・「不食」が霊的に他人より優れているわけではない

バシャール   
    不食をすると、腸のプロセスが変わります。
    私たち(の星で)も食べませんが、体内のシリコンの割合が増え、それによって地球の電磁場から栄養を摂れるようになると、腸は機能停止に入ります。つまり腸の中がどんなことになっていようと、もう関係なくなるのです。ですが不食をする人の何割かは正しい不食ができていないので、今後、もの凄く飢えて栄養失調になり、再び食事しなければならなくなるでしょう。

   太陽の光を食べていると言う人もいますが、それも可能です。
   太陽光線と地球の電磁場の相互作用によって、電磁場が増幅します。ですから太陽光線を直接食べているというよりは、太陽によって増幅された電磁場経由で食べているのです。それは植物が光受容体を通して、クロロフィル(葉緑素)をエネルギーに変えるのと同じようなことで、それがある程度あなた方の体で起きることが可能です。でもそのためには細胞が適応していかなければいけません。似たような効果をシリコンがある程度果たしています。

   エネルギーの吸収方法が変わると、当然、腸の在り方が変わってきます。
   つまり腸内の微生物も、不食によって除々に別のありかたに適応していきます。その結果、腸は新しいエネルギー吸収を、新しい方法で行なう別の臓器になっていきます。たとえば、私たちには腸がありません。エネルギーを違う方法で吸収することができるからです。ですが臓器がまったく変わるためには、実際には幾つもの「世代」を経る必要があります。

食べないことが、霊的に他人より優れているわけではない

   食べるのをやめてみて、不食になるべき人であれば空腹を感じません。
   空腹を感じる人は、不食になる人ではなかったということです。ですが、そもそも不食になることが決まっているのであれば、自分で努力しなくても自然にそうなってしまいます。何となく食事したくないと感じて、なおかつ、食事をしないでいても、エネルギーがたくさんあるという体験をするようになります。

   ただし、不食をすることが、霊的な面で他の人と比べてより優れているということではありません。食事をする人の中にも、当然、不食の人よりも波動の高い人がいます。ですから不食がどうこうではなく、その人がどうかということなのです。

   あなた方のこれまでの常識とされるものに、病気になったら「食べて治す」という考え方がありました。食べる量を減らせば波動が上がるのは確かですが、それが万人にとっての絶対的なルールということでもありません。ですが現代のあなた方が口に入れている食物を見るとき、私たちはデトックス(毒抜き)することをお勧めします。年に1~2回は、体を徹底的にデトックスすることです。それに加え、日頃からできるだけ自然のもの、オーガニックのものを食べることが重要です。それも可能な範囲で。

あらゆるすべての存在が、「大いなるすべて」の一つの側面

   私たちは「大いなるすべて」においてひとつの意識を共有しつつも、それぞれの個性を持っています。たとえば何かを見ている時には、「私」という観点から見た経験をしているのです。他の人も当然、その人の観点から見た経験をしています。つまり、高い次元では私たちは全員がひとつですが、その「ひとつ」がいろいろな「個」を体験することを選んだということです。

   ですから、「わたし」の意見と同じだけ、他人の意見は重要で価値があります。
   なぜなら「他人」と高い次元における「大いなるすべて」は同じであり、それと同じく、「大いなるすべて」と「わたし」は同じだからです。そしてこの現実でどのようなことを体験するにせよ、あなたがあなた自身を「大いなるすべて」として体験しています。

   さらに肉体次元における「わたし」も、自分を「大いなるすべて」として体験しています。同じように、周りの他人という彼らは、彼ら自身を「大いなるすべて」として体験しています。そしてすべての体験は、いつでも個々の観点を通して行なわれるので、個の観点が失われることはありません。

   それが、すべての人にあてはまることです。
   「わたし」の意識と「大いなるすべて」の意識は同じものであり、「あなた」の意識と「大いなるすべて」の意識も同じものです。そして私たち全員が、「大いなるすべて」なのです。つまり私たちは、「The One」、「たったひとつのもの」の反射でしかありません。この「The One」が、いろいろな観点からさまざまな体験をしているだけなのです。ですから、すべては「The One」の一つの側面です。

自分に起きた現実を自分のものにする

   エゴは、「すべてがコントロールできている」ということを知っています。
   でもネガティブなエゴは、すべてがコントロールできているということを知らないので、コントロールしようとしてしまうのです。ですからエゴがコントロールしようとしている、というよりは、ネガティブなエゴがコントロールしようとしている、ということです。

   起きたことの意味が「わたし」にはわからなくても、「起きたことには必ずポジティブな意味がある」という理解でいると、必ず何らかの学びや恩恵を得ることができます。それがたとえ、どんなにいやなことであったとしてもです。それを「良い」「悪い」と定義づけるとしても、本来起こる出来事はすべてニュートラルであって、それ自体には意味はありません。

   あなたは、物質次元で人生を送ることを、あらかじめセットアップしてきました。ただその人生をどう体験するかについては自由意志があります。なぜならあなたの意思は、そのまま「大いなるすべて」の意思だからです。あなたは「大いなるすべて」のユニークな一側面ですから、「大いなるすべて」はあなたの決定に反対することはありません。

   なぜなら、あなたの自由意思はあなたのユニークさに沿っており、「大いなるすべて」はそれを「あなた」として経験したいと思っています。ですから「大いなるすべて」の自由意思とあなたの自由意思は同じであり、矛盾はありません。それをあなたのネガティブなエゴが「こんな現実は選んだ覚えがない」と言うとしても、それでも選んでいるのです。自分がネガティブな現実を選んだことを、ネガティブなエゴが否定しているだけです。

   それがたとえ無意識的な選択であったとしても、自分の人格から生まれたものです。その状況を変えるための最初の1歩は、まず、自分がこの現実を創造したことについての責任を引き受け、自分のものとして対処することです。つまり、自分のものにするのです。なぜなら、自分のものにできないものは変えられないからです。


「悟り」とは存在の本質を見ること

   あなたは意識から生まれ、意識によってできており、意識として常に存在します。
   存在しなくなるということは不可能です。つまり、完全に意識がなくなるということはあり得ないのです。

   1人ひとりは、「大いなるすべて」が表現されたものなので、その表現を自分に許すことは、自分の本質にゆだねているのと同じことです。だから自分の本質にゆだねると「悟り」が起きるのです。「悟り」とは、「あるがままを見る」ということです。物事をありのままに見る、それが悟りです。それは存在の本質を見ることです。

   すでに何度もお伝えしてきましたが、自分が最も情熱を感じることを、力の限り行ない、結果に執着しないことです。すると自然に存在の本質が見えるようになり、悟りに近づけるでしょう。なぜならば、最も情熱を注げることをしている時、自分の本質に正直になっているからです。自分の本質に正直でいる時、創造との調和がとれています。

   創造と調和している状態における悟りとは、物事の見え方であり、物事をより明確に見ることができるでしょう。それはたとえば、山の頂上からの方が、山の麓や谷からよりもより遠くまで見渡せるのと同じです。それが悟りです。ですから地球では、悟りが山頂にたとえられることが多いのです。

   今、地球にいる人がすべて悟るというわけではありませんが、そのうちいつか、地球上のすべての人が全員悟っているという地球が誕生します。悟らないという選択をした人たちは、自分が選んだバージョンの地球、つまり彼らのパラレル・リアリティで暮らすことになります。私の星では全員が悟っています。

   奇跡とは、本来は物事の自然な秩序のことを言います。
   それは物事の自然な姿なので、本来、あなた方が思うような不思議という意味での奇跡というものはあり得ません。奇跡こそが、本来の自然な状態なのです。今も、この地上では毎日のように奇跡が起きていますが、ほとんどの社会ではそれが起きないよう、気づかないよう抑圧されています。本来なら奇跡は、もっともっと起きていいはずなのです。


      『その名は バシャール』 さとうみつろう著  VOICE

                           抜粋

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