食べたいけど、太るのが怖い
2016/04/28
痩せて綺麗になりたい。
綺麗になって、好きな人にアタックしたい。
綺麗になって、異性にモテたい。
もっと好きな人に愛してもらいたい。
女性なら、一度はこのように考えたことがあるだろう。
自分が幸せになるために始めたダイエット。
それなのに、いつしかそれは自分を苦しめるだけの行動でしかなくなってしまう時がある。
食べたいけど、太るのが怖い・・・。
これは紛れもなく以前の私の心境であり、状況である。
過去の記事でも書いたが、私は過度なダイエットで摂食障害になった経験がある。
摂食障害になる以前のことを言えば、私は自分の外見に全く自信がなかった。
まず、体型。
着る服は常にラージサイズしか入らない。(学生の頃の制服、ジャージは3Lであった。)
それから髪の毛。
クセがひどく朝ブローしてもぼさぼさになってしまう不潔感漂う長い髪の毛。
そして顔。
脂でギトギト、ニキビだらけ。
極めつけに牛乳瓶の底のような分厚い眼鏡・・・。
そんな容姿だからか男子に「キモイ。」と言われて避けられたことも多々あるし、学生時代は自分の机の中に「ブス、デブ、ネクラ」と殴り書きを入れられてしまう始末であった。
ずっと、下を向き歩いている人生だった。
前を向きたくても、人と目が合うのがこわい。
嘲笑われるのではないかと思うとこわい。
避けられるのではないかと思うとこわい。
気持ち悪がられるのではないかと思うとこわい。
自分以外の全ての人がこわい気がした。
だからずっと誰とも関わらず、いや関われず生きてきた。
本当はそんな毎日なんか1ミリも望んでなんかいないのに。
変わりたい と思った。
そんな人生にもう嫌気がさしたから。
もう周りにビクビクしながら生きていくのが心底嫌になったから。
こんな暗い寂しい人生は嫌だ。
毎日笑って生きたい。
周りの目を気にして、自分の行動を制限するのはもうやめだ。
そう決心して、私は外見を変えることに決意したのだ。
外見さえ変えれば、人生は変わると思ったから。
汚かった髪の毛は縮毛矯正をして、髪の毛の色を変えて今どきのヘアスタイルに変えて。(髪の毛のギトギトは歳をとるごとに減ってきた。)
脂でギトギトだった顔は適切な洗顔、保湿をして、ニキビはきちんとケアをして、お化粧もして。(顔の脂も歳をとるごとに減ってきた。)
そして自分を変えるために最も力を入れたことが、ダイエットである。
しかし無茶なダイエットというものがどんなに危険なものかを知らなかった私は、安易に食べる量を極端に減らした。
当たり前だが、みるみる体重は減っていった。
体重が減る度に、着れる洋服が増えていく。
そして思っていた通り、自分を見る周りの目が変わったのである。
それが嬉しくて嬉しくて、私はもっともっと痩せようと思ったのだ。
気がついた時には、私はもう下など向いていなかった。
流行りのヘアスタイル、流行りのメイク、流行りの洋服を着て毎日を過ごす私は幸せに満ちていた。
はずなのに。
私はいつも耐えられないくらいの空腹感を感じていた。
いつも食べ物のことばかり考えていた。
お腹が空いて仕方なかった。
それなのに太るのが怖くて、食べられない。
痩せて可愛くなって、自分のスケジュール帳は友達との遊びやデートの予定でいっぱいにするつもりだった。
それなのに、私はそれができなかった。
何故なら、私はまともな食事ができなかったから。
最終的に私が食べられるものと言ったら、海藻類、ゼロカロリーゼリー、野菜、こんにゃくくらいになっていたのだ。
誰かと会うとなると、ランチやお茶、ディナーはつきものだ。
しかし私はそんなものくらいしか食べられないから、人と食事をすることなどできなかったのだ。
自分が異常なことも分かっていた。
自分がこんなふうになってしまっていることを、誰にも知られたくなかった。
自分が食べられるものは限られていること。
栄養のあるものなどほとんど食べられないから、倒れて病院で点滴を受けていたこと。
その点滴のカロリーさえ確認して、1日のトータル接種カロリーを計算していたこと。
あまりの空腹感で我を忘れ、どか食いし大量の下剤を使い全て出していたこと。
誰にも知られたくなかった。
だから、ずっと欲しかった痩せた体型を手に入れたのにも関わらず、寂しい毎日を送るしかなかったのだ。
誰かにバカにされたり、体型や外見のことで悪口を言われることはなくなったけれども。
今の私はそれを乗り越え、きちんとした食事をすることができるようになっている。
大好きな肉もケーキもチョコレートも、また食べられるようになった。
自分が食べたいものではなくて、カロリー的に食べられるものを口に入れる・・・というような食事の仕方もしなくなった。
大量の下剤ももう必要ではなくなった。
もちろん、それには時間を要したが。
過去の記事でも書いたが、私は摂食障害を克服するために運動を試みたと言った。
体を動かして汗をかくと、少しずつだが自分が食べたいものを食べることがこわくなくなった。
ほんの少しずつ、ほんの少しずつだが時間をかけて、摂食障害を克服していった。
それは言うなれば、一歩前進、三歩後退くらいのペースで。
それは運動する時間が取れれば食事もでき心も安定するが、運動をする暇がなくなってしまうと、再び食事をすることが恐怖心でいっぱいになってしまっていたからだ。
忙しく運動ができなければ、また私はこんにゃくや海藻類を食べ下剤を使っていた。
もちろん心は不安定な状態であった。
体を動かすようになったこの時には人と食事をすることもある程度できるようにはなっていたが、人とご飯を食べ帰宅した際は必ず大量の下剤を使って体重コントロールをすることは欠かせなかった。
まだ十分に克服できてはいなかったのだ。
摂食障害を自力で治すことは正直言って簡単なことではない。
痩せていたいと思う強い願望。
しかしそれとは裏腹に感じる極度な空腹感。
我慢の限界を越え、我を忘れるまで食べる異常な行動。
そのあとにやってくる激しい自己嫌悪、太ってしまうのではないかという強い不安と恐怖感。
食べたことをなかったことにするために自己誘発生嘔吐、下剤の大量服用。
それがエンドレスに続く。
だから、簡単なことではないのだ。
運動を取り入れてみること、それは間違いではない。
私もそのようにして少しずつではあるが、改善していったから。
しかし、それだけでは足りないのだ。
何故なら、摂食障害になっているほとんどの人が「痩せていたい」が根本的な問題ではないからである。
痩せていたい。
太るのがこわい。
でも、普通の食事がしたい。
普通に食べたいものを食べたい。
食べたいけど、太るのがこわい。
一見、これが問題に思えてくる。
だったら、きちんとカロリー消費をすれば食べたいものを食べれるよ。と
いう話になる。
先に書いた、運動をすればいい話だ。
しかし、私のように「痩せる」ことが手段であって、本当の目的は別のことであったら。
私はもうこれ以上誰かに悪口を言われないように、誰かに避けられないように、
もっと言えば、誰にでもいいから愛されたいがために
外見を変えた。
外見を変えれば、私のことを好きになってくれる誰かが現れると思った。
痩せることで
おしゃれをすることで
愛される自分になれると信じていた。
思えば、幼少期から私はずっとひとりぼっちで寂しかった。
自分のことを見てくれない親の役目をしてくれた大人。
愛されたいがために、何でも頑張った。
いつだって愛想良くしていたし
お行儀良くしていたし、変に大人びていた。
勉強だって首席を取るくらい真面目に頑張った。
運動音痴ながら部活も頑張って、アルバイトだって頑張って、
自分のことを好きになってもらいたくて、何でも頑張った。
それなのに見てもらえない。
目すら合わせてもらえない。
評価されない。
自己肯定感なんてものは私の頭の中にはなかった。
何をやっても自分はだめ。
愛される価値も、認めてもらえる価値さえもない。
だからいつも下を向いて歩いてきたのだ。
いつしか愛されない原因を自分の外見が醜いからだと考え始めていた。
そして、それを変えるために行動。
ダイエットは頑張れば頑張るほど面白いほど結果が数字として現れた。
それと同時に皆から褒めてもらえた。
外見も今どきに変えれば変えるほど、他者からも評価してもらえ、それが自分自身評価する材料になった。
外見を変えること。
それは、自分が自分自身を愛せる手段であり、他者から愛してもらうための手段であり行動であった。
だから、私は絶対に痩せていなければならなかったのだ。
自分のことを愛して、そして他者から愛されるための行動をそれしか知らなかったから。
そして、その行動が本当に愛してもらえる行動なのだと信じて疑わなかった。
これが私のダイエットの裏にある認知であったからこそ、たとえ500グラムでも体重が増えたらこの世の終わりのように落ち込むしかなかったのだ。
太る=悪口を言われる
太る=バカにされる、避けられる
太る=愛してもらえない
愛してもらえない=価値のない人間
と思っていたからだ。
だからどんなに摂食障害を乗り越えようと、適度に運動して少しずつ食事ができるようになったとしても、根本的なところは何も変わってはいないのである。
太っている=愛してもらえない=価値がない
この認知はそのままだから。
だから、少しの間は治ったように見えても、ふとした拍子に出てくる。
再発する。
この認知が変わらない限り、その行動はずっと続くのである。
根本的に治すには、やはり自分の本来の問題は何だろうかときちんと考え、それに向き合うことだ。
簡単なことではないけれども。
私はその辛い状況を乗り越えるために、認知行動療法を最もおすすめする。
何故なら摂食障害の背景には少なからず不合理な信念、スキーマが存在し、認知行動療法はそれを改善することができる療法だからである。
ただ単に、今の状況を治したい。
普通に食べられるようになりたい。では根本的な問題の解決にはならないのである。
それは食に飢えているという以前に、愛情に飢えているのだから。