チャイハネ
第9話「『あなたについて行く』と励まされて…」
メロンと一体化する笠井専門家
今回は「女性の経済的エンパワメントプロジェクト」を無事終了させ、間もなく帰国する笠井久美子専門家にお話をうかがいます。笠井専門家の国際協力の経験は次のとおりです。
国際協力歴:
- 1997年~1999年
- 青年海外協力隊(平成8年度3次隊) カンボディア タクマウ州王立教員養成大学にて家政科教育指導
- 2000年~2002年
- インドネシア スラウェシ貧困対策支援村落開発計画 開発と女性/ジェンダー専門家
- 2003年~2004年
- JICAタイ事務所にてシニアボランティア調整員 社会開発分野担当
- 2004年~2005年
- JICA本部 社会開発部 第一チーム ガバナンス・ジェンダーチームにて特別嘱託職員
- 2005年~2006年
- パキスタン 地方開発支援プロジェクト 短期専門家
- 2006年~2008年
- アフガニスタン 女性の経済的エンパワーメント支援プロジェクト リーダー/訓練計画専門家
- 北野
- 「プロジェクトも無事終了し、本当にお疲れ様でした。今日はプロジェクト活動の思い出話や苦労話などについてお伺いしたいと思います。よろしくお願いします。」
- 笠井
- 「こちらこそよろしくお願いします。北野さんと仕事でご一緒するのは3回目ですよね?」
- 北野
- 「笠井さんがカンボディアに隊員で行く前、二本松の訓練所で最初にお会いし、次はインドネシアに専門家で赴任されたとき、私はインドネシア事務所員でした。そして今回まさかアフガニスタンで再会できるとは夢にも思っていませんでした。ところでアフガニスタンに着任された当時のことは覚えていますか?」
- 笠井
- 「飛行機から眺めた景色がすごく印象的でした。視界の限りに人工的な建造物が一切無く、一面ベージュ色の岩山と、谷あいに緑が少し…その周辺にたまに日干し煉瓦で造られた家屋があるだけ…。すごぉーーーい、こんなところにも人間が住んでるんだ…って感心しました。」
- 北野
- 「カンボディアやインドネシアは緑豊かな国ですからね。東南アジアとは随分と環境が違いますよね。やはりジェンダーにおける環境も随分と異なると思いますが、アフガニスタンにおけるジェンダーイシューの必要性について感じられたことを教えてください。」
- 笠井
- 「この国に来て、村の女性たちのほとんどが教育も満足に受けられない(村落部の女性の識字率は8%と言われています)、外に自由に出られない、ほんの限られた活動しか許されていないにも拘らず、それをものともせずに力強く生きている事がとても印象的でした。でも選択肢の無さによる貧しさの中にいるのに、それに気づくきっかけすら無い…。それは「悲惨」としか形容し難く、やはり、この国での「女性支援」は必要なのだと痛感しました。」
- 北野
- 「宗教や歴史的背景などが色々と複雑にからまっており、我々日本人がそれを簡単に良い、悪いと判断することは出来ませんが、女性が社会の色々な場面で活躍しなければ、やはり国としての発展は難しいようですね。さてプロジェクトのほうの活動はいかがだったのでしょうか?」
- 笠井
-
女性課題省で
「我々のオフィスはカブール市内のど真ん中にある女性課題省内にありました。日本で言うなら青山か六本木に匹敵する(?)シャレナウ地区の一等地です。もちろん公共の電力は来ているのですが、市内の需要に対して容量が少ないのか、1日何度も停電してばかり。プロジェクトでは予算の関係から本省に発電機を設置していなかったので、公共の電力に頼るのみだったんです。"ピピー"という音とともに毎日のように停電していました。多い日は10回以上も!また全く電気が来なかった日も合計で30日以上はあったでしょうか?」
- 北野
- 「アフガニスタンとは言えやはり電気がなければ仕事になりませんよね…」
- 笠井
- 「仕事にならないので、家に帰りたがるスタッフに『電気が無くても仕事は出来る!!』と豪語し、時間内は絶対に仕事をする…と言う日本人を見てアフガン人は『家に帰ればいいのに、変な奴だな』と思ったでしょうね。とにかく、コンピュータは動かない、通信は完全不通。トホホな気分であった事多数です。また厳寒の冬は、本当に惨めな気分になりました。寒い・暗い・仕事にならない…ああ、インフラ支援って大事だなぁ…とソフト系の私も痛感した次第です。」
- 北野
- 「プロジェクトのフィールドのことについてお話いただけますか?」
- 笠井
- 「うちのプロジェクトは、バルフ、バーミヤン、カンダハルの3州にサイトを持ち、カブール本省と3州の州女性局の関係者と一緒に仕事をしていました。しかし、治安の悪化により2006年7月末でカンダハル支援を諦めざるを得なくなりました。2006年7月にサイト3州の女性局長を日本で実施される研修に送ったのが、カンダハル支援の最後となりました。」
- 北野
- 「カンダハル州を含む南部や南東部は現在でもタリバンとアフガン政府軍、NATO軍の間で激しい戦闘が続いていますね。」
- 笠井
-
日本で子供たちとのふれあいを楽しむアマジャン
「カンダハル州女性局長のアマジャン女史は、当時63歳という高齢にもかかわらず超パワフルな方でした。『60-70年代は私もミニスカートをはいていたのよ!』とおっしゃるハイカラで活発な女性支援活動の推進者でしたが、2006年9月に職場に向かう途中に暗殺され他界しました。そのニュースを聞いた時の気持ちは今でも鮮明に残っています。彼女の口癖だった「死ぬ前に一度で良いから日本に行きたい。」それを叶えてあげられた事だけが、我々プロジェクトとしてのせめてもの救いであり、彼女の死は今でも本当に残念でなりません。」
- 北野
- 「同僚をテロという蛮行で失うことは、悲しくもあり、そして腹立たしくもあり、笠井さんの無念さは非常に良くわかります。」
- 笠井
-
バーミヤンのドライフルーツプロジェクト
バルフの家畜飼育プロジェクト
「もちろん、プロジェクトは悲しい出来事ばかりではありませんでした。CEPW(Community Empowerment Project for Women)という女性の活動を直接支援する事業の中では、プロジェクトの成果が目に見えて現れることも経験し、とても喜ばしく、嬉しかったです。例えば、バーミヤンのカーマード郡で実施したドライフルーツのプロジェクトでは、女性たちのドライフルーツ作りの技術が向上し、ドライフルーツの取引価格がなんと2年で7倍にアップしました。女性たちは『いつかはジュース工場の経営をやってみたい!』などと語れるまでになり、村の女性グループが本当に元気になったことに、プロジェクトもとても励まされました。」
- 北野
- 「昨年12月に緒方理事長がアフガニスタンに来られたときには、バルフ州の村をご案内し、このプロジェクトの成果を見ていただく予定でした。ところが当日天候が悪く飛行機がキャンセルされてしまい、実現できませんでした。」(関連記事:「緒方理事長の訪問の日」)
- 笠井
- 「本省のカブールのオフィスでも女性課題省のカウンターパートが成長していく様子を目の当たりにする時は、とても嬉しく感じました。例えば、地方出張で村の女性たちと話しあった後とか、研修で刺激を受けた後とか…カウンターパートたちが、すごく気が利いた言動行動をする瞬間があって、それが専門家にとっての至福の時ではないでしょうか?「ああ、この仕事をしていて良かったなぁ…」と感じるんですよね。でも、その30分後には、また同じ人の訳の分からない言動にブチ切れてたりするんですがね。ははは。」
- 北野
- 「それはアフガニスタンに限ったことではないですよね。へへへ。」
- 笠井
- 「1年ほど前に、仕事の方向性で行き詰って、すごく落ち込んでいた時があったんです。考え込むことが多くなり、無口になって、食欲も無いから痩せたし…。そんな時にアフガニスタン人の同僚から、『貴女が来てから、私たちがどんなに楽しく仕事を出来るようになったかわかりますか?私たちは貴女のやり方が気に入っていますよ。悩まなくて良いですよ。みんな貴女について行きますよ。』と言っていただきました。そんな励ましが無かったら、私はもうとっくの昔に帰国していたかも知れませんでした。本当にみんなに支えられてここまで来られたと思います。」
- 北野
-
スマートになった笠井さん(バーミヤン)
「そうですか…笠井さんが痩せたねえ…???」
- 笠井
- 「そこに感心しなくていいんです!プロジェクトは日本側のものではなく、アフガン側のものだと再認識した瞬間でしたね。「物事はアフガン側で起きている」それを黒子となって支えるのが専門家の役目。そんな大事なことを忘れて自分の力でどうこうしようとしすぎるから、行き詰る。反省するとともに、とっても嬉しかった瞬間です。」
- 北野
- 「なるほど!JICA専門家らしい発言ですね。私は常々そこの部分が欧米系のコンサルタントとの圧倒的な違いであり、JICA専門家の優位性であると考えていました。それでは最後に何か一言あればどうぞ。」
- 笠井
- 「単純な言葉ですが、本当に"皆さんのお陰"と思っています。自分ひとりではなく、みんなで支えあってこそ、アフガンでの任期が全うできたと思っています。皆様お世話になりました!!北野次長にも本当にお世話になりました。次長もリフレッシュしながら、残る任期を健康で乗り切ってくださいね!!」
- 北野
- 「今日は帰国前のお忙しい中、本当にありがとうございました。」
【インタビュー by アフガニスタン事務所 北野一人】