2009年08月17日

 
生まれてはじめて玉子焼きをつくった日のことはいまも覚えている。家族が焼き色をほめてくれた。美味しんぼを読んで大きくなり、セイシュンの食卓とオレンジページで料理を覚えた。作ったものを食べてもらうのがうれしいと最初に思ったのはいつだったっけ?

 

「xxxHOLiC(15)」は物語上でもたいへん重要な節目を迎えていると同時に、いろんな場面で揺さぶられた。四月一日君尋は「気持ち悪くて自分の料理は食べられない」女の人に、一緒におむすびを作ることを提案する。 →「xxxHOLiC15巻、お茶のみ語り。」を読む

ちなみにわたしのおむすびはとってもおいしいはず、と思う。毎日のようにむすびつづけてるから。実家がササニシキ作ってたってのと、子どものころから美味しんぼのおにぎりの回を読んで育ったのと、ただたんにおむすびが好きってのにつきる。ただ無条件にすき。ごはんとお塩だけなのにどうしてあんなにじわじわするんだろうっていつも思う。お酒のみすぎてごはん食べ切れなかった宿のお客さんや、はらぺこの仲居さんのために、きゅっきゅっとむすぶ。にぎる、よりもむすぶ、の語感がすきだ。

いちばん好きなのは塩むすび。シンプルなものほどごまかせないし、単純なつくりであればあるほど飽きない。単品で食べてもおかずといっしょでもいけるなんて素晴らしい、むかうとこ敵なし。子どものころ海苔巻いたおむすびきらいでさー、しなしなにむれた海苔をひん剥いてて母・ふくちゃんにいつも「おかしい子」呼ばわりされたけど、ほらごらん、ここ数年の塩むすびブームを!

ちなみにふくちゃんのみそおにぎりは形が独特だった。俵型の、さらに両端を細くしたような形であのような握り方をする人を他に知らない。写真とかでみたこともない。あれってふくちゃんのオリジナルなんだろうか。わたしがむすぶのはいつも三角だ。自立するから。立ち姿が美しいってだいじなことでしょ。人でもおむすびでもおんなじ。

14巻でおむすびのエピソードが出てきたとき、CLAMPせんせ佐藤初女さんの本でもお読みになったのかなって思った。おむすびっていったら初女さん。初女さんのおむすびはまんまるである。地球交響曲はまだみたことないんだけど、高校のころ監督の本が図書館にあって初女さんと青森にある”森のイスキア”という場所のことを知った。

のちに田口ランディさんや高山なおみさんのエッセイに登場した初女さんはどの文章のなかでも一貫しておなじ空気で、おなじように料理をつくる。「めんどうくさいという言葉がきらいです」「お米が痛くないように、野菜が呼吸できるように」と。


料理は心だと断言するところまで、きっとわたしは一生達せない。もやしを洗うとひげが排水ネットにひっかかってめんどうだなあとか、きのこ類は包丁使わずキッチンばさみでざくざく切っちゃうくらいものぐさだからな。いかに洗い物を少なく作るか(洗うのもしまうのもきらいだから)そしてコストを低くってのをかなり重要視する。食べることは好きだけどエンゲル係数が高いと本とまんがを大人買いできなくなる。ごはん抜いても生きていけるけど、紙の束なくなったらやっていけない。

ひとりめしだともともとがお米好きだから、おかずひとつぽっきりでもへっちゃら。はたから見たらだいぶ粗食に見えるだろうな。「なにたべたの」って聞かれて正直に答えると哀れみのまなざしが返ってきたりする。塩むすびと、もやしとか。ふりかけごはんに、えのきとか。納豆ならおかずいらないくらい。だからなかよしさん以外の人からは料理できなさそうって見られてもしかたないかもしれない。

でもだれかとちゃんとなかよくなりたいって思ったときに、ごはんの存在っていうのは必要不可欠だ。時間がたつにつれていつのまにか薄れがちな記憶をつなぎとめるためにも、大切な指針となる。ひとり暮らしならいっしょにごはんを食べた回数、お茶をともにした回数が、そのまんまわかりやすく親交の度合いを物語る。

あまり物覚えがよいほうではないのでなんでもかんでも関連するつながりを持たせて留めおくことが多い。あの人っていったらこの歌、あの子にはこのまんがを貸した、この作家さんを教えてくれたのはあの人だったな、というように。そうしとけばふとした拍子に芋づる方式に思い出せてまあ便利。とくに料理やおやつに関する記憶は色濃い。

これからやってくるひとの好きなものはなんだっけ。野菜を洗う。刻む。魚や豆腐をくわえて煮炊きする。味をみる。器によそう。ごはんは白めしか、麦入りか雑穀もまぜるのか。お茶は熱いのか冷たいのがいいか。音楽かけて歌いながら、こしらえて訪問を待つ。15巻で四月一日が言うんだよね。



自分の作ったものを人に食べてもらうのは
自分を知って欲しいからで
自分が作ったものを自分で食べるのは
自分を知る為なんじゃないかって思ったんです

もりみめしをご馳走した人はもうただの知り合いじゃないって気持ちがどこかにある。手をかけたものをおなかに入れてもらうって、なんてことないことのように思えるけどけっこうな覚悟がいる。どんくらいかっていうと「自分の持ってる本を全部まるごとお見せしましょうか?」ってくらいの強めの思いきりがほしいところ。そんだから好きな作家や歌い手さんはだあれ?って聞かれること並に「得意料理は?」と聞かれると答えきれない。食材も相手も違うならまったく同じ料理って作れないんだよ。その人がそのとき食べたいものをちゃぶ台に並べてあげたい。

よく男は胃袋でつかめといかいうけど、性別も年かさも関係ない。いっしょに食事するってことは「わたしはあなたといることを愉しみたいです」っていう最高レベルの肯定だ。たちのぼる湯気越しの会話。ご飯と一緒にあなたといる時間を味わいたいです、のみこんで記憶したいんですっていう意思表示。いつ死ぬかわからないんだから、舌もお腹も、気の持ちようさえも一石三丁で満たすんだ。


ちなみに我が家におうちめししに寄る人たちはたいていおやつ持参できてくれるから、食後は洗いものは台所にほったらかして、食卓から動かずのんびりする。ミスドのシェイクのチョコファジを手みやげに寄ってくれた友だち。冬の日に大鍋でどっさり炊いたおでんをつついたあとに、みんなで食べたコージーコーナーは近所の大型ショッピングモールに入ってたんだよね。

そうだ、そしてそのあとたいてい誰も彼も目の当たりにすることになるんだよ。満腹になると突発的に眠気をもよおすわたしが無遠慮に大口あけてよだれこぼして爆睡するのを。否応なしに、逃れようもなく。外食がいやなのは食後のごろ寝ができないからってのが大きい。親しい人がそばにいるなかの満腹気分のうたた寝ほど、気持ちの良いものはないのである。 

わたしは好いた殿方からは寝床などで名前を呼ばれると嫌悪感で鳥肌が立つし、一般受けする愛情表現の言葉なんかはどうも受け付けない。どんぶりめしかっこみながら「おまえのめしが一番だ」って言われてはじめて昇天しそうな勢いでうれしくなる。口だけなら人はいくらでも嘘をつけるでしょ。でも、自分の味覚に合わないものをうまいうまいってばくばくにこやかに食べ続けることだけはできないと思うの。そんな拷問わたしなら耐えられない。それだけに根こそぎ信じられる気がするんだよ。

そら、ごはん食べてくれたからって一生なかよしのままじゃない。とっくに疎遠になってる人も大勢いるさ。でもそんときの食事風景までなかったことになんてできないでしょ。思い出せる、笑ってたことは、ちゃんと。美しい骨に突き抜けた個性をぎゅうぎゅうに詰め込んだ、わたしがとんずらかましたあの人も。本心を隠しつづけて、最後の最後にずっとしんどかったって言っていなくなった人も。いつだって恋多き悩める女だったあの子も、結婚していまはそれぞれの居場所で子育てに励んでるあの子や。

昨夜は五山の送り火はじまったなあ、と時計をみた20時。その後の記憶がほぼとんでいる。最近へんなんだ。夜になるとすぐ眠くなって、起きると朝と夜の境目ばっかりでそのまま起きっぱなし。今日は2時半ころ目が覚めて携帯電話をみたらめずらしくメールがごろごろ届いていた。そのなかに長いこと音信不通だった人からの便りもあった。わたしが唯一悲しい気持ちでべそをかきながらごはんを作ったことがある相手。なんなの、このタイミングの計り方。

泣きながら料理したのは記憶にあるかぎりあのときだけだ。後にも先にもあの日だけにしたい。映画「赤い薔薇ソースの伝説」みたいに、作ったものにはおのずと感情まで転写されるだろうから。もう二度と、意地になって作り上げたごはんなんて食べたくないしご馳走したくもない。そうしなくちゃいけないくらいならしっぽでもなんでも巻いて、とっとと逃げ出してしまえばよろしい。


それにしたってもう40になる大の大人が本文「あ」だけって、あいかわらず小学生みたいなことしよる。「お」ってだけ返信した。目には目を歯には歯を。これ基本でしょ。

人の能みそは快楽を長く保存してくれるけど、痛ましさやにがいにがーい後味だってほどよく残しておかなきゃね。全部まとめて熟成させて、わたしが食い意地を放りなげないかぎり延々と、めしの友たちの記憶を守る手助けになる隠し味にでもなってくれたらいい。

何年もまえのなすびと豆腐のカレー美味しかったっていまでも言ってくれる友だちがいて。初がつおの時期につくる野菜たっぷりのマリネを出す日だけは文句もいわず黙々と食べてた人を思い出し。グッチ雄三をみかければツナチーズ入りのレタス餃子が皿から消えてなくなる速度にびっくりしたのを。カレーに味噌入れるときはどん引きされたのをふりかえり。半額の厚揚げを買えば、もう死んだ人と作ってたべた昆布だしをきかせた煮物をつくる。

人の記憶、料理の記憶、その場に満ちた空気を記憶。糸にこまかなビーズをひとつずつつなぎあわせて、ばらばらにならないようにきっちり糸を結ぶことも忘れずに。