「テマヒマ展」のオープニングトークでマイクを手に、来場者に東北の文化を紹介する岸本さん。
「山形県の飛島という離れ小島から2日かけて参りました。海や山に囲まれた東北から高層ビルが立ち並ぶ東京へ来ると、いつもながら驚いてしまいます」

東京・六本木の「21_21 DESIGN SIGHT」で開催中の「テマヒマ展〈東北の食と住〉」のオープニングトークで、そう挨拶をした民俗学研究者の岸本誠司さん。岸本さんは、今年3月まで勤めていた東北芸術工科大学東北文化研究センターの共同研究員として、この展覧会に学術協力を行った。8年前から東北に暮らし、農山漁村を隈なく歩き、茅葺き民家や漁船のかたち、多様な食文化、巧みな手仕事や焼き畑など、雪国・東北の「生活」を調査。消えゆく技術や知恵を発掘し、未来へ継承する活動をつづけている。「東北のイメージは、都会でつくられるもの」と語る岸本さんに、東北文化の未来的価値とは何かを伺った。
上/まさに手間暇を惜しまず、昔ながらの製法でつく られた東北の生活用品や食べ物が展示された「テマヒマ展」。下/巨大な展開図には消滅したものも含 め、東北6県の大根と杉の活用法が紹介されている。

長年、関西で民俗学を研究されていた岸本さんには、東北の農山漁村の暮らしはどう映りますか?

東北は夏と冬の「時間の流れ」がまったく異なります。冬は、深い雪に閉ざされますが、それは、皆さんの想像以上です。雪に覆われた家の中で、人々は囲炉裏の火を囲みながら手仕事に精を出し、まさに「テマヒマ展」に展示されている山ブドウやイタヤ細工、ホウキなどを手間暇かけてつくるのです。そして長い冬がようやく終わり、雪解けの季節になると、待ってましたとばかりに外での仕事を始めます。春の山菜採りに始まり、田んぼや畑仕事はもちろん、養蚕、渓流釣り、マタギ……。秋にはクリやトチなど木の実やキノコの採集にも出かけます。

マタギはクマを撃つ専門の猟師ではないのですか?

専門ではありません。農業や養蚕を兼ねながら、稲作の準備の合間にマタギとしてクマ撃ちに出かけたりします。そんなふうに、東北の農村の人たちは誰もが何種類もの仕事をこなしてきました。とくに春から秋にかけての期間は、さまざまな屋外の仕事を並行して行うので大忙し。養蚕は、多ければ年に5回(繭を出荷する回数)行うこともあります。あっという間に秋になり、米の収穫を終えると、また雪深く長い冬を迎えます。秋のうちに山から蓄えておいた木や樹皮を使い、家にこもって手仕事をして過ごすのです。そんな生活サイクルは、今も第一次産業に従事している60歳以上くらいの人々のあいだに残っています。その暮らしには、衣・食・住に必要なものはすべて「自分でつくる」という力強い生き方が連綿と受け継がれているのです。

「テマヒマ展」の地下ロビーには岸本さんが監修された、東北の「杉と大根文化」に関する大きな展開図が展示されていますが、大根は東北の人々にとってどんな食べ物なのですか?

作物は、「公」と「私」の性格を持つものに分けることができます。「公」の代表は、米。江戸時代には年貢、つまり税として政府に納めるための作物で、自分たちの口に入ることは滅多にありませんでした。一方、「私」は、麦、粟、稗などの雑穀や豆類など、毎日の食事として自分たちが食べる作物です。私的な作物は、社会的な波にさらされないので、地域の風土や個性に合ったものを作ってきたため、食文化として現代にまで残ったのです。東北ではそれが大根やカブだったのです。大根は8世紀頃に中国から渡ってきたとされていますが、現在の東北には、中国北方で分化した保存が利きやすい品種が多く見られ、葉だけを食べる宮城県の小瀬菜大根など珍しい在来種も多く存在しています。展示されている寒干し大根など、大根の保存食をつくる家庭も多いですね。保存食は、常に飢饉と隣り合わせにあった東北人の歴史と知恵の結晶なのです。

左上/カタキビの穂でつくられた南部箒。東北の雑穀文化が表れている。右上/サケの保存作業は家族や地域のつながりを育む。左下/山ブドウ細工のカゴ。重く、頑丈で長持ちするのが東北流。右下/寒干し大根。凍みと乾燥を繰り返してできる大根のフリーズドライ。

展開図には、東北の料理として大根の煮物や汁物も多く紹介されています。

囲炉裏文化のたまものですね。西のかまど文化に対して、東北は囲炉裏の文化。暖をとる憩いの場、手仕事の場としてだけでなく、調理を行うメインコンロとしても囲炉裏は生活の中心にあったのです。ほとんど毎日、囲炉裏で調理していたので、おのずと煮物、汁物といった鍋料理のレシピが増えたのでしょう。ただ、囲炉裏のある家は東北でも少なくなってしまいました。かつては、同じ火でつくった食べ物を家族や共同体が一緒に食べることが大事だという「同火同食」の文化が根付いていたのですが、近年は囲炉裏だけにとどまらず、家の中から火そのものが消滅しつつあります。ロウソク、薪、さらにはガスの火まで。現代人は火を失おうとしているのです。生活において火がどういうものか、火をどう扱えばよいのか、わからない人ばかりの世の中になってしまうのではないかと私は危惧しています。柳田国男は『明治大正史─世相篇─』の中で、当時流行していた「小鍋立」という一人鍋用の調理器具について、「火の分裂が人間の分裂につながる」と批判しています。裏返せば、食という場や時間には、家族や人をつなぐ力があるということ。家の中から囲炉裏が消えてしまっても、それに代わる「囲炉裏的なもの」を現代住宅のなかでどう機能させるべきか。私たちは、そこを考える必要があるのです。

上/リンゴの剪定鋏。注文主の手に合わせてつくる。下/天然生ゴムでつくるボッコ靴。

移住された飛島では、どんな調査をされましたか?

たとえば「島船」と呼ばれる和船の調査を行いました。かつて、東北の船着き場は磯が多く、船がぶつかっても壊れないようにと丸太をくり貫いた頑丈な材を使う「オモキ造り」という磯船が多くありました。ところが、飛島には船を新造する大工がいなかったため、長い間、庄内から買い付けた板造りの船で漁をしていたのです。オモキ造りの船に比べ、板船は壊れやすいものでした。そこで、鈴木永助さんという船大工が明治後期に秋田県・八郎潟の潟船をヒントにして、飛島でオモキ造りの船を新造しました。すでに東北では板船が主流になっていたにもかかわらず、以来、飛島の漁船はオモキ造りが主流に。漁港がコンクリートで整備され、プラスチック製の船が台頭する昭和40年頃まで使われていたようです。

島船も時流には逆らえなかった?

その価値を社会が必要だと認めたら島船も消滅しなかったはずです。鈴木さんは船を新造するとき、オモキ造りという一時代前の船を採用しました。飛島ではそのほうが合理的だし、漁師が必要としていたから。ただ、そこで大事なのは、オモキ造りという古い造船技術が、採用できるかたちで社会の中にあったこと。社会が多様なアプリケーションを備えていたことが持続性をもたらしたのです。

上/80歳のおばあさんがつくった凍みイモ。下/一時は姿を消していた縄干しいわな。写真は全て21_21DESIGNSIGHTで開催中の「テマヒマ展〈東北の食と住〉」の展示物。明日のデザインを考えるヒントに満ちた企画展。

「テマヒマ展」に、ジャガイモを寒中に吊るして乾燥させ、その粉で軽食やおやつをつくる「みイモ」が展示されていますが、それを手作りする方は展覧会企画チームが探し回っても見つからないほど減ってしまったとか。

凍みイモも島船と同様、社会がその価値を認めれば残るでしょう。そんな「かつての日常」を、東北のおじいさん、おばあさんは伝えたがっているのです。その一方で、経済至上主義ではない新たな人生観を持ち始めた若者も増えています。東北芸工大の卒業生で、茅葺き職人になった20代の女性もいます。都会の若者たちは、東北の「良き隣人」として、手間暇という東北の内発的な力を社会の価値として認め始めています。でも、「凍みイモはあったほうが素敵だから、地域の人たちで頑張って残しなよ」という人も少なくありません。ただそれは、都会寄りの考え方。見聞きした東北の「イメージ」を、乱暴に言えば押しつけているだけです。残念ながら、東北の地域社会の多くは今、外部の人も関わらなければ維持できない状態です。地域力を高めるには、私たちが東北の生活文化に主体的に関わることが必要です。東北を訪れ、おじいさん、おばあさんが伝えたがっている技術や知恵のバトンを受け継いで、未来の日本人の生活に活かしたいですね。

21_21 DESIGN SIGHT企画展
「テマヒマ展〈東北の食と住〉」
会期:8月26日(日)まで
会場:21_21 DESIGN SIGHT(東京ミッドタウン・ガーデン内)
開館時間:11:00~20:00(入場は19:30まで)/火曜休館
展覧会ディレクター:佐藤 卓、深澤直人
企画協力:奥村文絵、川上典李子
www.2121designsight.jp

岸本誠司 Seiji Kishimoto
きしもと・せいじ●1971年兵庫県出身。近畿大学で民俗学者の野本寛一氏に師事。2005年に「東北学」を展開する東北芸術工科大学東北文化研究センターに赴任。12年3月まで同大専任講師。現在は山形県飛島に暮らし、「とびしま未来協議会」の事務局として離島振興の業務に従事。