源氏の一人娘、明石の姫君が十一歳になり、その裳着の式の準備に大わらわです。一月の末のこと、公私ともに暇があるので、薫香を合わせることを思いつかれます。古来からのものと今の材料を取り混ぜて貴女らに送り、二種類ずつ選んで調合されるようにと伝えます。源氏も一人こもって、承和の帝の秘法として伝わる二つを作られます。紫の上も厳重に人払いをさせ、八条の式部卿宮の秘伝で調合します。
二月十日に、朝顔の前斎院から、沈の木の箱に足付きの瑠璃の鉢を二つ並べたものが届きました。紺瑠璃には五葉の枝、白い瑠璃には白梅の花を結び、大きく丸めた薫香が入れられています。お返事には紅色の紙に紅梅の枝を添え、お使いの者には紅梅襲の装束を与えます。
たまたま訪ねて来られていたご兄弟の兵部卿宮に、姫の裳着の式では、腰結いの役として秋好中宮にお願いする、と話されます。姫があやかるには、またとないお方であると、兵部卿宮も納得されます。
しめり気のある夕方で、薫香を試すことにします。方々より集められた香を、兵部卿が審判をされます。よく知られた法であっても、それぞれの好みで香りの深い浅いが出るのが、たいへん面白い。
いずれとも決められない中で、朝顔の前斎院の黒方が心憎くく、静かな香りです。侍従香では源氏のものがすぐれて優雅で心惹かれると、宮は評価されます。紫の上が拵えられた三種のうち、梅花香は華やかで今ふうであり、さっと香りが立つ工夫がされて、めずらしい薫香も加わっています。この季節の風にのせるには、これ以上の香はあるまいと、宮はお褒めになります。
花散里の御方は、その中で競うなど煙ほども思われず、ただ荷葉香を一種だけお作りになりました。少し変わったしめやかな香が、しみじみと心惹かれます。冬の御方である明石の君は、季節ごとに定まった香りではかなわないと、薫衣香の調合の中でも前の朱雀院の法をもとに公忠朝臣が特に選ばれた百歩の方を思いつかれましたが、世にないような優美さを集めて素晴らしい。このように、どれをも讃えられるものだから、「八方美人の判者だなあ」と、源氏は言われました。
明石の姫君の裳着の式に備えて、さまざまな仕度が整えられている。この薫物合わせは、最初から準備の一貫として計画に入っていたのではなく、まるでふと思いつかれたように催されています。しかしながら紫の上を始めとする御方々の競い合いは本気モードで、源氏まで秘法を駆使して拵えていますね。つまりこの薫物こそ、式のための最も重要な祝いの品で、贈り物の粋なのですね。
太宰大弐から贈られた薫物の材料では飽き足らず、倉を開けて古いものを探し出されます。そのときに、故院の御代の初めに高麗人が献上した綾、また緋金錦など当代のものとは比べるべくもない素晴らしい織物が一緒に取り出され、大弐の奉った布類は女房らに下賜してしまいます。しかし薫物の材料は、新しいものと古来のものを取り混ぜてオリジナリティを発揮するよう、御方々に依頼された。薫物というのは、そういうことができるんですね。
ところで源氏が倉から出してきた綾ですが、「故院の御代の初めに高麗人が献上した」とわざわざあることで、何か思い出しませんか。そう、故院とは源氏の父、桐壺院のこと。「その御代の初め」というのですから、桐壺帝がまだお若い頃に、高麗人が、という話。ちょうど源氏が生まれた頃、優れた人相見の高麗人が予言したのを覚えていますか。国の親 = 帝の地位に就くべき相だが、そうしてしまうと国が乱れる、とのことでした。それを受けて源氏姓を賜り、民間に下りて来られた。
源氏は子供の数は(冷泉帝を含めて)三人と少ないが、うち二人(冷泉帝を含めて)が帝、あるいは帝の(母)親となります。高麗人の人相見はまったくその通りだったわけです。源氏の一人娘、明石の姫君の裳着の式は、それに続く入内、国母となる道への始まりであることは、すでに皆が承知している。しかも冷泉帝との親子関係が内密である以上、源氏がそれをおおっぴらにできるのは、明石の姫君をもってしかありません。その姫君の成人の儀式に、当の人相見の縁と思われる品が引きずり出されてきたというのは、なかなかの結構でしょう。もちろん源氏はそんなこととは知らず、ただ「昔のものの方が、やっぱ上等だし」と、娘のために夢中になっているだけのようですが。
話を戻して、このような儀式や行事のたびに、洗練された宮廷の文化について論じられる源氏物語ですが、とりわけこの薫物合わせは優雅の極みであり、また薫物そのものも特別に大切な祝いの品であることは前述した通りです。今回は、現代においてはやや馴染みの薄くなった、香りの伝統文化について、少し見ておきましょう。
源氏物語は、その成立においても受容においても、香りとは深い関わりがあります。これから読んでゆく最後の「宇治十帖」に登場する二人の主人公が、薫の君と匂宮と呼ばれるところからも、そのことはよく知られています。そして並大抵の創作者ではなかった紫式部の手に成る以上、「深い関わりがある」ということは「テーマと深く関わる」ということと同義なはずです。
香は奈良時代、そもそもは仏教とともに受け入れられてきました。仏壇にあげるお線香、あれは線状に細くした「香」です。線香臭い、抹香臭いとなんか辛気臭いみたいに言われますが、本来はこの世のものならぬ極楽浄土に繋がるような、素晴らしい香りを仏様に差し上げるものです。この世の食べ物をすでに口にされることのない仏様は、香を喜ばれるということでしょう。
仏様が喜ばれる素晴らしい香りは、私たちをも癒しますね。単に鼻だけでなく全身をリラックスさせ、精神を安定させる効果は最近でも注目されて、アロマテラピーなどと呼ばれます。こうして宗教儀式のひとつの要素であった香は平安時代以降、その効能や快楽の部分を貴族の日常生活に移して楽しまれるようになりました。
宗教というものは極楽や天国を実感させることで信者を獲得してゆくものですから、仏教のほかキリスト教でも、伽藍やステンドグラスの空間と光の効果、またそこに響きわたる音楽など、さまざまな快楽、エンタテインメントの要素が詰まっているわけです。ロック音楽のステージが、たとえ反体制のアンチキリスト的なノリを売りにしていたとしても、それは一種の逆説で、本来的に宗教的な “ ミサ ” に似たところがあるのは、多くのミュージシャンと聴衆に受け入れられています。
ですから香が貴族の生活を豊かに彩るために使われるようになっても、それが本来は仏教的であったことは忘れられはしなかった。宗教的なものとしてあり得るからこそ、人を深く癒し、慰めることもできる。それゆえに薫物は祝いの品のうちでも格の高いものとなりました。どれほど豪華な綾、錦も所詮、庶民が日常で使う「布」の高級バージョンに過ぎません。しかし香は衣食住に欠かせない実用品ではなく、したがって庶民には縁のない、より観念的なものです。
さらに言えば、重要なのは「薫物」という「物体」ではなく、それが生み出す香の空間 = 極楽浄土のメタファーという抽象的なもの、「観念」そのものです。つまり薫物とは、貴族の優雅なお道具の中でも「メタお道具」です。メタレベルで指し示される「観念」とは当然、仏教的な価値観に基づいた美意識ということになります。
さまざまに秘法を伝えながらも、薫香は大きく六つに集約されます(六種薫物)。季節により、空薫物(ルームアロマ)としては、梅花(春)、荷葉(夏)、侍従(秋)、菊花(秋)、落葉(冬)、黒方(冬)。春の御方、紫の上の拵えられた梅花香は、二月という時節に合っていた。花散里は夏の御方として荷葉を一つ、作られた。夏といえば今でこそ激しく、華やかなイベントなどを連想しますが、当時は暑いばかりで暮らしづらく、花も咲かない「夏枯れ」の季節として認識されていたのではないでしょうか。エアコンも、プールも海水浴もないのですから。源氏が侍従を拵えたのは、秋好中宮の代理ということでしょうか。その中宮に、姫君の裳着式の腰結い役をお願いしているわけです。
空薫物のほか、衣装に薫きしめるための衣香があります。明石の君は、その中でも素晴らしい百歩香にされます。冬の空薫物でもある黒方を朝顔の前斎院がお作りになってしまったから、ということもあるでしょう。控えめだけれど賢くて、人には負けない明石の君らしいことです。
第17回で、日本文化における世界観とは四季のめぐりそのものである、といったことが出てきたと思います。覚えていますか。世界観とは、世界全体がどのような姿をしている、どのような原理で成り立っている、という認識のことですから、その文化の根底を支える宗教と密接に関わっている。
一神教の西欧と異なる、日本文化の世界観とは、仏教を根底とする循環的世界観です。仏教とともに根付いた薫香が、世界の循環そのものの四季のめぐりによって分類・制度化されるのは当然ですね。
一方で、衣香は今日の香水と同じ効果を持ちます。ただ、西欧における香水は適度に体臭と混ざることによって、その人固有の香りを持たせることを理想としますが、日本の衣香は体臭を消し、隠す役割もあったようです。体臭の弱い日本人の入浴の頻度は西洋よりも少なかったらしく、しかしその理想はやはり沐浴などで体を清め、そこに香を薫きしめた衣を纏う。西洋の香水もまた香油を用いた宗教儀式から発生したものと思いますが、日本のそれは神道的に身を清め、仏教的な理想を身に纏っているようにも感じられます。まさしく快楽(けらく)、ですね。そのようなことは、もちろん貴族しかできない。中流階級の女である空蝉も、漂う香りによって源氏がやってきたことを察知し、逃げたのでした。
薫香の材料といえば、まず沈香、それに安息香、白檀、丁子、麝香などを主なものとして、さらに没薬や桂皮、大茴香、竜涎香などを加えます。由緒あるレシピで練られた高価な香を居室に薫き、身に纏うことはまさに貴族だけの特権です。
そしてその香りの趣味や薫き方によって人品そのものがうかがわれる。成り上がり者でも高価な品をかたちの上で所有することはできますが、趣味のよい、素晴らしい香りを品よく漂わせることができるのは、人としての格が上でなければならない。仏教で言うところの「上の品」ということです。すなわち薫香は単に階級を示すものではなく、その人間の本性に深く関わっている。源氏物語のテーマが仏教思想に根ざしていることは、宇治十帖では特に明確に示されますが、そこに「薫」と「匂」の名がある理由もまた明確です。人の本性とは「香」るものなのです。
さて、時代が下りますと「源氏香」というものが登場します。源氏物語に出てくる香りは、さまざまな材料を混ぜ合わせた練香ですが、この源氏香というのはそれとは異なります。室町時代の東山文化において、茶道や華道とほぼ同時期に成立した香道で行われる、組香という遊びの一つです。
香道ではもっぱら伽羅、沈香、白檀が用いられます。それら香木の小さな欠片を熱し、その香りを鑑賞したり(聞香)、香りの差異を判別するゲームをしたり(組香)します。つまり練香、薫物合わせのようにオリジナリティを発揮する余地はなく、よい香木を手に入れて披露する、ということが基本です。武士の世の中に広まった芸事として、茶の湯と似たところが多いものですね。
源氏香では、香を五回聞き(香道では「嗅ぐ」と言わず、「聞く」と言います)、どの香とどの香が同じかを当てます。五本の縦棒を香と見なし、同じと思われるものを横棒で繋ぐと、五十二種の組合せの図ができます。源氏物語五十四帖の最初と最後を除いた五十二帖に、このそれぞれの図を与えたものを「源氏香之図」と呼びます。
ここまでの説明で、どうもピンとこない、という人もいるでしょうね。そうです。香道における源氏香の遊びというのは、源氏物語の内容とは、本質的になんら関連性がありません。それもそのはずで、時代が下って成立した香道は武家社会や禅宗をバックグラウンドに持つので、源氏物語に登場する薫物とも、薫香が象徴する密教(法華経)としての仏教とも、直接は結びつかないのです。
ただ、面白いのはこの「源氏香之図」が「源氏香」とも呼ばれ、文様として定着していったことです。それぞれの巻の内容から、時節や吉兆を示す記号でもあります。
香りという取りとめのないものを把握するには、この記号化は欠かせません。以前、私も一度だけ香道のお席についたことがあり、そのときたまたま三種の香を当てることができました。気をつけていたのは香を聞いたとき、その味わい(六国五味 = 伽羅、羅国、真那伽、真南蛮、佐曾羅、寸聞多羅からもたらされる辛・甘・酸・鹹・苦)を、自分のイメージでできるだけ言語化することです。さもないと香を聞いた瞬間の鼻の記憶はすぐに消え去り、次の香と区別はつきません。
「源氏香之図」が「源氏香」と呼ばれるとは、すなわち記号が香りそのもの、ということでしょうか。いずれこのように香りはテキスト化を求めるものなのですが、文学(テキスト)もまたその価値の本体は「香気」であると言われます。「文体」であるとか、「思想」であるとか、ようするに文学という「人の為すこと」のエッセンスという意味で、人の本性が「香る」ものなら価値のある文学もまた「香る」はずです。
薫物合わせの後には、月が出ましたので御酒を運ばせて、源氏と宮は昔話をはじめます。明日、侍所で管弦の御遊びがあり、その準備であちこちから面白い音が聞こえてきます。夕霧が横笛を、内大臣の息子たちが挨拶して帰ろうとするのを呼びとめ、頭中将(柏木)に和琴をさせると、弁少将が拍子をとって「梅が枝」を謡います。宮も源氏も謡い、そう大仰なことのない、趣のある夜の管弦のお遊びになりました。
形のない、抽象的な芸道ということで、香はもちろん音楽との関連も認められましょう。「香を聞く」という、後世の優雅な物言いもそれを示していると思います。この自然発生的に始まった、さりげない音楽の宴は、香りの余韻として申し分のないものです。
明石の姫君の裳着は、立派に執り行われます。中宮を腰結いとされたのも、入内の予定を踏まえてのことです。東宮の御元服もほぼ同時になされましたが、他の貴族たちは源氏に遠慮して娘を宮仕えさせようとしません。「それではいけない。後宮は大勢がいる中で、わずかの寵を競い合うのがよいのだ」と、源氏は明石の姫君の入内を延ばします。余裕ですね。
左大臣の三女に続き、四月に参ることになり、そのお道具のデザインは源氏が自ら指示して磨き整えます。草紙の箱に入れるべきもので、いずれ本になるような手習いの見本も用意します。書の大家が書かれたようなものも、たくさんあります。
「何もかも昔より悪くなっていく末世だが、仮名文字だけは、はかりしれなく発展したものだ」と、源氏は紫の上に言われます。現代がネット文化の発展期なら、当時は仮名文字=国風文化の発展期だったのですね。
源氏は、昔よりもずっと優れた仮名文字を書く、その頃の女性たちを論じはじめます。源氏自身が仮名を熱心に習っていた頃、難のない手本を集めていたが、六条御息所の一、二行さらりと書かれたものを入手して、素晴らしいと心酔してしまった。そんなところから浮名を流すことになり、六条御息所もさぞ残念に思われただろうが、娘の中宮を後見しているので、彼岸では誠意をわかっていただいたろう、などと。仮名文字の手から始まった恋、とはなんと優雅なことでしょう。
「中宮は細やかで趣きがあるが才気に欠ける、藤壺の手は深く優美であったが、少し弱くて華がなかった、朧月夜は名人だが洒落すぎて癖がある」と続きます。ともあれ朧月夜と、朝顔の前斎院と、あなた(紫の上)は当代の上手だろう、と誉めます。「謙遜しすぎてはいけません。やわらかな、とてもよいところがある。漢字がちになってくると、仮名が頼りなくなるという欠点がありますが」と。
これらのコメントは、やはりどこかその人の本質を突いているような感覚を与えますね。その人の書き文字に性格を読み取ることは現代でも、占い師からFBIまでやっていることです。手(文字)が人のエッセンスとして本性が窺われるとしたら、これもまた香りと共通するものがあります。
源氏はまだ書かれていない無地の草紙も綴じさせて、表紙や紐を念入りに選びます。兵部卿宮、左衛門督などに頼み、自らも書くつもりです。彼らも腕に覚えがあるだろうが、私だって、と自慢しています。物語の主人公である源氏が、自ら白紙を用意し、他の男性たちとともにエッセンス=本質を跡として残そうとしているのは、自己言及的です。さまざまなところへ依頼し、自身も寝殿に籠もって熱心に書きます。薫香を拵えていたときの姿と重なり合いますね。
兵部卿宮ができたものをお持ちになります。予想以上の素晴らしい出来映えです。左衛門督のものはあまりよくありません。互いに見せ合いますが、源氏は、女君のものはたいてい隠しておしまいです。夕霧のものは難波の浦に通じるように水を豊かに描き、歌を散らした澄んだ調子のものから、奇岩のたたずまいと見合った文字を並べた紙もあります。芸術家肌の宮は、見飽きることがないようです。
源氏と宮のお二人は、書のことばかり語り合います。宮は邸から所蔵の手本を取り寄せます。嵯峨の帝が『古万葉集』から選んで書かせられた四巻、延喜の帝が『古今和歌集』を巻ごとに書風を変えてお書きになった華美なものなどを二人でご覧になり、宮はそれらを明石の姫君に贈ります。
この頃の源氏は、ただ仮名文字の評価に熱中し、名手と聞く人を上中下の階級にわたって、それぞれに相応しいものを書くよう依頼されます。箱の中には特別に人柄のすぐれた者や品格の高い手を選んでお入れになります。若い人々は、宝物のような姫のお嫁入り道具よりも、この箱の墨跡を見たいと願っています。源氏はしかし、あの須磨での絵日記は、まだ姫には早い、と加えずにおくのでした。
須磨の絵日記と言えば、明石の姫君が生まれることになった経緯そのものですものね。その根源、ルーツはあまり早々には目に晒さない方がよい、ということでしょう。
ところで世の若い人々は、なぜこの箱の書をそれほど見たがったのか。つまりは源氏が愛娘に贈った最高のものは、目に見えるお道具、どのような宝物よりも、まず薫香と仮名手本だった、ということです。いずれも先ほどから述べているように、人の本性=エッセンスであるところのものですね。それを源氏は、何よりも娘に贈りたかったのです。
そうしますと、その箱に特別に選ばれて入った墨跡は、「人のほど、品分かせたまひつつ」とあり、「身分や家柄の高い者だけを選んで」という解釈が多いようですが、疑問ですね。もしそうなら、その前に「上中下の人びとにも」と、身分を問わず書かせた意味がなくなる。もちろん、あまりに下賤な者は、その育ちから「人のほど」(=人柄)もへったくれもなかったでしょうが、少なくとも文字を書き、名手と呼ばれるぐらいの身分ではある人々です。ここでの「品」は階級よりも仏教的な「品」、いわゆる人品にウェイトが置かれたのではないでしょうか。
つまりその箱には源氏の選で、人の本性=エッセンスであるところの墨跡が収められている。それは最大の権力者、源氏の本音の評価である。だからこそ若い人たちが、どんな宝をおいてでも見たがった。そういうことだと思います。
そのようなものを「箱」に集めるということは、突飛なことではない。ここにも出てきている『万葉集』も、天皇から防人・遊女など庶民まで、身分にとらわれず名歌を選んだものですから。
優秀な創作者は、学者先生や一般読者が想像する以上に、自己の作品について隅々まで把握し、計算しているものです。兵部卿宮から姫君へプレゼントされた『古今和歌集』については、それに相応しい華麗な装丁が詳しく描かれています。が、それとともに何の描写もなく、『古万葉集』が贈られたのは、万人が見たがった源氏の「箱」の選への伏線と考えるべきでしょう。
そしてここで現れた「上中下」という言葉は、源氏物語の第二巻で、前半の目次の役割を果たす「帚木」における重要な概念でもありました。その上中下の身分制度を越え、女は自身の本性によって運命が変転し、切り開かれてゆく。明石の姫君の母、明石の君はまさにそういう女性でした。
そもそもですね、「上中下」などというスタティックな制度を示す概念が出てきたら、それが「無化される」とか「ひっくり返る」とか、「乗り越えられる」とか、そういうダイナミズムを生む力学を作り出さないかぎり、「文学」は成立しないのであります。それは平安の昔だろうと、現代文学と何ら変わらない。だって、そうでなかったら面白くないし、読者がついてこない、と紫式部も考えていたはず。
さて源氏の娘、明石の姫君がこのように華やかなお仕度をされているのに対し、内大臣は心穏やかではありません。雲居の雁はいまだ結婚が決まらず、夕霧の方は焦る様子も見せません。あのとき許してやればよかった、と後悔しておられますが、思い切ってこちらから切り出す踏ん切りもつかないのです。
夕霧の方は初恋の人を忘れることなく、ときに情のある文を送っています。ただ、内大臣家の女房たちに身分が低いのを侮られたことが忘れられず、まずは出世しなくては、と考えているのです。源氏はそんな夕霧を呼びつけて、いつまでも身を固めないのはよくない、見込みのない女を引きずっていても、結局つまらない女に引っかかるとか、賢い人も女のことで失敗することはよくあるのだとか、こまごま説教します。
そのうちに夕霧に縁談があるという噂を耳にして、雲居の雁はひどく悲しみます。そんな噂のことなど知らない夕霧は、雲居の雁からの返り文を読んで首を傾げます。韓流ドラマも真っ青の典型的なすれ違いですね。
香り高い「梅枝」の巻は終わり、この通俗で現実的な恋と結婚の話が次巻に続きます。
(第23回 了)
小原眞紀子
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■