自分の口臭や体臭はわからないものですが、もしもスマートフォン(スマホ)に搭載したセンサーに息を吹きかけてニオイを「計測」できたら、どんな未来が待っているのでしょうか。
ある研究者の開発したセンサーが、そんな未来を実現しようとしています。もしかしたら、スマホで自分の口臭や体臭をチェックできる日もそう遠くはないかもしれません。
吉川氏が「MSS(Membrane-type Surface stress Sensor/膜型表面応力センサー)」と呼ばれる次世代の嗅覚センサーを開発したのは 2011 年のこと。MSS はニオイのもとになるガス分子、DNA、タンパク質などの生体分子にいたるまでの多様な分子を大気中または液体中で計測できる、非常に汎用性の高いセンサーです。もちろん、NIMS では MSS の特許を取得済みです。
MSS を搭載した計測モジュール試作機にフーッと息を吹きかけ、吉川氏はスマートフォン上に「ニオイのグラフ」を表示して見せました。つまり、息のニオイ分子をセンサーが判断して“見える化”してくれたのです。それはまるで、体重計に乗って体重を測るようなもの。目の前でニオイがグラフ表示されるのは、とても斬新な体験でした。
吉川氏は日常での“ニオイの気づき”がもたらす可能性を次のように話します。「嗅覚の一番の盲点は自分のニオイにあります。なぜなら臭いかどうかは自分ではわからないからです。自分のニオイが客観的にモニタリングできれば、それだけでとても重要なアプリケーションになるのです。その意味で口臭、体臭は身近な課題と言えますね」。
吉川氏が見せてくれたのは、爪の先ほどの超小型センサー。その超小型・低消費電力の特性から将来的にはスマホをはじめとして、モバイルデバイスへの搭載が期待されます。最初は高齢化問題に目を向け、予防医療に活かせないかと考えました。実際、息を吹きかけてガン患者の早期診断に応用できないかとの研究も行なっています。「ヘルスケア分野は、産業的にもユーザーにとっても間違いなく価値があると思います」と、吉川氏は力説します。
その一方で、あまりにたくさんの可能性があるために「ニオイの応用方法がまだ全部はイメージできていない」(吉川氏)とも。一体このセンサーをどのように有効活用していくのか――こうした思いもあり、NIMS では企業と共同で 2015 年 9 月 25 日に「MSSアライアンス」を発足させました。
このアライアンスは NIMS、京セラ、大阪大学、NEC、住友精化、NanoWorld の 6 機関が MSSの実用化・普及を加速するために始めた取り組みです。デバイスやセンサーチップの製造からセンサーの校正、ビッグデータ解析、ニオイのデータベース構築にいたるまで、産学官のさまざまな知恵を共有して一日も早い MSS の実用化を目指して動き始めています。
企業との橋渡し役となった NIMS 外部連携部門・研究連携室連携企画チーム長兼 MSS アライアンス事務局の八重樫章氏は次のように語ります。「我々は MSS を使い捨ての技術にはしたくないのです。これから何年も嗅覚技術を発展させていくビジョンを持っています。その第一弾なので慎重に育てていくつもりです」。
むろん、口臭や体臭感知はわたしたちユーザーにとっては最も身近な関心事です。しかし、NIMS が描く MSS の未来はより大きなスケールのもの。先に述べたヘルスケア関連だけではなく、フレグランス管理、ナマモノの鮮度管理、コーヒーなどのフレーバー管理、バイオサイエンスなど、ライフスタイルさえも変える潜在能力を秘めています。
例えば工業分野では、「食品の製造過程で煮えたか煮えないかをセンサーが判断するとか。お酒や洗剤などでもありでしょう。要所要所で“人間の鼻”に頼っていた部分を自動化して、少しでもニオイの異常値を感知したら警告を出すような仕組みに応用できると考えます。私はこれを嗅覚 IoT センサーと呼んでいます」と、八重樫氏は事業イメージを話してくれました。
現在、京セラなどの協力で計測モジュールの試作機が完成しました。組み込んだ MSS に 4種の感知チャネルを埋め込むことで広範なニオイをカバーできます。吉川氏によれば、この試作機でこれまでの実験で計測できなかったニオイはほとんどないとのこと。技術的には現状でもこのチップ上に 100 チャネルを埋め込めるそうですが、それを実現するためにはまだニオイの基礎データが不足していると言います。
MSS アライアンスでは NIMS、大阪大学、NEC が共同で計測モジュールから吸い上げたニオイのデータを解析し、その後に NIMS、NEC、京セラがデータライブラリーを構築していく予定です。こうして膨大なデータを積み上げていくことで、八重樫氏は「データを蓄積していく中で体系的なわかりやすいルール、おおよそのパターンが見えてくるはずです」と期待を込めます。
2015 年 10 月、アジア最大の IT 見本市「CEATEC JAPAN 2015」の京セラブースで出展した際には、会期中ひっきりなしに見学者が訪れ大盛況だったそうです。吉川氏は今後の展望として、「ニオイを測れることをデバイス側から提案することで、新しい使い方を皆さんに開拓してもらいたいですね」と抱負を述べました。皆さんもニオイがもたらす未来に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。