ウェブブラウザのJavaScript(ジャバスクリプト)の設定が無効になっています。Javascriptが無効になっていると、サイト内の一部機能がご利用いただけません。 目を閉じろ、と言われたから従った。上を向け、と言われたから従った。だがさすがにその言葉はなんなのだろう、と一瞬ためらった。「口を開け」「え、っと」「なにも大口を開けろって言ってるんじゃねえ。少しでいいから口を開け」「理由、を」「あぁ?」ドスの効いた声に身体が竦む。目の前の男、土方が自分を害するとは思わないが自分よりも身なりも大きければ力もある、おまけに人間である自分に対して相手はサーヴァント。怯えはもはや本能的なものだった。そうしておずおずと唇を開く。とはいえ、それは文字通り、ほんの微かに、だったが。だが、それで十分だったらしい。満足そうに笑う声を目を閉じたぶん鋭くなっているらしい聴覚が拾い上げる。しかしそれ以上土方が何かを言うことはなく、いったい何をと首を傾げようとすれば、動くなという様に顎が掴まれて。するりと唇を撫でられる感覚にぞわりと背筋が泡立つような感触に身体が跳ねる。身体を襲った衝撃は大きくはないが、なまじ無防備だった分威力は大きかったらしい。だがびくびくと震える女など気にも留めないというように「なにか」は何度も唇を撫でるように右へ左へと繰り返し撫でていく。目を開けても良いだろうか。怒られる、気もする。でも気にするなというのが無理な話。そろそろと瞳を開けば目の前には微かに赤みを帯びた瞳が楽しそうな笑みを孕んでいて。珍しい光景に思わず瞳を大きく見開けばようやく己の置かれた状況を理解する。唇を撫でる「なにか」、唇に触れているそれを辿れば黒い衣に覆われた腕が伸びていて。そのまま辿ればたどり着くのは目の前の男。そうしてもう一度己の口元に視線を向ければそこあるのはやはり予想通りものがある。すなわち、土方の指が。「…なにをしているんですか?」「ちょっと手に入れたものがあってな」「だから、なにを」「せっかくだからお前に塗ってみた」「ですから土方さん、それはいったい」「ただの紅だ」べに。べにってなんだっけ、としばらく考えてようやく思い至る。ああ、口紅か、と女が知るそれは唇を撫でる手とは反対にあるものとは一致しなかったからなかなかつながらなかったが。だがしかし、である。「どうして指で、なんですか」「なんだ、知らないのか?」「なにをですか」「この指をなんて呼ぶか、だ」にぃ、と楽しそうに釣り上がる土方の口角に、ざわりと警戒が生まれたのは条件反射だった。思考も何もなく本能が警戒を訴えた。あいにく顎を抑えられているせいで逃げることはできないのだが。刀を扱う土方の手は大い。顎を抑えながら紅を塗るとか器用にも程がある。うろうろと視線を唇を撫でる指と土方の顔の間を往復させることしかできずにいれば、土方は笑って告げる。「紅差指、だ」「は、あ……?」「まあ、紅を差すだけで終わるわけもねえんだがな」「んぐっ!?」そう告げたと思えば唇をこじ開けられ咥内にねじ込まれた感触に驚愕に瞳を見開く。なにを、と見つめる先ではうっそりと土方が笑い。ぞろりと咥内を撫でられる感触にえも言えぬ感覚に襲われ眉間に皺を寄せることしかできずにいれば。目の前で土方がぺろりと舌なめずりをする様に、今まで何をしていたという勢いで警鐘がガンガンと頭の中で鳴り響く。どうすればと固まる女の前で土方はと言えば。もはや隠しもせずに笑みを浮かべ耳元に寄せた唇がひっそりと秘め事のように告げる。「おせぇんだよ」なにがなんて問うまでもない。そういえば土方という男は、と日本史の教科書の内容を思いだし。今度こそ隠すことなく女は眉を顰めるのだった。[newpage]「病で独り死なせるくらいなら俺が殺してやれば良かった」そう告げた土方に一瞬息が止まった。そんな女に気づかないのか見つめる先で彼らは気安げに言葉を交わす。おそらくあれは生前からの彼らの距離なのだろう。残酷なほど目の前の二人はしっくりきていて。そして女の入る余地はなかった。「バカ言わないでくださいよ。どうして私が土方さんなんかに……こふっ?!」「そうやって独りで血を吐かせるくらいなら、ってことだ」はっ、と嗤う土方に、口許を抑えながらも沖田は笑う。まっぴらごめんだ、と。「死ぬときは戦場と決めてますから。今度こそ」「そうかよ」そんなやりとりを見ていられなくて俯いてひっそりと唇を噛み締める。鬼副長なんて言われていようが彼だってただの人間だ。望んで人をてにかけるわけではない。規律維持のための粛清のため、戦場だから。そんな理由で人を斬ってきた土方が、自らの意思で殺してやれば良かった、と告げる意味と重さ。うらやましい、と思うのを止められない。だって彼の刀が自分に向けられるのは、間違いなく女が止まるとき。彼のいう士道に背いたことによる粛清のため、だけだから。「……介錯、ですらきっとあの人はしてくれない」特別だ、といいながらそのくせ酷く残酷な人だと思いしる。だったら、と俯いて苦く笑えば女の足が止まったことに気づいたらしい沖田が足を止め。振り向いて不思議そうな顔をしている。「マスター?どうかされましたか?」「……なんでもないよ」ハタハタと、風になびく羽織の裾を見つめながら女はただ、笑う。覚悟をひとつ、抱いて。ちぇっ。あと少しだったのになぁ。崩れ行く足元もろともに落ちていきながら女は笑う。文字通りあと1歩。その1歩が致命的に足りなかった、と。未練はある。悔いることもある。だが力を出しきった、とも言い切れる。だからああすればよかった、という後悔はない。ただひとつ、詫びるなら。(ごめん、マシュ)あの子に詫びなければ、と思った。それでも最期の最後に自らの意思で女と対峙した人王に付き合ってやるのも悪くはないかな、なんて。できることは全部、もうやったから。あとは、そう。ひとつだけ、嫌がらせもできるから。「あなたになんて、見せてあげない」女を手にもかけてくれない愛しくて残酷な男に最後の報復という贈り物を。死をくれないなら、私の死もあげない。あなたが殺してくれないなら私はあなたの知らない場所で死にましょう。ああ、なんて虚しい報復、と笑う女の前に、けれど手が差し出されて。「先輩っ!!」その声に瞳を見開いた。そうして戦いは終わった。1人だけ、欠けてしまったけれど。とりあえずの決着に、重荷がなくなったと誰もが笑っている。いまはまだ、1人の喪失に少し引きつった顔ではあるけれど。そんな中で、ただ一人険しい顔をしている男はあまりに異質だった。「おい、てめぇ」「ちょ、土方さんどうしたんですか!っていうかなにやってるんですか!!」ぐい、と加減もなく胸倉をつかまれ足が宙に浮く。視線を向けた先にはいつもより近い場所に、男の顔がある。まるで敵でも前にしたような険しい顔をした土方の顔が。「何を勝手に死ぬつもりでいやがった」「……死ぬつもりはなかったですけれど」「あの時、お前は終わりを受け入れていただろう。それを死ぬつもりと言わずに何という」諦めることはすなわち敵前逃亡。粛清されたいのか、と告げる土方に女は笑う。その異様さに、マシュが掠れるような小さな声で名前を呼ぶ声が聞こえるけれど。今告げる言葉は一つだけだった。「そうだとしても、安心してください」「あぁ?」「あなたの前では死なない。あなたの前でだけは死んでなんてあげない」「……てめえ。知っててそういうか」地を這うような低い声に、叶うならば腹を抱えて笑いたい。知っているか、なんて。知っているに決まっている。この男が、女の死についてどう思っているかを。「俺が、お前が死ぬ時は俺の前で死ね、と思っていることを知っていてそれを言ったのか」「……もちろん。知っていて言っています。あなたの前でだけは絶対に死なない。私がもしも志半ばで死ぬ時は」あなたの手が決して届かない場所で。それが、あなたに殺してさえもらえないだろう私の決めた報復だ、と笑えば。視線だけで殺されそうな眼をした男が、女を睨み付けていた。