2011年12月12日
以前、インド料理屋にタイ人を連れて行ったとき、彼女はどうしても「匂いが駄目だ」と言ってタンドリーチキン(チキンティッカ)を食べなかった。
日本人は納豆が食べられるのに、タイ料理のパクチー(香菜)が駄目だという人が多い。やはりその匂いが嫌なのだという。私は逆にパクチーにはまったく抵抗がないが、納豆は駄目だ。その匂いが好きではない。
ニューヨークにいたとき、イタリア人の女性と一緒にコーリアン・タウンを歩いていたのだが、彼女は顔をしかめて「すぐにここから出たい」という。通りまで漂っていたのはキムチの匂いで、彼女はそれがたまらなく嫌だったようだ。
そのイタリア料理はピザのようなチーズ料理がある。知り合いの中国女性は、「あのチーズの匂いがとても嫌いだ」と言った。
ある外国人のフォーラムで、ひとりのアメリカ人が「日本は嫌いじゃないが、日本料理でどうしても耐えられないものがある。それはみそ汁の匂いだ」と言っている男がいた。
かと思えば、タイのヤワラーで巣食っていたときに、ひとりの日本人が「マクドナルドのポテトの揚げた匂いが嫌いだ。あれを嗅ぐと頭が痛くなる」と言っているのを聞いたことがある。
マクドナルドと言えば、タイ中華街に一軒マクドナルドができたが、流行らなかったようで気がつけばなくなっていた。その近くの薄汚い中華料理屋は大繁盛だったが、どうもマクドナルドは異質だったらしい。
それぞれの民族がなかなか融合しないのは、見た目や文化の違いもあるのだが、「匂い」もひとつの要因としてある。
民族が好む匂いとそうでない匂いは違う。匂いが違うと、無意識下にそれに反応して距離や溝のようなものができるのかもしれない。
食べ物はそれ自体が強い匂いを発するから、すぐに好き嫌いが分かれる。
しかし、「食べ物」とは別に、その食べ物を取り込んでできた「身体」に対する何らかの反応もあるように思える。
人は、特定の食べ物を食べるうちに独自の体臭になっていく。食べ物の匂いが体臭に出るというのは本当だ。
かつて日本人はアメリカ人のことを「バタ臭い」と言っていた時代があった。
この「バタ」というのは乳製品の「バター」のことであり、「バター臭い」というのが一般化した言葉である。
昔の日本人はバターを常食する習慣がなかったから、この体臭の違いが非常に明確に分かったのだと思う。
今の日本人がアメリカ人をバタ臭いと思わなくなったのは、日本人がその臭いに慣れて、もはや感じなくなっただけだろう。
しかし、日本人はまだ欧米人に比べて肉食ではない人も多いから、やはり体臭の違いを感じる人もいるのかもしれない。
食べ物の臭いの違いを感じるくらいなら別に何でもないが、それが体臭の違いになっていくと、その民族の好き嫌いにまでつながらないだろうか?
たとえば、体臭に慣れないという無意識の理由で「遠ざけたい」と思ったりしないだろうか? そういうケースは絶対にあるはずだ。
しかし、「体臭の違いで民族対立」という新聞の見出しは見たことがない。違いがあっても、臭いは無意識であることが多いからだ。
個人個人で臭いが違うのは当然だ。しかし、個人の体臭とは別に民族特有の体臭というのがある。
それは個々の違いを越えて共通にあるその民族独特の体臭だ。
まだ誰もそれを一般用語・専門用語化していないと思うので、これを「民族体臭」と言いたいが、民族体臭は人種の違いや文化の違いと同様に存在する。
その国にはその国の独特の食べ物があり、独特の食材があり、独特の常備食がある。それが体臭の違いを生み出す。
肉食の民族と、魚食の民族と、果物食の民族では、明らかに体臭の違いがあって然るべきだ。
ならば、食べ物の臭いが好き嫌いがあるのと同様に、体臭に好き嫌いがあってもおかしくない。
スパイスを常食するインド人はそれを取り込んだ独自の体臭になるだろう。それを無意識に嫌う人もいるかもしれない。
たとえば、タンドリーチキンを嫌う冒頭で紹介したタイ女性は、もしかしたらインド人も嫌いだというかもしれない。そして、それは彼女が意識しないインド人独特の体臭のせいなのかもしれない。
同じ理由で、中国人の体臭とアフリカ人の体臭も、それぞれ違ったものになるだろう。それぞれが相手の体臭を無意識に惹かれたり嫌ったりするかも知れない。
民族によって体臭が違う。そして人は、恐らく無意識下でその匂いに反応していて、好き嫌いの感情を左右されているはずだ。
まったく意識していない匂いが、実は異性を惹きつける作用があるというのは、フェロモンという言葉で説明されている。
しかし、ここで言いたいのは、フェロモンという無意識下のものではなく、意識できる臭いのほうだ。
イタリア女性の身体の匂いと、タイ女性の身体の匂いは違う。メキシコ女性と、パナマ女性の臭いも違う。
これは私が自身が知っているものであり、明確に断言することができる。多国籍の環境で過ごしている人は、いちいち私が言わなくても無意識にそれを知っているはずだ。
東アジアの人たちと付き合っている日本人がいたら、もしかしたら中国女性と韓国女性の体臭も違うと言うかも知れない(これは私にはよく分からない)。
良い悪いは関係ない。肌の色が多様であるのと同様に、体臭も多様だ。
民族の臭いが、ある民族を惹きつけたり、遠ざける作用があるとしたらそれはそれで興味深い。
また、「臭いの敏感な民族は単一民族で、そうでない民族は多民族国家である」のような違いもあるかもしれない。
体臭は誰も意識しようとしないものだが、案外こういった動物的なものが民族間の融合や対立にもつながっているような気がしてしかたがない。
http://www.bllackz.com/2011/01/blog-post_05.html
日本人は納豆が食べられるのに、タイ料理のパクチー(香菜)が駄目だという人が多い。やはりその匂いが嫌なのだという。私は逆にパクチーにはまったく抵抗がないが、納豆は駄目だ。その匂いが好きではない。
ニューヨークにいたとき、イタリア人の女性と一緒にコーリアン・タウンを歩いていたのだが、彼女は顔をしかめて「すぐにここから出たい」という。通りまで漂っていたのはキムチの匂いで、彼女はそれがたまらなく嫌だったようだ。
民族がなかなか融合しない理由
そのイタリア料理はピザのようなチーズ料理がある。知り合いの中国女性は、「あのチーズの匂いがとても嫌いだ」と言った。
ある外国人のフォーラムで、ひとりのアメリカ人が「日本は嫌いじゃないが、日本料理でどうしても耐えられないものがある。それはみそ汁の匂いだ」と言っている男がいた。
かと思えば、タイのヤワラーで巣食っていたときに、ひとりの日本人が「マクドナルドのポテトの揚げた匂いが嫌いだ。あれを嗅ぐと頭が痛くなる」と言っているのを聞いたことがある。
マクドナルドと言えば、タイ中華街に一軒マクドナルドができたが、流行らなかったようで気がつけばなくなっていた。その近くの薄汚い中華料理屋は大繁盛だったが、どうもマクドナルドは異質だったらしい。
それぞれの民族がなかなか融合しないのは、見た目や文化の違いもあるのだが、「匂い」もひとつの要因としてある。
民族が好む匂いとそうでない匂いは違う。匂いが違うと、無意識下にそれに反応して距離や溝のようなものができるのかもしれない。
食べ物はそれ自体が強い匂いを発するから、すぐに好き嫌いが分かれる。
しかし、「食べ物」とは別に、その食べ物を取り込んでできた「身体」に対する何らかの反応もあるように思える。
人は、特定の食べ物を食べるうちに独自の体臭になっていく。食べ物の匂いが体臭に出るというのは本当だ。
かつて日本人は外国人をバタ臭いと思った
かつて日本人はアメリカ人のことを「バタ臭い」と言っていた時代があった。
この「バタ」というのは乳製品の「バター」のことであり、「バター臭い」というのが一般化した言葉である。
昔の日本人はバターを常食する習慣がなかったから、この体臭の違いが非常に明確に分かったのだと思う。
今の日本人がアメリカ人をバタ臭いと思わなくなったのは、日本人がその臭いに慣れて、もはや感じなくなっただけだろう。
しかし、日本人はまだ欧米人に比べて肉食ではない人も多いから、やはり体臭の違いを感じる人もいるのかもしれない。
食べ物の臭いの違いを感じるくらいなら別に何でもないが、それが体臭の違いになっていくと、その民族の好き嫌いにまでつながらないだろうか?
たとえば、体臭に慣れないという無意識の理由で「遠ざけたい」と思ったりしないだろうか? そういうケースは絶対にあるはずだ。
しかし、「体臭の違いで民族対立」という新聞の見出しは見たことがない。違いがあっても、臭いは無意識であることが多いからだ。
民族によって体臭が違う
個人個人で臭いが違うのは当然だ。しかし、個人の体臭とは別に民族特有の体臭というのがある。
それは個々の違いを越えて共通にあるその民族独特の体臭だ。
まだ誰もそれを一般用語・専門用語化していないと思うので、これを「民族体臭」と言いたいが、民族体臭は人種の違いや文化の違いと同様に存在する。
その国にはその国の独特の食べ物があり、独特の食材があり、独特の常備食がある。それが体臭の違いを生み出す。
肉食の民族と、魚食の民族と、果物食の民族では、明らかに体臭の違いがあって然るべきだ。
ならば、食べ物の臭いが好き嫌いがあるのと同様に、体臭に好き嫌いがあってもおかしくない。
スパイスを常食するインド人はそれを取り込んだ独自の体臭になるだろう。それを無意識に嫌う人もいるかもしれない。
たとえば、タンドリーチキンを嫌う冒頭で紹介したタイ女性は、もしかしたらインド人も嫌いだというかもしれない。そして、それは彼女が意識しないインド人独特の体臭のせいなのかもしれない。
同じ理由で、中国人の体臭とアフリカ人の体臭も、それぞれ違ったものになるだろう。それぞれが相手の体臭を無意識に惹かれたり嫌ったりするかも知れない。
民族によって体臭が違う。そして人は、恐らく無意識下でその匂いに反応していて、好き嫌いの感情を左右されているはずだ。
女性の匂いが違う
まったく意識していない匂いが、実は異性を惹きつける作用があるというのは、フェロモンという言葉で説明されている。
しかし、ここで言いたいのは、フェロモンという無意識下のものではなく、意識できる臭いのほうだ。
イタリア女性の身体の匂いと、タイ女性の身体の匂いは違う。メキシコ女性と、パナマ女性の臭いも違う。
これは私が自身が知っているものであり、明確に断言することができる。多国籍の環境で過ごしている人は、いちいち私が言わなくても無意識にそれを知っているはずだ。
東アジアの人たちと付き合っている日本人がいたら、もしかしたら中国女性と韓国女性の体臭も違うと言うかも知れない(これは私にはよく分からない)。
良い悪いは関係ない。肌の色が多様であるのと同様に、体臭も多様だ。
民族の臭いが、ある民族を惹きつけたり、遠ざける作用があるとしたらそれはそれで興味深い。
また、「臭いの敏感な民族は単一民族で、そうでない民族は多民族国家である」のような違いもあるかもしれない。
体臭は誰も意識しようとしないものだが、案外こういった動物的なものが民族間の融合や対立にもつながっているような気がしてしかたがない。
http://www.bllackz.com/2011/01/blog-post_05.html
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