■ 「マンガ誌」を標榜するコミックギアは害悪でしかない
より正確に言えば,掲載作品の多様性を維持するシステムが整備不良のまま,第一号掲載作品を似かよった作品で固めたコミックギアという漫画本に,「雑誌」を連想させる「マンガ誌」という言葉を付与して商業流通させることは害悪でしかない。
1. 掲載作品の多様性を維持するシステムが整備不良のまま
公式サイト内「作家募集」ページでは応募の条件として「東京都練馬区にある制作スタジオに通える方」を挙げている。この条件をのめる作家がどれほどいるだろうか。その中で条件をのむ作家はいかほどだろうか。
まさか募集する側が「本気で漫画を描きたい奴は地理的条件なんか気にするんじゃねえ!」と言うはずはないだろう。それは募集される側だけが叫んでいい言葉だから。
2. 第一号掲載作品を似かよった作品で固めた
「連載作品紹介」ページ参照。絵柄だけ見ても「ヒロユキ氏が4~5人いるんじゃね?」と思わせる。図像レベルでの多様性が削がれているだけでも致命的なのに,内容では男主人公の俺様キャラが,構成では大ゴマの使い方が似ているという始末だそうだ。この条件だけなら掲載作品の新陳代謝に期待するところだが,そうもいかないのは既に1.で述べた通り。
もうひとつ1.と絡む話だが,作品が似通っているだけでなく,作家陣のつながりが強すぎることも,多様性を維持するシステムを阻害している。第一号掲載陣は9人中8人(9人中9人かも)がヒロユキ氏の同人プロジェクト「H-project」のメンバーで固められている。外から見れば身内以外の何者でもない彼らが集まるスタジオに飛び込む勇気を持てる作者が果たしてどれだけいるだろうか。まさか募集する側が「本気で漫画を描きたい奴は身内だとかそうじゃないとか気にするんじゃねえ!」と言うこともあるまい。やはりそれは募集される側だけが叫んでいい言葉だから。
3. コミックギアという漫画本に「雑誌」を連想させる「マンガ誌」という言葉を付与して商業流通させる
1.かつ2.が成立していても,この漫画本が,例えば「ヒロユキプロデュース同人誌」なり「俺様キャラアンソロジー」なりを銘打っていれば何も問題はない。それはこの漫画本が届くべきではない対象に届かないための有益な情報である。「俺ヒロユキ先生たちの作品好きなんだよね」「私,俺様キャラって目がないの」と思わない読者は「同人誌」「アンソロジー」の言葉を見ることで漫画本を買わないことを容易に選択できる。
それを,コミックギアは「マンガ誌」と銘打った。これだけでこの漫画本に興味をひかれてしまう読者の数は跳ね上がるだろう。その内容が既に凝り固まっていて,将来に渡る変化の期待に乏しい,そんな漫画本であったとしても。
いずれかの条件が偽であったならば俺だって「害悪」とは言わない
1.が偽であれば第二号以降に期待する。2.が偽であれば,掲載陣にもよるが,新しい漫画雑誌に興味が湧かないはずがない自分としてはおそらく手に取るだろう。3.が偽であれば「きっと俺じゃない誰かが買うんだろうなあ」とスルーする。
以下は余談
「コミックギアが商業的に成功する」ことは,これらの問題とは切り離して考えられるべきだろう。「マンガ誌」と銘打ったことで,この漫画本を購入した・購入するであろう読者数は,「同人誌」「アンソロジー」と銘打った時に期待されるそれより多いことは容易に推測できる。
また,普通の雑誌の編集者・漫画家スタイルとは異なる手法により制作されたことで,従来よりも製作費が抑えられている可能性もある。例え実売絶対数が少なくても,製作費がそれを下回れば利益が出るわけだから。
おとなり感想
悪い。これは堂々と名指しで否定したい気がする。コンセプトの時点で気持ち悪い。この発案者の人っていうのはどういう経緯でこんなことを考えたのかしら。仲良しクラブの大将になりたいのかしら。そんでホイホイ下につく若い子ってのも正気なのかしら。
ほんと月並みな言い方になるけど、同人誌じゃねえっつうの。ひとりで悩んで、人に隠れて鍛え抜いて、ようやく捻り出す、それが自分の世界ってもんだろう。
総じて、シチュエーションの設定までを周到に準備したものの、そこで力尽きたのか、以後のシークエンス構築はボロボロな作品が、たいへん多いです。巻頭言で宣言された『読むことが面倒であったり、疲れたりしないマンガ』という目標は確かに達成されていますが、それを、キャラクターの数を極力減らしたり、行動原理を単純化したり、展開の読めなさをパージして勢いとノリをぶち込んだり―― といった方法で実現させているので、疲れない・でも味もしない・続きも気にならないマンガばかりができてしまいました。
コミックギア読んだ マンガ描くって作業は、孤独との闘いにあるように思えた 切磋琢磨の結果は、似たような線と構成ばかりめにつく金太郎飴な雑誌だった (*)
もしも「ヒロユキプロマガジン」とでも名乗ってたなら、もっと抵抗感なく読めたかもしれない それくらい、バラエティさが削がれてる (*)
あ、これだけは強調しておきたいけどコミックギアは近年稀に見るクソ雑誌の気配濃厚 (*)
コミックアライブ創刊時の「どこもかしこも学園モノ」も凄かったけど、ギアは、設定は色々違うけどノリが全部同じでかつ全部 「俺様主人公がウザい」 「大ゴマの使い方が変(下手)」 「中身スカスカ感がすごい」 だった。 (*)
右ページ1/3(1/2)ぶち抜きは連発しちゃいけない、という物凄い反面教師だったと思う。一冊通してずーっとそうだった。 (*)
コミックギアの製作総指揮を司ってるヒロユキ氏にダメ出しできる漫画家はいなかったのだろうか?ヒロユキ氏の「スーパー俺様ラブストーリー」は一挙2話94P掲載と言うことだが1話:48P122コマ、2話:46P137コマで、平均して1P辺り3コマも無い。コマ数が少ない作風だとしても意味ない大ゴマ、見開きの連続で、どう見ても1話分のプロットを無理矢理2話分94ページに引き延ばしてページ稼ぎをしているようにしか見えない。演出に欠けている上に話の間延びもいいところ。これにダメ出し出来てない以上、このシステムが理想で終わってしまってる事の証拠に他ならない。
全体を通しての感想をひと言でいえば、“子ども向け”。個性付けに必要な要素を断片的にいくつか貼り付けたキャラクター達が、金や根性や不思議な力の助けを得て、大ゴマの中をドタバタする感じ。全体的に説明不足で、それでも把握しやすい設定にはなっていますが、それは端的に言うとありがちな感じということであって、ある程度マンガを読み慣れた人には面白味に欠けると思います。
専門学校を出て、同人やって、一緒に同人誌作って、という人たちに、好き勝手にマンガを描かせると、みんながみんな同じようなマンガを描いてくるのだろう(そういえば「コミックギア」に描いている作家さんたち、今回の夏コミは全員東方ジャンルだったな)。それだと、雑誌としてあまりにもみっともない。そうならないように、ひとつの雑誌で、バラエティにとんだいろんなジャンルのマンガを載せるために、「編集者」がいるんじゃないのか。
他にもいくつか。
「ネガ意見に偏って集めてるんじゃねーの」と言うのであればポジ意見も教えて欲しいな。その際は「なぜ」を突き詰めている意見を教えてくれたらありがたい。「普通に面白かった」とかいらないから。
ブコメレス
b:id:nisoku2 読まずに書いてます。個々の掲載作品をDISるのではなく媒体やシステムをDISるのでしたら読む必要はありませんよね。
b:id:mosomososamegui 「届くべきではない層」の読者に、本来であれば不要だったはずのコスト(金銭的、時間的)が発生します。/一番手っ取り早い「改善」方法は「マンガ誌」という文字を消すことだと思っています。
通りすがり島本和彦の吼えよペンで漫画家が雑誌作った話思い出した。
その話でも結論は漫画家は漫画を描くのが正解だった気がするんだが。
犬山作者達の過去の原稿と比べると、画力の飛躍的な向上は目を見張るものがあります。
恐らく絵に関しては相当にダメ出しし合ったんでしょう。
結果、似たような絵ばかりになってしまったわけですが。
しかし結局の所、同人作家が10人集まったところで、誰一人漫画理論を持っている人がいなかったので、
ストーリーも構成もメタクソな漫画になったと思われます。
スキルを共有するのは誠に結構ではありますが、あの中の誰一人持っていないスキルの場合、
全員がそれを欠いたまま漫画を描いてしまうのはあまりに盲目的に感じました。
描き文字、効果線、数コマ単位の演出、重要シーンの強調、
ストーリーの圧縮、主題の提示、親近感のある主人公。
上記のスキルは掲載作家の誰一人持ち合わせていません。
持ち合わせていないだけならまだしも、それを指摘するだけの知識もなかったのでしょう。
漫画家が集まってダメだしし合いながら描くというシステム自体は否定しませんが、
なんのことはない、一番の問題は集まった作家達が全員ヘボだったということでしょう。
こんな企画にホイホイ乗る時点で分かりきったことだったのかもしれませんが。
こんにちは。ブクマにレスを頂いたので少しだけ。
>個々の掲載作品をDISるのではなく媒体やシステムをDISるのでしたら読む必要はありませんよね。
「第一号掲載作品を似かよった作品で固めた」ことを害悪扱いする根拠に挙げているのですから、これはピントがずれているでしょう。
内容の類似は、単なるシステム上の話ではなく、読んでみなければ判断しようのないことなのですから。
僕は、いわゆる「エア批評」を全て否定する気はありませんが、「媒体やシステムをDISるのでしたら読む必要はありません」というのは、少なくとも、このエントリについての正当化論拠にはなり得ません。
コメントありがとうございます。
2.の「内容では~」以降は蛇足であり切り捨てて構わない部分です。よって伝聞で済ませています。
重要なのは前半で書いている図像の多様性です。これは本誌を読むことなく判断することが可能です。公式サイトの「連載作品紹介」を見れば,多くの作品の男性キャラがシャープな顔立ちをしていることが分かります。酷似した絵柄の作品がいくつも続く雑誌に魅力が感じられるでしょうか。少年ウケする絵柄を集めているはずの少年誌だってここまで似かよってはいないでしょう。
蛇足によりこの記事が「エア批評」と捉えられかねないこと,そしてnisoku2さんにそう取られてしまった事実は甘受します。しかし図像うんぬんについては私自身の意見です。その意味でこの記事が「エア批評」だとは全く思っていません。
レスをいただきありがとうございます。主題とはズレますが、一点だけ。
本に対して「一般的に害悪」「良い試みを伸ばすために悪い試みの芽は早めに直すか摘み取るべき」とまで言ってしまうのは言葉が過ぎるように思われます。
それではまるで悪書追放運動を意図されているように読めてしまいます。
漫画の良し悪しは読者が自身の責任(あるいは趣味)において判断すればよいことで、害悪と主張してまでコミックギアを買うかもしれない層を保護してあげることはないかと思いました。
コメントありがとうございます。
取り急ぎ,確認をさせて下さい。xx-internetさんはブコメのふたつの「害悪」という言葉を:
・(読者個々人という意味で)自分にとって害悪
・(読者個々人でなく漫画業界的な意味で)一般的に害悪
という意味で使われていますか?
私は最初,これらの言葉を:
・(id:SweetPotato自身という意味で)自分にとって害悪
・(is:SweetPotato以外の読者を含むという意味で)一般的に害悪
と解釈してブコメレスしたのですが,xx-internetさんのコメントを読むと,どうも私がこれらの言葉を誤解しているのかなと思いましたので。
誤:is:SweetPotato→正:id:SweetPotato
いえ、
>・(id:SweetPotato自身という意味で)自分にとって害悪
>・(id:SweetPotato以外の読者を含むという意味で)一般的に害悪
の解釈でいいですよ。一般 = 読者の集合のつもりです。(作者サイドの事情は勘案していません)
SweetPotato さん個人の意見として否定されるのは構いませんが、他の漫画ファンを含む複数人の普遍的事実としてコミックギアが害である、という言い方はまずいかと思いました。
もしかして"害悪"の解釈が違うでしょうか? 自分は価値がマイナスのものが"害悪"、ゼロが単なる"悪"というつもりで受け取りましたが。
このエントリで書かれているように事実コミックギアのクオリティが低いとして、自分にとってはコミックギアの価値はほぼゼロで、マイナスではありませんし、マイナスとまで言われるほど悪いとは思えなかったために違和感がありました。
「害悪」の解釈について了解しました。SweetPotato以外の読者を含むという意味で「一般的」ですね。また,私も価値がマイナスのものを「害悪」だと定義しています。
それを踏まえて,やはり私はコミックギアは「一般的に害悪だ」と主張します。それは,システム面や図像レベルだけ見ても雑誌足り得ない漫画本を,「同人誌」でも「アンソロジー」でもなく「マンガ誌」と銘打って商業流通させることで,本来ならばこの漫画本を手に取るはずのなかった読者にも金銭的・時間的なコスト(「護身」のために要するコストを含む)を強いることになるからです。
もしギアが,例えば「ヒロユキアンソロジー」として刊行されていたら,xx-internetさんはお手に取りましたか? 仮に「手に取らなかった」と思われるならば,xx-internetさんは590円とギアを読んだ時間を消費せずに済んでいたわけです。
(ここでは「同人誌」「アンソロジー」で手に取る読者よりも「マンガ誌」で手に取る読者の方が多いことを想定しています。ギアの掲載陣情報は事前に明らかになっているので,前者で手に取る読者は後者でも手に取ると考えて差し支えないでしょう。)
「一般的(=読者の集合)」に害悪であっても「普遍的(=全ての『個々の』読者)」に害悪というわけではないです。おそらくヒロユキ氏のファンの方々はこの漫画本をとても楽しく読まれるでしょう。読者が自分の好きな作家の作品を好きなように楽しむことには何の問題もありません。問題は,雑誌足り得ないこの漫画本を「マンガ誌」と銘打って刊行し,本来ならば手に取るはずのなかった読者にまで手に取らせることです。
おっしゃる内容は理解しているつもりで、制作体制への批判はうなずける部分もありますが、それでも主張として強すぎるように思います。
・漫画誌としてクオリティが低いことを害悪としてしまうと、他の雑誌なり本なりも害悪扱いになってしまう。単にクオリティの低い漫画誌や作品であれば書店に多数あり、ことさら批判するようなものでもない。
・「ファン以外の不特定多数にとって害悪」という主張は、ファン以外で害悪と感じない人にとっては違和感がある。「価値がない」までなら同意できますが。自分の基準で一般流通物が害悪と言うと、明らかな人種差別描写があるとか犯罪教唆に当たるとかのレベルです。
コミックギアの質とは既にほとんど関係ない話ですみません。
いえ,おつきあいいただき,ありがとうございます。
私は「漫画誌としてクオリティが低いことを害悪として」いるつもりはありません。そもそも私はギアのクオリティ(=個々の掲載作品の質)について話しているつもりは全くありません。
私が害悪だと言っているのはコミックギアの売り方です。システム・図像的に雑誌足り得ない漫画本を「マンガ誌」と銘打って売り出すことを害悪と言っています。そして,こうした販売方法は,読者がギアのコンテンツに対してどのような感想を抱くかとは独立に批判されるべきだと思っています。
誤解を恐れずに例えて言えば,私は「ギア精肉店が豚肉を『鶏肉』として売り出すこと」を批判しています。私はその肉自身がおいしいか否かについては興味がありません。(加えて言えば,世間一般的に豚肉と鶏肉のどちらが好まれているかについても興味がありません。)そして,例え消費者が「鶏肉だと思ってこの豚肉買っちゃったけどおいしいからまあいいや(価値プラス)」「~お腹を壊さなかったからまあいいや(価値ゼロ)」と思ったとしても,それは結果オーライの話で,ギア精肉店の販売方法が批判を免れるわけではないでしょう。
「牛肉の産地偽装のような商業道徳の問題なので、実害の有無とは無関係に反社会的である」という主張と考えてよろしいでしょうか。だとしたら害悪という言い方も少し納得が行きます。
そういう話であれば、あとは「マンガ誌」というラベル or ブランドがどの程度厳密に守られるべきなのか、という点次第で SweetPotato さんに同調する人の数は変わるでしょうね。
(個人的にはそこまで厳密なものでもないかなとは思いますが、立場は理解できます)
>あとは「マンガ誌」というラベル or ブランドがどの程度厳密に守られるべきなのか
はい,最後はそんな感じの話に行きつくと思っています。私なりに言えば「どうあれば『マンガ誌』を標榜していいのか」という問題ですね。
「私が考える『マンガ誌』」をいくつかの言葉でまとめると,[1] 定期的に刊行される,[2] 内容が特定のジャンルで固まっている,[3] 固まっている上で,内容が雑多である,[4] 内容が時間とともに変化する,[5] これらを維持する仕組みが存在する,です。そしてギアは,1と2はよしとして,また4も観測できないのでさておき,3と(3・4を維持するための)5が欠けていると私は考えています。3は個々人によって感覚の差があるはずなのでまだ譲歩の余地がありますが,5は読者一般が観測できる限りではギアに備わっているようには見えません。「東京都練馬区にある制作スタジオに通える」作家しかギアに募集できないって条件厳しすぎやしませんか?それで誰がギアにやってくるのでしょうか?
こうした部分が改められれば(例えば,募集条件を緩めるなり,毛色の違う作家を引っ張ってくることができる編集者がギアに積極的に介入したりすれば),私もギアが「害悪」だとは言いません。
雑誌に求めるものの違いということで了解しました。
SweetPotato さんの定義で言うと、自分がマンガ誌に期待する条件は [1][4] だけで、しかも必須ではないと考えているために齟齬があるのでしょう。
[5] はあるに越したことはありませんが、そのようなシステムがあるマンガ誌でも、面白かったものがつまらなくなったり、逆につまらなかったものが面白くなることは日常的にあるので、自分は [5] の欠如を決定的な瑕疵とは見ていません。以前ブックマークしていただいたエントリの言葉で言えば、「そういうものだ」と思っています。(これはこれで極端な発想ではありますが)
定義の違いが認識できたので、とりあえずここまでにしたいと思います。異論等ありましたら id コールでも投げていただければ、また反応します。長々と失礼しました。
いえ,辛抱強くお付き合い下さり,ありがとうございました。
犬彦うがやギアの最後に載ってたカードゲーム漫画には他の連載作品とは違う絵柄とギャグのオリジナリティがありました。
ひとつの雑誌にひとつお気に入りを見つけられたらそれでいいじゃないですか。
同じ絵柄ばっかりでも、内容が面白ければ、りぼんみたいにファンがつくわけですし。
生まれたての赤ちゃんの顔を見て、みんな似た顔してると言うようなものです。
やたら多様性があったら他のマンガザッシと同じじゃないですか。
同じスタジオ、同じスタッフで共同作業しているのだから似ていて当たり前ではないですか。
その事は書いてあったはずです。
どうせヒロユキファンしか買わないし、その数もたかが知れてるでしょう。
そもそもヒロユキファンは彼のまんがに内容は求めてないです。
ツンな女の子を眺めたいだけです。
表紙もアレです。
別に期待を裏切るものではありません。
最後に毛色の違う漫画も読めてお得でした。
犬彦うがや連投すみません
「維持する仕組み」に関しては、それこそ今後の続刊を待たなければわからないはず。
まあ、ギアはそんなに続かないと思いますが。
それはシステムというより内容がヘボいからだと思います。
逆に続いたらそれはシステムの正しさを証明することになりますか?
「続く」というのが「創刊号と変わらぬ執筆陣で続巻が刊行される」という意味でしたら,たとえ本当に続巻が刊行されたとしても,正しいどうこう以前に「マンガ誌」を作るシステムがそもそも存在していない,と私は考えます。コミックギアがただ単に生き続けることと「マンガ誌」らしく生き続けることは別問題です。