物心ついた頃から現在までのアトピー歴を書き出してみることにしました。
まずは、小学生の頃から中学生・高校生の頃のことを書かせて頂きます。
いきなりで何ですが、アトピー暦とか書いていながら小学生の頃の私はたぶんアトピーではなかったような気がします。
当時も、自分はアレルギー体質なのかな、と小学生ながら思っていましたがアトピーとは思っていませんでした。
ただ、以下のようなことがあったので、素因は確実に持っていたと思われます。
・学校での健康診断で「アレルギー性鼻炎」と診断された
→アレルギー体質
・夏場は必ずと言っていいほど肘と膝の裏、首に「汗疹(あせも)」が出ていた
→肌が弱い
・しまっておいた服をそのまま着ると体がかゆくなっていた
→ていうかたぶんダニアレルギー
……今になって書き出してみると、アトピーにならなかったのが不思議なくらいです。肌が乾燥することはなかったからかもしれません。
〈使用していた外用薬〉
ラブトッピ(最初は違う商品名だった気がします)
フルコート
親が買ってきてくれたのを使っていました。
スキンケアはほとんどしていませんでした。
小学校高学年になってニキビが出始めたので、むしろそっちのケアに気を配っていました。
汗疹の症状が小学生の頃と比べるとやや軽いものになりました。
また、汗をかいたら水で洗うか、濡れたタオルで拭くなど、汗疹が出ないように気をつけていました。
冬場に乾燥するということもなかったように思います。
ただ、この頃、化粧水やクリームなどのスキンケア商品を使うようになったのですが、多くの商品が肌に合いませんでした。
やはり、敏感肌というか、弱い肌だったようです。
まずは、小学生の頃から中学生・高校生の頃のことを書かせて頂きます。
小学生の頃
いきなりで何ですが、アトピー暦とか書いていながら小学生の頃の私はたぶんアトピーではなかったような気がします。
当時も、自分はアレルギー体質なのかな、と小学生ながら思っていましたがアトピーとは思っていませんでした。
ただ、以下のようなことがあったので、素因は確実に持っていたと思われます。
・学校での健康診断で「アレルギー性鼻炎」と診断された
→アレルギー体質
・夏場は必ずと言っていいほど肘と膝の裏、首に「汗疹(あせも)」が出ていた
→肌が弱い
・しまっておいた服をそのまま着ると体がかゆくなっていた
→ていうかたぶんダニアレルギー
……今になって書き出してみると、アトピーにならなかったのが不思議なくらいです。肌が乾燥することはなかったからかもしれません。
〈使用していた外用薬〉
ラブトッピ(最初は違う商品名だった気がします)
フルコート
親が買ってきてくれたのを使っていました。
スキンケアはほとんどしていませんでした。
小学校高学年になってニキビが出始めたので、むしろそっちのケアに気を配っていました。
中学生~高校生の頃
汗疹の症状が小学生の頃と比べるとやや軽いものになりました。
また、汗をかいたら水で洗うか、濡れたタオルで拭くなど、汗疹が出ないように気をつけていました。
冬場に乾燥するということもなかったように思います。
ただ、この頃、化粧水やクリームなどのスキンケア商品を使うようになったのですが、多くの商品が肌に合いませんでした。
やはり、敏感肌というか、弱い肌だったようです。
大学一年生の冬
大学一年生の一月半ば、インフルエンザにかかりました。最高で40度近い熱が出て一週間程度寝込み、さらにまた一週間ほど咳が残り、咳止めの薬をもらいに行った近所の医院で
「なんで熱が出た時来なかったの」
とおじいちゃん先生に言われ
「39度5分の熱があったら家から出られませんがな!」
と内心毒づいたりしてました。
…ちょっと脱線しました。
それでも無事に熱も下がり咳も止まり、日常生活に戻ったのですが、その私の身に、インフルエンザにかかる前はなかったことが起こり始めました。
なんか肌がカサついたのです。
最初に気になったのは顔、もとい額でした。
粉が吹く、というより、ポロポロと乾いた角質(?)のようなものがはがれていったのです。
でも当時の私は
「空気が乾燥する季節だからなあ。」
と、適当に保湿クリームを塗るくらいのことしかしていませんでした。
けれどもやはり肌のバリア機能が落ちていったのか、かゆくなってきて、よせばいいのにぽりぽり掻いたりしてました。
ここから始まりました乾燥肌のかゆみスパイラル。
かゆいからから掻く→掻くから皮膚が弱る→皮膚が弱るから外部刺激に敏感になりかゆくなる→かゆいから掻く…(以下堂々巡り)
そして似たようなことが、額からだんだん目の周り、顔全体、首、体へと広がっていったように思います。
それでも最初はまだ乾燥肌と言えるレベルだったので、市販の保湿クリームや、尿素入りの乳液などでケアするだけでした。
けれどもそんな対処療法ではかゆみも乾燥もよくならず、私はついにとあるクリニックに行ったのでした。
そのクリニックにはその後長いことお世話になることになるのですが、実は、最初は2、3度行ってしばらく行かなくなってしまったのです。
それまでにも皮膚に関してはいくつかの病院に行ったことがあったのですが、私自身があまり通院に真面目ではなく、また、信頼を置ける先生にも出会えていませんでした。
そのため、このクリニックからもしばらく足が遠のいていました。
ちょうど季節が春から夏へと変わっていき空気の湿度が上がり始めたため、皮膚の状態があまり悪化しなかったこともあり…。
けれども季節が秋に変わると、だんだん全身が乾燥しかゆくなるようになりました。また、目の周りなども赤くなり、私はついにいわゆる「アトピー」の状態になったのです。
どうしようもなくなって、数ヶ月ぶりに私は先述のクリニックを再び訪れました。
そのクリニックの治療方針の第一は体質改善であり、漢方薬の処方や食事療法、生活指導を行い、ステロイドは一切用いない、というところでした。
だからなのだとは思いますが、
「症状の改善まで、少なくとも3年は見て。」
と先生に言われて正直、
長!
と思いましたが、考えてみればそれまで十年以上皮膚トラブルを抱えてきたので、確かにそれくらいはかかるかなとも思いました。
で、血液検査の結果アレルゲンとわかったダニとハウスダストの除去のために掃除洗濯をすること、など、いろいろと指導を頂き、私の治療生活がスタートしたのでした。
第一次悪化期というだけに、「アトピー」と診断される症状でまともに通院するのは初めてでした。
それまでにも皮膚科には行ったことがあったのですが、湿疹とかあせもとか、そういった症状でした。しかも私は患者としては非常に不真面目で、真剣さに欠けていました。
けれども幸か不幸か、それだけに私はステロイドをあまり使っていませんでした。(市販の「フルコートF」(レベル:ストロング)を、これまた漫然ですらなく不真面目に使ったり使わなかったりしていましたが)
そういった状況で、なおかつ比較的早めに病院に行ったので、悪化期とはいってもさほど重症ではありませんでした。
精神的につらいことはけっこうありましたが…。
第一次悪化期の本格治療生活は大学2年の秋ごろから始まりました。
今考えても驚くくらいあれもこれもと気を遣い、がんばっていました。
…いや、食事療法は微妙だったかもしれません。
「果物、甘いものは食べないように。チョコレートとかコーヒーも。」
と言われ、果物は食べないようになったんですが、甘いものは食べてました。コーヒーも飲んでました。
毎日でもないし、もちろんそんなたくさんじゃないですが。
当時やっていた治療法は↓こんな感じです。
・ツムラ漢方薬(47、34、80、96)服用
・田七末服用
・スキンケア(またの機会に詳述します)
・塗り薬として紫雲膏、太乙膏使用
・入浴剤使用(漢方薬を煮出して浴槽に入れる)
・アレルゲン(ダニ・ハウスダスト)除去(掃除、洗濯、布団に掃除機かけ等)
あと、布団とその周辺のリネンはヤマセイのものを使っていました。
結構なお値段でしたが、親が20歳の誕生日のプレゼントとして買ってくれました。とても感謝してます。
そんな中で、私はかなり気を張っていました。
特に洗濯、掃除においては、若干潔癖症とでも言えそうなレベルにまでなっていました。
現在はずいぶん緩和されたものの、その傾向はまだ残っています。
少し神経質になりすぎて、家族と衝突したことも何度かあります。
でも、そこまで頑張っても、そう簡単に症状が治まったわけではありませんでした。
二週間に一度通院し、症状の経過を報告し、薬(漢方薬)をもらい、入浴剤やスキンケア用品をもらう、という生活が続きました。
でも1年くらいで顔の赤みがほぼ解消され、2年くらいで全身の症状は治まりました。
残ったのは、肘の内側、首、まぶたが時々でしたが、それほどひどくなることはなくなりました。
しかし。
しつこく残ることになってしまったのが、指、手、手首です。手湿疹に近いものだったかと…。
これが結構つらかったです。
何をするにも痛くて。
もちろん常に手袋をするような状態でした。夏でも。
今は手袋をするほどではありませんが、たまに指にできます。
以上、ざっと書きましたが、実は期間にするとずいぶん長いです。
7、8年くらいでしょうか。
長いですが、その間少しずつですが確実によくなりました。
最後の方は、もらった漢方薬も、症状が強く出てしまった時に飲むだけになりました。
先生も、
「それでいいのよ。そうやって自分の体とうまく付き合いながらコントロールしていけば。」
と仰ってくれました。
だから通院も二週間に一度ではなく、随時、という感じでした。
先生に会うのも一年に数える程度になりましたが、
「どう?調子は。」
「ハイ。まあまあ落ち着いてます。」
と、近況報告をして、季節の変わり目には、これからは暑くなってムレやすくなるからそれに合った漢方薬を、とか、そろそろ空気が乾燥してくるからその対策になる漢方薬を、といった風に薬を貰っていました。
アレルゲン除去とスキンケアは続けていましたが、漢方薬の入浴剤や紫雲膏、太乙膏は使わなくなっていました。それで大丈夫だったので。
こうして私の第一次悪化期は終息し、小康状態になりました。
たまにちょっとつらい症状になってしまう時もありましたが、
「ま、これが私の体さ。」
と気楽に思いながらケアし、それなりに節制し、でも無理せず生活していました。
私はたぶんこれからもこんな感じでアトピー体質と付き合っていくんだなーと、のんきに思っていたのです。
でも。
そんな私の油断につけ入るかのように「第二次悪化期」がやってくるのでした。
それまでにも皮膚科には行ったことがあったのですが、湿疹とかあせもとか、そういった症状でした。しかも私は患者としては非常に不真面目で、真剣さに欠けていました。
けれども幸か不幸か、それだけに私はステロイドをあまり使っていませんでした。(市販の「フルコートF」(レベル:ストロング)を、これまた漫然ですらなく不真面目に使ったり使わなかったりしていましたが)
そういった状況で、なおかつ比較的早めに病院に行ったので、悪化期とはいってもさほど重症ではありませんでした。
精神的につらいことはけっこうありましたが…。
第一次悪化期の本格治療生活は大学2年の秋ごろから始まりました。
今考えても驚くくらいあれもこれもと気を遣い、がんばっていました。
…いや、食事療法は微妙だったかもしれません。
「果物、甘いものは食べないように。チョコレートとかコーヒーも。」
と言われ、果物は食べないようになったんですが、甘いものは食べてました。コーヒーも飲んでました。
毎日でもないし、もちろんそんなたくさんじゃないですが。
当時やっていた治療法は↓こんな感じです。
・ツムラ漢方薬(47、34、80、96)服用
・田七末服用
・スキンケア(またの機会に詳述します)
・塗り薬として紫雲膏、太乙膏使用
・入浴剤使用(漢方薬を煮出して浴槽に入れる)
・アレルゲン(ダニ・ハウスダスト)除去(掃除、洗濯、布団に掃除機かけ等)
あと、布団とその周辺のリネンはヤマセイのものを使っていました。
結構なお値段でしたが、親が20歳の誕生日のプレゼントとして買ってくれました。とても感謝してます。
そんな中で、私はかなり気を張っていました。
特に洗濯、掃除においては、若干潔癖症とでも言えそうなレベルにまでなっていました。
現在はずいぶん緩和されたものの、その傾向はまだ残っています。
少し神経質になりすぎて、家族と衝突したことも何度かあります。
でも、そこまで頑張っても、そう簡単に症状が治まったわけではありませんでした。
二週間に一度通院し、症状の経過を報告し、薬(漢方薬)をもらい、入浴剤やスキンケア用品をもらう、という生活が続きました。
でも1年くらいで顔の赤みがほぼ解消され、2年くらいで全身の症状は治まりました。
残ったのは、肘の内側、首、まぶたが時々でしたが、それほどひどくなることはなくなりました。
しかし。
しつこく残ることになってしまったのが、指、手、手首です。手湿疹に近いものだったかと…。
これが結構つらかったです。
何をするにも痛くて。
もちろん常に手袋をするような状態でした。夏でも。
今は手袋をするほどではありませんが、たまに指にできます。
以上、ざっと書きましたが、実は期間にするとずいぶん長いです。
7、8年くらいでしょうか。
長いですが、その間少しずつですが確実によくなりました。
最後の方は、もらった漢方薬も、症状が強く出てしまった時に飲むだけになりました。
先生も、
「それでいいのよ。そうやって自分の体とうまく付き合いながらコントロールしていけば。」
と仰ってくれました。
だから通院も二週間に一度ではなく、随時、という感じでした。
先生に会うのも一年に数える程度になりましたが、
「どう?調子は。」
「ハイ。まあまあ落ち着いてます。」
と、近況報告をして、季節の変わり目には、これからは暑くなってムレやすくなるからそれに合った漢方薬を、とか、そろそろ空気が乾燥してくるからその対策になる漢方薬を、といった風に薬を貰っていました。
アレルゲン除去とスキンケアは続けていましたが、漢方薬の入浴剤や紫雲膏、太乙膏は使わなくなっていました。それで大丈夫だったので。
こうして私の第一次悪化期は終息し、小康状態になりました。
たまにちょっとつらい症状になってしまう時もありましたが、
「ま、これが私の体さ。」
と気楽に思いながらケアし、それなりに節制し、でも無理せず生活していました。
私はたぶんこれからもこんな感じでアトピー体質と付き合っていくんだなーと、のんきに思っていたのです。
でも。
そんな私の油断につけ入るかのように「第二次悪化期」がやってくるのでした。