リトル☆ピカレスク!
森 一勲
プロローグ(もてあそばれた、わたしの身体)
わたしがどうして放課後の理科室に残っているかというと。
さっさと家に帰って今日の授業の復習とか明日の授業の予習をしないといけないし、そのためには目の前に立っている男子二人なんて(女子のわたしとしても)無視するべきなのに、にやにや笑う彼らに理科室の後ろに追いこまれているかというと。
「
男子の一人、たしか杉村とかいう名前の奴が、下卑た笑みでわたしに言う。
窓からの景色はない。わたしの通う私立
今日は避難訓練にともなう半日授業とあってか、校舎の中に生徒の気配はない。また、理科室は職員室から離れているために、先生の姿も見えない。ただの一つの足音も聞こえない現状を鑑みれば、わたしたち三人だけが校舎に残っていることは明白だった。
「ねえ、早くわたしの筆箱を返してくれない?」
わたしは彼らを強く睨む。
もちろんわたしだって家に帰りたかったのだけど、『筆箱を返してほしかったら五時に理科室に来い』なんて置き手紙と入れ替わりで筆箱が紛失してしまったのだから、図書室で筆記用具もない状態での中途半端な予復習をして時間を潰さざるをえなかった。筆箱を返してほしいのももちろんではあるが、こういう盗難事件とその犯人をほったらかしにしたままというのはきわめて気持ちが悪い。明日にも別の物が盗まれるかもしれないし、もやもやした気持ちのまま勉強に取り組むなんてどだい無理な話だろう。
「お前、けっこうかわいい筆箱使ってんのな」
杉村は、わたしの筆箱を手の上で投げて遊ぶ。
こいつは勉強も中途半端、(はしゃぎはするものの)体育の時間も中途半端。唯一特徴があるとすればこの立派なにきび面だけだ。今回の一件がなければ、こいつとなど未来永劫会話を交わすことはなかっただろう。
「返してほしいかなあ?」
と言って鼻息を荒くするのは、七瀬という男子。腹が正月に飾る鏡餅みたいに見事な三段をなしていて、こちらも成績は大したことがない。運動テストで背筋力がクラス一番だったらしく、ほんの一分くらいの間英雄になっていたけれど、その他で彼の名前を聞いたことはない。
つまり二人は、クラスの中でも目立たない二人なのだ。なのにどうしてわたしの筆箱を盗んだり、わたしを放課後の理科室に呼び出したりしたのだろう。
「ええ、返してほしいわ。それがないと勉強ができないもの」
至極当たり前のことをわたしは言い、開けた手を彼らに向けた。
「へっへへへ……」
「返してほしいんだよ、な」
彼らは嫌な笑みを振り撒いているだけで、まったく返すそぶりはない。いったいわたしになにをしてほしいのか、わたしは理解に苦しむ。
「那須って、胸でかいよな」
言ったのは杉村の方だ。
たしかにわたしの胸は困るほどに大きい。小学校四年生くらいまではみんなと同じで平板だったのだけど、五年生から活火山がごとく急成長をみせてくれた。Fカップの下着を買いにいったのは、中学一年生の生活も半分を過ぎようとするつい先週のことである。
「それに顔も悪くないのに、全然もてねーよなあ?」
七瀬のデブが言っていることが真実かどうかはわからない。ただ、美容院なんてものに行くのは時間の無駄だと思っているし、近所の昔なじみの散髪屋さんで前髪ぱっつんにしてもらうのはわたしの二ヶ月に一回のルーチンワークになっている。ちなみに後ろ髪の方だって伸ばし放題で、今や腰まで達しようという勢いだ。
「七瀬もそう思う? こいつ、けっこう目もおっきいのにもったいないよなぁ」
なにがもったいないというのか。
容姿がいいとか悪いとかいうのは、結局は見る者の主観によるのだから、お洒落や最近クラスで流行り出したプチ化粧みたいなものに時間を割くことは実に愚かしい。だいいちわたしがもったいなかろうがそうでなかろうが、あなたたちには関係ないだろう。それより絶対的基準としてわたしを裏切らない『成績』を維持したいのだから、さっさとその筆箱を返してくれたらいいのに。でないと、学年一位の座を死守できないではないか。
わたしが苛立っていると、杉村はとんでもなく馬鹿なことを言い出した。
「服、脱げよ」
一瞬、その言葉の意味がわからなかった。
眉間に皴を寄せるわたしに、七瀬の高い声が続く。
「おっぱい、見せてくれよなあ?」
彼らは筆箱を返す代わりにわたしの胸を見せろと言っているのだ、と理解するまでにさすがのわたしでも二秒はかかった。それほどに彼らの要求は馬鹿げている。
「嫌よ。なに考えてんの、あなたたち?」
「脱がなきゃ、筆箱は返さねーぞ」
「脱げよなあ? おっぱい見せろよなあ?」
ニキビ面にクソデブめ。筆箱と引き換えに裸になれというの?
「あなたたち、本当に馬鹿ね!」
男子はカスだ。去年まではわたしに牛とかきもいとか暴言を吐いてきたくせに、今はその暴言の対象を見たいだと? いい加減にしろ、という怒りがわたしの中で沸々とわき上がる。
「じゃあ筆箱は、もういい。帰る!」
わたしが強い口調で言うと、彼らは少し怯んだ。元々大した精神構造をもち合わせていないのだから、どうせ度胸の方も二流三流の類なのだろう。
理科室の扉へと向かって歩を進める。苛立った手つきで扉を開けようとしたら、先に扉の方が開いた。ぎくりとした。わたしと杉村と七瀬は怒りや欲望で頭の中を埋め尽くしていたために、誰も理科室への来訪者の足音に気づいていなかったのだ。
「あ、那須さん」
にこやかな表情、それも屈託のない笑顔でわたしと向き合っているのは、
「お、小倉……。どうしてここに?」
「僕、生徒会に入ってるからね。先生に備品を運ぶようにお願いされたんだ」
手には、分銅やらピンセットやらアルコールランブやらが入った黒いかごが一つ。
そういえば小倉は、生徒会の会計補佐を務めているんだった。
しかし、よくもあんなにめんどくさいことをやろうとするものだ。わたしは、そんな時間があるなら家に帰って英単語の一つでも覚えたいと思う。
「そう。頑張ってね」
小倉と戸当たりの間を縫って理科室を出ようとすると、杉村の声がわたしの背中に飛んだ。
「おい、小倉! ちょっとこっち来いよ!」
手招きまでして、小倉を呼んでいる。
ほんの一分前までわたしの胸に興味をもっていたくせに、小倉を朗々と呼んでいるのはなぜなのか。わたしは少し気になり、半身を廊下に出したままで大局を見守った。
「はいなはいなぁ♪」
小倉は眼鏡をきらきらと輝かせて杉村と七瀬の元へ寄る。
そんな無邪気な小倉を、七瀬は、
「ごめんなあ」
力いっぱい、ぶん殴った。
多分、右頬辺りに着弾した。瞬時のことだったのでよくわからない。とにかく理科の実験器具が破裂したポップコーンのように宙に舞い、暫時の後、ガラガラと音を立てて落ちた。
「ちょ、ちょっと!!」
さすがに見て見ぬ振りはできない。わたしが理科室へと戻ると、いつの間にかわたしの背後に回りこんでいた杉村が扉を勢いよく閉めた。
どくん、と心臓が高く打つ。わたしと小倉は杉村と七瀬に、オセロの黒と黒の間といった構図で挟まれている。嫌な予感がぞくぞくとわたしの肌を駆け巡った。
「いてててて……」
小倉は殴られた衝撃で後ろの棚まで身体を躍らせ、今はひんやりとした床に転がっている。理科室特有の床の木目が実に不気味に見えた。
「どうして小倉を殴るのよ!」
「いやあ、あんまり見られたくないところを見られちゃったからさ」
「小倉は運が悪いんだなあ」
見れば小倉の眼鏡は飛んでいる。脚立にぶつかったらしく、レンズの欠片を散らしながら。
「なあ、那須」
杉村は片方の口角だけをひょいと上げた。
「服、脱いでくれよ」
「嫌って、さっき言ったじゃない」
「なら、小倉はもっとひどい目に遭うぞ?」
なんたることか。一度は諦めた杉村が、小倉の突然の来訪を奇貨として再度わたしの胸を見ようと企んでいる。しかも今回は出口を塞ぐ形で立たれているので、強引な突破も難しい。
わたしの筆箱を盗んだくらいであれば、わたしが我慢をすればそれでいい。
しかしここでわたしが断れば、小倉はさっき以上の暴力を振るわれる。すでに一撃目で眼鏡を飛ばして純真真っ直ぐな瞳をオープンにしているのだ。これを超える暴力ともなれば、小倉は著しい怪我を負ってしまう可能性がある。ただ、わたしと小倉はテスト返却の度にふたことみこと会話を交わすくらいで、特段の付き合いや関わりがあるわけではない。ならば、後は杉村たちと小倉の問題だということにして放っておくのも一手かもしれない。
だけどわたし――那須まわり、はこの学校随一の優等生なのだ。
先生はわたしの成績に逐一驚いてくれるし、家族からも未来を嘱望されている。もしもこのまま小倉への乱暴を見過ごしてしまえば、もはやわたしは優等生たりえなくなる。
勘違いしてほしくはないのだが、わたしはけして小倉が殴られてかわいそうだと思っているわけではない。小倉への暴力を見過ごした、というウワサが万が一にも広がって、わたしの優等生たる立場を崩してしまう事態を危惧しているのだ。
……たかが胸だろう。見られて減るものじゃない。
「わかったわ」
わたしができるだけ感情を込めずに言うと、杉村と七瀬は颯爽と諸手を挙げた。
「さすが、那須!」
「おっぱい! なんだよなあ!!」
馬鹿が馬鹿みたいな声を上げて喜んでいる。
だけどわたしは自ら制服のボタンに手をかけず、奴らの手が伸びてくるのを待った。それは自分自身では杉村たちに屈していないという、わたしの唯一最後の抵抗だった。
七瀬が鼻から息を吹き出す。七瀬の手が少しずつわたしの胸元に近づいてくる。わたしは思わず目を閉じ、成り行きの全てに身を委ねようとした。
と、その時。
「それはだめだよ!」
小倉の制止に、七瀬の手が一時止まった。全員して、小倉に注目する。
「そんなのいけないよ! 先生に言っちゃうぞ!」
小倉はなにを言っているんだ。お前が間抜けにも理科室に来たりするからこんな事態になってしまったんじゃない。相手は二人なのよ? 秀才としては有名かもしれないけど、クラスで一番青瓢箪のあなたがどうやってこのピンチを切り抜けられるというの。
だけどその言葉は、嬉しくもあった。
けして爆発的な喜びとか異性へのときめきみたいなものじゃないけど、弱虫のあなたが勇気を振り絞ってわたしを助けてくれようとしたのは、嬉しかった。ほんの少しだけれども、あなたが無事な姿で帰路につけることを祈ってあげる。
「うるせえ、小倉!!」
小倉は上半身だけを起こした体勢で、杉村に顔を蹴られた。床につく小倉の頬には、杉村の靴跡がべっとりとついている。
なおも止まらない。杉村は小倉に馬乗りになり、容赦なく左右から顔を張った。みるみるうちに小倉の顔面が腫れ上がっていく。鼻血も出た。だけど杉村の思考は糸が一本切れてしまったようだ。小倉の反論をひとことも許さない勢いで殴り続けた。
「やめてよ!」
わたしは叫んだ。なのに小倉の身体はまだ、びくびくと跳ね上がっている。
「やめてってば!!」
二回目にしてようやく、杉村の手は止まった。
ゆらりと起き上がる、杉村。彼の目は動物にそっくりだった。わたしは、もう自分が絶対に抵抗してはならないことを本能で悟っていた。
「好きにしなさいよ」
わたしは再び目を閉じた。今度は、小倉の救いの声は聞こえない。せいぜい呻き声が理科室の中に漏れている程度だった。
わたしの制服のボタンが誰かに外された。杉村なのか、七瀬なのかはわからない。
ブラウスが、下に着ているタンクトップと合わせて強引に捲り上げられた。素肌が露わになる。すーすーとして落ち着かない。
二人の歓声がわいた。わたしの下着を射程に捉えてさぞ嬉しいのだろう。ばっかみたい。
最初はブラの上からだった。触っている奴の手もわずかながら震えていた。押したり、へこませたり、弾力のテストをしているようである。
次にもう一人の方の手に変わった。不思議なことに、触っている奴の手の感触とか個性みたいなものが、わたしにはわかる。こんなのわかりたくないのに、わかってしまう。
突如ブラが強い力で引っ張られて、わたしは肩に痛みを感じた。いよいよ脱がされるという気配がして、胸の奥にも痛みを感じた。
だけどブラは取れない。奴らはブラの外し方を知らないようだ。「背中から外すんだ」という杉村の声がして、大きな手がわたしの肩甲骨付近に潜りこんできた。抱き締められるような体勢になる。悲鳴を上げたくなる。でも上げない。たかが胸だ――と先程自分に言い聞かせたばかりである。悲鳴なんか上げてなるものか。
大きな手は何回かトライしたようだけど、やっぱりブラは外れなかった。
「どうするのかなあ?」
「ええい、もうこれでいいだろ!」
両肩をがっしりと押さえられた。カップの上の部分から一気にブラを下にずらされる。自分の胸がまる見えになったことを、わたしは知った。
「うお――っ! すっげ!」
「杉村っち、見て見て! 大きくなってる!」
おそらく七瀬が言っているのは、わたしの胸の先のことだろう。カップの中で温まっていたものが涼しい外気にさらされたものだから、自然現象として大きくなってしまったのである。胸の先がもぞもぞするので、わたしにも、わかる。
たかが胸。
……じゃなかった。
顔から火が出そうだった。胸なんて誰にも見せたことないし、触らせたこともない。わたしの決断はあまりにも愚かだった。もしも数分前にタイムスリップできるのであれば、一発張り飛ばしてでもわたし自身を止めてみせるのに。
気がつけば、わたしは理科室の床に両手を挙げたまま寝っ転がっていた。
目を開ける。杉村と七瀬の気配はない。理科室の中は真っ暗だ。見えない目も次第に慣れていく。わたしの隣では、血まみれのまま倒れている小倉が、鼻水混じりのすすり泣きをしている。彼の顔は本日の初見から比べて1.4倍くらいに膨れ上がっていた。
わたしは自分の服装を確かめた。
ブラウスとタンクトップははだけ、胸はカップをずらされたまま天を向いている。小倉の目もある。せめてブラだけでも元に戻そうとした時、胸全体に強い痛みを感じた。
そこで思い出した。
わたしは杉村と七瀬に胸を揉みくちゃにされたんだ。触られている間の一秒一秒は、とてつもなく長かった。たくさん怖いことはあったのだけれど、いつ終わるかわからないという事実が最も恐怖だった。
いつしかわたしは膝を崩して床へとへばりこみ、それでも彼らに好き勝手にもて遊ばれたんだ。彼らはわたしから栄養素を奪っていくように執拗だった。尖った胸の先もいっぱいつままれた。関係ないのに、抱き締められた。わたしは『わたし』であってはならないと思い、無の境地で恥辱を受け止めたのである。
ほんとにされた。
冗談じゃなく、された。
ニキビ面とクソデブに、わたしの誇りを。
小倉の泣き声は今も止まない。
この弱虫め。しゃしゃり出てきた挙句にとんでもない枷になってくれやがった。
しかし小倉への怒りはこの辺りで許してやろう。小倉も小倉なりに二人の蛮行を止めてくれようとしたのだから。それより。
……杉村と、七瀬、ね。
この名前、忘れるもんか。きっちりと復讐してやる。奴らにも同じ……いや、十倍二十倍の恐怖を与えてやる。わたしが不利益をこうむらず、しかも誰にもばれない形で。
わたしは立ち上がり、理科室のカーテンを開けた。西の空は戦争でも起こっているかのように赤く燃えていた。鰯雲たちが、宵の明星の供をしている。
わたしは星だ。
光り輝く、星だ。
仮にあの金星がわたしなのだとしても、わたしはいつか必ず恒星になってその灼熱のプロミネンスで仇名す奴らを灰と塵に変えてくれよう。
この魂を――、悪魔に売り渡したとしてもだ。