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告示
技術・技法
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成形は、ろくろ成形、押型成形、手ひねり成形又は「たたき成形」によること。2
素地の模様付けをする場合には、線彫り、印花、はり付け、浮彫り、イッチン又は飛びかんなによること。3
下絵付けをする場合には、手描きによること。この場合において、顔料は、呉須又は「茶呉須」とすること。4
釉掛けは、浸し掛け又は流し掛けによること。この場合において、釉薬は、「透明釉」、「青磁釉」又は「天目釉」とすること。5
上絵付けをする場合には、手描きによること。原材料
使用する陶石は、「砥部陶石」又は「高野川陶石」とすること。
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作業風景
焼きもの作りは、主に「土作り」、「成型」、「施釉と装飾」、「焼成」の工程に分かれます。ここでは主に砥部焼の「土作り」と「ろくろ成型」を中心に紹介します。
工程1: 土作り~採石から陶土作りまで~
砥部は中央構造線の上にあるので、地質的に磁器の材料となる陶石に恵まれています。掘り出された陶石は洗浄、選別して、粗悪な部分をハンマーで割って取り除きます。明治期の最盛期には水車が50基あり、杵で陶石を砕いていました。今でも現役の水車が一軒の窯元に残っています。杵で陶石を砕くと、いろいろな大きさ、形の粒子ができ、陶土に粘りが出るといわれています。砕いた陶石は水槽の中で比重分離して精製されます。これを水簸(すいひ)といいます。また、この間に磁石で鉄分を取り除きます。水分を搾り出して、長石、粘土などを配合して陶土ができあがります。現在は、ボールミルによる砕石が一般的です。原料陶石より固いフランス玉石と、砕かれた陶石と水を加えて、25~45時間かけて砕きます。粒子状になった陶石をフィルタープレスにかけ約2時間圧縮、水分や砂、酸化鉄など不純物を取り除いて陶土を作ります。
工程2: 土作り~土練り~
できたばかりの陶土は固さにむらがあって粘りが少なく、また、密度が低くて、空気が入っているので、このままで焼くと穴が開いてしまいます。そこで、真空土練機で土を均質に練り上げてから成型に入ります。この土練りもかつては手作業で行われていました。練り上げられてできるしわが菊の花のようになるので菊練りと呼ばれます。菊練りの修行には3年かかり、マスターするまでろくろ成型はさせてもらえなかったそうです。
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工程3: ろくろ成型
砥部焼は、ろくろなどで手造りで成型されるので暖かさが生まれます。砥部では昭和30年から電動ろくろになりました。砥部の土は固く、また、土の腰がなくなるので余り水をつけずに成型するので力がいります。まず、土をろくろに置き、両手で叩いて、土が中心にくるようにします。ろくろを回しながら、両手のひじを固めて土を押さえ込み、土を上げ下げしながらよく練り、ろくろになじませます。これを土殺しといいます。そして成型に不必要な土を取って、くびれをつけながら成型します。これを土とりといいます。成型には、こて、へら(器の曲線を整える)、とんぼ(器の幅や深さをはかる)、なめし皮(ふちを仕上げる)、シッピキ(成型したものを底から切り離す)、トースカン(器の高さを測る)、最終工程の削りではカンナなどの道具を使います。ろくろの修行には10年かかり、職人の指先がすべての仕事です。
この他、砥部では手びねり成型、石膏型に粘土を流し込む鋳込み成型、ひも成型、たたら成型なども行われています。
成型後、生乾きのときに彫刻などの装飾をほどこしこともあります。その後、水分が残っていると素焼きで亀裂が入ることがあるので、天日や余熱利用で十分に乾燥させます。画像をクリックすると動画が再生されます
工程4: 素焼き
絵付、施釉をしやすくするために素焼きを行います。砥部では昭和40年ごろから電気窯になりました。窯に入れてから、18時間かけてゆっくりと950度まで上げ、1~2時間そのまま焼いて、最後は少しずつ下げながら、900~850度まで下げて止めます。素焼きは重ねて焼くことができるので、本焼より多く焼くことができます。
工程5: 下絵付
ほとんどが伝統的な手描きで1個ずつ絵模様を付けていきます。呉須という鉄分を含んだ顔料で描くと、本焼後には砥部焼の特徴である藍色になります。さらに、微妙な色やさまざまな色を出す時は、一度本焼した後に色絵付をして約800度で焼き上げます。
工程6: 施釉
下絵付をしたものに1ミリから2ミリの厚みで釉薬をかけます。釉薬の材料は陶石、石灰、木灰。このことで本焼後に表面にガラス状の光沢ができます。
工程7: 本焼
1300度で15~24時間かけて焼き上げます。一昼夜十分に冷ましたあとで窯出しをします。砥部では昭和43年ごろからガス窯になりましたが、それ以前は、松を燃料にした登窯で、一週間かけて焼き上げていました。
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クローズアップ
地元の砥石のリサイクルから生まれた砥部焼
愛媛県松山市郊外の砥部町は四国一の焼きものの里。江戸安永年間、今から220数年前に大洲藩が財政建て直しのために特産品の伊予砥(砥石)の屑を利用して磁器の開発を始めたことが砥部焼の始まりである。
砥部焼の歴史
砥部の焼きものの歴史は古い。6~7世紀の古墳時代には須恵器などの土器が作られ、江戸時代に磁器作りが始まるまでは陶器が作られていた。砥部一帯は有田、天草などと同様に中央構造線の上にあるため磁器原料の陶石に恵まれている。地元産の陶石と、山の傾斜を利用した登窯、豊富な松を燃料にして磁器作りが盛んになり、今でも約90軒の窯元が軒をつらねている。
ろくろを回して壷を作る酒井さん
手造り、手描きと実用性が砥部焼の魅力
砥部焼は、ややグレーがかった白地に、呉須(ごす)の藍色でシンプルに描かれた文様など、素朴なデザインが特徴的。手造り、手描きの味わいと民芸風のやや厚めで実用的なデザインが広く受け入れられ、生活に密着して愛用されてきた。昔の砥部焼作りは大人数での共同作業だったが、今では、機械化や電気・ガス窯の導入で家族的な生産が可能になり、職人の手作業で花器や食器などさまざまな日用雑器が作られている。
まだ柔らかい表面に椿を彫る
弱点を生かす職人の創意と工夫
「砥部焼は厚いといわれますが、薄いものも多いんです。」と語るのは砥部の陶芸家酒井芳人さん。砥部焼が厚い印象なのは、磁肌が白く、よく光を透す有田焼などに比べ、砥部焼は、原材料の陶石が鉄分などを多く含むため真白にならず、光をあまり透さないためだ。「白さでは他に太刀打ちできないが、弱点を与えられたものとして生かしたい」と考えた酒井さんは、独自の釉薬を研究して水みずしい淡い青白の磁器を作って30年になる。酒井さんに壷作りを見せていただいた。酒井さんのろくろは、熟練を要する独自の片手造り。わずか10分ほどの間に土の塊から壷を作り、まだ柔らかい素地の上に、陶画師だったお祖父さんの黄楊のへらを絵筆のように使い椿を彫る。凹んだ椿を膨らませると、磁肌に一輪の椿の花が咲いた。凹凸のある立体的な装飾も酒井さんがろくろによる手造りを生かしたいと長年考えて工夫したものだ。
酒井芳人さんの作品
砥部の開かれた風土
酒井さんがろくろを始めたのは30代になってからで、当時、若手職人たちと勉強会「陶和会」を作り、ろくろ技術を学んだ。無形の土から自分の思うように形が作れるようになると面白くて仕方がなかったという。生業としては十分な技術を持っていた酒井さんだが、20代は陶石に彫刻したり、前衛的なデザインの焼きものなど試行錯誤を繰り返していた。昭和50年、酒井さんは日本陶芸展で入賞、砥部焼の名を広く知らしめたが、当時残した言葉は「売るだけでは悔いが残る」というものだ。「砥部焼は土着的ですが、隠しごとをせず、互いに教えあい、よその人が来ても受け入れるのが砥部の風土です。」と酒井さん。砥部には誰でも窯元に立ち寄れ、気軽に覗かせてくれる雰囲気がある。
砥部焼のこれから
「焼物は使ってもらって楽しんでもらいたい」、「生活の中に自然に溶け込んでゆく砥部焼をつくりたい」と語る酒井さん。飽きがこなくて、愛らしい暖かみのある砥部焼が念願だ。今後の夢を尋ねると、「地場産業としてもっと振興していってほしい。そして若い人たちには先人たちの努力をもとにもっと砥部焼を発展させてほしい。」と語ってくれた。砥部では若い後継者が多く、今でも酒井さんたちが始めた陶和会の活動は続いている。若い人に期待していると語る酒井さんだが、今でも創作にかける若々しい情熱を感じた。
彫られた椿の青白の陰影が美しい
職人プロフィール
酒井芳人
昭和6年砥部生まれ。
陶画師であった祖父酒井如雲に師事して陶芸の道に入り50年。ろくろ技術で伝統工芸士に認定されている。こぼれ話
砥部では自然の中に焼物の歴史が楽しめる
障子山と砥部川の流れに抱かれた砥部は、自然と共に焼物の歴史が楽しめます。砥部は京都や有田と同じように、日本の中央構造線の上にあるため磁器の原料の陶石に恵まれています。その中央構造線は天然記念物・砥部衝上(つきあげ)断層公園の砥部川の両岸でみることができます。今では公園になり、人々のやすらぎの場所。自然が豊かな金毘羅山の水満田古墳公園では、7世紀の古墳群や須恵器などの土器が多数見つかり、再現された古墳や埴輪窯、竪穴式の住居などを見ることもできます。また、古代から全国的に有名だった伊予砥の採石跡が砥石山公園。その砥石屑の再利用から砥部焼の開発が始まりました。砥部焼は砥部の人と自然が作り出した私たちへの贈り物です。
水満田古墳公園
天然記念物・砥部衝上(つきあげ)断層公園