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第三十八夜:竹清訓『代謝建築論――か・かた・かたち――』(1969、復刻版2008)――建築の各部分すべてに、同じように長い時間を耐えぬく、奥ゆかしいデザインを求める必要はない。ある部分は交換し、更新することによって、つねに新しく輝き、楽しいデザインをする方法を、同時にとりいれるべきである。――
2012.08.21 02:32|一夜一冊|
2011年12月26日、ひっそりと息を引き取っていた、菊竹清訓。享年83歳の大往生だった。激動の2011年は、この巨星が去るという最後の波乱でやっと幕を下ろした気がした。彼が公に姿を現したのは、メタボリズム展が最後であっただろう。六本木森美術館で行われたメタボリズム展は、建築の内外を問わず反響があった。私は、建築以外の人があの展覧会をどのように受け止めていたかがとても気になったが、少なくとも、メタボリズムという言葉が一般に認知された機会であったであろう。
戦後は間もなく70年を迎えるが、それでもなお個人の一生で語ることが出来る。メタボリズムに参加した巨星たちは、みな長命だ。戦後復興を彩る建築群は、多くが彼らの手がけた作品である。メタボリズム――新陳代謝すること。それは、よく考えれば当たり前のことだし、当たり前故にどのようにして起きているのか捉えづらいことでもある。
人の細胞は入れ替わることは良く知られている。一定の期間で新陳代謝を繰り返すならば、一体それは同じものといえるのだろうか。私は依然こんな疑問を抱いたことがある。同じ文化財でも、茶碗は割れたらそれは壊れたということがわかる。欠けた部位に補填をすれば、それはもう元の姿ではない。しかし建築はどうだろうか。至る所で文化財修復の名の下に部品を入れ替えている。法隆寺が日本最古の木造建築だということは当たり前だ。しかし、その部材全てが同じ時を重ねて来た訳ではない。西岡棟梁のような大工がその都度、修理をしてきたのである。だとしたら、同じ法隆寺だとしても、平安の、室町の、江戸の、明治の、そして平成の法隆寺は同じものだろうか。同じといえるならば、何が法隆寺を規定しているのか。仮に、天才かなにかで9割の部位が破壊され、修復したとしたら、それは「もとどおり」の姿なのだろうか。
つまりは、「伝承性」の問題だ。伝承文化/伝承文学を学ぶ者として、それは常に疑問であるし、研究の対象である。しかしながら、三十五夜で述べたように、変化しないことが過去を伝えているかというと、それは甚だ疑問である。オリジナルをそのまま受け継ぐこと、それは不可能だ(オリジナルそのものを残すことは出来ても)。意外と、「昔から続いている」と言われている文化が、最近形作られたものだということもあるし、「これが本来の伝統の姿である」と思われている文化が、後世に作られたものであるということもある。私は、その時間で試行錯誤された中に、変わらないものが見いだせると思っているし、変化することが残すことにも繋がると思っている。変わったということも1つの価値である。逆に、古い姿のままに固執して、現代の生活を圧迫しすぎるような保存の仕方には疑問を抱くこともある。伝統を「過去であるから」という理由で妄信するのではなく、なぜ良いのか/なぜ美しいのかを自分から発見することが重要なのではなかろうか。
私論が長くなった。本書の内容に入ろうと思う。本書は、1969年に発表された。翌年に万博を控え、1960年にメタボリズムが誕生した世界デザイン会議が開かれている。
――設計を問題することなしに、建築学は、社会とともに進み貢献することはできないと考えられる――
と建築と社会の繋がりを考えた上で、デザインの方法論として、「か・かた・かたち」の三段論法を考え出した。内容については、菊竹の図を使用した説明があるので、そちらを参照してもらいたい。ざっと説明するならば、人間の五感で認識できる<かたち>、<かたち>を理解するための<かた>、その原理で普遍性を持つ<か>となる。日本語のことばの意味からそれぞれのなりたちを考え、三角形また円環構造でとらえたその思考は、文理に捕われない発想から生まれていて、とても示唆に富んでいる。
建築だけでなく、一般的な文化論としても読み応えがあるのは、2章の「伝統について」だ。伝統論争もあり、日本の建築がどのように作られてきたのか、どのように建築が誕生したかということが問題になってきていた。菊竹は、古代出雲大社をここで取り上げている。柱を中心に居住し、その柱の立て替えのために樹を植えるという考えは、まさにメタボリズムの考えだろう。(柱に関しては、第4章「目に見えるものの秩序」でも述べている)
第3章は、AIA1964年次大会招待記念公演での「形態と伝統」である。
――新しい形態がつくり出されるのは、つねに伝統の上にであり、伝統の否定においてである。そしてそれが新しい伝統創造の条件なのである。――
――なぜなら、伝統的形態が、新しい形態を生みだすのではなく、伝統的精神が、新しい形態をささえるものだと思うからである。――
という考えは、伝統から新しい文化を創造するという点で、岡本太郎とも呼応している。菊竹はこの中で、<新しい展開><技術のモーメント><秩序の展開>という3つの観点から現代建築を語り、<秩序の展開>において
――古い伝統は古い秩序であって、秩序を歴史の中に学び、現代のそして未来の秩序をつくり出していかなければならない。東京のメタボリズム・グループは、そういう新しい人間のための秩序を追求しようとしている。人間に環境を対応せしめる秩序である――
と、メタボリズム・グループの創造について述べている。菊竹のその秩序の具体例は、1963年に完成した出雲大社庁の舎である。
素材としてのコンクリート。コンクリートは、近代建築の重要な要素である。コンクリートという地域に制約されない建築材によって、世界の建築が繋がったといってもいいだろう。しかし、それも菊竹は
――環境素材は少なくともその地域社会のパーソナリティを表現するものでなければならない――
――コンクリートに混入される砂・砂利・石材が現地のものであれば、それだけ地域との結びつきが強く感ぜられるようように思われる。――
と述べ、
――建築とは社会進化のための装置である。このうえで現代建築をいかなる装置とするか。独占資本に奉仕する装置とするか、地域社会の装置とよみとるかによって、環境素材選択が変わってくるであろう――
と、その時代でありながら、独占資本主義、画一化されていくグローバリゼーションに一石を投じているのは、興味深いことであった。
菊竹は現代の建築と都市を「人工の代謝装置」と定義した。そしてそれを知るために、歴史に型を探し、現代がどのような型を求めているかを考えた。型も進化する。その時代において、カタを変え、それをカタチに表してきた菊竹清訓。彼がカとしたものはなんなのだろうか。カタと考えたものはなんなのだろうか。それを残された建築群から知ること。それが、今後の新しいか・かた・かたちを知ることになるのだろう。
2008年の復刊には、著者が新たなあとがきを寄せている。その一文が、私のように建築外の人間が建築ついて考えることを後押ししてくれるので、最後に引用したい。
――建築への議論の門戸は自由に解放されている。是非、様々な分野の方々と意見を交わし、未来のトータルな人間環境の「ビジョン」を一緒になって考えていきたい。――
戦後は間もなく70年を迎えるが、それでもなお個人の一生で語ることが出来る。メタボリズムに参加した巨星たちは、みな長命だ。戦後復興を彩る建築群は、多くが彼らの手がけた作品である。メタボリズム――新陳代謝すること。それは、よく考えれば当たり前のことだし、当たり前故にどのようにして起きているのか捉えづらいことでもある。
人の細胞は入れ替わることは良く知られている。一定の期間で新陳代謝を繰り返すならば、一体それは同じものといえるのだろうか。私は依然こんな疑問を抱いたことがある。同じ文化財でも、茶碗は割れたらそれは壊れたということがわかる。欠けた部位に補填をすれば、それはもう元の姿ではない。しかし建築はどうだろうか。至る所で文化財修復の名の下に部品を入れ替えている。法隆寺が日本最古の木造建築だということは当たり前だ。しかし、その部材全てが同じ時を重ねて来た訳ではない。西岡棟梁のような大工がその都度、修理をしてきたのである。だとしたら、同じ法隆寺だとしても、平安の、室町の、江戸の、明治の、そして平成の法隆寺は同じものだろうか。同じといえるならば、何が法隆寺を規定しているのか。仮に、天才かなにかで9割の部位が破壊され、修復したとしたら、それは「もとどおり」の姿なのだろうか。
つまりは、「伝承性」の問題だ。伝承文化/伝承文学を学ぶ者として、それは常に疑問であるし、研究の対象である。しかしながら、三十五夜で述べたように、変化しないことが過去を伝えているかというと、それは甚だ疑問である。オリジナルをそのまま受け継ぐこと、それは不可能だ(オリジナルそのものを残すことは出来ても)。意外と、「昔から続いている」と言われている文化が、最近形作られたものだということもあるし、「これが本来の伝統の姿である」と思われている文化が、後世に作られたものであるということもある。私は、その時間で試行錯誤された中に、変わらないものが見いだせると思っているし、変化することが残すことにも繋がると思っている。変わったということも1つの価値である。逆に、古い姿のままに固執して、現代の生活を圧迫しすぎるような保存の仕方には疑問を抱くこともある。伝統を「過去であるから」という理由で妄信するのではなく、なぜ良いのか/なぜ美しいのかを自分から発見することが重要なのではなかろうか。
私論が長くなった。本書の内容に入ろうと思う。本書は、1969年に発表された。翌年に万博を控え、1960年にメタボリズムが誕生した世界デザイン会議が開かれている。
――設計を問題することなしに、建築学は、社会とともに進み貢献することはできないと考えられる――
と建築と社会の繋がりを考えた上で、デザインの方法論として、「か・かた・かたち」の三段論法を考え出した。内容については、菊竹の図を使用した説明があるので、そちらを参照してもらいたい。ざっと説明するならば、人間の五感で認識できる<かたち>、<かたち>を理解するための<かた>、その原理で普遍性を持つ<か>となる。日本語のことばの意味からそれぞれのなりたちを考え、三角形また円環構造でとらえたその思考は、文理に捕われない発想から生まれていて、とても示唆に富んでいる。
建築だけでなく、一般的な文化論としても読み応えがあるのは、2章の「伝統について」だ。伝統論争もあり、日本の建築がどのように作られてきたのか、どのように建築が誕生したかということが問題になってきていた。菊竹は、古代出雲大社をここで取り上げている。柱を中心に居住し、その柱の立て替えのために樹を植えるという考えは、まさにメタボリズムの考えだろう。(柱に関しては、第4章「目に見えるものの秩序」でも述べている)
第3章は、AIA1964年次大会招待記念公演での「形態と伝統」である。
――新しい形態がつくり出されるのは、つねに伝統の上にであり、伝統の否定においてである。そしてそれが新しい伝統創造の条件なのである。――
――なぜなら、伝統的形態が、新しい形態を生みだすのではなく、伝統的精神が、新しい形態をささえるものだと思うからである。――
という考えは、伝統から新しい文化を創造するという点で、岡本太郎とも呼応している。菊竹はこの中で、<新しい展開><技術のモーメント><秩序の展開>という3つの観点から現代建築を語り、<秩序の展開>において
――古い伝統は古い秩序であって、秩序を歴史の中に学び、現代のそして未来の秩序をつくり出していかなければならない。東京のメタボリズム・グループは、そういう新しい人間のための秩序を追求しようとしている。人間に環境を対応せしめる秩序である――
と、メタボリズム・グループの創造について述べている。菊竹のその秩序の具体例は、1963年に完成した出雲大社庁の舎である。
素材としてのコンクリート。コンクリートは、近代建築の重要な要素である。コンクリートという地域に制約されない建築材によって、世界の建築が繋がったといってもいいだろう。しかし、それも菊竹は
――環境素材は少なくともその地域社会のパーソナリティを表現するものでなければならない――
――コンクリートに混入される砂・砂利・石材が現地のものであれば、それだけ地域との結びつきが強く感ぜられるようように思われる。――
と述べ、
――建築とは社会進化のための装置である。このうえで現代建築をいかなる装置とするか。独占資本に奉仕する装置とするか、地域社会の装置とよみとるかによって、環境素材選択が変わってくるであろう――
と、その時代でありながら、独占資本主義、画一化されていくグローバリゼーションに一石を投じているのは、興味深いことであった。
菊竹は現代の建築と都市を「人工の代謝装置」と定義した。そしてそれを知るために、歴史に型を探し、現代がどのような型を求めているかを考えた。型も進化する。その時代において、カタを変え、それをカタチに表してきた菊竹清訓。彼がカとしたものはなんなのだろうか。カタと考えたものはなんなのだろうか。それを残された建築群から知ること。それが、今後の新しいか・かた・かたちを知ることになるのだろう。
2008年の復刊には、著者が新たなあとがきを寄せている。その一文が、私のように建築外の人間が建築ついて考えることを後押ししてくれるので、最後に引用したい。
――建築への議論の門戸は自由に解放されている。是非、様々な分野の方々と意見を交わし、未来のトータルな人間環境の「ビジョン」を一緒になって考えていきたい。――
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