け  つ  ね


【主な登場人物】 旅の侍  狩人甚九郎  娘お種  狐ほか【事の成り行き】 「けつね」と聞いて、いの一番に思い付くものと言えば、たぶん大阪の人間なら、うどんの上に甘辛く炊いた三角のお揚げさんを乗せた「けつねうろん」でしょう。 冬のお昼、薄口醤油15ml、味醂10ml、塩小さじ1/2をダシ400mlで割り、冷凍のうどん玉を放り込んでグツッとひと煮えしたところを丼に移し、青ネギをドサッ、そしてレトルトパックの甘辛油揚げを乗せてツルツル。 残念なのは、このレトルトのお揚げさんが大きな三角ではなく、小さな四角ということです。だからメーカーも申し訳なく思ったのか2枚セットにして、貧弱さを補おうとしてくれてます。 もう一つ代表的な「けつね」の名の付いた料理「けつね丼」これも「きつねうどん」同様、手軽にできるので我が家では定番メニューの一つになってます。こちらは「きつねうどん」と違って晩ご飯にも十分対処できるので、料理の手づまりの解消に頻繁に登場します。 返し(濃口醤油5、味醂2、砂糖1の割合で煮切って寝かしたもの)20ml、塩小さじ1/4、砂糖小さじ1/2を濃い目のダシ100mlで割って、刻んだ薄揚げ、青ネギ、シイタケを煮込み、卵で半熟にとじて丼ご飯にかけるともう出来上がり。 味噌汁とサラダか酢の物でも添えれば見た目も、栄養バランスも1ランク上がる……、上がったところで、手抜きは手抜きですけど。ま、何と言ってもコスト・パフォーマンス抜群なのでお世話になりっぱなしです。(2005/03/20)             * * * * * え~「けつね」といぅ、まことに落語らしぃない落語をば一席、聞ぃていただきます。これは新作でございます。新作と申しましても、きのう今日にできたのじゃございません。ちょ~ど十五年前に、この噺ができました。 古典落語と申しますと、何百年前から続いとりますが、十五年、二十年は新作の部へ入ります。で、どぉいぅところからこの噺がでけたかといぅ、このいきさつをばちょっと聞ぃてもらおと思いますが。 わたくしがまだ戎橋(えびすばし)松竹へ出とぉりましたときに、ご承知でもございましょ~が、花月亭九里丸といぅ漫談家が楽屋頭取をしておりました。その九里丸さんが「円都はん、今度新作発表でございます。あなたにやってもらうことになりました」「いや、そら困る。わたくしは若い時分には新作もずいぶんに手がけましたが、もぉ今では新作をこなすといぅ自信がない、ほかの者にやってもろてくれ」 「いや、それではこっちが困る。事務所で支配人みな相談のうえで、円都さんにやってもらおといぅことになりました。それをあんたがやらんとなると、禄盗人(ろくぬすびと)と言われても仕方おませんじゃろぉ」 これがわたくし、ガチンと堪(こた)えた。噺家はね、出番が決まるとこの給金は先もらいます、銭の顔見んことには舞台へ上がらん、とまことにどぉも筋の悪い代物(しろもん)で、先銭をもろとぉります。そぉしてやらんとなると、銭もろていながらやらん、こら禄盗人と言われても仕方がございません。 「そぉきついこと言われては困るが、台本でけてます?」「へ、でけとります」「見せてくれ」ちゅうて台本を見ました、わたくしが。そぉすると、平仮名で「けつね」と書いておます。ほんで、その肩に「原作:森暁紅(もりぎょ~こぉ)」ご承知のお方もございましょ~がもぉただいまは故人でございますが、なかなか有名な作家「脚色:花月亭九里丸」ほで、こちらのほぉに「桂米団治用」としてございます。 「九里丸さん、これ米団治の台本やおまへんか?」「そぉです」「『そぉです』て、米団治がやるべきものを何でわたくしがやります?」「実は米団治さんが『よぉやらん』っちぃますねん。そこで事務所が相談のうえで『米団治さんがよぉやらんなら、円都さんにやってもらお』と、こぉ決まった」 「そらぁ災難や」と、わたい言ぃました。米団治はわてより幾つか年も若い、それに基礎修行・前座の修行をして、もぉどこへ出しても一人前の噺家で恥ずかしぃない人、ことに器用な男。その米団治のよぉやらんものをわたくしがやるとは、こら…… また「やらん」ちゅうたら、禄盗人や言おや思てんねやろ。まぁとにかく台本読もと読んでみたら、やれませんねん。ややこしぃ難しぃ噺でおます。 「九里丸さん、これは米団治がよぉやらんちゅうのは当り前です。米団治だけやない、日本国中の噺家、誰もこらよぉやらしません。米団治は正直で台本の通りをやろぉとするのでやれまへんねん、達ってわたくしに『やれ』とおっしゃるなら、わたくしここで筆を入れます、ほんで書き直します。わたくしのやり良いよぉに書く、それも原作の筋を変えると作者にすまん、筋は変えずして」「それでよろしぃ」さっそくわたくし、それ書き直しました。 「これでどぉです?」「へ、結構です。やってもらいます」そこで、初日までに四日しか間がございません。四日のあいだにこの噺を練り上げんなりません。毎日わたくし一生懸命にそれを勉強しまして、いよいよ初日の日に、まだ恐いのんで。こら、ことによったらやりぞこなうかも分からん…… そこで、ただいまの松鶴、あれがまだ光鶴(こかく)時代、その光鶴さんに「君すまんけどな、舞台のそでへ立って、ほて、わたいがしゃべる通りこの台本読んで行てんか。ほて、もし行き止まったらお客に分からんよぉにひと言ふた言いぅてくれたら、あとは出るさかい。頼む」「よろしおます」ちゅうて、その光鶴が舞台のそでに立って、こぉ読んで行きます。 まぁ、よぉやくと詰まらずにできました。楽屋へ入ってホッといたしましたところが、時間を見ると二十七分かかってます。銘々の持ち時間が二十分、七分食い込んでます。端(はた)の連中も事務所も「いやぁ、構いまへん。新作の発表、時間は食い込んでも構わん」 けど、何ぼ構わんちゅうたかて、そんな素人臭いことでけません。毎日七分ずつ食い込むわけにいきませんので、また苦心をして無駄なとこを省きはぶき、終いには十八分でやれるよぉになりました。まぁ、こらあとの話でございますが。 初日から三日目に投書が来ました「なるほど面白いえぇ噺、頭から終いまで笑うだけが落語やない、笑いはないけどもえぇ噺がでけた。けども、普通の落語とせずにそれを芝居噺としてやってくれたら、聞くほぉも力が入(い)ってえぇと思う。難しかろぉが芝居噺としてやってくれ」 まことにありがたいご投書でございます、よくよくのご贔屓なればこそ。そこでそれを芝居がかりでやることにしました。お囃子さんに頼んで、ここにはこぉいぅものを入れ、ここはこぉいぅハメモノと四、五か所、楽屋で手伝ぉてもらわななりません。 ところがその、最前から楽屋でこの相談しましたら、この噺、前にはやりましたけど、もぉ既に七、八年もやっとぉりませんので、お囃子っさんのほぉでも弾く三味線は分かったぁるが、どぉいぅキッカケで入れるか分からんと、鳴りもんの人から相談をいたしまして、よぉやくとまぁ、それもできました。 永らくやっとぉりませんので、お耳だるいとこあるに違いございませんが、まぁどぉぞご辛抱願います。 時候はちょ~ど秋の末、広々とした大和平野、あの箸尾の在の街道筋をば年の頃四十五、六。打裂羽織(ぶっさきばおり)に野袴(のばかま)雪駄ばき、大小二本はダテには差さぬと黒塗りの鞘(さや)も艶々しく、急がぬ旅とみえまして、野良仕事をしとぉります人に話しかけたり、また道行く子どもに戯れたり、どことなく優し味のあるお武家が北へ北へと歩いてまいります。 何と申しますか、名も知れん小鳥のさえずりも、旅する人の耳をばひとしお慰めてくれます。百姓家の脇から身軽に飛び出した十五、六の可愛らしぃ娘。●あッ、どぉぞ、どぉぞお待ちくださりませ。どぉぞ、お待ちなされてくださりませ■ん、待てとは、身共か?●さよぉでございます。お侍さまとお見かけいたしましてのお願いでございます、どぉぞお助けくださいませ。どぉぞ、助けてやってくださいませ。■何? 身共に助けてくれぇ。事情によっては一命を捨ててでも助け得させんものでもないが……、こりゃ、そちはまことの人間か? はて面妖な、そなたの物腰、格好、ことにその言葉の使い方までが……●恐れ入りました、さすがはお侍さま。おっしゃる通りわたくしは全く人間ではございません、実は「けつね」でございます■ケツネ? ハッハッハッハッ、ケツネではなかろぉ「きつね」であろぉ。●この大和では土地の訛でキツネのことをケツネ、ケツネと申します。わたくしはそのケツネのメスで、しかもまだ処女でございます■余計なことを申すな。われ既に不惑を過ぎるといえど、なんじらごときに易々と化かされよぉや、ことによっては一刀両断にしてみせよぉか。●お侍さま、わたくしは初めから「ケツネ」やと言ぅてじゃございませんか、ケツネがケツネと明かしたうえのお願い、もぉこれ以上騙しよぉがないじゃございませんか。人間とは違ぉてケツネ仲間はみな正直者ばっかりで■ひどいことを言ぅやつじゃ、よし、それでは願いの趣、申してみよ●はい、どぉぞお聞きなされて、くださりませ……♪●わたくしたち一家は、この大和でも、桜咲く吉野の山にほど近い、下市の在に住んでおります。あの芝居でいたします義経千本桜の鮨屋のお里は、わたくしのお婆さんから十一代前の大お婆さん、お里も弥助もいがみの権太もみなケツネ。ここの鮨屋がケツネ鮨の元祖ぉで■嘘をつけ。義経千本桜のキツネは忠信に化けたのが、たった一匹あるだけじゃ。●まぁ、そのよぉなことをば思ぉていられるよぉでは、お侍さまもやっぱりお素人やわ。そも九郎判官義経の義といぅ字は「ぎ」と読みます。それに常は「つね」ギツネとあれば牛若丸もやっぱりケツネの一門、源(みなもと)九郎で源九郎(げんくろう)稲荷。●わたくしのたった一匹の姉ゲツネが、もぉ近々に親類ゲツネの仲人で、ケツネとケツネの夫婦(みょ~と)ごと。その嬉しさに姉(あね)さんは諸所方々と友達ゲツネへ挨拶まわり。今朝も川西の知る辺へ行く途中で、悪い狩人に捕らえられ、ひっくくられてゆきました。その狩人は今日か明日の内には必ず姉さんをお金に換えることでございましょ~。●父親(てておや)ゲツネに早よぉ死に別れた母親ゲツネが、姉さんのことを心配して、わたくしにコンコンと言ぃ聞かせて、姉さんを探しに出させました。母(かか)さんが愛しぃ、姉さんが気の毒じゃ、どぉぞ助けてやってくださりませ、お願いをいたします。■ん~ん、それは不憫なこと、助けてやろぉ。して、狩人の住み家、そち存じておるか?●それを知らいで何といたしましょ、この先のヘェビキヤマといぅ大きな丘の一軒家、甚九郎といぅ人の家(うち)で、四つの足をくくられて吊り下げられております■よしッ、案内(あない)をいたせ、助けてやろぉ。 池のぐるりを通り藪を抜け、ヘェビキヤマといぅ大きな丘のみすぼらしぃ一軒家。●お侍さま、あの大きな柿の木の下のうち、あれが甚九郎の住み家でございます。あの向こぉに大きな赤犬が一匹おります、あれが恐ろしゅ~ございます。どぉぞよろしゅ~お願いをいたします■よぉ~しよし、気遣いいたすな、必ず助ける……、ほほぉ、素早く姿を隠したと見えるの。■許せよ◆へぇ、こらお越しやすお侍さま、まぁこのムサイところへ。さッ、どぉぞこちらへ、どぉぞこちらへ……■構ぉてくれるな。はなはだぶしつけじゃが、今朝ほどキツネを捕らえたはずじゃが?◆へぇへぇ、ケツネをな一匹獲りましたわい。それ、そこにその通り吊り下げてございますが。このケツネのことについて、何ぞご用でも?■ちと子細あってのことじゃが、何とそのキツネを逃がしてやってはくれまいか?◆えぇ~、逃がしてやれ? ワッハッハッハッ……、何をおっしゃるじゃら。わたしゃなぁ、このケツネを金に換えて、そぉして親子が食て行こといぅのじゃ。■そぉでもあろぉが、不憫なものじゃ、定めしそのキツネには母ギツネもあり、また妹ギツネもあることじゃで◆えぇ? 何じゃお前さんこのケツネの身内のことがえろぉ詳しぃが……、あぁ分かった、わりゃドゲツネやな、ドゲツネが侍に化けて眷属を助けに来やがったんかい。そいつは古いわい、そんな下手な化けよぉで、この甚九郎さんを騙そぉとはシャラクサイ。ヤイッ、とっとと帰れかいれ。■何ッ、身共をキツネ? 甚九郎とやら、武士たるものが頭を下げての願いじゃ、逃がしてやってくれ、助けてやってくれ◆何をぬかすぞい、おい、おら狩人が商売じゃ、その商売人の狩人が「可哀想ぉなさかい逃がしてやれ、不憫なさかい助けてやれ」それをいちいち「へぇへぇ」ちゅうてたらな、俺の鼻の下が干上がってしまうわい。が、それとも、達ってそのケツネが欲しけりゃ、金を出せ金を。■んッ、金を出せば逃がしてくれるか? もっともなことじゃ、それではこれで辛抱してくれるか?◆え~、お侍さん、こりゃ二分金が一枚。なるほどなぁ、ケツネ一匹の値(あたい)が二分。いつもならなぁ、二分になりゃ御の字じゃが、今日はちょっとわけがあってそのケツネは二分や三分の端金(はしたがね)では売れんわいッ!■な、何ッ! 武士に向かって蔑口(なみぐち)いたすか◆おやおや、刀の柄(つか)に手がかかりましたな。斬る気かい? こら面白い、斬ってもらお、斬ってくれ。おいッ、この甚九郎はな、村一番の力強(ちからづよ)、ことに喧嘩の素早いのも俺の自慢じゃい。斬れるもんなら斬ってみぃ!■ん~んッ……、これは、身共が誤りじゃ。二分で不足とあらば、そちの願いは、望みはいかほどじゃ?◆何を、イカほどもタコほどもあるかい、相手を貧乏侍と見てとって、う~んと負けてやって五両じゃ■ご、五両……、か◆ヘッヘッヘッヘッ、お侍さん、五両なら何と安いもんじゃごわせんかい。■ん、旅先にて路用の金も手薄なれど……、よしッ、五両つかわそぉ、受け取ってくれ◆へぇ……、おぉこいつは五両、ありがたい。金五両なり右正に受け取り申し候か、ダッハッハッハッハッ。■こりゃ、金を受け取るうえは早く縄を解いてやれ◆おっと、よしよし、わりゃ幸せもんじゃ。五両の金で身請けをしてくださったお侍に、あんじょ~礼(れぇ)をして、とっととここのうちを出て失せ。■すておけ、このうえは身共のものじゃ……。こりゃ、聞けば嫁入り前の大事な体、もし万がいつのことがあっては、母も妹も嘆くであろぉ、早く帰ってみなを喜ばせてやれ。また、これしきのことを恩に着せるではないが、一樹の陰、一河の流れ、袖摺り合(お)ぉも多生の縁、身共これより先の道中を、なんじ性(しょう)あらば我を守ってくれ、よいか、行け、ゆけゆけ……■甚九郎、邪魔をいたした◆えぇ、ご機嫌よぉ。 してやったりと大喜びの甚九郎が、五枚の小判を仏壇の前へ丁寧に並べて、元の囲炉裏のそば一服しとぉりますと、裏口から最前の娘。▲お父っつぁん、お父っつぁん、うまいこといたかえ?◆あぁあぁお種か、上でけ上でけ。小判で五両になったぞ▲まぁ五両、よかったなぁお父っつぁん、ほた約束やで約束したぁるなぁ、その褒美に郡山の町か奈良行てな、綺麗ぇなべべ・櫛・簪(かんざし)・白粉(おしろい)・紅、買ぉとくれや。◆買ぉたるとも買ぉたるとも、なぁ、しかしケツネの物真似は骨が折れたじゃろ▲ホンマにお父っつぁん、骨折れたで。相手が侍やないか、もし化けの皮が現われてみ、あの差してる刀が恐ぉてな◆えらいやっちゃわい▲まぁ、一生懸命に勉強したお陰で、役者も及ばんほどうまいこと芝居したわいな。◆よぉでけた、結構けっこぉ▲あの、お父っつぁん。わたいもな五両といぅよぉなお金な、見たことないねが。わたいにもいっぺん見せてんか?◆見せてやるとも、これで俺も当分は好きな酒がたらふく呑めるといぅもんじゃ、われにも見せ、おととし死んだ嬶(かか)にも見せてやろぉとな、仏壇へ供えておいた。さ、こっち来いこっち来い。 仏壇の前へ来てヒョイッと見ると、小判がのぉて柿の葉が五枚。◆ヤッ! こ、こ、こらどぉいぅ……、こら何じゃ? お種よ、えらいこっちゃぞ、小判がのぉて柿の葉ぁが五枚じゃ。小判が木葉に化けやがった▲まぁお父っつぁん、しっかりしてや。木葉やったら帯も着物も何にも買われへんやないか、いっそ代官所へ訴えたらどぉや?◆アホぬかせ、こんなこと代官所へ訴えてみぃ、俺のほぉが暴利で先やられてしまうわい。オノレェ、侍、この仕返しわ……             * * * * * こちらは侍、郡山の町へ入りましたときにはちょ~ど夕景小前。町の入り口には宿屋さんが軒を並べております。宿引きがずらりと並びましたが、みなお女中で、頭の手入れもいと念入りに、顔には白粉ベタ塗り、赤いタスキを斜(はす)に掛けまして、頭のテッペンから声出して「あんたがた、お泊まりやないかな」……♪ 「お早いお着きでございます、どぉぞお泊りを」「武蔵屋でございます、どぉぞお泊りを」「伊丹屋でございます」★もしもしお侍さま、早いお着きでございます、紀伊国屋でございます■かしましく申すな……、何? 紀伊国屋。身共、紀ノ国湯浅藩のものじゃ。紀伊国屋とあらば究竟(くっきょ~)、一宿いたすぞ★ありがとぉございます、さぁどぉぞこちらへ。 結構な座敷へ案内(あない)をされまして、風呂から上がりますとお膳ごしらえがちゃんとでけとぉります。山出しの女中を相手に、時にとっての愛嬌と田舎酒を一本呑みまして、ご飯が済みますとさっそくお寝間が敷(ひ)かれます。 行灯(あんど)の芯を掻き立てての旅日記。矢立ての筆を走らそぉとしますと、頭は真っ白、二重腰(ふたえごし)になった老人がそれへス~ッ……■何やつじゃ、何やつじゃ? 武士たるものの寝室へ、何やつじゃ?▼はい、お騒ぎくださいますな。わたくしは今日(こんにち)箸尾の在で、あなたさまにお助けを受けたキツネでございます■何、キツネ? えいッ偽りを申せ。身共助けしは、あれは雌ギツネじゃ。▼さ、その雌ギツネが男に化け、また雄ギツネが女に化ける、これはキツネの甲斐性と申すもの■ん。して、そのキツネが何ゆえあってここへまいった?それを申せ、そのわけを▼わけを申せば、おぉ、そぉよ……♪▼キツネと化けて甚九郎の娘が、うまくあなたを騙し、姉ギツネを助けてと、うっかりかかった大枚(だいまい)のお金、強欲非道な甚九郎に、五両取られた馬鹿らしさ、どぉせ極楽往生のできぬ極悪甚九郎、小判を木葉とすり替えて、お返しにまいりました。■んッ! そぉか。それはご苦労じゃ▼それにつけてもお侍さま、必ずご油断はなりませんぞ。次の間に物騒なやつがおりますわい。 老人が立って取り合いの襖をサッと開きますと、顔は鍋墨で真っ黒、右の手に種子島の鉄砲、左の手に火縄を持ってへたばっております。■ん? 墨黒々と面相を塗りつぶせども、なんじはキツネを売り付けし狩人甚九郎ではないか。見れば、飛び道具を所持なして、我に危害を加えんためか。甚九郎、子細を語れッ。もし謀(たばか)ることがあらば容赦はいたさん、この場において真っ二つに……◆はい、はい、申しますわい、もぉ~しますわい……♪◆あぁ面目ないやら、恥ずかしぃやら。あなたを騙してケツネを売った金五両、嬉しさいっぱい儲けは千倍、死んだ嬶ぁにも喜ばそぉと仏壇へお供えして、ホンの少しのタバコ一服。二服と吸わぬそのあいだに、小判は消えて木葉が五枚。◆「こりゃ、どぉしたぞ、何とした?」舌切り雀の婆さんが、重いツヅラの化け物より、こっちは軽い柿の葉で、こりゃ~侍もケツネじゃと、早合点やら早支度して、村から里へと行方を尋ね、よぉよぉここへ紀伊国屋。◆様子をさぐって次の間から、ただひと撃ちと火縄の火を移そぉといたしますと、五体はたちまちしびれだし、手足の自由がかなわぬは、これもやっぱりケツネさまのお力じゃろぉか。あぁ、おとろしやのぉ、おとろしやのぉ……■ん、様子は知れた(カ~ン、カ~ン、カ~ン……)甚九郎、今鳴る鐘はあら何刻(どき)じゃ?◆へぇ、あれは亥の刻(こく)、初夜でございます■何、初夜? 貴様が狩人で、キツネが来て、今が初夜か……◆へぇ、狩人にケツネに庄屋……、ちょ~ど「ケツネ拳」でございますなぁ。■何「ケツネ拳」? ワッハッハッハッハッ……、キツネ拳とは面白い。甚九郎、今までのことは水に流してつかわす、そのほぉこれより立ち返って、娘のキツネに「ここへいっぺん遊びに来い」と言ぅてやれ。【さげ】◆いぃやぁ~なかなか、娘も恥ずかしぃてここへは、来ん、来ん。【プロパティ】 戎橋松竹=1947(昭和22)年、御堂筋・千日前通南西角にあった千土地興行   経営の映画館「戎橋松竹」を演芸場に改装して演芸興行を開始。1957   (昭和32)年、新歌舞伎座建設資金捻出のため北海道拓殖銀行に敷地を   譲渡して閉鎖。現在、近鉄難波ビル(大阪市中央区難波4丁目21)。 花月亭九里丸=1891(明治24)年、大阪市生まれ。1962(昭和37)年没、享年   71歳。大正・昭和の時代に活躍した吉本興業の珍芸漫談家。「戎橋松   竹」の開場に当たっては工事から出番の編成まで一切を運営し、上方   演芸の復興に貢献した。 楽屋頭取=劇場などで楽屋のすべての取り締まりに当たる者。頭取。 禄(ろく)=官に仕える者に支給される手当。俸禄。 筋=家筋の略。筋がええとか筋がわるいとかいう。また家柄の意にも使用   される。色街では粋筋、女にのろい人などにいう。 代物(しろもん)=人を罵っていう言葉。遊女のこと。また、年頃の美しい   女性(売り物になるものの意から)。 森暁紅(もりぎょうこう)=1882(明治15)年11月25日~1942(昭和17)年4月   9日、本名庄助。明治・大正・昭和を通じ活躍した演芸評論家・作家。   文藝倶楽部誌の編集主任。日本画家・森緑翠(もりりょくすい)の実父。 桂米団治(四代目)=本名、中濱賢三(1896~1951)享年55歳。代書人の資格   を取得し、自宅(大阪市東成区大今里町・東成区役所横)で「中濱賢三   代書事務所」を開業したときの体験から「代書」を創作した。桂米朝   の師匠に当たる。 ややこしい=込み入る。複雑な。ゴタゴタする。こんがらがる。怪しい。   胡散な。得体の知れぬなどさまざまな意味を持った大阪特有の言葉。 達(たっ)て=要求・希望などをどうしても実現しようとするさま。無理に。   しいて。どうしてでも。 笑福亭松鶴(六代目)=本名、竹内日出男(1918年8月17日~1986年9月5日)   享年69歳。五代目・笑福亭松鶴の次男。豪放な芸で、衰微の極にあっ   た上方落語を支え、隆盛に導いた。 端(はた)=そば・かたわら・横合い。主として、そばの者など、人の場合   にいう。人以外は「ねき」という。 お囃子さん=戎橋松竹のお囃子さんといえば、林家トミ師匠。 林家トミ=上方寄席囃子三味線演奏家。無形文化財。二代目・林家染丸夫   人。 ハメモノ=落語の途中に挟まれるの効果演奏。上方落語特有のものでおお   よそ百曲ほどある。東の旅の伊勢音頭。百年目の越後獅子など。 キッカケ=歌舞伎などで、演技や効果などの開始、次への進行を指示する   種々の合図。通常片仮名で「キッカケ」と書く。 ~たるい=多少もどかしさを込め、嫌になる気分の意に用いる。目だるい・   耳だるい・甘たるい・舌たるい。 箸尾の在=奈良県北葛城郡広陵町の北部。近鉄田原本線に「箸尾」駅があ   る。在は在郷、在所、いなか。 打裂羽織(ぶっさきばおり)=帯刀に便利なように背縫いの下半分を縫い合   わせていない羽織。武士などが乗馬・旅行の際などに用いた。せさき   ばおり。せわりばおり。さきばおり。ひっさきばおり。 野袴(のばかま)=近世、武士が旅行や火事装束などに用いた袴。すそに黒   いビロードや繻子の縁を付けたもの。 面妖=不思議なこと。奇妙なこと。また、そのさま。めんよ。 けつね=キツネの行訛。伏見稲荷の祀神はウケノミタマノカミ・オオミケ   ツノカミ・オオケツヒメノカミと呼ばれている。そのケツノがケツヌ   →ケツネと変化。稲荷信仰(稲作管掌)とキツネとの結び付きはかなり   古く、関西ではケツネの呼び方が早かったと思われる。 不惑=「論語」より、四十にして惑わず。四十歳の異名。 下市の在=奈良県吉野郡下市町。 義経千本桜=人形浄瑠璃。時代物。1747年初演。竹田出雲・三好松洛・並   木千柳作。都落ちをする源義経を中心に、鮨屋の弥助となっている平   維盛、渡海屋の主人真綱銀平となっている平知盛を登場させ、静を守   る狐忠信を活躍させて各段を構成する。「鮨屋」「渡海屋・大物浦」   「河連法眼館」の場は現在でもたびたび上演され、人形浄瑠璃や歌舞   伎の代表作。 源九郎稲荷神社=奈良県大和郡山市洞泉寺町。源九郎狐(白狐)が祀られる。 川西=奈良県磯城郡(しきぐん)川西町。 知る辺=知り合い。縁のある人。 ヘェビキヤマ=へい、びき、やま:楽屋言葉(数字の符丁)で一、二、三。   百二十三尺≒37メートルぐらいの低い丘という洒落らしい。 楽屋言葉(数字)=1=ヘイ、漢字「一」は横に水平、すいへい、へい         2=ビキ、足利家の紋「二引き」○に二の字         3=ヤマ、漢字「山」サンは三         4=ササキ、佐々木家の紋は「四つ目」         5=カタコ、片手の指五本。片拳(かたこ)         6=サナダ、真田家の旗印「六文銭」         7=タヌマ、田沼家の紋「七曜(七つ星)」         8=ヤワタ、ずばり八幡         9=キワ、十の際         10=ツバナレ、詳しくは「佐々木裁き」を         100=ソク、ムカデは「百足」           ナラ、同じ数の並び ムサイ=汚らしい・不潔な。 眷属・眷族(けんぞく)=血のつながる一族/従者。家来/仏や菩薩に従う   もので、薬師仏の十二神将、不動明王の八大童子の類。 シャラクサイ=小ざかしい・生意気な・利いた風なことをする意。洒落臭   いであろうか? とっとと=早く・速やかに・急いで・さっさと。疾くとくと、の転訛。 ぬかす=言う・ほざく。 二分=四分が一両。1両が約4万円として2万円。 御の字=もと遊里語。「御」という字を付けたくなるほどのもの、の意。   ありがたいこと。満足なこと。 蔑口(なみぐち)=「蔑(なみ)する」は、ないがしろにする。あなどる。の   意であることから、蔑口はあなどりの言葉を発することか? あんじょう=うまい具合に。味よく→アジヨォ→アンジョ~。 すておく=捨てておく。ほうっておく。取り上げない。 一樹の陰=同じ木陰に宿るのも、前世からの因縁であるの意。一樹の宿り。 一河の流れ=同じ河の流れの水を汲むのも前世からの因縁であるの意。一   河の流れを汲む。 多生の縁=多くの生を経る間に結ばれた因縁。前世からの縁。 性(しょう)=衆生(しゅじょう)の奥に秘められている真如・仏性。 郡山=奈良県大和郡山市。奈良県北部の市。近世、柳沢氏十五万石の城下   町。紡織・機械・食品などの諸工業が発達。金魚の養殖が盛ん。 われ=俺に対してわれ。漢字で書くと我であるが、大阪では「じぶん」と   言って「あなた」のことを指す場合もある。 いと=たいへん・ひじょうに。 究竟(くっきょう)=たいへん好都合なこと。 山出し=田舎の出身で世なれていないこと。 時にとって=場合によって。時によって。 愛嬌=好ましさを感じさせたり、笑いを誘うような言動や表情。愛想。 二重腰(ふたえごし)=年を取って、折れ曲がった腰。えび腰。 取り合い=境界。境目。 へたばる=ペッタリと座り込む。また、病気にかかって寝込んだり、物事   を途中で投げ出す場合などにもいう。ヘタル。さらに訛ってヘチャル。 謀(たばか)る=あれこれ工夫して騙す。方策を考える。工夫する。うまく   対処する。 おとろしい=恐ろしいの段訛。主として河内・大和あたりで用いる語で、   さらにオットロシイともいう。 亥の刻=午前0時より2時間刻みで子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥、亥の刻は   22時から24時まで。 初夜=六時のひとつ。夜を三分割した最初の時間。ほぼ現在の18時から22   時頃。また、その間に行う勤行。さらに、漏刻(水時計)で、亥の二刻   (23時)から子の二刻(25時)まで。参考:晨朝(じんじょう)・日中・日   没(にちもつ)・初夜・中夜・後夜(ごや)。 亥の刻と初夜=濾刻(ろこく)の初夜なら亥の刻でも辻褄が合うが、十二刻   なら酉の刻18~20時と戌の刻、20~22時が初夜となり、戌の刻が正し   いのではないか? 宿に着いて食事を終えるまでの時間を考えても、   亥の刻では遅いような気がする。 キツネ拳=拳の一種。両手を開いて両耳のあたりにあげるのを狐、肩を張っ   て両手を膝の上に置くのを庄屋、握った左手を前に出すのを鉄砲また   は狩人という。狐は庄屋に、庄屋は鉄砲に、鉄砲は狐に勝つ。庄屋拳。 原作:森暁紅氏 音源:橘ノ円都 1966/02/28 上方落語の会(NHK)
【作成メモ】 ●参 照 演 者:main=橘ノ円都 sub=* ●main高座記録日:1966/02/28  ●音  源  名:上方落語の会(NHK) ●ファイル公開日:2005/03/20  ●原    作:森暁紅氏 ●更  新  日:2013/02/17  ●リクエスト数: ●注 意 事 項:内容を削除、追加、改訂している部分があります。          記録日のmain演者によるさげを採用しました。