ウェブブラウザのJavaScript(ジャバスクリプト)の設定が無効になっています。Javascriptが無効になっていると、サイト内の一部機能がご利用いただけません。 【銀魂/3Z兄神】『ノイズ』本文サンプル2014年8月8日 07:42窓から扉へ吹き抜けていた風が止み、じわりと肌が汗ばんできた。滞留する空気と肌がねばつくように摩擦して、まとわりつく倦怠感を押し上げる。起き上がる気力もなく神楽はベッドに転がったまま頭をそらし窓を見た。開け放したサッシからはいつの間にか西日が差し込んでいる。逆さまに見る茜色の空には薄い雲が棚引いていた。残暑を引きずりながらも季節は秋に向かいつつあるようだが、ふと気づくと、窓のすぐ傍の木に蝉が一匹止まっていた。道路の端で、網戸の向こう側で、夏の間はいやというほど各所で見かける存在だが、ここ数日はその鳴き声も姿もとんと見なかった。差し詰め、寝(い)汚(ぎたな)く惰眠を貪っているうちに羽化の時機を逸した行き遅れだろう。まだ脱皮してからそう時間が経っていないのか、色づききっていない体幹もやや透明がかった羽も、全体に頼りない印象を与えた。しばらく縫い止められたように目を離せずにいると、蝉はぶるりと小さく身震いしてから薄い羽を小刻みに震わせ、その小さな体躯からは考えられないほど大きな鳴き声を上げ始めた。耳をつんざく音はいつもなら喧しいと一蹴するところだが、神楽は耳を塞ぐことも窓を閉じることもなく、厚い眼鏡のレンズ越しにがなり立てる蝉を見つめ続けた。わんわんと響く鳴き声が耳殻を通り神経を走って、身体中が共鳴する。哀れな蝉と一体になったように、ああ、と言葉にならない声が咽を震わせた。理解できなければ騒音にしか聞こえない求愛の叫び。それは誰にも届かず消えていく、軀(むくろ)のような恋文だ。―――――ノイズ―――――人生で最も思い出したくない出来事があった夏休みが終わり、新学期の浮つきも遠く過ぎ去った九月下旬。あと一週間ほどで衣替えだが、朝晩が涼しくなってきたので、薄手のカーデを羽織るクラスメイトをちらほら見かけるようになった。やはり蝉が鳴くには時期が遅い。そんなことを考えながら、神楽は鞄に荷物を詰め込んで帰り支度を始めた。本日最後の授業――――ちなみに科目は古典。昼食後に読む古文ほど眠気を誘発するものはなく、教師の唱える念仏の前にあえなく撃沈したのは神楽だけではない――――を終え、部活に急ぐ級友たちを横目に今晩の献立を考える。どうせ自分一人分しか要らないのだから、手間暇のことを考えれば本当はコンビニ弁当でも構わない。が、滅多に帰らないくせに娘の健康だけには神経をとがらせる父親が「食事はしっかりしろ」と口を酸っぱくして言うので、しぶしぶ自炊を続けているという具合だ(さすがに毎日食事を撮って送れという命令は無視した)。とはいえ面倒くさいと思いつつも、少し前までは「もしかしたら今夜は二人分必要になるかもしれない」という期待からまともな料理をしていたのだ。しかしそれもなくなった今では、食事を用意するという行為そのものが煩わしくなりつつあった。食べることは大好きだし料理も嫌いではないが、食事というのは誰かと共にするから楽しいのであり、そうでなければただの生命活動でしかない。誰もいない家でひとり咀嚼をしていると、自分がただの肉塊になったような気がする。神楽はそれが嫌いだった。「神楽ちゃん」そんな調子でぼんやりと教室を出ようとしたとき、控えめな声に引き留められて振り返る。「尚? どうしたネ」神楽を呼び止めた当人――――本郷尚は、いつも穏和な笑みを浮かべている顔を心なし強張らせ、まっすぐに神楽を見つめていた。一緒に帰らないかと誘われ、承諾すると、ほっとしたように微笑み、それからまた決意を秘めたような神妙な顔つきに戻った。何か相談でもあるのだろうかと思ったが、その場で追及するのも憚られ、何も言わずに並んで歩き出す。昇降口に着いた辺りで靴を替えている沖田に出会うと、彼は神楽と尚を交互に一度見たきり、ふうんと鼻を鳴らして行ってしまった。言いたいことがあるなら言えといつもなら食ってかかるところだが、それにしては普段の舐めたような笑顔がなかったので言葉を呑み込んだ。尚といい沖田といい、今日に限ってどうしたというのか。部活に向かう生徒たちの間を縫って校門を出る。グラウンドからは準備体操の数を数える声が聞こえてきて、学校から遠ざかるにつれてだんだんと聞こえなくなっていった。少しだけ寄り道をしてもいいかな、と控えめに尚が言ったので頷くと、彼は公園に足を運んだ。その公園では夏休みの間、毎朝ラジオ体操が行われ、彼はその委員だったらしい。さして広くもないスペースにいくつかの遊具があり、昼間は主婦のたまり場となっているだけの、どうということもない公園だ。しかし最後にここを訪れた記憶は良いものとは言えず、神楽はほんの僅か顔をしかめた。最後にここを訪れた時―――――即ち夏休みのあの一件以来、神楽の胸の内はずっとむかむかしていて、一瞬たりとも晴れていない。むしろ時の経過につれて悪化していく始末だ。それもこれもすべて兄のせいだと思うと、余計に腹立たしくもあり、身内一人に振り回されている自分がほとほと嫌になる。「神楽ちゃん? どうしたの」固い顔をしていることに気づかれたのか、尚が気遣わしげに振り返った。何でもないと首を振って、促されるままベンチに座る。そういえば先日もここで寝ていたところを兄に見つかったのだった。兄が必ずこの近くを通るというわけでもないのに、それを思い出すとどこか落ち着かない。「何か話したいことでもアルネ」ちらつく兄の姿を振り切るように尚に向き直ると、尚は一瞬怯んだように身を引いたが、やがて決心したようにそろそろと口を開いた。―――――神楽ちゃんのことが好きだ。だから付き合ってほしい。尚は耳を赤くして、けれどまっすぐに神楽を見つめて打ち明けた。神楽がぽかんとしているうちに、何事にもひたむきな姿に惹かれただとか、他人に対して真摯に向き合う姿勢が好きだとかいったことを連ね、最後に返事は急いでいないと締めくくってしまった。神楽は何も言えないまま、決死の表情をしている男子をただ眺めていた。何か答えなければと頭ではわかっているのに、言葉は口を出る前にすべて空中分解していくようだ。思考の断片がまとまらない生地のようにくっついては離れて、喉の奥をぐるぐると渦巻く。「尚、あの」「突然こんなこと言ってごめん。きっと困らせてるとはわかってるんだけど、どうしても伝えたかったんだ。もちろん返事は今すぐじゃなくて大丈夫、だから、少し考えてくれないかな?」思考が熟さないうちに返答しようとしたのがわかったのか、尚は遠慮がちな微笑みで先を制した。神楽が否とも応とも言えぬのを見てとって、ベンチから立ち上がって手を差し出す。そんな風に「女の子」として扱われていることに慣れていない神楽が戸惑っていると、尚は照れくさそうに笑いながら、「点数稼ぎだから、気にしないで」と付け足した。そんなことをしなくても、尚が紳士であることは神楽も知っているのに。差し出された手を取って、再び横を歩きながらそっと横顔を盗み見る。ふと気づくと、尚は神楽の歩調に合わせて、状況によって彼女が日陰になるようにしたり車道側に立ってくれたりしている。何も言わず、それと悟らせず、尚はずっと細やかな気遣いを傾けてくれていたのだ。こうしたささやかな心遣いを察するのは、元来神楽の不得手とするところである。きっと今までも神楽の気づかないところで、たくさんの優しさを注いでくれていたのだろう。「さっきの話だけど、神楽ちゃんがどう返事しようとも、僕は今まで通りの僕でいるつもりだよ。だから遠慮とかしないで、本当の答えを出してほしい。もちろん、良い返事に越したことはないけど。じゃあ、また来週、学校で」結論を急くこともなく、神楽を家まで送り届けると、尚はすぐに引き上げていった。別れ際の言葉はおそらく、神楽が負担に思わないように先回りして言い訳を用意してくれたということなのだろう。色恋沙汰に疎い神楽でも、同年代でこれだけの立ち回りができる尚が希有であることは理解できた。誰もいない家で自室のベッドに身を投げ出し、神楽はぼうっと天井を仰ぎ見る。尚の目は真剣だった。彼の性格から言って、熟考と覚悟の上で導き出された行動なのだろう。少なくとも彼の真摯な想いは痛いほど伝わってきた。だからこそ神楽も真面目に応えなければならない―――――なのに、どうしてか現実感が湧かない。どこか他人事のような、テレビの中の出来事を見ているような感覚がする。それは告白されたこと自体が初めてだったからかもしれない。しかし同時に、脳裏を離れない影を意識せざるを得ないということでもあった。瞼を閉ざすとさらに明瞭になる影を追い出すように、神楽はとろとろと忍び寄ってきた睡魔に身を委ねた。けれど意識が落ちる寸前に脳裏に思い描いたのは尚のことではなく、八月の終わりの日のことだった。※本文冒頭より抜粋