第7話|中田雅史 テロワールミュージシャン


〜 絶対にまた会いに行きたいから、もっと強くなりたかった 〜

PROFILE
中田雅史(ナカタ マサシ)
テロワールミュージシャン

1984年北海道島牧村出身のシンガーソングライター。
全国を旅したくさんの人との出会いと別れ、そしてまた再会できることの願いを胸に秘めて歌う。そのオーガニックなサウンドから “
循環の輪” の響きを興し、今日もどこかで誰かの喜びと幸せのために歌い続けている。


Introductory chapter

〜食と音楽には深い繋がりと長い歴史があって、そこに対するスペシャリストを紹介したい〜 そう言い残したソガイハルミツ氏(第6話)のその想いはテロワールミュージシャン中田雅史氏へのリレーインタビューへと繋がりました。我々は北海道今金町から小樽へと向かい、古民家をセルフリノベーション中だった氏の元へ到着。そこでまず我々が感じたことは彼の ”育ちの良さ” と、光りだしてしまいそうな ”健康美” 。そして “大きなビジョンで何かを俯瞰する不思議な力” を直感し、これから何かとても大きなことを興しそうな彼のその雰囲気に、惹き込まれるようにお話をお伺いする形となりました。中田雅史氏はテロワールシンガーソングライターです。なので記事中には彼の音楽をyoutube動画でたくさん盛り込んでおります。ぜひ曲を再生しながらお読みただければ幸いです。それではライブスタートです!!

2016年9月25日〜取材
(プロデューサー:堀田健志)

—— 雅史さんはじめまして。ソガイハルミツさんからのバトンをリレーしにインタビュー取材にお伺いし致しました。本日はどうぞ宜しくお願い致します。

中田:わかりました。僕でよければ。

—— BIASTRAはまだ公開前(取材時)の新しいメディアですが、リレーインタビューで773名を目標に繋げて取材する旅に出てます。

中田:俺が773人のうちの7番目っていうこと? すげーなんかそれ重要じゃん。

—— ソガイハルミツ氏の大きなご人脈の中、雅史さんへのパス。きっと何かがあるなと確信を持って我々もお伺いしました。

中田:わかりました。しかしこれから相当な長旅なんですね、、。

俺も旅してるよ。そっか、話も長くなるからはい、これ奈良のオーガニック番茶ですが、どうぞ。

 

バドミントンで全国へ

—— それでは早速、初めて雅史さんを知る方のために、詳しいプロフィールや音楽活動をされている経緯をお伺いさせてください。

中田:北海道島牧村出身で、シンガーソングライターをやっている中田雅史(なかたまさし)と言います。1984年12月2日生まれの射手座のAB型です。

—— AB型というと天才気質的な…

中田:熱しやすく冷めやすい。

—— けど、歌はずっと歌い続けてる。

中田:そう、歌だけはずっと熱し続けてるさ。

—— スポーツは何かやっていましたか??

中田:両親がバドミントンをやっていて、そこで出会って結婚したの。それから故郷の島牧村で子供達にバドミントンを二人で教え続けていて、兄妹みんなシャトルと体育館のシューズがこすれる音を聞きながら育ったんだ。自然とバドミントンをやりはじめていたね。

母さんは奈良から小樽へばあちゃん達と一緒にここ(おひさま)へ引っ越してきたの。ここ(おひさま)がばあちゃん家だったんだ。お父さんとお母さんが知り合って結婚したのも小樽だった。

—— 雅史さんのご兄弟は?

中田:俺は3兄弟です。1個上に姉ちゃん、2個下に妹がいて、みんなね、バドミントン家族なんだよ。

—— バドミントン家族、とても素敵ですね。

中田:小さい頃からバドミントンを頑張ってて、小学生で全国大会に出て、中2の確か新人戦の時に第2シードという優勝候補だったにも関わらず2回戦でぼろ負けしちゃったことがあってね。でも、それが転機になった。

 

“出会いと旅”
それが俺の核だと気がついた

—— 勝てると思った試合を落としたの?

中田:そうだね。

帰りのバスで、「何で負けたんだろう」って真剣に考えた。で、「あ、練習が楽しくなかったからだ」って思った。

—— バドミントンの練習を楽しめなくなった。

中田:それには理由があって、漫画スラムダンクの影響で同級生のみんなバスケットボール部に行っちゃったんだ。

特に、絶対にやめないと思っていたパートナーがやめちゃったのは本当にショックだった。

—— 青春ドラマのような別れですね。タムタム。

中田:でね、その悲しみをかき消すように練習会場まで海辺を走って、家までも走って帰って、筋トレして寝るみたいな努力を重ねたけど、

そういう悲しみから練習してても、どうも楽しくなかった。

どうしたら楽しく練習できるかなって、考えている時に

たまたま読んでいた野球漫画のメジャーの漫画主人公の本田吾郎が転校しているシーンがあったの。

それを見て閃いて!

転校したら楽しく練習できる!!!と思い立って、未来の絵が浮かび上がったんだ!!

次の日母さんに「俺転校したいんだ」と言って、もう2週間後に転校したんだ。

—— 決断と実行が早いですね。ご両親は許してくれたのですか?

中田:父さんも母さんもうん、本当に許してくれてね、というか、

実はバドミントン留学という選択を、両親も望んでいたのかなと、それで日高中学校へ転校したんだ。

—— 近くの中学校だったの?

中田:いや、遠くて、車で6時間ぐらいかかるところに転向した。友達の家に居候させてもらってさ。

で、転校の別れ方も本田吾郎を真似て、一切誰にも言わずに転校しようと思った。

けど、村が小さいから実は転校の話もバレバレになっててさ、けっきょく超感動的なお別れ会みたいになってさ(笑)

「雅史行くなよ」みたいな。(笑)

—— おいくつの頃のお話ですか?

中田:中2の時。

これが自分の人生を初めて舵を取った瞬間だったの。

親に敷かれたレールから外れて、自分で “生き方を選ぶ” ということができたんだ。

日高中学校では友達もいるから超楽しくて、全てが新鮮でエキサイティングだったし、バドミントンも頑張ってるというより、競い合う仲間と一生懸命楽しんで練習してると、めきめきと強くなり目標としていた全国大会へも行けた。

—— 今度は2回戦で負けなかった。そして全国へ。

中田:バドミントンで全国に行き、またさらに友達が増えて、絶対にまた会いに行きたいから、もっと強くなりたかった。

全国の色々な場所で、風を、気候を感じたり、方言とか聞いたり、食べ物も温泉も真新しくて。

俺はそう、バドミントンを通して “出会いと旅とひとつになる素晴らしさ” が自分のコアのような核って中2の全国大会までを経験してわかった。

俺の生き方だと見つけたんだ。

 

“歌手” という意識の芽生え

—— 自分自身で人生の舵を取ることの大切さも覚えた。

中田:中3の時に全国大会が終わり、フト周りみんなはバンドマンやってて、なんだろうこれ?…みたいな。

俺もね、3年の期末テストの時にテレビをつけたら尾崎豊が流れていてその尾崎のシェリーという曲が流れてはじめて聞いた時に、電撃が落ちた。

「ズコーーーン」みたいな。

—— 尾崎豊さんのシェリー。これは名曲ですね。

中田:もうそれから毎晩尾崎のシェリーを聞いてから寝るというのが2年ぐらい続いたの。

—— 2年間毎日シェリーを聞いて寝た。

中田:だけど居候の身だからさ、部屋で大きな声で歌えなくて。

1人で♪♪♪~ってやってたところをガチャっと叔母さんにドア開けられて恥ずかしい思いをした…(笑)

歌ってるなんて恥ずかしいじゃん。みたいな時期だったからね。

 

−を+へ

—— 大声を出して歌いたいですよね。抑圧された環境と想いはどのような展開へ導かれるのですか?

中田:その時はまだバドミントン選手になろうという葛藤もあった。北海道で一番強い札幌第一高校からも特待生の話も出て少し悩んだんだけど、

またバイブルの漫画メジャーを読んだらさ、本田吾郎はちゃんと特待生を華麗に断ってるわけさ。で、弱小校に入り妥当強豪校を目指すという。そこでまたズドーンときちゃって。

それが一番熱いなと思って、俺もまんまと誘いを断って弱小校に入った。

—— 漫画メジャーがまるで中田雅史のシナリオですね。

中田:なんだけど、これが本当に環境が悪く、週2しか体育館は使えない、俺以外ほとんど初心者で監督のようなことや、練習メニューも作らなきゃって。

ついに「大学に行って練習させて下さい」って言って、よく練習しにいったり。体育館どうにも使えないなら体力だけは負けないとおもって、もうずっと走ってたよ。だから俺、陸上部よりも足が速かったよ。

正直高校時代はまるで本田吾郎にはなれなかった。結局うまくいかなかったんだよね。

その頃はむしゃくしゃしてたそんな気持でさえもね、歌にして歌ったら、なんか+プラスのものに変わってったってことにフト気づいたの。

家で泣きながら歌ってた。なんかこう、「ぅわーーー!」みたいな。

だから、高校生の頃から、例えどんな状況であっても、この地球上のどこに落とされても俺はギターがあればどこでも生きて行けるっていう気持ちが芽生えだしたんだ。

だってさ、なんでもプラスに変えられちゃうんだから。

—— マイナスもプラスに変えられる力が音楽にあると気づいたのですね。

中田:その時失恋とかもしたりしてたから。で、大学は京都の立命館大学に行ったんだ。

 

京都へ
ギター持って路上で歌い始める

—— 何でまた京都の大学を選ばれたんですか?

中田:父さんが京都の立命館大学出身なの。ちっちゃい頃から立命館大学時代の楽しそうな話を聞かされてて、面白そうだなと漠然と思っていた。中学にも島牧を出て、日高へ転校し、世界がとんでもなく広がったから、北海道を出て外から北海道を見るという事もいいなと思ってたし。

—— 京都へ行って、北海道の良さを再確認できましたか?

中田:感じたねすごく。「北海道出身です」と言うだけでみんな羨ましがると言うか。「いつか行きたいね」とか。「食べ物うまいよね」みたいなこととか言われたね。

客観的に北海道ってやっぱりすごい場所なんだなっていうのが分かっていったよ。

—— 大学生活は?

中田:高2ぐらいで付き合ってた子と、大学に入って1ヶ月で振られちゃった。それに加えて体育会バドミントン部に所属して頑張っていたけど、思い描いていた部活と違ってがっかりしていたところもあって、初めはなんだか心がズタボロだった。

俺がギター持ってたの知ってたから、慰めるつもりか…『雅史、路上したら?』みたいなことを友達に言われて。

京都の北野白梅町(きたのはくばいちょう)というところから路上で歌うことをはじめた。

だんだん路上が居場所になってきて、「何か一番自分らしいかも」みたいな。「気持ちいいな」みたいな。

—— 歌いながら少し元気でてきた。

中田:ある日ね、繁華街の木屋町(きやまちどおり)に行って歌おうと思って、飲み屋街の路上で歌いだしたの。

尾崎豊の「ドーナツ・ショップ」って言うあまり知られてない曲を演奏してた。

そしたら止まった人がいて

『お前ドーナツショップじゃねえか!』

みたいな…

『俺も尾崎好きなんだよ』

って、その人と尾崎をかれこれ2時間ぐらいずっと一緒に歌ったの。

 

歌への誓い

—— 京都の木屋町通りの路上で2時間も一緒に歌ってたの?

中田:そう一緒に歌った。

なんかすげー合って。ちょっとこの人なんか気が合いそうだと思って。

「実は俺、長渕も好きなんです」

って言ったらね、なんか

『俺もだよ』

って言ってそこから、また1時間、長渕を歌ったの。

長渕を歌ったら、この人には俺の今抱えてる悩みを打ち明けてもいいかもしれないと思って…

「実は俺、失恋したんです」

て言ったら

『俺もだよ』

ってその人も失恋してて。

けど、その人はもっとすごくて、結婚式の式場を決めて、そのタイミングで振られて、、確か職種は警察官だったんだ。

『有給を10日間とって、何をしても立ち直れなかった。合コンもしたし旅も行ったし、飲み会も行ったし、友達と喋ったし、でも最後の日に君と会えて、君と歌ったら明日から頑張れる気がする』

—— マイナスな気持ちをプラスに変えていた

中田:うん。そう言ってくれた。もう嬉しくて、その人に

『君はこれ(音楽)を仕事にするつもりはあるのか?』

と聞かれた。

その瞬間に俺なんか「ブグヮ~」!みたいな。

またあの電撃「ズドーン」「ズドーン」ってきた。

だって俺ね、誰かのために歌ってたわけじゃなかったんだよ。

自分の吐き出したかったマイナスな気持ちを歌って、それを聞いた人が『明日から頑張れる』っていうプラスの前向きな意識になるなんて思ってなかった。

しかもそれが仕事にもなるんだと思わされたその瞬間に電撃が走った。

—— 「ズドーン」は何かの目覚めなのですね。

中田:さっきからこれまで話した「旅」「出会い」「一体感」など、俺の大切な欠片が全て集まってビジョンが1つになった何かになって出てきた。俺の好きなことがひとつなぎでできる!!

ブワーみたいな。

その人ゆうじさんっていうんです。だから俺ゆうじさんへ言ったんだ。

「俺はこれ(音楽)で生きていくことに、今決めました」って。

—— ゆうじさんに音楽で生きることを誓った。

中田:『これ、今日のチケット代だと思ってとっといてくれ』とゆうじさん。

そう渡されたのが新渡戸稲造の5000円札。

『プロのライブはそれぐらいするでしょ。今日はそれぐらいの価値があったよ。どうかこれからたくさんの何千何万人のファンがいたとしても、俺みたいな一人の奴のために歌ってね』

そして

『連絡先は交換しないよ』

って言って去っていった。

俺、 その新渡戸稲造の5000円札を使えなくて、北の国からの1万円札みたいにして、「初心」って書いた封筒に大切に入れて今も飾ってる。

 

音楽の本質的なチカラ

ーー音楽家として生きる誓いをした京都から北海道へはいつ戻ってきたのですか?

中田:2009年。京都で中学時代にすり切れるまで見た尾崎豊あのシェリーのギターを弾いている江口正祥さんと運命的な出会いにより、ビクターからデビュー。現在も制作に関わっている尾崎豊のアレンジャーと西本明さんともこのときに出会う。

北海道に帰ってきて、その尾崎豊ゆかりのメンバーとともに「海空」っていうアルバムをリリースした。

メディア番組を作ってくれて押し出してくれたり、ラジオを持たしてくれて、有線チャート3位になったり、たくさんの協力のもと順調に音楽活動がノリだした時に、あの311(2011年3月11日:東北地方太平洋沖地震)が起きたの。

311の地震が起こってすぐ2週間くらい、島牧の青年部と5000食ぐらい炊き出しに行ったさ。

ギターも持って行ったけど、生きるか死ぬかの瀬戸際を終えたあとだったので

歌なんて歌えないなと、誰かを傷つけるかもなと思って。

—— 歌で人を傷つける?

中田:かもしれないじゃん。悲しみを呼び起こす。そんな時に歌えないなと思っていた。

でも炊き出しの最後の最後の日になって、どんどん自分のできることってなんだろう、やっぱり歌だな、と思った。

毎晩グラウンドのところでおじいちゃんが5人ぐらいで集まって歌って飲んでてさ。そこの人たちだったらちょっと歌ってもいいなと思って歌いに行ったんだよ。

そしたらも〜『北海道なら松山千春やれ』とかさ、『中島みゆきやれ』とか色々言われて歌ってさ(笑)

5人だったのが気がつけば150人ぐらいに集まって、輪になって、 閉じこもってた体育館から勢い良く飛び出して、みんな歌を待ってた。そういう何か楽しめる場を待ってたんだよ。

その時、音楽が無力じゃないんだっていうことを、逆に教えられたような気がした。

音楽ってただのエンターテイメントじゃなく、力だった。明日を生きていくための糧になるものだった。本質的に必要なんだっていうことを体感した。音楽は無力じゃないと。ものすごい光を放つ魔法のようなものだった。

だからそれから、より本質の音楽を頑張って行こうと思った。

けど、どこか、自分が行こうと思っていた道と、少し違いを感じ始めてきてしまった。

—— 有線チャート3位の快挙と、被災地の150人のみんなと輪を組んで歌ったこととの違い。

中田:と、その瞬間にさ、俺声が出なくなったの。

1年後ぐらいに後で発覚したんだけど、病気になってた。最初なんか声が出ないなぐらいに軽く思ってたけど。

レコーディングもできない、大箱ライブもできない、だんだん声がおかしくなって、でも歌うことはやめられなくて。

—— 難しい判断が迫ってきた。

中田:本当はでっかいところでライブやって、がんがんリリースしてとか思ってた矢先に、全てができなくなってしまった。

結局少しずつ節約してそれで生きていくみたいな感じに、なんとかやっていくしかなくなった。

そんな時に、2012年の夏だったかな、ソガイハルミツと出会った。

その時にハルさんがトマトを食べろと送ってきてくれて、そのトマト食べた瞬間に

「あ!このトマト俺の本当の気持ちと一緒だ」

と思った。

もう一週間後には北海道今金町にあるハルさんの畑に会いに行って、ハルさんの仲間たち「山の会」の皆とも仲間になってね。

俺が大切にしてきた本質的なもの、ハルさん自身も、その仲間たちも、大切にしてたことがなんか似てたんだ。

「宝物みつけた」みたいな(笑)

 

ソガイハルミツ氏との出会い

中田:ハルさんに出会って俺、変わったよ。

—— 本質的な、魂の部分でソガイさんたちと共鳴した?

中田:もそうだし、一緒に何かをやっていく人。その土地と一緒に骨を埋める覚悟の人たち。

なんていうか、ハルさんの仲間たちの農業と暮らしを見たりして、音楽もね、血の通った音楽と血の通ってない音楽というのがあるとはっきり見えたんだ。

それはきっと大地にしっかり足をつけた彼らだからそこにインスパイアされて、自分のことも改めて冷静に俯瞰できはじめたんだ。ハルさんのおかげで。

結局、俺が声が出せなくなった時に行こうとしてた先は、何かどんどんプロっぽくなってきててさ、自分からもなんかプロっぽくしちゃってたの。

高額なギャラも貰えるようになって、周りを気にしたり、どんどん物事を効率的に考えて行動し始めて本質が何か違ってきててさ、中身がどんどん薄くなってた。路上で歌っていた頃のような生きるための歌を忘れていた。

仕事でテーマソングは作曲して作れるけどさ、いざ本当の自分の魂から湧いてくるような響きは? というか、それがなかったんだ。

俺は声を失ったことによって、そういうことに気付きなさいって、あるべき暮らしに戻されるような偶然が立て続きに起こった。

俺にきてるメッセージをそう、「毎日少しずつありたい姿へなっていこう」「まずは食べることもしっかり変えよう」と思ってたんだ。

『雅史、玄米食った方がいいよ』

ってハルさんも言うからね。

—— ソガイさんの玄米を!?羨ましい!

中田:この頃、ハルさん達の仲間と一品持ち寄りパーティーなんかをやると、俺は一芸持ち寄りでいくんだけど、それがとっても幸せで。自分の持っているモノで循環してゆく素晴らしさを体感して。気づけば、歌が代換え貨幣になっていた。もう暮らしの全てを仲間のもの、大好きなモノを選んで行きたいなと思いはじめてたんだ。

そうやって2012年から身の周りのもの、仲間の顔の分かるものにどんどん置き換えはじめて、今かなり顔の見える率が高くなってる。

—— ライフスタイルにみんな、仲間との一体感を感じるね。

中田:そうそうそう。本当にそうなんだ。仲間の想いもそこにあるし。見失わないような気がして。感謝も伝えることができるから。

—— 都会に住んでたら商業圏の商品ばかり選ぶし難しいね。でも意識すればできるのかな?

中田:俺もね、毎日1ミリずつ変化させて行こうと思ってそれをずっとやってるんだよ。仲間のものが一番うれしいし、思い出や懐かしさ、あの世まで持って行ける宝物をくれんだよね。

みんながやれば、もっときっとできるようになるよ。

 

テロワールミュージシャン

—— 雅史さんが「テローワールミュージシャン」と呼ばれているのはなぜでしょうか?

中田:それはハルさんたちにね、『雅史の活動はテロワールだよね』って言われはじめたのさ。

—— テロワールとは? なんですか?

中田:テロがテラからきてて、土地とか大地がロールする。大地がめぐるみたいな。循環するっていうような意味でとらえてるんだけどテロワールミュージシャンだねって言われて。

言われればなんかそう、俺の中に不思議に思ってたその筋がある。

これを言葉で何て言うのかとずっと思ってたけど、ハルさんの『テロワール』って言葉を聞いた瞬間に、それかも知れないなと思った。

—— テラがロールする。

中田:北海道でイタリアンレストランを営むシェフがイタリアの食材ではなく、自分の立っている北海道の食材を調理して出す。というのがテロワール。

俺の仲間のシェフとかはみんなそういうのを本質的に大事にしてるさ。どこどこの農家の誰々さんのお肉とかっていうのをなるべく北海道産にこだわって命の循環を表現している。単純に美味しいしね。

もっと突き詰めていくと、裏庭からとってきたものとか、自分の育てたものを最終的にはオーベルジュになっていくって言うんだけど。

宿泊施設とかにレストランが併設して、自分ちの畑の野菜をとってすぐ宿泊者に出すみたいなふうになっていくんだ。鮮度抜群、ゆっくりと時間を味わう、風土を感じ、そこを営む人の息吹を感じる、最高だよね。

—— 島牧ユースホステルはそのようなスタイルとも聞いてます。

中田:そうだね。あそこは島牧の料理をだしてるよ。本当おいしいからさ、絶対にいってきなよ。

で、テロワールミュージシャンがまだ一般認識がほとんどない。

—— いま初めて聞いた言葉でまだちょっとハテナが(笑)

中田:俺は今、純粋にみんなのためになる音楽をシンガーソングライターとしてやりたかったり、そこに行きたくなる音楽がしたくて、

—— そこに行きたくなる音楽? ロールするやつ?

中田:俺の音楽を聴いたりすると『やべぇ。北海道行きてぇ~』みたいになっちゃう。で、来ちゃう。

もっと言うと住んじゃう。っていう事を結構真面目にしたい。

音楽もただ聴いて楽しむだけじゃなくて、行動して具現化して、大地に還元するところまでやりたい。

次に出すアルバムは「僕らのテロワール」っていうアルバムで出してテロワールを一度あやふやでも表現しようと思ってる。

—— では「テロワールミュージシャン」というGoogle検索キーワードで雅史さんが1位になるようにBIASTRAが協力しますね。

中田:なんかそこ得意そうだね(笑)それ本業なんでしょ? ってさ、本当に1位にできたらすごいよね。

 

次話
テロワールな人物のご紹介

—— 雅史さん、BIASTRAのリレーインタビューもテロワールしたく、誰かをご指名しご紹介をお願いします。

中田:山の会を全部巡ったらいいよ。俺も行けたら一緒に行くけどさ。 あそこは深いよ。みんな人生変わって帰るもん。

—— 雅史さん、実はお1人に絞って欲しく。

中田:そっかぁ〜。なら俺は本当はハルさんが紹介したかっただろう、他にもまだまだたくさんいる仲間を代わりに紹介するね。

ん〜。Lalala Farmのよっちゃんかな。(服部吉弘氏)紹介するさ。ぜひ俺らの仲間みんなに会ってくるといいよ。

—— ご紹介をありがとうございます。一旦ロングインタビューもここで締めて、もしアンコールがあれば続けましょう!本日は長時間、本当にどうもありがとうございました。

中田:了解。

今日はみんなありがとうっ!

—— 記事中にもたくさん雅史さんのYouTube動画を貼っておきますので、みなさんぜひ再生して聞いて欲しいですね。ありがとうございました。

 

次回
リレーインタビュー

雅史さんのバトンはソガイ氏が誇りに思う紹介しきれない仲間、服部吉弘氏へリレーされます。ソガイ氏がBIASTRA [ビアストラ]に残してくれたものはまるで、「俺の仲間のことを分からないで俺のことなんてきっと何もわからないよ」と、本当に推測ですが、きっとそんな想いが込められているような、仲間想いに感じました。そして次話、服部氏のインタビューがまさか驚愕の発酵講義になります。”発酵王子” の異名を持つ服部氏のエピソードが炸裂しますので、どうぞごゆっくりとご覧ください。《 🔗 次話

 

中田雅史 関連情報

|STAFF
取材・企画構成編集・プロデューサー:堀田健志
& BIASTRA STAFFS

 

 

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アンコール
ありがとうっ!

 

 

 

超絶スピリチュアル①
コズミックヘンプとは?

—— 記事本編ではカットしてしまいましたが、コズミックヘンプを愛用しているとのこと。詳しく教えて下さい。

麻の炭を…コズミックヘンプって言ってね。俺もうなんかハマり過ぎてる。この家づくりにもだいぶ活用している。床下にまず麻炭を16対1の太陽の比率。地球と太陽の比率にして方角も決めて16グリット組んでそのサークルが2つ入っている。要は麻炭でいいエネルギーに変えて回転して出すんだよね。トンネル効果っていって…麻炭は中庸の力なの。陰性のものを中庸に持ってくる。で、排除しない。悪者にしないっていう。はまっちゃって。2013年くらいからかな。放射性物質のこととかを考えてる。どこにいても放射性物質をとってしまう時代だから結構除染作業にも使われているんだ。だから福島とか行った時とかさ、線量高いところとか近づくとさ、締め付けられるというか、孫悟空のわっかみたいな感じがするんだよね。その影響とかも結構あるのかと思って。いろんな方法があるけど玄米食ったりとかさ、発酵食品を摂ってデトックスする力をつけていかないとなと思ってて、その中の一つとして麻炭。家の中も2階とかは麻炭と漆喰を混ぜて建材としても使ってる。歯ブラシも麻炭で。お風呂とかも麻炭入れて入ったり。 麻炭マンダラ壁ワークショップというのをこの前やって作ったの。この麻炭もそもそも「宇宙人食ってるやつだよ」って言ってもらったんだよね。整体師だけどかなりエネルギー使いで目だけでこうなんか治しちゃうような人で被爆症状も治せちゃうの。その人に勧められたのかな。その麻炭を食べるようになって。「コズミックヘンプ」で検索調べたらでてくるよ。

 

超絶スピリチュアル②
2012年の覚醒

—— 雅史さん、実は相当スピリチュアルな方ですよね?

スピリチュアルな世界めちゃめちゃ好きだからさ、好きだし俺ほど信じてるやついないって思ってる。2012年の12月の21日のマヤ暦の終わりとともに完璧に目覚めたんだ。そして2013年になった瞬間に「おおおお! 直感で生きなきゃ!」みたいなのが訪れた。直感で生きなきゃと思ってスグ世界に行こうと思ったの。ちょっと一回世界に行かなきゃ駄目だと思ったら友達から電話かかってきて『雅史アラスカ行かないか?』ってかかってきて。「行きたいけど俺お金ないし、スケジュールも合わないわ」って言ったの。『いや。俺が出すよ。スケジュールも雅史に合わせるから。』見事、行けるようになってアラスカのマイナス30度のオーロラの下で歌って、なんかその時に新しく生まれ変わって帰ってきたんだ。

 

超絶スピリチュアル③
宇宙に行かなきゃ!

—— 宇宙へ行きたいですか?

アラスカから日本に着いた瞬間に「宇宙に行かなきゃ!」って思って準備を始めたの。その瞬間に先輩が、宇宙語を喋るようになったり。小さい頃「大人になったらドラゴンを探しに行こう」と思ってたこと思い出したら「ドラゴンだったおばさんがいるよ」って言われて、ドラゴンのおばさんに電話して「ドラゴンだったおばさんなんですか?」って。それで今度行かせてください って言って、ヒーリングとかを受けたり、本当に頭が痛かったのが治って『あんた今度ニューアンジュレーションっていうのをやりなさい』って言われて「やります」みたいな。やった時に心の中に入っていくということをやったんだよね。そこで俺、色んなの見ちゃって。俺の帰る星がわかったの。俺は前龍だったっていうことも全部出てきて、そこでもバッチリこう、そうだなみたいな。

 

超絶スピリチュアル④
宇宙人

—— 雅史さんはもしかして宇宙人とのコンタクティですか?

矢追純一のイベントやって。『この中に連れ去られた人いますか』って聞いたら二人ぐらい手挙げてさ。その一人が友達でさ。「うわ、としくんだ」みたいな。『全然大したことないんですけどちっちゃいときに連れ去られてチップ埋まってます』とかつって。うわー!みたいな感じで。小さい頃自分連れ去られている夢は見ているから行ってるのかもね。

 

超絶スピリチュアル⑤
ピラミッド

—— 雅史さんの生まれ故郷、島牧村の山の中に、わたし宇宙人が住んでいるような気配を感じるのですが…

ピラミッドは実は日本にあるんだよみたいな話を聞いて、全部の山をさ、ピラミッドかもって怪しんでみたり、ここもかみたいな。と思ってたら、ハッとしたのが俺んちの実家の裏山がピラミッドだってわかったの。 Google earth を見たら綺麗に四角錐になっててそれでばっちりこれピラミッドだなと思って。だから俺はあの両親から生まれてきたんだなって。島牧に生まれて来た理由も、なにか絶対的な使命があるというのは小さい頃から思っていたし。それでどうやらピラミッドの真ん前に住んでるから、きっと俺はあのピラミッドを使えるようにする使命なんだろうなというのがある。その時に俺なんとなく東京に行ったんだよね。友達が『マー君パラレルワールドの話をしようよ』っていうから『じゃあ行くわ』っていって東京行ったら流れでなぜかシャスタの会に行ったの。シャスタの会に行ったら熊野古神道110代目の後継者 磯正仁 さんと出会って、その人が何か話すんだよね。チャネリングして話す人で。その人が話してるのは『あ、コレおれに言ってるやつだってわかったの。』たくさんいたんだけど。あーこれ俺に言ってるなと思って。そこで奉納演奏でなぜか俺歌うことになって歌って、なぜか緑のダウンを忘れていったの。取りに帰ったらいいのに、これは取りに帰らなくてもいいやつだと思って置いてったのさ。そしたらそのイソさんが各地で奉納するじゃん。して、ついに何か島牧に行きますって言って、島牧に来てくれてそのピラミッドを一緒にご神事して開くっていうことをやったりして、どんどん噛み合っていくいろんなものが噛み合ってきて…、なんでこんな話してるんだろう。(笑)そういうのがどんどん続いていくの。ワイタハの長老に会ったり、マヤ族のグランドマザーのエリザベスと一緒にイベント行ったりとか。特にワイタハの長老に『君はシリウスだよ』 みたいな。「金龍と黒龍がついてるから君の龍はクールだ!」みたいな。それで『黒龍が君はすごい大事だ』と。土地のことをやってるから早く村長をやりなさいって。スローガンはそうだなって言って。水のためにみたいな。ことを考えてくれて、何か色々言われてマジで村長やろうって思っちゃったりした。

 

超絶スピリチュアル⑥
ヒーリング

—— 雅史さんの目から光線がでて、癒しの力、ヒーリングされている感覚を覚えます。

全国にいる宇宙ファミリーみたいな人といっぱいあって、その時に何かね、ヒーリングみたいなこととかも できるようになってたと言うか、そういうエネルギーが強い人たちに会った時に『エネルギーちょうだい』って言われて『あげる…』あげたら、耳が片方聞こえてなかった人が泣き出して聞こえるようになったとか不思議なことがいっぱい起こって、なんならライブしてたら握手しに来る人が来て、どっから聞いたのか『握手させてください』って。「いや、ライブ聞いてください」みたいな。『セッションしてください』って言われるようになって、セッションって何だ?と思ったけどやってみるかと思って、セッションしてその人なんか、その時には何か手を繋いだりした時にここから何かが出ることが分かったの。なんか昔やってたなみたいな感じになってきて、それをするとお腹がキュルキュルキュルキュルってなって、なんかいい感じになるの。その人も大変すっきりした顔で、いいこと出来たのかなぁとか、そんな感じで神々しいモードに行っちゃって、かなりスピリチュアルな方向にガッツシ行って、深みにさらにいけるぞとなった時ににうちの嫁が…

『あんたは違〜〜〜〜〜う !!!!
人間しに来たんだろー!!!!!!』

みたいな。ちょっと戻してくれた。

 

超絶スピリチュアル⑦
天候を司る

—— 本気でやれば天気も変えられそう??

天候も実は結構操作系なの。実験とかもいっぱいしてて水を凍らせたこともあるの。そういう変な力がまた出ちゃった時もあって、龍に喋りかけて、「本当にいるならすごい分かりやすいやつやってくれ」って言ったら水が凍ったんだよね。いろいろやったんだけど1番は結婚式をやったんだよ。結婚フェスというのをやって、ニセコの甘露の森というホテルの中庭で行ったんだけど、天候を司る系としてはさ一番いいやつ決めなきゃダメじゃん。だからもう「晴れるのは簡単だから雨降って晴れて虹をかけるっていうところまでやりましょう」と。前からずっと言ってて、それで天と龍と打ち合わせいっぱいして降ってきたらさ、雨降ったらこれリハーサルだなと思って。これはやめてくれ!みたいな。これは本当にお客さんに迷惑がかかるから もっと霧雨みたいなやつでみたいな。当日本当にそういう霧雨みたいなやつ。ミストみたいなのでお客さんが来る時にはひいて日光が当たって乾いた状態でスタートできて最後、俺と嫁で一緒に歌う時に彩雲(さいうん)が掛かった。やっぱ司る系なんですかねみたいな。というのが起こって、うちの嫁とかはさ…

『あんたまた何言ってるの!!!!』

とか言ってたけど

『なったねぇ!♡』

みたいな。

 

超絶スピリチュアル⑧
出でよ神龍

—— 龍のお話もまさかあるの?

ドラゴンボールを集めたことがあってね。日本中を縦断しながら各地でドラゴンボールを見つけていくという、最終的に宮古島で出でよ神龍したんだ。石庭という新庄さんていう人が、テコの原理だけで すごい場所を作っちゃった人。石の庭を。そこの太陽のサークルとか月のサークルとかあるんだけど、そこで太陽のサークルで全てを祈った時に「争いのない世界を創るために使いなさい」っていうメッセージが来て、だからそれに使うの「麻(微生物)と発酵と龍か。この3つを使って否定のない世界を創りなさい」というメッセージをもらった。だからね簡単に言うと食べ物もそうだし音楽もそうだし、だから悪者にしない。発酵の過程として。踊りみたいなものがあったり、そういうの音楽やってて、その俺がこの2年間ぐらいで培った一番のすごい発酵したっていう夜は本当に凄かった。宴です。嫁が利き酒師の日本酒の。あと山を守る。フラクタルの狩場山を残す。ちゃんといい状態で後世に残す。7代先まで守られるような基礎を作るだろうなみたいな。

 

超絶スピリチュアル⑨
南の赤嶺カツヒト

—— さっき車の中でお話しを聞いた、赤嶺さんって誰?

奇跡のリンゴで有名な木村秋則さんは北で、実は南にも同時期に赤峰勝人さんっていう、自然農法とか自分で見つけた人がいる。害虫は害虫じゃなくて神虫だ。神の虫だって。亜硫酸塩っていう毒を虫の害虫が食べてくれてうんちが毒じゃないものにして出してくれてるっていうことを発見したり、栄養素だけじゃなくて化学式で栄養素を入れようとしても畑は上手くいかなくて、結局、そのままにしてあげるとか普通の命の循環を作ってあげると美味しい野菜ができたんだよね。結局、化学的なものを入れてもダメだっていうことを結構を早くの段階で分かって、それでアトピーとかの患者が何故か訪れるようになって、ガンガンアトピー患者を直しまくっていた。食事療法でね。その人が何か言ってたのは『千島学説を理解してください』っていうことを言ってて、簡単に言うと細胞はどこで作られるかというと脊髄。脊髄から作られるってみんな思ってるじゃん。しかしあれは嘘だと。実は赤血球から細胞ができるっていうことを唱えた人が千島さんっていう人で、医学会をも根底から覆す学説だったから黙殺されちゃったんだよね。要は赤血球が何にでもなれるすごいものなの。STAP細胞は実は赤血球。

 

超絶スピリチュアル⑩
32万年前

—— 島牧村には、なにか神秘的なものが他にもある??

32万年前って何かひとつあるんだよ。このぐらいに土地ができたと言うか。地形が出来たんじゃないかなって。ピラミッド作るならそのタイミングっていうか。なんかあるんだよな。 ピラミッドって言うか場所は女性性のピラミッドと男性性のピラミッドで磁場を守ってるって言う。あと島牧にはドラゴンウォーターって言う天然炭酸水が湧き出てる。80mの滝があるの。そこは滝壺ができてない。なぜなら岩石でできてね水しぶきと爆風で近づけないの。そこを龍が守ってるって言う話で龍神伝説があるの。

 

 

アンコールありがとうっ!

またね!!