| ここで、私の親父のことを書かねばならない。 なぜなら、親父のことは、私の神経症と大きく関係していたから。 はっきりセラピーを受けている間に認識できた。 厳格すぎるほど厳格な父親だった。 その分母親の影は薄かった。 会社を経営していた父親で、私ははっきりって嫌いだった。 殴り倒したかった。 しかし、絶対的な存在の父親に殴り倒すことは、思春期をすぎても、成人してもできなかった。 自分が絶対的に正しいと思っている親父だった。 ほめられたことすらない。 ほめられるかな、と期待できる成績や賞状をとったときもそっけなかった。 親父にほめられたことはない。 家は親父のエゴで支配されていた。 私は鬱憤や不満を胸の内に抑え込まざるを得なかった。 もし口答えをしたら、思いっきりはり倒された。 しかし、そのときは、私はそのエネルギーを別に転化できていたからまだ、そのときはまらずにすんだのだった。 また、親父を見返してやる、という復讐にも似た感情で、あらゆることを頑張った。 あいつが何にもいえなくなるほど、文句の言えない結果をとってやる、と。 だけど、それは報われることはなかった。 当たり前だ、という顔をされた。そういう態度をとられた。 ついに私は爆発し、家を出た。絶対、あいつには会うまい、と心に誓った。 そのとき、一つ後悔があった。あいつを叩きのめして出て行けば、と言う後悔だ。 いくら家出をしたと言っても、あいつの謝罪があれば、いつでも許してもいいという感情もあった。 しかし、一生こなかった。 私は会社を立ち上げ、うまく軌道に乗っていた。しかし、過度の投資が裏目に出て、資金繰りが厳しくなった。 お金を一刻も早く借りなければならない。しかし銀行もどこも断られた。 もうあいつに頼むしかなくなった。 もっとも頼み込みたくないあいつに。それは私の信条を破壊するものだった。だが、背に腹はかえられない。 絶交していたため、母親を通じて頼むしかなかった。 そして、久々にあったあいつの顔は今も忘れられない。 勝ち誇ったような、それみたことか、という顔だった。 屈辱に私は血が出るほど唇を噛んだ。 だが、頼まなくちゃいけない。 母親がさかんにとりなしてくれた。 しかし、あいつは断った。 私は頭に血が上った。そして、あいつの顔を思い切り殴った。 あのときの拳の感触は何ともいえず異様だった。 家を飛び出た。 そのあと家ではどうなったかわからない。 私はやけになっていた。だが、会社の資金繰りよりは、親父を殴ったことの方が重要だと思った。 しかし、口座に親父の金が振り込まれていた。そして、それを使わざるを得なかった。 私は負けたと思った。親父の勝ち誇った顔がうかんだ。お前は俺には勝てないんだ、と言う声が聞こえたような気がした。 母親から聞いたことには、やっぱり、私のことを馬鹿にしたコメントしていたようだ。 実際悪夢として私を何度もこの出来事が襲った。 殴ってすっきりしたことも、金を振り込まれたことで、私に倍になって抑圧やあるマイナスの感情が襲いかかった。 そして、幼少の頃からため続けた抑圧を、意識下から解放することが出来ず、しかし、会社を発展させる目的の前にそれも忘れた。 一時期は。 今度はあいつの会社を乗っ取ってやろうと思ってがむしゃらに突き進んだ。 その間、親父が死んだ。 体が悪いとは前から聞いていたが、決して会うことはしなかった。 暴君で、私の気持ちなど全く考えなかった。子供として受ける当然の権利も受けられなかった。 仮に子供への愛というものがあったとしても、それはゆがんだものでしかなかった。 だから余計たちが悪かった。 それでも私は必死で親父に愛されよう、ほめようと頑張っていた(このことをはっきり知覚したのはプレミアセラピーに通ってから)。 それがついに報われることはなかった。 葬式に行こうかどうか迷った。しかし長男である以上、責任をとらなければならない。 私の立場からしても、母親に世間に示しがつかないから、と泣きつかれた。 いやいや喪主を務めた。何か異様な複雑な気分だった。 それらを整理できないまま、それでも目の前の仕事に猛進していった。 そのときは、親父のこと、親父に受けたトラウマ、抑圧のことも表面は忘れていた。 しかし、怖いのは意識下にあった、それらだった。 一度も解放できずため続け、無理を重ねたあげく、自分の内面と向き合わざるを得なかったとき、一気に暴発した。 会社の問題・夫婦間の問題・子供の問題・・・様々な難問が一気に私を襲いかかった。 無理に無理を重ねていた私の心はそれらをこなしきれなくなっていた。 もう意識では対処しきれないものが、意識下を支配し、暴れ回っていた。 どうにも出来なくなった。そこからは上に書いてあることだ。 |