こんばんは、夏子です。
朝、娘が二階から降りてきた時に、
「あ!(人´∀`) なんかピーナッツの匂い!!ピーナッツのクッキー(好物)作ったの???ありがとーママー!!!」
と喜んでましたが、
否
ふふふ。。。
カドヤの純正ごま油よ????
何故か蓋が半開きの状態で調味料棚に置いてあってのよ。で、お母さんそれをたった今盛大にひっくり返したの。
そしてら調味料棚の前から後ろからごま油がだだ漏れしてね??ガスレンジの周りとか床とかに今絶賛茶色い海ができてるの。
もうどっから手を付けていいのかわからなかったので、しばらく油をタオルに吸わせていたの、
だからその匂いよ??あははん♪。。。
もうさー。。ほんっとにこういうのってガック-。。_| ̄|○ってなりますよねぇ。。
でも奥さん耳寄り情報、ごま油ひっくり返すと家中ピーナッツバターみたいな匂いが漂って美味しそうになるわよ??ゲラ
バイ・ザ・ウェイ
そんな感じで思い込みの世界と現実の世界。。みたいな事をくどめに書いてましたけど、
じゃぁ、私の見方が思い込みだとしたら、実際のところどの程度の何が「現実の世界なの?」と言ったら、
これまた説明難しい、ですよね。
だって、100人いたら100通りの常識がある。。わけで、
例えば交通ルールを守るとか人の命を大切にするとかそういう人間社会で生きていく上で魂に根付いた根本的なルールは別。。なのかもしれないですけど、(あ、でもそうでもないか。それですら世界では全く違う常識もあるよね。)
何がじゃぁ「正しい現実の世界」かなんてものすら幻想なわけで。
例えば、ですけど、
夏が近づき、女性の皆さんもムダ毛処理に気を使い出すと思いますが(どんな例えだ)
私は腕の毛とか処理してないんですよ、そもそもあんまり生えてないし、私の中でそこそんなに重要じゃない、というか。
なんですけど、こないだ近所の奥さんと話していて、とにかく腕の毛をなんとかしたい!!という話題が上がり、
おお、そんなに皆気を使う箇所なのか、と思ってしまったのですが、(私は脚のほうがより気になる)
例えばですよ、この奥さんが腕の毛がすごい生えてる女性を見たら、
「げ。あんなになっても何にもしないなんて信じらんない」と思うかもしれないんですけど、
私は多分腕の毛にすら気が付かない、のかもしれません。
近所の奥さんには「信じられない」
私には「気にならない」
じゃぁ、この腕の毛がたくさん生えてる女性はアウトなのかセーフなのか?これは普通なのか非常識なのか、と言ったら、
わからなくない?
今私達は色んな植え付けられた価値観の中で生きている。
社会的な常識が作られる一つのパターンとしては、
たとえば広告代理店とかが世の20代~の女性にアンケートして、
腕の毛を処理しないことを非常識だと感じる人がアンケート調査のサンプルの50%以上いたとしたら、
そこで広告代理店が「腕の毛をそらない女子は負け組!さぁ夏に向けてつるつるスケートリンク肌!!!」とかで広告をドカーンと一発打ち上げる。つるつるにする商品を販促するためにね?
そうなると、「あ、じゃぁやっぱり剃らないと!!!抜かないと!!!染めないと!!!」というムーブメントが起きて、それが世の中の「常識」になるのかも。
でも所詮過半数かも知れないし、80%かも知れないし、95%かもしれないけど、でもそう思わない常識だってちゃんと存在しているわけで、
だからそもそも世の中の常識、みたいなものに縛られるのってなんかアホくさいな、とか最近思ってしまいます。
もちろんそれがトレンドとか時代感とかを生んで、そしてその時代の人間が持ち合わせているエネルギーの具現化でもあってそれはそれでいいのだけれども、
何回も言ってるけど、自分の中の常識なんて一回疑ってかかった方がいいのかも、と思います。
常識破りにならないように、期待を裏切らないように、嫌われないように、弱虫と思われないように、可愛く無いと思われないように、友達もできない人だと思われないように、勉強ができないと思われないように。。
と人間は思って鎧を作って行動しますけど、
でも、上記のようにある一つのものに対して人はそれぞれオリジナルなフィルターを通じて見ているのだから、
言い換えれば「万人に好まれ、ハブられず、良い人間だと思われる」ことなんて不可能なわけなんです。
例えばあなたが誰かにした無償の親切でも、
人によっては「あー、優しい。あんな事出来るなんてすごいー」とあなたを褒め称えるかもしれないけど
でも一方で「なんであんなおせっかいするの?親切の押し売りだよ」とシニカルに見る人も必ずいるわけで、
よっていくら自分を完全無欠の素敵な人を演出して自分軸を他人軸に譲ったとしても、
批判してくる人、否定してくる人は必ずいる。
だからこそ、
自分はどうしたいか
が大事なんだな、と。
例えば、他人軸に合わせて人に嫌われないように、他人からの承認を貰うために嫌なことでも精一杯やって我慢して我慢して人に尽くしていても、
そんなあなたを「エライねぇ」という人はもちろんいる、でもこの場合人に尽くしながらも常に「私、大丈夫だろうか。ちゃんとやれているだろうか」という恐れが後ろにあるから、その恐れがその人を肯定的に見ない人も周りに寄せてしまう。
だから一生懸命やってるのに、なんだかケチをつけられたりする。すると本人も他人軸に自分の評価を任せているので、一人でも批判的な意見を言ってきたら、だるま落としみたいにその否定的意見にズガーンと反応してどーんと倒れちゃうか、反発して「何よ!!!何もわかってないくせに!!」と被害者意識が芽生える。
そして「私がそうしたいからするんだ」という自分軸で行動していても、もちろん周りの反応は様々だと思う、その行動を良しとする人もいるだろうし、なんだあれ?と批判する人もいると思う。
自分軸の考えや行動が必ず受け入れられ、他人をハッピーにするかどうかなんてわからない。
でも、批判されたとしても、「でも私の本心はこうである」という軸が一本中に通ってるから、何を言われても、「でも私の判断だから。私にはこのやり方がベストだったのだから。」と思えていれば、その批判に対しても納得出来る、というか自分で自分の行動に責任がとれる。。のだと思う。もちろん批判されたら悲しいかもしれないけど、でもやりたくてやったのだから見返りがなくても誰を責めるわけでもない、あぁ、自分の力不足だったのかな、反省してまた次頑張ろう!!とポジティブにもっともっとと成長を望むかも知れない。
そして自分軸だと「こんだけやったのだから」という投資回収も狙ってないし、誰かからの承認を得られるかどうかの恐れもないので、世の中で自分を批判してくる人がいたとしてもエネルギーが引き合わないので、多分あんまり会わなくなる、もしくは会ってもまるで気にならなくなる、というか視界に入らなくなるのかもしれない。
その結果が、「嫌な人とは巡り合わなくなる」ということで、世の中から自分を批判してくる人、価値観が違う人が抹消されるわけじゃないけど、本人は納得した世界にいて、幸せを感じられるのかもしれない。
深いわね。
考えるとどんどんいっちゃいそうだわ??
でも同時に思うんですけど、
私はヒーラーという立場からこういうようなカラクリみたいなものも理解しないといけない部分はあると思います。
じゃないと自分の常識だけでお客さんを見てしまって、「あなたそれ間違ってるわ?」みたいな物を押し付ける超ご法度をやってしまう可能性もあるので、そこはものすごく客観的な、自分のエゴを取り払った上でメッセージを下ろす、という作業ができないといけないとは思うんだけど、
でも前もどっかでほんのり書いたような気もするけど、
こういうようなエネルギーの流れみたいな物がわかればわかるほど、自分が無表情になってくるような気もするんです。なんか何でもかんでもその裏の仕組みを考えちゃって一人で悟っちゃったりして。
そしてそれはそんなにヘルシーな事ではない、と思ったり。
やっぱり感情を通じてシッチャカメッチャカになりつつも感動し、喜びを感じ、怒り、涙を流し、をやることが「生きてる」感にひたれる唯一の方法なので、
なのであんまりこういうところで妙に理解しようとすると、人間夏子としては非常に面白くない、そして私と話すのも他人は面白く無くなると思うんですよ、いちいち、日常生活の中で、それはあなたの思い込みの世界でぇー、とか言っちゃって。
人間だからたまには「ねぇちょっと聞いて、チョームカつく」とかそういう話をグダグダしたい時だってあるじゃないですか、だからあんまり日常生活の中で意識しすぎるのも良くないとは思うんです。
だから自戒の念を込めて言ってるらしい。。ということが今わかったわ?
しかしながら自分が思ってる常識なんてそんなにあてにならないなー、と最近特に思うので、そういうところは柔軟に考えてもいいんだなーと感じた昨今です。
人間の思いが作る世界って複雑に何層にもなってて複雑です。。
ワイン飲んだら酔っぱらいました。。
アデュー
夏子