清水次郎
朝日放送に入社してからは、同期の小縣とともに、主にスポーツ実況を担当している。その一方で、1999年4月から2年間は、日曜昼の生ワイド番組『SUPER SUNDAY ガッチとジロー』(ABCラジオ)に、小縣と共にパーソナリティとして出演。清水は"ジロー"の愛称で親しまれた。
2003年4月からは、阪神戦の中継に出演するかたわら、同球団の情報を扱うABCテレビの番組『虎バン』で2014年12月までナビゲーター(司会)を担当。2011年12月の時点では、小縣と共にスポーツアナウンサーのデスクも兼務していた。
野球のオフシーズンには、2007年から2年間、同局のスポーツアナウンサーでただ1人箱根駅伝実況中継(文化放送制作・NRNネット、ABCラジオでも放送)にリポーターで登場。ラグビーについても、ラジオ番組でのリポートや、テレビ中継での実況を担当することがあった。赤星憲広(元・阪神外野手、現在は野球解説者)とともにパーソナリティーを務める『赤星と次郎のオーライオーライ』(ABCラジオ)では、2010年度のオフシーズンに放送のラグビー情報コーナー「ムキムキ!ノーサイド劇場」において、ラグビーの魅力を伝えていた。
その一方で、2011年度以降は、通信教育で中学校・高校の教職課程を履修してきた。2016年中に中学校・高校の社会科教員免許取得の目途が立ったことから、同年3月末でアナウンサーとしての活動を終了。公立中学校(または公立高校)の社会科教師へ転身すべく、7月実施の教員採用試験を受ける目的で、6月に朝日放送を退社した(詳細後述)。ただし、退社前に収録したABCラジオ向けスポットCMの一部は、退社後も同局で引き続き放送されている。
過去の担当番組
テレビ・ラジオの全国高校野球選手権大会中継では、2015年まで、実況やインタビュアーを担当していた。2016年3月末で、すべての番組への出演を終了。翌月から朝日放送を退社するまでの期間には、有給休暇を消化しながら、教員採用試験への準備に専念していた。
※地上デジタル放送完全移行の前には、アナログ放送終了の告知ナレーションを務めた。
- SUPER SUNDAY ガッチとジロー(前述)
- ビューティーコンテンツ(金曜深夜)パーソナリティ
- ベストヒット80s(2008年4月28日未明に放送の特別番組)パーソナリティ
- 武田和歌子の野球にぴたっと。(2010年からの『ABCフレッシュアップベースボール』前座番組) - 実況・ベンチリポーター担当日を中心に、2015年まで出演。
- 赤星と次郎のオーライオーライ(2010年4月から2015年12月まで不定期で放送、2010年度のナイターオフ期間のみレギュラー化)- パーソナリティ
- 清水次郎のちょびっと(2015年12月7日 - 9日)
- スポーツにぴたっと。(2010年度以降のナイターオフ番組)- 2010年度は水・木曜パーソナリティ。2011年度以降は、パーソナリティ代理・パートナー・リポーターとして不定期で出演。『武田和歌子のぴたっと。』に組み込まれた2013年度以降も、2015年度まで出演を続けていた。
- 清水次郎の虎たま! → 福本豊の虎たまデラックス!(2011年度 - 2015年度のナイターオフ番組、2013年度 - 2015年度のプロ野球シーズン中は『Monday! SPORTS - JAM』内の「虎スタ」に統合)- 2014年度までの『虎たま!』では単独でパーソナリティ、2015年度の『虎たまデラックス!』では福本豊のパートナーとして出演。テレビ・ラジオを通じて最後のレギュラー番組であった『虎たまデラックス!』最終回(2016年3月21日放送分)で、朝日放送を退社する旨を初めて正式に表明した。
主な実況実績
- 全国高校野球選手権大会中継(1995年 - 2015年)
- 関西出身の両親の影響もあって、少年時代からの阪神ファンであることを公言。当時は、「阪神タイガース子どもの会」に入るかたわら、真弓明信を特に応援していた。ちなみに、朝日放送アナウンサーとして阪神戦の実況を初めて務めた富山アルペンスタジアムからのラジオ中継(1996年6月23日の広島対阪神戦)には、真弓が同局の野球解説者として清水と共演している。
- 2008年のプロ野球シーズンには、阪神甲子園球場の阪神戦で葛城育郎がお立ち台に上がるたびに、テレビ・ラジオ中継のヒーローインタビュアーとして「勝利の雄叫び」を催促。これをきっかけに、両手を挙げながら「ウォー!」と絶叫することが、葛城の代名詞になった。
- 柳沢慎吾の大ファンで、清水が担当したある番組のゲストに柳沢が出演した際、マシンガントークを目の当たりにし、最後にお決まりの「いい夢見させてもらったよ、あばよ!」を生で聞くことができ、感激したとホームページのプロフィールに綴っている。
- 朝日放送のスポーツアナウンサーとして後輩アナウンサーを指導する立場になってからは、実況技術の指導中に、同じことを繰り返し注意する傾向があったという。清水も、「しつこい性格」であることを自認している。
- 2016年3月にアナウンサーから教師へ転身する意向を明かした際には、少年少女に関する事件をアナウンサーとしてニュースで伝える機会が増えるにつれて、「『まだ子ども』といえる世代が加害者や被害者になる前に、どうにかならなかったのだろうか」という思いが強まっていたことを告白。「マスメディアの世界で働く者として、『子どもたちに貢献する方法がある』と思っていたが、『どうしても(貢献するには)遠い』と感じていた。『子どもたちにできること』を改めて自問した末に、『教師になる』という結論を導き出した」とも述べている。
- 大学時代に教員免許を取得していなかったため、2011年秋から4年間にわたって、通信教育の教職課程を履修。教員免許取得の目途が立ったことに加えて、妻の山崎が教師への転身を応援する意思を示したことから、「中途半端になるのは野球に対して失礼」との思いで退路を断つことを決意した。
- 教師への転身について、高校野球の中継・取材などを通じて親交の深い山下智茂(星稜高等学校野球部名誉監督、元・監督)へ相談したところ、「下積みの末に(アナウンサーとしての)今の地位がある」という理由で反対された。しかし、後に「『お金が残らなくても、人が残る職業』という点で、教師は素晴らしい」という金言を掛けられている。さらに、清水から兵庫県公立高校教員採用試験への合格を知らされると、「土壇場で諦めなかった清水さんの執念だ。奥様に感謝しなさい」という言葉で清水夫妻を労った。
- 転身の意向を明かした際には、「(前述した)『しつこい性格』が教育現場ではプラスに働くことや、『他人を笑顔にしたり幸せにできたりする力』が子どもに必ずあることを信じているので、そのような力を子どもたちと一緒にしつこく探せるような先生になりたい」「甲子園で出会った(高校野球の)監督の方々のように、思春期の生徒と本気で向き合いたい」という抱負を披露。その一方で、「『子どもの頃から好きな阪神や高校野球に携われる』という夢のような日々を送ってきたので、阪神戦や高校野球を実況できなくなることは寂しい」という表現で、スポーツアナウンサーの仕事に対する愛着が依然として深いことも示した。
- 退社後に受験した兵庫県の公立高校教員採用試験では、筆記試験や面接に加えて、模擬授業も経験。「元アナウンサーとしてのアドバンテージは、人前でしゃべるのに緊張しないことだけ」とのことで、面接では、想定外の質問に苦し紛れで答える場面もあったという。ちなみに、合格の直後には、「高校時代に出会う大人の存在は重要。生徒と毎日真剣勝負で向き合いながら、生徒に寄り添う先生になりたい」というコメントを寄せた。