ウェブブラウザのJavaScript(ジャバスクリプト)の設定が無効になっています。Javascriptが無効になっていると、サイト内の一部機能がご利用いただけません。 スウィート・キャンディ・バスルーム2015年11月17日 21:23「これ、貰ったんだけど、わたし使わないから」 女友達に入浴剤を貰った。甘い香りのする、ピンク色の、泡風呂のやつ。「ええ、こういうのは僕よりも他の女友達にあげたほうがいいんじゃないの」「トド松くん最近彼女できたんでしょ?彼女と一緒に入りなよ。きっと盛り上がるよー」 それに、トド松くんもこういうの好きそうだよ。その女友達は笑って言った。二ヶ月ほど前に付き合いはじめた子とは、実は数日前にもう別れていたのだけれど(長く続かないのはいつものことだ)、ついに会話の最中にそれを言うことはできなかった。甘ったるい匂いのする入浴剤を持ったまま、帰路につく。まだ夕方と言える時間だが、辺りは真っ暗だ。空気は乾燥して澄んでいて、夏場よりも星が綺麗に見える。見上げると、高い雲の隙間から、三日月と半月の間くらいの中途半端な月が見えた。上弦。はあ、と息を吐くと、微かに吐息が白くなる。そろそろ厚手のコートを出さなきゃなあ。それにしてもどうしよう、これ。成人男子が一人で泡風呂っていうのもなあ。でも、泡風呂なんて入ったことないし、ちょっと楽しそうだよなあ。 帰宅すると、いつもはうるさい兄たちの姿が見えなかった。居間で緑茶を飲んでいた母さんに訊くと、五人で銭湯に行って、ついでに一杯飲んでくるらしい。こりゃしばらくは帰ってこない。彼らが一杯飲もう、なんて言ったときに、一杯で済んだ試しはない。 ふと思い立って、風呂に泡の入浴剤を入れてもいいか母さんに訊くと、終わった後浴槽を洗っておくことを条件に許可された。「泡の入浴剤なんて、どうしたの?」「友達に貰ったんだ」たわいない会話をいくつかしてから、浴室へと向かう。 入浴剤のパッケージを開けると、人工的な甘ったるい香りが広がった。甘いキャンディのような、いちごシロップのような、若い女の子がいかにも好きそうな香りだ。溜まりはじめている湯船にひとつ放り込み、水の勢いを強める。湯はピンク色に染まり、少しずつ、淡いピンク色をした泡ができ始めた。説明書を読むと、砕いて数回に分けて使う旨が書かれていたが、とっておいてもどうせ使わないだろうし、ちょっとくらい泡が増えても困らない。まあいいか、ということにする。 お湯を溜めているあいだに髪と体を洗っていると、浴槽に見事な泡のかたまりができていた。浴室中に、これでもかというほど甘ったるい香りが漂う。空気までピンク色に染まってしまいそうだ。泡を触ってみると、意外としっかりとしていて、ふわふわながらもっちりとした感触に、おお、と声が漏れる。これは、思ったよりも、楽しいぞ。「ただいまー!」 さあ泡風呂で遊ぶかというところで、玄関の方から微かに声がした。やたら大きな声なので、こんなところまで聞こえてくる。十四松兄さんだ。やけに早いな、飲みに行くのやめたのかな、考えていると、浴室の扉が開けられた。ろくに髪も乾かさずに帰ってきたのか、髪がまだしっとりと濡れている十四松兄さんが顔を出し、浴槽を見てとても驚いた顔をした。「トド松ただいま!ねえねえそれなにやってんの!?」 この、幼児みたいな僕の兄さんは、帰宅するとわざわざトイレや風呂に入っているところにまで帰宅を知らせに来る。それが彼の習慣で、それは今日も例外ではなかった。「おかえり、十四松兄さん。泡風呂だよ、友達に入浴剤貰ったんだ」「すっげー!楽しそー!俺も入る!」「今銭湯行ってきたんじゃないの?」「いいの!楽しそうだからまた風呂入る!!」 言うが否や、兄さんは脱衣所で服を脱ぎ始めた。え、一緒に入るつもりなの。言うと、うん!と元気な返事が返ってきた。うちの風呂は、すごく狭いわけではないが、そんなに広くもない。一般的な一軒家のそれ程度の大きさだ。勿論、成人男性が二人で入るには狭すぎる。まあ、ちょうど一人で入るには寂しいよなあと思っていたところだったし、狭くてもいいか。 服を脱ぎ終え、お邪魔しまーすと元気に宣言した兄さんは、湯船に浸かって泡をもてあそんでいた僕の上に大胆に乗っかってきた。裸の体同士が密着する。狭い浴槽で男二人が入るには、こうするしかないのだ。お互いの性器もお互いの肌に触れたが、不快ではなかった。さっき綺麗に洗ったし。これがほかの兄さんたちなら絶対に嫌だけれど。「めっちゃいい匂いする!」 兄さんははしゃぎながら、僕の腕に泡を擦りつけたり、泡を吹いてしゃぼん玉みたいにして遊んでいる。僕なんかよりずっと泡風呂に喜んでいて、ああ最初からこうすればよかったなあと思った。今回は、たまたま一緒に入ることができたけども。「他の兄さんたちは?ていうか、母さんから飲みに行くって聞いてたけど行かなかったの?」「みんなは飲みに行ったよ、俺はね、トド松が寂しいだろうから先に帰ってきた!」「ふふ、ありがとう兄さん。お陰で寂しくないよ」「早く帰ってきてよかったー、トド松がひとりでこんな楽しいことしてるなんて」 すっかり泡まみれになった兄さんは、喋りながら僕の頭に泡を山盛りにのせる遊びに夢中だ。これ、洗い流すの面倒そうだよなあ。考えながら、夢中で遊んでいる兄さんを眺める。ふと触れたくなって、僕は目の前の兄さんの、辛うじて泡がかかっていない頬に唇を寄せた。兄さんはわは、と一声笑って、口を閉じた。口にして欲しいときの合図だ。ちゅ、ちゅ、と軽い音を立てて、兄さんの意外と柔らかい唇に、触れるだけのキスをする。浴室中に漂う甘ったるさにすっかり頭がやられてしまっていて、キスしたあとに舐めた自分の唇も甘いような気がした。入浴剤は甘くないのに。今度は兄さんのほうからキスの雨が降ってくる。髪、額、頬、鼻、唇、耳、兄さんの唇が届くあらゆるところに。僕は泡がついているところを避けて触れていたのに、兄さんはお構いなしにキスをするものだから、口の周りが泡だらけだ。それがおかしかったのと、兄さんのキスがくすぐったくて、ふふと笑った。兄さんも笑った。笑ってから、兄さんは口の周りについた泡を舐めとり、まずい、と言った。 そりゃそうだ。 遊んでいるうちにあっという間に泡は減ってしまって、ずっと湯船の中で兄さんの下にいた僕ものぼせかけてしまって、そろそろ上がることにした。すっかり泡が減ってしまい、浴槽にはしょぼい泡とピンク色の液体のみが残った。それを見て、僕は少し寂しくなる。どうしてかはわからなかったけれど。 浴室に漂っているはずのピンク色の香りは、もう鼻がばかになってしまってよくわからなかった。けれども風呂から出たらきっと僕と兄さんは、まったく同じ、甘いシロップのような香りに包まれているのだろう。それはなんだかとっても幸せなことだ。泡だったはずのぬめりの残った肌を洗い流すべく、兄さんにシャワーを当てていると、ふいに名前を呼ばれた。「トド松、」 さっき散々したのに、駄目押しとばかりに口にキスをされた。触れるだけのそれでは味なんてわかるはずはないのに、兄さんのキスはやっぱり甘い気がした。 僕は、風呂から上がったあとに、お互いの甘い香りを堪能する想像をして、兄さんを洗い流すシャワーの勢いを少し強めた。ご機嫌な兄さんは、シャワーがくすぐったい、と声を上げて笑った。