いろいろありがとうございます♪♪でもごめんなさい、少しお休みします…今年中には復活したいです、泣
終戦後10年間くらいの下着事情を引き続き、少し詳しく。

戦前の洋装下着は少女や若い女学生などにはズロースとかが普及していたもののまだまだ発展途上、既製品もあったようですが高年齢層など全体に広く普及してはいませんでした。その状態で太平洋戦争→終戦と混乱と物資の欠乏した時期が続きました。戦後、ようやく洋装が広まって次第に誰もが洋服を着るようになると洋装用の下着が必要になりました、着物では「基本はパンツなし」でしたから(とも言い切れないんですけど)暇なら下↓の古い記事を参考になさってください、間違ってるかもだけど…。着物を着ていても婚前に洋服や女学生時代に制服を着ていた女性はズロースを脱ぐことは少なかったみたいですし?戦争中にもんぺを着る際の下着としてズロースなどが用いられるようになったということも結構あったのではないか?と思ってもいます。
終戦直後の手製の下着類は、浴衣など古い衣類から作りました。最左の一般的な下穿き(おそらくズロース)は手縫いで二時間だそうです、裾にゴムを入れてもよい、とありますがゴムも足りない頃でした。シミーズ(シュミーズ)も、(ありあわせの衣類などの)輪状の布に紐をつけ用布も手間も縫い糸も節約。上着を頻繁に洗濯できなかったので、下着は重要でした…石鹸も不足してましたけど。 真中の説明文、ズロースとブルマーの違いがわかるでしょうか?本来はズロースの上にブルマーを重ねるものです。(運動着としてのブルマーは今は省略です)

洋装下着は、まずアンダーウェア(肌着)から普及しました。ズロース(ドロワース、今のパンツです、大きいけど)と、シュミーズ(シミーズ、肌に直接着るもので元来はシャツも含まれる、今のキャミソール的?スリップはその上に着るすべりのよい中間着)やシャツ類などです。けれど太平洋戦争が始まり、戦中戦後は下着に限らず全ての衣類が枯渇しました。その頃「衣類は家庭で作る」ことが多かったのですが、作るための材料さえなくなってしまっていました。特に下着に適している綿は、戦争で海外から輸入できない期間が長かったために本当になかったのです。あっても、貴重だからこそ食料に換えてしまったり…宝くじの景品が「純綿」の時代でした。追記 輸入に頼っていた綿(毛も)は日中戦争後の1938(S13)年の強制的なスフの混用規則公布以降、どんどん入手難になっていきます。やがて、摩擦や濡れに非常に弱い粗悪なオールスフがわずかな配給・切符制でしか供給されないようになり、その配給すら滞っていたのが戦争末期から占領期の状態です(詳細は、下着タグで)。
ですから衣類は酷使され尽くされ、必要なのに製品はおろか手作りするための材料さえなくて…どうしたかというと、古い衣類を更生(リメイク・リフォーム)してなんとかしのいでいたのです、古いあらゆる繊維製品を動員して下着を作ったり、ボロボロになった衣類を、何度も何度も、毎日のようにつくろって着ていたのだそうです。そのつぎあてに使う布や繕うための糸もなくなって1946(S21)年頃の女性誌では帯やテープ類をほぐして糸を作るように指導しています。女性誌を読めるのは、比較的余裕のある層だとは思うのですが、それでもかなり厳しそう…

という状態が少し落着いた1949(S24)年頃の下着事情を以前に書いたのですが(下↓に参考)「せめてパンツ類とシュミーズ(シミーズ)やシャツを2枚ずつ用意して…」というかんじ?ブラジャーなどは、おしゃれに関心がありなおかつ運良く入手(作成)できた、わずかな人々が持っていたような状態だったみたいです。
同じく1949(S24)年、衣類の更生…リメイク・リフォームの特集から。手持ちの和洋さまざまな古い繊維製品から(中には玉突き台の緑の敷布からとかも)新しいものを作り直す記事。各種衣類の修繕方法も詳しく「下着のつくろい方」では「目立たない下着は、とかくいい加減になりがち…」痛んだ状態で着ていたことが推測できるような書き方です。ズロース(パンツ)やズボン下の股下を、傷む前にたんねんに刺しつぎして未然に予防。「布地が弱って薄くなったら」「薄くなったていどでしたら、当て布をして刺しつぎをしますが、つくろいがきかなくなったり」という書き方がよく状況を表しています。靴下類は「前日に明日穿くもののチェックを」と促しているように、毎日のように誰かのものが破れていたような話もよく書かれています。

1950(S25)年、おしゃれで裕福な読者を対象に絹やレーヨンの下着を勧める豪勢な記事があるのですが、そのなかで体にあうよう採寸をしっかりして、ゴムなど使わない(ボタン留めなど)かさばらないものを作るように、と指導しています。下着類は洋裁店などで作ってもらえたのですが、庶民の基本は手作りでした。製図つきの記事では、洋服のシルエットに影響しないように、パンツ類(パンティー、ブルマース)を体にピッタリ合わせて作るようにとの助言が多いです。

ズロース(ドロワース)、という言葉はこの頃の洋裁関係の記事ではあまり使われることはありません。以前からの、大きくゆったりしてウエストや裾にゴムの入ったもの、をこう呼ぶことが多く、戦中から戦後のこの時期のズロース(ドロワース)はやや小さめのブルマー的、作る場合は丈は45~50cmくらいと推測します。裾にゴムを入れると暖かく、余裕があればレースなどで飾ることもありました。ズロース…ドロワースが日本に導入された当時は、洋装が非常に高価だったこともあって美しく作られることが多かったのですが、次第に実用的なものが中心になります。戦前(昭和10年代)頃には、少女・女学生向けのズロースは、実用下着としてシンプルなタイプが既製品で出回っていたようですし、戦後もわりと早く生産も開始されていたようですから、一般に広く普及していたものだとは思うのですが??サイズが大きく上下にゴムを使っていて(当時の素材の伸縮性などの問題で現在のようなものは技術的に無理)、洋服の着こなしを崩しがちな為、同様に「女性着」と呼ばれた厚手のシャツとともに「美しい洋装」には適していなかったみたいです。ぴったりして小さいはずのパンティで30㎝以上、ズロース・ブルマーだと40~50cm以上なので、今と比べると驚くほど大きいものでした、だから厚みのある布で作り(繊維が未発達で厚く重いものが多い)重ね着するとかなりの量感があったと思います。

洋装は生地も安く作るのも簡単な「夏服」から普及しました。冬の洋装は和服に比べて寒かったので(足はストッキングのみ推奨、ズボン類は正式な服装ではなかった)パンツ類やシャツ2~3枚重ねていたようです、男女ともに。女性誌の洋装記事では厚く大きな下着はスタイルをくずすので避けるように書かれているものの、実際の下着類は多くが分厚く重い綿のメリヤスなどの大きいものでした、それを何枚も重ねるのですからモコモコしてとても着心地が悪かったそうです。シミーズやスリップの代わりに「女性着」と呼ばれた和洋兼用の厚手のシャツを重ねて着ることも多かったようです。なので、繰り返し女性誌で「正しく美しい洋装の着方」が指導されたのだと思います。また「ズロース」の愛用も依然根強く、昭和30年代でも少女や女学生の多くはズロースとシャツだったみたいで…。
昭和20年代半ば(1950年代初期)、復興が進み物資が出回るようになり、繊維類の統制が解除され衣料切符も廃止されて、繊維製品が自由に買えるようになりました。これを機会に化学・合成繊維などが多く出回って洋装…洋服を着る人口が一気に増えていきました。そんな1951(S26)年年末、デパートの既製品(注文服?)類です、ピンクのものもあって結構きれいです。

下着関係です