名月の海より冷る田簔かな 洒堂
<めいげつの うみよりひえる たみのかな>。「田蓑」は、現在の大阪市西成区津守町にあったという禊(みそぎ)の場所(『大字林』)。名月の晩、田蓑島で美しい月を見ていると、海から冷えてくる寒さが身を包む。
<めいげつや にしにかかれば かやのつき>。夜も更けて月を眺めるのもくたびれた。さいわい月は西に傾いたので、蚊帳の中に寝転がって観賞することとしよう。
ものものの心根とはん月見哉 露沾
<ものものの こころねとわん つきみかな>。八月十五夜の月に照らされた全てのものたちはみな美しい。これがこれらの本性なのか否か聞いてみたい。
八月十五夜の月、こんなに美しい月ならもう一つあってもいいように思うが、これで本当に二つあったら、どちらが美しいかといって争いになるのだろうなぁ?
<めいげつや ながやのかげを ひとのゆく>。中秋の名月の陰がくっきりと長く続く武家屋敷。その陰の中をひとり誰かが歩いていく。
<めいげつや さらしなよりの とまりきゃく>。名月の秋の夜。今夜はあの月の名所更科から客人が来ている。多分、芭蕉と「更科紀行」を終えて江戸までついてきた越人ではないか。
<めいげつや はいふきすてる かげもなし>。「灰吹」は、タバコ盆に付属した竹筒で、タバコの灰・吸い殻などを落とし込むもの。吐月峰(とげつぽう)(『大字林』)。名月の明るさの中、灰吹きの汚い灰を庭に捨てるなんて下品なことはできる雰囲気ではないのである。
中切の梨に氣のつく月見哉 配力
<なかぎりの なしにきのつく つきみかな>。「中切」とは、中門のこと。普段気がつかない中門の脇の梨の木に梨の実がなっているのを月見の散歩中に見つけた。月の明るさと、感覚の変化。
<めいげつや くさのくらみに しろきはな>。月のあかりに生い茂った雑草が黒々と陰を作り出している。しかし、その中にある白い花がかすかな明かりの中で浮かび上がる。陰影の描写に成功した句。
明月や遠見の松に人もなし 圃水
<めいげつや とおみのまつに ひともなし>。「遠見の松」とは、丘の頂など小高いところに植えられた松。ここからの眺めがよいのでこう呼ばれる。中秋の名月のあかりに遠見の松が浮かび上がって見える。しかし、今夜そこには人影が無い。その松の枝にかかる月を見るのだから居るわけが無い。
<おがむきも なくてとうとや きょうのつき>。明月は「真如の月」ともいう。普段、とりたてて仏心があるというのではない私だが、この仲秋の明月を見ていると思わず知らず信仰心が湧いてくる。
<めいげつや ねぬところには かどしめず>。名月の夜、明月の客を待っている家では、門を閉めずにいる。大変奥ゆかしい。
名月や四五人乗しひらだぶね 需笑
<めいげつや しごにんのりし ひらたぶね>。「ひらだぶね」とは、吃水(きつすい)の浅い、細長い川舟。時代・地域により、大きさ・舟形もさまざまで、古く上代から江戸時代まで、各地の河川で貨客の輸送に使われた。ひらたぶね(『大字林』)。ひらた舟に乗って月見をしている四五人の人。川面に揺れる月を見ようという趣向なのだろう。作者需笑<じゅしょう>については未詳。
老の身は今宵の月も内でみむ 重友
<おいのみは こよいのつきも うちでみん>。若い時分は一晩中外を歩きまわって月を眺めたものだが、もはや歳。家の縁側に腰掛けてじっくり見るだけだ。それもまたよしだ。重友<じゅうゆう>は未詳。
明月にかくれし星の哀なり 泥芹
<めいげつに かくれしほしの あわれなり>。月の明るさで見えなくなってしまった星たち。何だか気の毒な気がする。泥芹<でいきん>は不明。
いせの山田にありて、かりの庵をおもひ立け
るに
二見まで庵地たづぬる月見哉 支考
<ふたみまで いおちたずぬる つきみかな>。仮の草庵を伊勢の国内で探しているうちに、遠く二見浦まで来てしまった。丁度今宵は八月十五夜。二見浦で明月に会うとはなんと素晴らしいことか。元禄7年の秋。支考は伊勢にいて芭蕉を待っていたのである。この日、芭蕉は上野に滞在して、冒頭の句を詠んだ。
芥子蒔と畑まで行む月見哉 空牙
<けしまくと またまでいかん つきみかな>。古来、ケシのタネを蒔く季節は八月十五夜の頃がよいとされている。今夜はその夜。畑にケシを蒔きに行こう。本当は月を見たいのだが、いい口実になるので。
柿の名の五助と共に月みかな 如眞
<かきのなの ごすけとともに つきみかな>。「五助」は柿の名だが、月見をその柿の木の下でしている。今宵の月見は五助と一緒というわけだ。
山鳥のちつとも寐ぬや峯の月 宗比
<やまどりの ちっともねぬや みねのつき>。「足引きの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む」(『万葉集』)などと詠まれているが、今夜の明るい月の下では、山鳥もよもや眠れまい。
名月や里のにほひの青手柴 木枝
<めいげつや さとのにおいの あおてしば>。「青手柴」が意味不詳。よって、解釈不能。木枝<ぼくし>については未詳。
場に居て月見ながらや莚機 利合
<にわにいて つきみながらや むしろばた>。昔、兼好法師は貧しくて、筵を織って生計を立てたというが、風流を愛した人だから、明月の晩には庭に筵機を出して、月見をしながら筵を織ったことであろう。
明月や聲かしましき女中方 丹楓
<めいげつや こえかしましき じょちゅうがた>。明月を見物の一行の中にお女中方がいるらしい。先ほどからなんとも喧しいのだが、あれでも風流を楽しみに来たというのであろうか?? 丹楓<たんぷう>については未詳。
<めいげつや なにもひろわず よるのみち>。名月の夜、まるで真昼間のように明るいが、それなのに街道を歩いてきて何も拾わずに来た。あまりに月が美しくて、下を見ることがなかったのである。
飛入の客に手をうつ月見哉 正秀
<とびいりの きゃくにてをうつ つきみかな>。月見の句会でもあったか。遠路から飛び入りの参加者だが、明月の美しさによっている一座の者たちはすぐに打ち解けて、客人を賞賛する。これも明月の効果か。
淀川のほとりに日をくらして
舟引の道かたよけて月見哉 丈草
<ふなびきの みちかたよけて つきみかな>。淀川の舟運は、下りは船頭だけで下れるのだが、上りは川岸から強力が綱で曳いたのである。その道は、中秋の名月の晩でも使うので、月見の客はそこを避けて月見をしなくてはならなかったのである。
待宵の月に床しや定飛脚 景桃
<まつよいの つきにゆかしや じょうびきゃく>。「定飛脚」は、江戸・京・大坂を結ぶ定期飛脚便。月に三度双方向に発信した。「待宵の月」は、14日の月のこと。昼のように明るい14日の月夜。飛脚が走るのを見てみたいものだ。この時代、夜間の走破は許されなかったが、明るい月夜なら走りたいだろうという作者の想像が込められているのかも。作者景桃<けいとう>は京都の人。神御霊社別当。俳号は示右<じう>。この当時は少年で12歳だったといわれている。
家に三老女といふ事あり。亡父将監が秘
してつたへ侍しをおもひ出て
姨捨を闇にのぼるやけふの月 沾圃
<おばすてを やみにのぼるや きょうのつき>。「三老女」は、老女を主人公とする能。「関寺小町」「檜垣(ひがき)」「姨捨(おばすて)」を言う。他に、「鸚鵡(おうむ)小町」「卒塔婆(そとわ)小町」を加えて老女物は五曲ある(『大字林』より)。沾圃は宝生流第10代大夫、その父が将監である。信州姨捨の月は、三明月と言われる月の名所。姨捨の月は、姨捨の執心の闇の中を通過して、天に上って照らすのである。
露おきて月入あとや塀のやね 馬見
<つゆおきて つきいるあとや へいのやね>。十五夜の月が西の空に消えて明け方の冷気は塀の屋根に梅雨を結露させた。それが明月の余韻のように薄鈍く光っている。
月影や海の音聞長廊下 牧童
<つきかげや うみのおときく ながろうか>。月夜の照らす長廊下。外は八月十五夜の月がこうこうと照っているものの、廊下の床はかえって暗い。そこへ海の波の音が絶えず聞こえている。静寂な空間。
<いざよいは やみのまもなし そばのはな>。芭蕉の句のように、十六夜は僅かな闇があるのだが、蕎麦畠のここでは秋蕎麦の花が真っ白く咲いて、闇を消す。そこへ十六夜の月が出てくる。だから闇は無い。
七 夕
更行や水田の上のあまの河 維然
<ふけゆくや みずたのうえの あまのかわ>。七夕の夜が更けていく。秋になっても、水を湛えた田んぼには天の川が横たわる。
星合を見置て語れ朝がらす 凉葉
<ほしあいを みおきてかたれ あさがらす>。朝烏よ、お前が朝の到来を告げるについては、昨夜の星の逢瀬のことをよくみたままに語れよ。「星合」とは、七夕の牽牛と織女のおう瀬のこと。
船形リの雲しばらくやほしの影 東潮
<ふななりの くもしばらくや ほしのかげ>。七夕の二星は舟に乗って天の川を渡るといわれている。ちょうど今船形をした雲が星空を横切ろうとしているが、雲よ折角だから牽牛織女の二星を乗せてあげてくれないか。
東潮<とうちょう>は、出羽米沢の人。和田氏。芭蕉死後嵐雪派についた。
<たなばたを いかなrかみの いわうべき>。七夕の行事は古来人々に祀られてきたが、それでいてこれを何と云う神とするのかはっきりしていない。
朝風や薫姫の團もち 乙州
<あさかぜや たきものひめの うちわもち>。「薫姫<たきものひめ>」は、織女の別名。この他にも6つの名前がある。織女に風を送っていた団扇持ちの女性が扇ぐ風がいま秋の朝風となって涼しく吹いてくることだ。
立 秋
粟ぬかや庭に片よる今朝の秋 露川
<あわぬかや にわにかたよる けさのあき>。昨日脱穀したアワの殻が夕べの風で庭の隅にかき集められた。この風は、いよいよ秋の到来を知らせる風なのだ。
秋たつや中に吹るゝ雲の峯 左次
<あきたつや ちゅうにふかるる くものみね>。「中」は中空の意味。秋になって、あんなに元気のよかった入道雲も勢いを減じて強い秋の風に吹かれて倒れかかるようになってきた。左次<さじ>は、尾張名古屋の僧侶。
穐 草
(梗)<あさつゆの はなすきとおす ききょうかな>。朝露をいただいた桔梗の紫の花。その高貴な色彩は露を通過して、露があるのさえ分からない。
細工にもならぬ桔梗のつぼみ哉 随友
<さいくにも ならぬききょうの つぼみかな>。桔梗のつぼみは緑色の五角錐のような形をしている。実に幾何学的な美しさで、これを細工で作るのは不可能だろう。
<おみなえし ねびぬばこつの すがたかな>。「ねびぬ」というのは、老いていない、の意。「馬骨」とは、昔清少納言が引退しているところへ若い公家がやって来て老いたことを罵倒したのを見事にたしなめたという逸話をいう。一句の意味は、女郎花は、馬骨の話をした清少納言のように歳をとってもかくしゃくとして老いさらばえぬのに似ていることだ、ということ。
<おみなえし うさかのつえに たたかれな>。「鵜坂の杖」とは、越中富山の鵜坂神社では不義密通した女は、その密通の数だけお尻を叩かれるというなんとも野蛮で女性蔑視の習慣があった。これより、オミナエシは「女郎」花というくらいだから、身持ちが悪く鵜坂明神にお尻を叩かれろと言うのである。
一筋は花野にちかし畑道 烏栗
<ひとすじは はなのにちかし はたけみち>。畑に通う道。その一筋の道には秋草の花が咲き誇る。百姓たちにもある美意識をめでたいものだ。烏栗<うりつ>は、伊賀上野の人。来川氏。
弓固とる比なれば藤ばかま 支浪
<ゆみがため とるころなれば ふじばかま>。「弓固」とは、弓の製作時または修繕時や休息時や運送時に型をつけるために用いる治具または保護具。ここでは後者。フジバカマの花の咲く秋ともなれば、夏場休ませておいた弓の弓固めをはずして、そろそろ試射を始めるか。
百合は過芙蓉を語る命かな 風麥
<ゆりはすぎ ふようをかたる いのちかな>。百合の季節は終わって今はもう芙蓉の咲く季節。芙蓉の花は、朝に咲いて夕べには散ってしまう。その命の短さを花の移り変わりに感じさせられることよ。
<さよひめの なまりもゆかし つまぬはな>。「さよ姫」とは、宣化天皇二年(6世紀)十月、百済救援を命じられた大伴狭手彦は遠征の途次、肥前国の松浦佐用姫を妻とする。そして、別れの時、佐用姫は出征のために船出する狭手彦を見送って山の頂きから領巾を振って嘆き悲しんだ。悲しみのあまり石になってしまった、という。「つまぬ花」はホウセンカのこと。ホウセンカを見るとさよ姫のことがしのばれるというのであろうが、根拠が不明。原典の『芭蕉庵小文庫』では上五は「玉かづら」だが、これでも意味は不明のままだ。