先週末、小雨の一日でしたが、たくさんの姫紫陽花で有名な神戸森林植物園に行ってきました。
その時の写真に、俳句誌「空」22号に載せてもらった拙文をあわせ、今回は大好きな紫陽花づくしです。
サムネイル版には、生き物が二つ写っています。お時間のある方は、よろしければ拡大してみてください。
珍しい品種もたくさんあったのですが、ここでは少しだけ載せてみました。名前は、来年に期待して下さい。

       


          季節の詩歌(8)~紫陽花~
                  
〈美しき球〉

美しき球の透視をゆめむべくあぢさゐの花あまた咲きたり       葛原妙子

あぢさゐの藍のつゆけき花ありぬぬばたまの夜あかねさす昼     佐藤佐太郎
 

この二首は、紫陽花の大好きな私の愛誦歌である。
十七歳まで住んでいた家の裏庭に、青色の大きく立派な紫陽花が群れ咲くのを、毎年楽しみにしていた。色も形も、私の憧れそのものであったような、あの紫陽花を見ることはもうできないが、これらの歌を知ったとき、あの花たちに会えた気がした。
「美しき球」は、多くの花びら(正しくは萼)からできている。その内部に秘められているものを見たいと、誰でも一度は思うのではなかろうか。優しい色をした花の球がたくさん咲いている情景は、人を夢幻の世界に誘い込むような気がする。また、雨の後の湿りを帯びた紫陽花は、まさに「藍のつゆけき」で、うっとりするような麗しさである。その陶酔境を、二つの枕詞と少ない漢字でゆったりと表現した佐藤佐太郎の歌は、調べも美しい。

雨やみてあぢさゐの藍みなぎれる藍の珠より満ちてくる刻       雨宮雅子

この歌は、冒頭の二首を合わせたような歌であるが、時間の経過がはっきり詠まれており、雨によって鮮やかになった藍色に、強い生命力が感じられる。

               


葛原妙子や雨宮雅子の歌のように、紫陽花の球体に注目して詠んだ俳句や短歌がいくつかある。

あぢさゐの毬より侏儒よ駆けて出よ   篠原鳳作

あぢさゐの毬(まり)寄り合ひて色づけり鬼(もの)籠(こ)もらする如きしづけさ    高野公彦

白紫陽花そこに霊魂あるごとく      鈴木康世

紫陽花のみな玲瓏をもちきたる      広井和之


「あぢさゐの毬」には、「侏儒(こびと)」が隠れていたり、花の集まった暗がりは、「鬼(霊魂・もののけ)」を籠もらせているようであるという。どちらも、見つからないように息を潜めているのだろう。そう思わせる深閑とした気配が、紫陽花の花群にはある。暗い中に浮かぶ「白紫陽花」に「霊魂」があるように見えるという句も、共感できる。最後の句の「玲瓏」という語は、玉の持つ透明感・清澄感を表し、字形も意味も紫陽花にふさわしい。

あじさいの記憶はいつも弟と拾いてバケツに浮かべし花(はな)毬(まり)      花山周子

あぢさゐを小突いてこども通りけり   小野淳子


こちらの歌と句は、子どもの目に映る紫陽花を詠んだもの。色の美しい、大きな球体の花は、子どもにとっても見過ごしできない存在なのである。




〈水を好む〉

しかし、何と言っても美しいのは、雨を受け、生気を取り戻した紫陽花の花である。梅雨時、日当たりの悪い場所で、青色に咲く花の姿は、人目を引き、多くの人を魅了する。アジサイの学名に愛妻「お滝さん」の名を付けたシーボルトもその一人であろうが、次に挙げる歌の作者も、紫陽花に魅せられた一人ではないかと、私はひそかに思っている。

あぢさゐの花の花間(はなま)にやはらかく雨ふりしづむ 夕雨夜雨        高野公彦

あぢさゐの花の内部の青淵にしばし泊てゐむ旅ゆくみづは                高野公彦

きらめきてとき過ぐるなりあぢさゐの毬の持つあめ雫しやすく               高野公彦

あぢさゐの花踏みてゐしほそき雨その雨の音ひぐれてつよし               高野公彦


第一回若山牧水賞を受賞した高野公彦は、海にも川にも近い地域に生まれ育った。氏の歌集名には、「水木」「汽水の水」「水行」「水苑」など、「水」の入った名が多い。紫陽花は、「水」との関わりが深い花であるが、こう見ると、氏の歌に、紫陽花の歌が多いのは、偶然ではないような気がする。
夕方から夜へと降り続く雨が、小さな花と花の隙間に、そっと入り込み落ち着くさまを詠んだ一首目。球体となった花の内部には、やがて水の旅を始める雨の滴が、しばし留まっているのだろうという二首目。やがて雨も上がり、朝の光を受けた紫陽花の毬からは、溜まっていた雨が雫していくという三首目。どれも、水の行方を見守る作者の目が優しい歌である。四首目の歌には、静かな中、紫陽花に降る雨を気にかけている作者がいる。紫陽花と雨への、作者の関心は強く、それは愛情と呼びたいほどだ。

           


紫陽花やはなだにかはるきのふけふ   正岡子規

また雨を呼ぶあぢさゐの色なりけり    成瀬櫻桃子

ゆあみして来てあぢさゐの前を過ぐ    山口誓子


「はなだ(縹)」は、薄い藍色のこと。学名で「水の器」の意味を持つアジサイは、酸性土であれば、水色、縹色、青色、藍色など、青色系統の花が、アルカリ性の土であれば、紅色系統の花が咲く。
二句目の「雨を呼ぶ」色も青色系統であろう。色が変わるため「七変化」などという別名もあるが、もともと「あぢさゐ」の語源は「集真藍」。本物の藍で染めたような色の花が、たくさん集まって咲くことに由来するという。「ゆあみ(湯浴み)」の後のさっぱりした肌にも、青系統の紫陽花が似合いそうだ。

紫陽花の醸せる暗さよりの雨        桂 信子

藍色の花の集まった日陰は、雨を呼ぶ。紫陽花は、水の好きな花だ。水辺の紫陽花は生き生きとして、美しさが増す。梅雨時に咲く花でよかったなと思う。  

天も地もか黒となして雨の降り紫陽花の花水際に咲く                    都筑省吾

紫陽花はおもたからずや水の上      富沢赤黄男

池や川の畔で、水の方へ茎を伸ばした重たい花が、水面に触れそうになっている様子が、目に浮かぶ。

水鏡してあぢさゐのけふの色        上田五千石

水暗しあぢさゐの花映り澄む        野村泊月


静かな水面に映る紫陽花の影も、また青色であろう。見る者の気持ちも、場面と同じ静寂の中にある。

       


〈生き物と〉

紫陽花の花の咲く時期は、生き物たちが活発に活動する時期と重なる。そんな生き物と紫陽花を取り合わせた句と歌を、次に見てみよう。

紫陽花に馬が顔出す馬(ま)屋の口       北原白秋

いのちじめつく紫陽花の咲くあたり       村井和一

曇り日に咲く紫陽花の花の下青年の蛇は埋められゐむ           前 登志夫

紫陽花に吸いつきおりしかたつむり動きはじめて前後が生ず        吉川宏志

紫陽花に雨きらきらと蠅とべり         飯田蛇忽


最初の句には、紫陽花の咲く馬小屋辺りの風景や、生真面目そうな表情の馬と花が並んでいる様子が見える。二句目の「いのち」は、ナメクジだろうか、それ以外の小さな生き物たちもいろいろいそうだ。それらすべての「いのち」を受け止めている作者の姿が伺える。前登志夫の歌も、似たような場所で詠まれているのだが、この「青年の蛇」は、単純に「青年」の年頃の「蛇」と読んでいいのだろうが、さまざまな連想を呼ぶ不思議さがある。これらの句や歌のどれも、花は紫陽花でなければならないと思うほど、それぞれの生き物と花が調和している。
吉川宏志の歌は、目の付け所が面白い。「かたつむり」の進む方向が「前」。当たり前のように決めていた「前後」であるが、本当にそうでよかったのか。丁寧な観察から得るものは多い。飯田蛇忽の句、まだ若い蠅の輝きときれいなさまを詠んで、この季節の生き物の溌溂とした感じをよく表している。



さて、この季節、生き物の仲間である人間は、紫陽花とどんな関わりを持つのだろう。

紫陽花の花を見てゐる雨の日は肉親のこゑやさしすぎてきこゆ       前川佐美雄

紫陽花や親と住みゐる幸不幸      橋本風車

紫陽花や身を持ちくづす庵の主     永井荷風


雨の日は外出がままならず、ゆったり過ごすことも多い。そのおかげで、体や心の疲れがとれ、しっとりとした気持ちになる。そこに親がおり、目に優しい紫陽花が庭に見えるとなれば、現状にどっぷり浸りたくなるのも人情であろうか。こう並べてみると、物語の一つも作れそうである。

森駈けてきてほてりたるわが頬をうづめむとするに紫陽花くらし      寺山修司

過ぎゆくは紺の歳月 紫陽花のめぐりの闇のなまあたたかし        小野興二郎


この二首、ともに紫陽花の花群の暗さ・闇を詠みながら、妙に人間臭いのは、「ほてる頬」、「なまあたたかい闇」という表現のせいだろう。青春の不安感を思い出させる歌である。

           


あぢさゐやきのふの手紙はや古ぶ    橋本多佳子

花の色の変化から、時の移りの速さが思われる。

紫陽花やはかなしごとも云へば云ふ   加藤楸邨

紫陽花のふふむ雨滴を揺りこぼす言はば言葉がすべてとならむ      河野裕子

嘘いくついいわけいくつ吐きて来しくちびるに花花は紫陽花         藤原龍一郎

何ということなしに言ってしまう言葉。しかし、言葉を口にした瞬間から、人は言葉にとらわれる。言葉が真実を伝えきれるわけではなく、かえって、たやすく嘘をついてしまうのも、言葉の怖さである。
言葉と紫陽花の色の、はかなさに思いがゆく。

ほほえみの裾がめくれて退屈な紫陽花が見ゆ陽にふくれつつ           吉川宏志
エミリといふ名にあこがれし少女期あり紫陽花濡るる石段くだる          栗木京子
思いきり愛されたくて駆けてゆく六月、サンダル、あじさいの花           俵 万智


最後の三首は、従来とは違った方向で詠まれた紫陽花の歌である。新しい取り合わせが、紫陽花の別の姿を見せてくれそうな予感に満ちている。