松本市城東に中野さんのお住まい和音堂が完成したのは五年前、古い町にとけ込む簡素な町屋建築は源池設計室の初めての松本でのお仕事である。
幼かった初音ちゃんは当時から伐りたてだった一枚のみずならの樹と過ごしてすっかりいいお嬢さんに成長し来春清水中学校へ入学されるが、ほんものの素材を使った建築はよい住み味が出はじめて、時を経てすっかり動きが止まったみずならは装いを新たに彼女と共に再び時を刻み始めることとなる
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「仕上がったので納めにうかがいます」と僕の仕事は一段落しますが、ほんとうは長い時間をかけて樹という素材に加工する人使う人が協力しながら 「いい味になった、いい人間味がでてきた」 などといとおしんだり愉しみながら修繕したり作り替えたりして、古びること、侘びる錆びることでものを作り上げ、そして大切にされてきたものものに人は育まれてきたのですが、これは樹に命があるとしてきた和の意識で、美しく老いるとはこのことではないでしょうか。
それを骨董のような味わい、美しく育った仕上がった、などどいいますが、それにはほんものであることが条件で歴史が刻む傷はありがたい宝物です
「砥草」
砥草の芯を小刀でそぎ、板やゴムやスポンジに貼ります
父の代まで工房の道具は使い古したゆかたや布巾の木綿や麻、わたいれと呼んでいた古いちゃんちゃんこの真綿や和装小物の絹糸、砥草、椋や欅の葉、カルカヤ、馬のしっぽ、松ヤニ、いぼたろう、椿や胡桃の実、米ぬか、古炭・炭灰、燃え残った和ろうそく、卵の殻、飲み終わったお茶の葉、最後は手のひら・笑、とすべて自然物
勿体ない、再利用が当たりまえで廃棄しても土に還って循環する。父は刃物に油綿など使わず髪の油をひいていました(危険ですから若輩者は真似をしてはいけません・汗)
サンドペーパーを使うことが現代の木工の基準となったのは削りとることと、磨くこと研ぐことを混同して効率を優先した文明のたどった道ですが、概して昔のもののほうが美しかったという事実はどのような理由からでしょうか
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『幸田文しつけ帖・みがくつきあい』より転載
(白川先生からいただく)
まず身と蓋をはなして、陰干しにし、風を通したあと、みご等で杢目なりにそっと払う。気長に何日もかけて、軽く払い払いした。かなりましな肌になる。古木綿をかたく絞って、あっさりと撫でる。かわいたままの例のくたくたわらで拭う。わらをあてると、おやと思うほど木の肌に生気がついた。これでもまだ荒れの納まりきらない部分には、むくの葉をかけて摺った。仕上げは裁縫用の象牙のへらで、うすく杢目をたてた。水を使ったのは雑巾を絞った時の一度だけ、石鹸もみがき粉も灰も一切使わなかった。桐はもの柔らかな材、この箱ほもう年寄、老いの身に水ぶっかけられたり、力ずくなことをされれば、死ぬよりはかなかろう、という。だから私は下駄の歯入れやさんにお祝儀をするようになった。父の足駄は繁柾なので、いい柾だから磨いときました、とおじさんはいう。桐との付合いは万事やわらか仕上げである。
家具には堅い材のものもある。けやきの書きもの机、紫檀の食卓、煙草盆、桑の用箪笥など。これらとの付合いは、ただひたすら古手拭を用いていたが、将棋盤などに艶布巾を使うこともあった。艶布巾はもとパイプのブライヤみがき用とかきいたこともあるが、不確かである。生活用品にも、農具大工道具の柄によく堅木が使われていたが、私に最も面白く思われたものは鰹節飽だった。受箱は桐だが、飽は大工道具のあがりで、かしの台。このかしの木の、いつも鰹節にこすられる部分が、なんとも潤沢微妙な色合照り具合でうつくしい。切れ味がいいと鰹節のはうも、桜色で光る。これを磨くといえるかどうか。またどちらが磨き、磨かれたのか。世の中には魚油や獣油でものを磨くことはあるだろうが、飽の台木と鰹節の付合いを見たことはうれしい。
台所には木製のものが多くて、毎度よく磨く。おはち、鍋釜のふた、米とぎ桶、手桶水桶洗桶、狙板、しやもじ、摺粉木、その他いろいろ。それに付合う道具があった。かるかや束子、踪相束子、藁束子、ささら、これらはどこの家の流しもとにも備えられており、使い分けたのである。硬軟ともに植物製だが、私が多く使ったのは藁で、わら束子は自分でこしらえた。
紙やすり、さめ皮、とくさ、むくの菓、いぼたのろう、松やに、椿の実、ぼろ木綿、性抜けの麻布、萎え綿などを道具にして、女たちは家庭内の木との付合いを、なんとかこなしていった。
もちろん自分の手は一番の道具だったし、地から湧く水、空を吹通る風、天から来る熱などなども利用させてもらいはしたが、よくまあこんな貧弱な手立でしのげたものだと思う。いうならば当時の木との付合いは、重宝していますのお礼心を下敷にした、介抱とか介護とかいうところだったかと考える。以上はあくまで当時の家庭一般に行なわれていた、木との付合い常識である。