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第43号 2014年3月発行

罪悪感と恥は何が違うのでしょうか? 罪悪感とは、罪を犯したとか誤ったことをしたという感情何か悪いことをしたという感情です。罪悪感を抱くことは、何かに対して自分を責めたり自分を非難したりすることです。罪悪感とは、常に他人や他人からの批判に対して経験されるものなのです。 恥とは、尊厳や名誉とは反対の感情です。私たちは自分たちが思うこと、すること、言うこと、感じること自分たちがそうであると信じていることに関して恥ずかしいと感じることがあります。恥は自分自身と一緒に経験されることなのです。恥は、私たちがすることや私たちのありのままの姿が自分たちの個人的なイメージや人格を損なうという恐れを表しているのです。年が経つにつれて、大抵の場合私たちが恥ずかしいと感じる時同時に罪悪感を抱くことを確認することができました。その代わり、恥ずかしいと感じることなく罪悪感を抱くことがあるのです。恥と罪悪感の微妙な違いを見抜くための良い方法は自分の行動や態度を隠すためにいろいろなことをしているかどうかまたは、身を隠したいかどうかを確かめることです。そもそも「絨毯の下に身を隠す」(=穴があったら入りたい)という表現は正に恥を言い表しているのです。自分を太りすぎだと思いやせたいと願っているある女性を例に挙げましょう。彼女は規則正しくダイエットに取り組むのですが決して長続きしません。自分が必要としている以上に食べたり飲んだりするとき自分の意思が弱いことで自分を恨んだりまだ暴飲暴食をしてしまったと思ったり他人にそう言ったりします。太りすぎになるほど食べることは悪いことだとその女性は信じており、他の人々も同じことを信じていると確信しています。食べ過ぎて、そのことを他の人々の前で話すことで彼女は罪悪感を示しているのです。あるとき、彼女はダイエット中に自分でした約束を破っているが同じことは二度としないと指摘しながら、夫の皿からデザートを一口また食べるのです。不正行為をするとき、罪悪感を抱くことをみなさんは認めるでしょう。その代わり、もし彼女が隠れて食べ他人が彼女の食べ過ぎに気付かないようにいろいろなことをするならば彼女は自分自身を恥じ、罪悪感を抱くことが示されるでしょう。習慣的に拒否を引き起こすので恥は罪悪感よりも害のあるものです。自身を恥じている人々はそのため自覚することが少ないのです。私たちの多くが、自分たちが罪悪感を抱くときに関して自覚することに苦労しています。そこで、恥ずかしいと感じていることに私たちがどれほど自覚しているのか想像してください。そのため、クルージングの最中の夕食のときに起きたある出来事を私は思い出すのです。テーブルの周りには私たち8人がいました。ある婦人が、甘い物やデザートをもう食べないと決心したところだと他の人たちに告げました。彼女はやせていたので明らかにその動機はやせるためではないと私は思いました。そこで、健康上の理由から決心したのか甘い物を食べるとき罪悪感を抱くからなのか、私は彼女に尋ねました。みなさんは彼女の反応を見るべきでした。「私が罪悪感を抱くかですって?」と気を悪くしたトーンで彼女は言います。「罪悪感を抱かなくなってから何年も経っています。私の歳になると、自分がしたいことを自分に許すんですよ!」 明らかに、彼女は拒否していました。私が話題を変えようとしたとき彼女は、特に私の教えていることに関して時には罪悪感を抱くことがあるのか、尋ねました。私はそういうこともあると答え、いくつかの例を挙げました。私が罪悪感を抱いたという例のために、みんなが驚きました。みんなは、もし不当なやり方で行動するか意図的に誰かに悪いことをするかという場合のみ罪悪感を抱くと信じていたのです。この人たちは、自分たちが罪悪感を抱く無数の取るに足らない事件を自覚していなかったのです。近親者に対して恥ずかしいと思うこともあります。それは、私たちが私たち自身のイメージや評判に恐れを抱くことを示しており、他人への恐れではありません。ある人たちは自分たちの近親者について自分たちの友達や知り合いがあまりに多くのこと(恥ずべきこととみなされること)を知ることがないようにあるとあらゆることをしようとします。例を挙げれば、ある女性の友達があるとき私に彼女の兄弟は心臓発作で亡くなったのではなくむしろ自殺を遂げたことを打ち明けました。そのことを誰にも話さないように私に約束させ彼女は私にだけそのことを打ち明けたと言ったのです。これは正に恥の一例です。どれぐらいの若者たちが、自分の両親や自分の家庭の貧しさを恥ずかしく思うために友達を自宅に招かないのでしょうか?誰かの肉体的な外見、奇妙な行動その人物が麻薬を摂取しているまたは刑務所に収監されたことで恥ずかしい思いをすることがあります。学歴がない、借金がある、太ったなどのために恥ずかしい思いをすることがあります。ある男性は、勤めていた大企業が合併したため職を失い3か月以上仕事に行っているふりをしているとあるとき私に打ち明けました。彼は自分の妻、子供たち、親しい人たちにそのことを打ち明けることができないでいたのです。そのため彼は退職金を受け取っていたことに関して絶えず嘘をついていたのです。この男性の動揺をみなさんは想像できるでしょうか?それでは、みなさんの恥の度合いはどの程度でしょうか?それを明らかにするために、みなさんの考えていること欲望、感じていることや反応の程度がどのようなものであれみなさんが他人に隠していることのリストを作成することをお勧めします。ここで、みなさんが恥ずかしい思いに対処するためにいくつかの方法を紹介します。・恥の反対は誇りなのでみなさんが自分に関して誇りに感じていることのすべてのリストを作成することをお勧めします。自分を褒めてください。そうすることで自分自身の評価と自己愛を更に高められるでしょう。徐々に、自分が特別な人であることを認められるようになるでしょう。・恥ずかしいことを経験していることに気付いたときは大きく深呼吸をして、何人かの親しい人にそのことについて危険を承知の上で思い切って話してみてください。結局のところ、その危険はたいしたことはないのです。というのも、それでみなさんが病気になったり死んだりすることはないでしょうから。更に、みなさんが打ち明け話をした人たちはみなさんと思いを共有できることにおそらく幸せを感じみなさんがそうした種類の状況を話した勇気を称賛するでしょう。その人たちは、そのように自分のことを明かすことは気力と決意がみなさんに必要だったことをきっと理解するでしょう。・みなさんが経験するすべての罪悪感と恥は、善悪の概念に基づいているみなさんのエゴの創造物にすぎないことを思い返してください。自分のエゴのすべての信仰心がみなさんのために決定を下すようにさせることでみなさんは敗者となるのです。みなさんが自分の心の中にいることとみなさんが本当に必要なものを見出すことを妨げるからです。とりわけ、罪悪感を抱いたり恥ずかしいと思うことを恥じたりしないでください。時に、私たちすべての人が恥を経験するのですから。愛を込めて…リズ・ブルボー