入口の土間から奥へ入ると、壁一面にびっしり並んだ活字に迎えられた。その迫力に圧倒されていると、「こんな風景は珍しいかもしれませんね」と彼女が笑う。おそらく日本中を探しても、今、これほど見事な活版印刷の現場はなかなか見られないのではなかろうか。
東京からUターンし、時代の空気をとらえながら、活版印刷と真摯に向き合い始めた桃子さん。淡々としているように見えて、そのまなざしはとても熱い。晋弘舎3代目である父の弘藏さんも途中飛び入り参加して行われたインタビュー。小さな島の活版印刷物語。
時代を感じさせる立派な建物ですね。晋弘舎の歴史を教えていただけますか。
横山桃子(以下桃子):登記が残っているわけではないんですが、晋弘舎は父で3代目。曾祖父の時代から数えると100年が経つ計算になります。昔は島の総合商社的な仕事をしていて、祖父の時代までは映画館を持っていたし、東京から歌舞伎を呼んだこともある。印刷所のほかにも、酒屋、文具店、肥料店など、多くの人を使って手広く商売をやっていたそうですよ。
印刷所一本にしぼったのは、どうしてですか。
桃子:祖父の時代に、それぞれの仕事をのれん分けしたんです。でも祖父は、活版印刷だけは「文化事業だ」と言って手放しませんでした。当時は、役場の書類や、町のイベント案内、学校の名簿や通知表まで、島の印刷物はほとんど全部うちで刷っていたんです。このころ祖父は、小値賀中学校の学芸会のプログラムに「文化の力」というメッセージまで刷りこんでいます。「文化……と一言ではあるが、その力の大きいことは云ふまでもない。我が国が敗戦となったのも、この文化の力が足りなかったからである」なんて書いているんですよ。
おもしろい! 素晴らしいおじいさまですね。
(ここで父の横山弘藏さん、突然加わる)
弘藏:文化的なことが好きで、逸話には事欠かない親父やった。この印刷所は私も少しずつ手を加えてきたけれど、土台をつくった親父の豪快な気性が出ていると思う。私もあちこち見て歩いたけど、こうしたスパッと気持ちいい活版所は、ほかにはなかよ。
桃子:だから私は亡くなった祖父が、今もここにいると思っているんです。島に戻って晋弘舎の仕事を始めたとき、最初に掃除をしました。そうしたら祖父の代に使っていた活版のイラストが出てきてびっくりしたんです。「ああ、おじいちゃんが喜んでくれている!」と思いました。父が終わらせようとしていた印刷所に、私が戻ってきたからだ……と。
桃子さんが戻って来ると聞いたとき、お父さんは反対だったそうですね。
弘藏:私が継いだころは、活版の全盛期。しかし、この20~30年で印刷は様変わりし、よそはほとんどやめていきました。私も自分の代でやめるつもりやった。「戻ってきたい」と言われて、「なんで今さら活版に?」と思ったわけです。
桃子:幸か不幸か、大学でデザイン学部に行ったことが、活版を見直すきっかけになったんです。
進路を決めるとき、家業のことは考えていなかった?
桃子:全然(笑)。でも、大学の授業で活版印刷が消えかけている話を聞き、「あれ? うちは普通に使っているな」と思って、気になり始めました。その後、ゼミで印刷屋さんを訪問。そこはオフセット印刷がメインでしたが、片隅に活版印刷機が置かれていたんです。入った瞬間、「うちと同じ匂いだ!」と思いました。
匂いで記憶が呼びさまされた?
桃子:そうなんです。その後、夏休みなどにあらためて父の仕事を見て「おもしろいなあ」と思いました。大学ではパソコン作業ばかりだったので、アナログのよさに気づいたんですね。活字を拾い、文字を美しく組んで、それを刷る。すべて手作業で「うわあ、楽しい」って。でもそのときはまだ、小値賀に帰る気持ちはありませんでした。
それはなぜですか?
桃子:一度島を出たら、帰りづらい空気があるんです。島には働く場所も多くはありません。小値賀は大好きなのに、その一方で帰る気持ちは持ってはいけないと思っていました。
弘藏:島の主産業の漁業や農業でさえ、食べていくのが大変です。昔は海が豊かやったけど、今は違う。活版の時代も終わっている。家を継がそうと思って大学にやったわけやなかけん、反対するのは当たり前です。
桃子:気持ちを変えてくれたのは、ゼミの先生でした。「そんなに島が好きで実家に活版印刷があるなら、帰る手もある。都会じゃなくてもデザインはできるよ」と言われました。なるほどと思っていたら、今度は母に反対されて「一度は社会勉強を兼ねて東京に行きなさい」と言われ、就職しました。私自身、東京で一旗揚げたい気持ちもあったんですよ。
弘藏:それが普通や!(笑)。でも、東日本大震災でみんなの気持ちが大きく変わりました。スピードだけではない方向へと価値観が転換し、活版も見直されてきている。いろいろな条件が重なって今があるわけです。
小値賀島が大好きとおっしゃいましたね。どんな部分が好きですか。
桃子:やっぱり人ですね。両親だけでなく、近所の人、親戚、商店街の人、みんなに育ててもらって一緒に生きてきた。安心感が大きいんです。
都会では感じられなかったものですか。
桃子:小値賀では、人と目を合わせて挨拶するのが当たり前です。でも、島外で知らない人にそれをやると不審がられる(笑)。いろいろな人と話したいのにストレスでした。5年間そんな思いを抱えていたので、本当に小値賀に帰りたかった。でも、戻ってくるのを反対したのは親だけではありません。
ほかには誰が?
桃子:友人や会社の人。「すぐに帰っても意味がない」とか「もう少し東京にいたほうがいい」とか。でも、私自身はやりたいことをするのが一番だと思っていました。どんな仕事を選んだとしても、苦しむときはあるでしょう。好きな場所で好きなことをすれば、つらいときだって耐えられるはずだと思うから。
晋弘舎に戻って3年ですが、実際の仕事はどうですか。
桃子:父は船の切符や役場の封筒など、島の印刷物を中心に働いていますが、私は販路を島以外に拡大したいので、名刺の注文を受けています。活版の名刺は味があるのですが、課題も山ほど。美しさや価値を伝えるにはどうしたらいいか。選択肢が多いほうがいいのか。紙の選び方一つとっても模索中です。今はネットを通じて、首都圏などからも注文がありますが、ビジネスとして考えると全然思うようになっていません。
作業を見ていたら、手差しでていねいに印刷していますね。時間もかかるでしょう。
桃子:そうなんです。一枚一枚時間をかけていることも、伝えなくてはいけないと感じます。プリンターから自動で出てくる世界とはまったく違う。インクの状態や機械の調整にも気を使います。もっともっと技術を向上させ、経済的に自立するのが課題です。
私がやっているのは、活版だけではないんです。そもそも私は島が好きで、島で活版印刷をやっていきたい。そのためには、ちゃんと売り上げて島と活版の両方を未来に残す活動をしたいんです。
それは壮大なテーマですね。
桃子:小値賀も活版印刷も、実は同じような道のりをたどっています。盛り上がった時代もありましたが、便利さや安さを追求する世の中になって、どんどん下降線をたどっている。将来は無人島になったり、この世からなくなるかもしれない危機感があります。私はどちらも大好きなので、絶対に存続させたい。特に100年以上の歴史がある活版印刷を、簡単に消してはいけないと思っています。
桃子さんの名刺には「小値賀+活版」を表す〈おぢかっぱん〉という活字が刻まれています。
桃子:それが私の一番伝えたいことだからです。今は日本中から少しずつ注文を受けていますが、今後は世界にも目を向けたい。活版印刷を通して小値賀を世界に発信し、そのことをきっかけに国内外からたくさんの人が来てくれたらうれしいですよね。「活版印刷といえば小値賀」、その逆も然り。そういった存在になることが目標です。活版と小値賀の魅力は世界に通じると信じています。