重大事であるということがわかりました。

疲れ目、頭痛、肩こり、あらゆる生きづらさの原因となりかねません。

これからは、多少高くとも数万クラスのメガネ屋で作ってもらおうと心に誓う出来事となりました。

タイトルで言いたいことを言い切ったので、本文はオマケです。

僕は、40代男性なので、スキンケアに興味はまったくないのですが、30代後半ぐらいになると小鼻の黒ずみが酷くなります。

なんか、毛穴が開いてイチゴのようにプツプツした感じになって、アップで見ると結構グロい感じになるので、「年だからしょうがないのかも知れないけど、なんか嫌だなー」と思っていました。

きっかけは、子供が生まれて、小児科医に行くと大量にヒルドイドを処方されます(ヒルドイドと言うのは、小児科で処方されるピンク色の保湿クリームです。市販薬より効果が高いと言われています)。

子供の肌は繊細なので保湿が命とばかりに全身に塗りたくっていたのですが、冬場、肌がカサカサする時などに余った分を自分にも塗っていました。

するとどうでしょう(ナレーション)。

あんなに凸凹していた小鼻の毛穴が「キュッ」と引き締まり、結果的に角栓も目立たなくなっていました。

それまで、「角栓」にばかり気を取られ、「これをどう除去するか」ということばかり考えていました。

そのため、こんなので角栓を取ったり、小鼻をギュッと押してニュルニュルさせたりしていました。

しかし、ポイントが違ったのです。

できてしまった角栓を取り除くのではなく、角栓ができにくい小鼻を作れば良かったのです。

予防医療の重要性を感じました。

「小鼻を保湿→毛穴が締まる→角栓が溜らない」という図式です。

解ってみれば簡単なことですが、盲点となっていると気づかないものですね。

日曜日なので、酒田市の市街を散歩していて良い店を発見しました。

酒田市総合文化センターの近くにある「フレンド」という喫茶店です。

朝方発見して良さそうだったので、さっそくランチを食べに行ってみました。

店の前に「ナポリタン」や「カツカレー」などの蠱惑的なメニューが並んでいたので、ワクワクして入ったのですが、実はランチメニューは日替わりで今日は「ポトフ」の日でした。

店主に「カツカレーは無いんですか?」と聞いてみたところ、「個人で手作りでやっているので色々メニューを用意することが出来ないんです。すいません」とのことで、手間ひまかけて仕込みをしている意気込みみたいなものを感じ、むしろ心強い感じでした。

とは言え、後から入ってきた隣の客も同じ質問を店主にしていましたので、もうちょっと店頭の掲示を工夫したほうが良いかもしれませんね。^^;

それはともあれ、ポトフ。

なんともおしゃれな響きです。男所帯のチェンジ・ザ・ワールドでは、ついぞ耳にしない単語です。そこはかとなく体に良さそうな、健康になりそうな雰囲気を感じます。

これは、「ポトフ」一択だろおおおおおおおJK!!!!!

と、ポトフを頼んでみました。器も盛り付けもおしゃれで丁寧です。きっと、採算もあまり気にしてないんでしょう。

野菜がゴロゴロ入っていて、いかにも体に良さそうです。手前のキャベツはなんとロールキャベツです。

肝心の味の方はというと・・・。

さっき、ポトフを頼んだと言ったな。

あれは嘘だ。

上の写真は、一緒に食べに行ったチェンジ・ザ・ワールドのJKこと坂田くんのポトフです。「日曜の昼下がりにポトフを食べるおしゃれな自分」を演出するために、Facebookにはポトフの写真をアップしといたので色々大丈夫なはずです。

僕は、もう一つの限定メニュー(!!)「ピザトースト」にどうしょうもなく惹かれ、ポトフを裏切ってしまいました。ごめんねポトフ。僕は健康にはなれそうもないよ。

喫茶店のピザトーストって、なんでこうも魅力的なんでしょうか。まるで、ウツボカズラのように僕の心を魅了する甘い香りを放っています。

味は、期待通りの「喫茶店のピザトースト」中の上って感じでした。分厚いトーストは、フワフワでカリサクっとしており、たっぷりの具材とチーズでトーストの厚みが倍になっているように見えます。

過不足無く適切な素材と配分で仕立てられた上質なスーツのように、控えめであっても、その場にふさわしくマッチする能力を備えたそれは、日曜のランチに喫茶店で食べるピザトーストの中では最高の出来だったと思います。満足。

そして、問題はデザートです。

ドリンクには、当然コーヒーを選択しました。

坂田くんは「マンゴージュース」を選んで後悔していました(かれはいささか可哀想な子なのです)。

甘いものとして、ガトーショコラとリンゴのシャーベットをヨーグルトに乗せたものが付属します。

このリンゴのシャーベットが「ヤバイ」。

僕はアップルパイが好きなので、この林檎を甘く煮たものがとても好きなのですが、このリンゴは、しっかりと甘い中にほのかにレモンの香りがして、それがシャクシャクのシャーベットになっているというクオリティの高いもので、食べていると底の方に仕込まれたヨーグルトが顔を出し、その酸味と合わさった時に最高のパフォーマンスを発揮する背徳的はほど美味しいデザートでした。

最高や。

ランチはすべて980円です。

充実した内容を考えると、お得感しかありません。

日替わりメニューが記されたカレンダーカードをレジの脇に見つけたので、ミートソースやナポリタンやカツカレーをゲットしに、ちょいちょい通うことを決意した日曜の午後でした。

先日、息子と遊んでいると私達が「作品入れ」と呼んでいるファイルを持ってきて、私にこう言った。

「ここのぶぶんにはいる紙がないんだよねー」

そこで私は、部屋に戻ってA4サイズのコピー用紙を持ってきて提案してみた。

「これなら入るんじゃない?」

すると、息子から驚くべき返答が返ってきた。

「じゃあ、テストしてみよう」

「!!??」

マジ?

今「テスト」って言った?

しかも、学校の試験とかの意味じゃなく「試してみる」って意味で使った?

恐る恐る息子の真意を確かめる。

「テストって?」

「紙が入るかどうかテストしてみようよ」

なんと、事を起こす前に事前に問題点がないか確認しようとしている。

4歳の息子が。

これは、下手するとそこらのSEより賢いぞ。どこで覚えたんだそんなこと。

息子とのエピソードをブログに書いたりすると親バカだと思われかねない(もう手遅れかもしれないが)ので、なるべく控えるように心がけてきたのだけれど、これは流石に驚いた。ブログに載せてしまおう。そして、誤解を恐れずこう言い放ってしまおう。

うちの子、天才かしら?

いい大人たちが仕事で失敗するのは、大概事前に確認せずに事を進めるからだ。

良い仕事というのは段取り8割というが、実際に「動くのか?」「うまくいくのか?」について事前に確認していれば、8割方のトラブルは回避できる。

システム開発であれば尚更、テストやリハーサルというものが重要になってくる。

今回の息子の件は、単なる気まぐれや偶然だったかもしれないが、果たして何人の人間が事前確認を思いつくだろうか。

かくいう私も、今回のタイミングで「テストが必要」という認知には至らなかった。

そして、実際A4のコピー用紙は、「作品入れ」には少し大きく、はみ出した部分をハサミで切る必要があった。

息子は絵を描く前にその事に気づき、無駄に大きくはみ出した絵を描くこと無く、ファイルに作品をしまうことができた。

それは、日曜の昼下がりに起きた小さな奇跡の一コマだった。

皆さん、玉ねぎ切ってますか?

カレーや肉じゃが、チャーハンやハンバーグなど、人生において玉ねぎを切る機会には事欠かないことと思いますが、玉ねぎを切る時、どのような手順で切っているでしょうか?

僕は、Z(ゼット)字に切っています。

図解するとこんな感じです。

当初、[Before]のようにH型に切っていたのですが、これだと半分に切って、左右の頭と尻尾を落とすのに五手かかり、それなりに面倒臭さを感じていました。

頭と尻尾を先に落とせば三手で済みますが、玉ねぎが安定しないのと、切った端っこが「ペロン」とくっつくのが嫌で、どうしたものかと観測限界以下のイライラを抱えて過ごしていたのを覚えています。

それで、ある時、一手目を袈裟斬りにすることで、効率よく気持ちよく三手で玉ねぎを処理できることに気がついて、それいらいこの方法を使っています。

この方法だと、玉ねぎの皮をむく時も、斜めに尖っている部分からむくことが出来るため、非常に効率的です。

と言っても、玉ねぎ1個につき10秒程度だと思いますが。^^;

大量に玉ねぎを処理する時は、目に見えて違いが出てくるんじゃないかと思います。

実は、10年ぐらい前に発見したので、かれこれ10年以上この方法を使っています。

以前に独自ドメインで運営していたブログに掲載していたのですが、今は閉鎖しているので、再掲することにしました。

皆さんの玉ねぎライフが少しでも楽しいものになりますように。

一応、手順を写真に撮りました。

斜めに包丁を入れます。この時の角度は、それなりにコツが入りますが、3個も切れば慣れます。^^;

こんな感じで、袈裟斬りになります。

並べます。僕は左利きなので普通の人は逆向きに置いてください。

再び斜めに包丁を入れます。

端の尖ったところから皮がむけます。

正確には覚えていませんが、多分10年以上シャンプーはメリットを使っていると思います。

使い始めたきっかけは、なんでかフケが大量に出るようになって、「フケ・かゆみ」というえばメリットという短略的な思考でチョイスしたのですが、見事にフケが抑えられ、それ以降ずっと使っています。

途中、リンスインタイプのメリットを使ったりしたのですが、リンスインだとフケが収まらない事がわかり、リンスの入っていない只のシャンプータイプのメリットに戻しました。

使用当初のメリットは、サラッとした青緑の液体で、ちょっとの量でも盛大に泡が立つのが特徴的なシャンプーでした。

リンス的な成分は一切入っていなくて、シャワーで洗い流すと「キュキュッ」とした一切潤滑性のない洗い上がりになったものでした。^^;

それが、最近(と言っても数年前から)、メリットに異変が起きています。

リンスインじゃないタイプのメリットにも潤滑成分が入るようになったのか、色が白っぽくなりリッチテイストのシャンプーに変わりました。

そして、ここ数年夏などに頭皮に汗をかくと凄く痒くなるようになりました。

ずっと「歳のせいかな」と思っていたのですが、今日オフロに入っていて大変なことを発見してしまいました。

 

メリットのパッケージから「フケ・かゆみを抑える」効果が消えている・・・。Σ(・∀・;)

 

なんと。気のせいではなく、メリットは変わってしまったようです。

只のシャンプーになってしまったのか?

僕のフケ・かゆみの行方は!?

実は、メリットは昔から凄くアンチが多いシャンプーで、曰く「使うとフケだらけになる」とか「洗剤と同じ成分が入っている」など、様々な罵詈雑言を浴びせられていることは知っていました。

でも、僕には合っていたし、リンスインにするだけで効果が無くなってしまっていたので、出来ればそのままの形で販売を続けてほしかった。

きっと時代に合わせてマイルドでナチュラルでスピリチュアル(?)な商品に変身したのでしょう。

文化の成熟とともに製品も移りゆくものだとは思いますが、シャンプー難民になるとは思いもよらない事でした。

悲しいことですが仕方がない。

こちらからは以上です。