浄流寺ブログ 真宗大谷派 坂下山 浄流寺 (住職:北村雄平)
| 2013-08-20 Tue 00:44 このお盆シーズンは、教員免許取得のために介護等体験に行ってきました。 岐阜県内にあるその福祉施設には、知的、精神、身体障がい者の方々が大勢いらっしゃいました。 下の世話や入浴など、専門の知識や技術がないとできない事以外は、なんでも何でも体験させてもらいました。 その中でも、最も時間を割き重要だった仕事が、利用者さんとのコミュニケーションでした。 ただし、コミュニケーションとひと口に言っても、相手は重い障がいを背負う方ばかりで、みんながみんな普通に会話ができるとは限りません。手振り身振り、あの手この手で要求を探り当て、お手伝いさせていただきました。 教員免許取得の為の体験実習だったわけですが、学校の先生になる為というよりは、僧分として考えさせられる事の方が大きかった気がしています。 先天性の脳性麻痺を患うある60代・男性の利用者さんは、自分の居室に転落院を招き入れ、ちょっとした雑用を頼んだ後に、かろうじて聞き分けられるほどの声を絞り出すように語ってくださった。 「僕は明るく生きていきたい。でも、ココの職員は些細な事ですぐ僕を叱りつけるんだ。」 転落院は、 「いやいや、僕こそ何にも知らないし、できないし。上手にお手伝いできなくてゴメンね。」 すると、その利用者さんは、僕の発言を鼻で笑い飛ばすように、でも真剣な目でおっしゃった。 「上手にやってくれなくてもいい。温かい心で接してくれれば。。。」 麻痺で首が90度に曲がっているその利用さんは、どんな動作をするにも一言声を発するにも息のタメが必要でいかにも苦しそうなのだが、そのせいか数少ない言葉の中には強いメッセージが込められてるようにに思えた。 その後にも一生懸命に、ホントに一生懸命に自分の思いを語ってくださった……。 転落院は僧分なので、お説教という仕事もします。話す対象はお年寄りが多いせいか、 「人間も生身のカラダを生きてますからね、老いて、病んで、死んであたりまえなんです。」 こんな定番な話をすることも多々あります。確かにこれは真実です。絶対の真理です。 しかし、そんな現実を突きつけられるよりも、 「あなたはひとりではない。私がついているよ。少しでも痛くないように、苦しくないように…」状況、状態によっては、そんな優しい気持ちを欲している人も間違いなくいるという事がうかがえます。 仏様の弟子たちへの指導方法は、2種類あります。 折伏<シャクブク>と摂取<ショウジュ>です。 『折伏』は厳しい態度で相手の間違いを叱り飛ばす。それに対し、『摂取』は優しい態度で相手を丸ごと包み込みます。 どちらも大切。どちらも正しい。 しかし、どちらも適切な使い分けができなければ、相手を叩きつぶしたり甘やかしたりして本末転倒なことになってしまいます。 どうやってその“適切”を判断するのか? 正直、転落院にはまだはっきりとした根拠を提示できません。 これは完全に転落院の持論になりますが、人間にとって最も怖い病気は癌もエイズでもない。 人間にとって最も不幸な事は重いハンディキャップを背負い難儀な生活を余儀なくされること? んー、そうでもなさそう。 人類にとって最低最悪の慢性疾患、不幸な事=「無知」・「無関心」・「鈍感」 こーゆーのが適切な判断を狂わすのかなぁって、、、そんな気がしています。 転落院の最も大切な友人の一人、正確にはその娘さんが、そんな人間の慢性疾患と、なんだか聞き慣れない難しい病気に苦しんでいることを、奇しくもこの体験実習を終えてから知りました。 「抗NMDA受容体脳症」 少なくとも転落院は初めて聞く病名でした。治るのかそれとも治らぬのか、それすらもよく解りませんが、とにかく珍しい難病だそうです。 突然、発病したこの病気と、「???」と思えるような病院と医師の態度に四苦八苦する闘病記がネット上にあります。 http://homepage2.nifty.com/~sakura2001/taikenki/sa/sa_top.htm |
| 2013-07-10 Wed 23:54 |
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