ウェブブラウザのJavaScript(ジャバスクリプト)の設定が無効になっています。Javascriptが無効になっていると、サイト内の一部機能がご利用いただけません。 二人で一緒に。◆大盛り合唱5周年おめでとうございます!一ファンとして心からお祝い申し上げます!今回は私の大好きな曲とキャラで書きました。よろしくお願いします。〈題材〉ドーナツホール〈登場人物〉三ノ宮御幸(さんのみや・みゆき)灰谷有(はいたに・ある)[newpage][chapter:天気雨には透明な傘を]「行くぞ、御幸」急に部屋に入ってきた灰谷に腕を掴まれ、期待に輝いた目でじぃっと見られたものだから、御幸は思わずたじろいでしまった。「行くって、どこに」「出かけるんだよ。買い物行くぞ」「この天気で?」困ったように眉を下げながらへらりと笑い、御幸は窓を指し示した。外はしとしとと雨が降っており、細かい水滴がぱたぱたと窓ガラスを叩いている。「この天気だからだよ」得意げに笑う灰谷の左手には、二本のビニール傘が抱えられていた。[newpage]「……ハイくんが出かけたくなった理由、なんとなく分かったかも」前を行く灰谷に御幸が声をかけると、そうだろうと言わんばかりに、灰谷は振り返ってにやりと笑って見せた。梅雨が明けてからというもの、連日空は憎らしいほどに晴れ渡り、空からの強い日差しと地面からのせり上がる熱に、御幸はうんざりしていた。しかし今日は、灰色の分厚い雲が日差しを遮り、細かい雨が地面を冷やし、束の間の涼が街を包んでいる。時折雲の隙間から、柔らかな光が真っ直ぐに差してくるので、街が暗くなりすぎることもない。ビニール傘を跳ねる軽やかな雨音も、耳に心地よく、案外悪くない天気だな、と御幸は思った。「御幸と一緒に来たかった理由が、もう一個あってだな」ぴょんと御幸の隣に近づき、灰谷は口を開く。「なーに?」「御幸さ、あれ好きだろ。メリーポピンズ」「うん、好きだよ。メリーポピンズがどうかした?」「俺さ、それの傘持ってるシーンが軒並み好きなんだ。傘にハマったっていうの? そのシーン、頭の中でずっと流して、そういえば御幸好きだったっけ、って思いだして。それでふと思ったんだ。御幸は傘が似合うなあって」似合う? と御幸はきょとんとした顔のまま首を傾げる。灰谷は何度も頷き、「だから、雨の日に御幸と出かけたかったんだ。見たかったんだよ、御幸が傘差してるの。思った通りだった。やっぱ似合う」「そうなんだ~。似合うんだ、俺。雨の日ってあんまり好きじゃなかったけど、気分上がるかも」のんびりとした御幸の口調に、それがいい、と灰谷は一つ大きく頷いた。「あ、そういえばさあ。今日ってハイくん何買う予定なの?」自分より低い灰谷の頭に寄せるように、御幸は自分の肩を近づける。「ドーナツ作るんだ」ぼそりと呟き、灰谷はポケットから四つ折りの紙を取り出して、御幸の前で開いてみせる。そこには、直線的な癖のある文字で、砂糖や卵などの食材が箇条書きでメモされていた。「ああ、いつものみんなで食べるドーナツね。今日はミスドのやつじゃなくてハイくんが作るの?」「そうだな。だから他の奴らには買って来るなって言ってきた。御幸も手伝ってくれよ」「うん、いいよ~。分かったぁ」頼むぞ、と灰谷はわくわくしたような瞳を御幸に向けてから、メモをまた丁寧に折りたたんでポケットにしまった。街に降り続く雨は、勢いこそ弱いものの、終始冷気を振りまきながらしっとりとアスファルトに染み込んでいく。雨にうたれるトラックはずいぶんと静かで、水しぶきを跳ね上げながら、二人の横を通り過ぎて行った。雨粒に煙り、光を滲ませる歩行者用信号機が、ぱっと赤く変わり、それを見た二人は横断歩道の前で立ち止まった。すぐさま、道路の信号機が青く変わり、車が流れていく。「さっきの話なんだけどさ」自身を包む雨音を聞いていた御幸が、灰谷の声に顔を向ける。「ドーナツのこと?」「いいや、メリーポピンズ」「あ、そっちか。それがどうかした?」「うん、また考えてた。もう一回よーく見てみたんだけどさ、御幸を」「やだー、そんなに見られたら照れる」くすくすと笑う御幸には構わず、真面目な顔で灰谷は続ける。「傘を持った御幸はしっくりくる。いや、来すぎてる、っていうのか? ともかく、似合っているんだ。似合いすぎてる。風が吹いたら飛んでいってしまいそうな」「あはは、確かに俺がりがりだけどそこまでじゃないよ~。そこまでいったら人じゃない」「そう、そうなんだよ!」急に語気を強め、ぐいっと灰谷は御幸の顔に自分の顔を寄せる。その瞳は好奇心できらきらと光っていた。「俺、御幸は人じゃないのかもしれないって思ったんだ。妖精? エイリアン? 魔法少女? いや、なんでもいい、ともかくそういう存在なのかもって! どうなんだ?」え、と御幸は言葉を詰まらせる。目をぱちくりさせて眉を寄せた。「……そんなにぐいぐい来られると、俺引くわー」「あ、すまない。それでどうなんだ?」御幸からぼそりと漏れた言葉に灰谷は顔を離したが、相変わらず目は爛々と輝いている。あー、と御幸は頭を掻き、「そうだったら楽しかったんだけどね! でも、俺は普通の人間だよ」「そうか。それならそれでいいんだ。人外は間に合ってるしな」一瞬で灰谷の目に宿った興味の光が消え、御幸は拍子抜けしてしまう。そこで、横断歩道の先の信号がぱっと青に変わった。「信号が変わった。行くぞ」立ち尽くす御幸を尻目に、灰谷はずんずんと前を歩いていく。「自分から聞いといてそれはないでしょー!?」抗議の声を上げながら、御幸はその背中を慌てて追いかけた。[newpage]「ハイくーん、粉ありすぎてわかんないんだけど。どれ?」「これだ、これ」御幸が小麦粉の袋が並んだ棚の前で、首を傾げてみせる。灰谷は御幸の隣で立ち止まり、ためらいなく中段の薄力粉に手を伸ばした。ぽんと袋がかごの中に放られる。「えっと、卵とー、油と、お砂糖でしょ? あとなんだっけ」「ベーキングパウダーとバター。あとバニラエッセンスがあるといい」メモを指差し確認する御幸に、がたがたと揺れるカートを押す灰谷が答えた。それぞれがある場所を全て把握している灰谷は、迷わず陳列棚へ向かい、立ち止まらずにぽいぽいと目当てのものを入れる。「あと卵な」がたつくカートをゆるゆると灰谷は押し、その後ろを御幸が着いていく。「ねー、ハイくんー」卵を物色する灰谷の肩口を、御幸がちょいちょいと引っ張った。「材料だけじゃなくてさ、お菓子買ってかない? みんなには内緒で、ね」灰谷が御幸の潜めたような声に反応して振り返ると、彼の肩越しに白いアイスのショーケースが視界に入る。「アイス食べたいのか」「あ、ばれちゃった。……だめ?」御幸はわざわざ身を屈め、ねだるような視線を灰谷に向ける。御幸がよくこんな視線を親友に向けていたな、と灰谷はぼんやりと思い出した。灰谷は卵を片手に持ったまま、ふむ、と顎に軽く手を当て、アイスケースの中身をざっと見やる。「うん、そうだな、買おう。ドーナツとアイスなら喧嘩しないしな」ほんと!? とぱっと御幸の顔が笑みで華やぐ。さっと体を翻し、何がいいかなあと声を弾ませながらアイスケースのガラスを覗き込んだ。灰谷は買い物かごに卵を入れ、がらがらとカートを押して、御幸に並びケースを覗き込む。「俺これがいいなー。オレンジ! ハイくんは何がいい?」「そのアイスうまそうだな。俺はそれのソーダ味にする」はいはーい、と御幸がガラスの蓋をスライドさせ、オレンジとソーダ色の、霜がばりばりとついたアイスの袋を指先で摘まんで取り出した。それをカートの中に置くようにして入れる。「よし、じゃあ早く帰るぞ。アイスが溶ける」「わーい、帰ろ帰ろ!」ささやかな楽しみを胸に、二人はレジへと足を進めていった。[newpage]「御幸、買ったもの出したらこっち手伝ってくれ。高いとこ届かないんだ」「はーい、ちょっと待って」どさりとキッチンのテーブルにビニール袋が置かれると、がさりと乾いた音をたてた。御幸は水滴がまとわりついたアイスの袋を取り出し、冷凍庫に放り込む。そして、材料の名前を一つ一つ口に出しながらテーブルに出していく。灰谷はしゃがみこんでシンクの下の扉を開くと、そこに腕を突っ込んで、重ねられた銀色のボウルとざるを取り出した。そして、テーブルの上に一つずつ並べていく。「ハイくん、どれほしい?」「はかりがほしい。……ああ、それだそれ」ひょろりと長い腕を伸ばして、御幸はシンクの上の扉を開けて灰谷に尋ねる。灰谷は心もち背伸びをして、ちょいちょいと指さしで指示を出した。御幸がはかりを取り出している間に、灰谷は計量スプーンや泡だて器、ゴムべら二本をひょいひょいと手にしていく。「よいしょっ……と。準備できたかな」「できたできた。さあ作るぞ、手洗えー」「はーい」灰谷がシンクの水道のハンドルを動かすと、だばりと水が太い線となって溢れてくる。灰谷は指の間まできっちりと手を洗い、水を滴らせながら御幸に場所を譲る。腕まくりを済ませた御幸は水柱に手を突っ込むと、ばしゃばしゃと手を濡らすように洗った。「手ちゃんと洗ったな? 拭いたらさ、手伝ってくれよ」もうすでに手を拭いた灰谷は、バターの箱をべりりと開け、中から銀色の紙に包まれたバターを取り出し、それを丁寧に開いていた。中ぐらいの大きさのボウルにぽいと乗せると、目盛りを合わせてから、バターナイフで切ったものをそこに入れていく。「拭いた~。何すればいい? 俺ハイくんに全部任せるかんね。ハイくん料理上手だし、俺あんまりできないし」「任せてくれればいいぞ。薄力粉にな、ベーキングパウダー入れて、ふるっといてくれ。下にボウル置いて、上にざる乗っけて、そこに混ぜたやつ、どん、だ。それでゴムべらで混ぜる。粉も飛ばないし楽でいいんだ」「分かった~。どれぐらいはかればいい?」御幸が薄力粉に手を伸ばし、ぴりっとその口を引き裂いて開ける。灰谷は薄力粉の重さを告げつつ、砂糖の重さもさっさとはかり、御幸のためにぽんとボウルを置いてやる。御幸は数字を覚え込むように何度も呟きながら、そろそろと薄力粉をボウルの中に落としていった。「……よし、いいかな。ベーキングパウダーは?」「これ使え。大さじな」御幸が薄力粉の袋を置くと、灰谷は計量スプーンを寄越してくる。ベーキングパウダー、と口にする御幸の声を聞きながら、灰谷は先ほど図った砂糖をバターの上にどばっとかけてしまう。そして、ゴムべらを手にし、ざくざくと混ぜていく。御幸は、ベーキングパウダーをはかり終えた薄力粉の中にぱっと入れると、それを持ち上げ、はかりから降ろした。ええと、と呟きながら、御幸はボウルとざるを重ね、再び粉の入ったボウルを持ち上げる。そして、えいやっとボウルをひっくり返し、そこに粉をどんと落とすように入れた。少しテーブルを見渡して、もう一本あるゴムべらを手に取り、ざるに入った粉をくるくると混ぜていく。「……一応、終わったけど。これでいいの?」ざるから粉を落とし切った御幸は、自信なさげに灰谷に視線をやる。灰谷は御幸の手元を覗き込み、うんうんと頷いた。「上出来だ。ありがとな。じゃあ貸してくれ」よかった、とほっとしたように笑う御幸に、親指を立ててみせてから、灰谷はざるをボウルからどかす。小さめのボウルに卵を割り入れ、泡だて器で黄身をぷつぷつと潰し、黄身と白身があらかた混ざるまで泡だて器を動かした。そこにバニラエッセンスを数滴加えてから、白っぽくなったバターと砂糖に入れて混ぜ、さらに粉を加え、ゴムべらでさっくりと混ぜていく。「御幸ー、きれいなビニール袋ある場所分かるか? それ取ってくれ」「分かんない。どこ?」「いつもラップ置いてある場所だ」「ああ! そこね、いいよー」さくさくとドーナツのタネを混ぜていく灰谷の後ろで、ごそごそと御幸がキッチンの隅を漁る。すぐに探していたビニール袋は見つかり、御幸はそれを一枚手に取って灰谷の目の前に置いた。灰谷の混ぜている生地は、全体に材料がまざり、ぼそぼそとした塊になり始めていた。灰谷はそこで混ぜるのをやめ、ゴムべらで生地をある程度集めてから、ビニール袋にどさりと入れた。「これで30分くらい寝かせる。ちょっと休憩だな」「あ、じゃあ使ったボウルとか洗っとくね。使わない食材もしまっとかないと」「そうだな」灰谷は、ビニール袋の生地を入れるために、冷蔵庫の扉を開ける。そして生地をしまってから、卵とバターもしまいこんで、ぱたんと冷蔵庫を閉じてしまった。御幸はボウルとざるをぽいぽいと重ね、その上に泡だて器やゴムべら、計量スプーンなどこまごましたものをまとめて入れてしまう。それをシンクに持っていくと、まず水道を捻って、水であらかた洗い流し、それから洗剤をつけたスポンジでがしがしと洗っていった。「御幸、手伝うか?」「ううん、大丈夫! それよかさ、ハイくん」「ああ、そうだな。忘れちゃいけない」調理器具の表面にべったりとついた泡を洗い流しながら、御幸は灰谷に目配せする。灰谷には織り込み済みのようで、そのまま冷蔵庫に近寄った。手に付いた泡を洗い流し、手を拭いて御幸が振り返ると、二つのアイスを手に掲げた灰谷が、ちょいちょいと御幸を手招きしていた。楽しみにぱっと表情が明るくなり、御幸は灰谷の隣に立ってアイスを受け取る。いただきます、と二人は言い、びりっとプラスチックの袋を裂いた。御幸にはオレンジ色の、灰谷には水色の棒付きアイスが、袋から覗き、肌を這うような冷気を漂わせている。袋を完全に取り去ると、二人はがぶりとアイスにかぶりついた。かじりついた歯にじわりと冷たさが広がるのと同時に、さくりとした爽やかな音をたて、アイスの塊が口の中に入る。溶けたアイスはオレンジやソーダの香りと共に、ぶわっとすっきりとした甘さが広がり、それは時間がたつほどさらに甘くなっていく。「おいしい~! 買って正解だった! うん、おいしいよこれ」御幸は驚いたように軽く目を開いて、そしてふにゃりと頬を緩ませた。灰谷は感想こそは漏らさないが、嬉しそうなきらきらした瞳をして、さくさくと夢中になって食べ進めている。「御幸、これいいな。また買う」「そうだね~! おいしいよね、これ」御幸の緩んだ声に、こくこくと灰谷は頷く。しばらく、二人は無言のままアイスの味を堪能していた。がじがじと食べ進められたアイスは、数分もすると棒のみになっていた。「あ~、それにしても三十分かあ。まだちょっとあるよね。ハイくん、何か話す? というか何か話したい?」アイスの棒を弄び、肘を着いていた御幸がのんびりとした口調で言う。じうじうとアイスの棒をねぶっていた灰谷が、それに気づいてぱっと口を離した。「……そうだな。急に言われると難しいもんだが」アイスの棒をゆらゆらと揺らしながら、灰谷は何事か思案する。「お互いの好きなものとか、気になってるものとか、いいんじゃないか。例えば御幸だったらショタボーイ」「お? 俺にその話振っちゃう? 長くなるよぉ、絶対三十分じゃ終わんない。というか聞きたい? ねえハイくん、ねえねえ」その単語を聞いた御幸はにわかに色めき立ち、悪戯っ子のような笑みを浮かべてつんつんと灰谷をつつく。しかし、それを聞いた灰谷はすぐに興味を無くしてしまったようで、表情を動かさずに続ける。「俺だったらアイドル」「へええ、ハイくんアイドル好きなんだ! どんなのが好きなの?」「いや、特定のアイドルの話じゃなくて」驚き半分面白半分で尋ねた御幸に、灰谷はふるふると首を振って見せる。「例えばさ、御幸の名前ってアイドル映えするじゃん?」「えぇ? 俺?」「うん。三ノ宮御幸。いい名前だよな、かっこいいし可愛い要素もある。アイドルっぽい」「そうかな~。ハイくんもそれっぽいと思うけど。ほら、こう、『有』ってさ、ユウとも読めるわけじゃん? そこをアルって読ませるの、いいと思うよ俺」御幸は空中に灰谷の名前の文字を書いてみせ、灰谷はふんふんと頷いた。「じゃあ、俺がアイドルだったらなんて呼ぶ?」「ええ!? 何いきなり」「例えばだ」突拍子もない問いかけに、御幸は困惑しながらも腕を組んでぐっと首を捻る。「ううん……なんだろ……。あるる、とか、かな? あるるー可愛いよーって言いやすいし」「そうかそうか、いいな、うん、好きだ」なぜかこの上なく満足そうに笑う灰谷に、御幸は戸惑いながらも、どうも? と言葉を返した。「御幸は御幸のままでもいいし、みゆでもいいし、うん、いいな、素晴らしいな」「……なんだかよく分からないけど、ハイくんが楽しそうならいいや」「ああ、楽しいぞ、すっごく」ふと時計を見た灰谷が、ぴんと背筋を立てる。そして、アイスのごみをぽいぽいとごみ箱に放った。「時間だ。続きやるぞ。御幸は生地出してくれ」「う、うん、分かった」御幸もそれに続いてアイスのごみを捨てる。御幸が冷蔵庫の扉を開け、じんわりと冷えた生地を取り出す間に、灰谷はラップに型抜き、麺棒を用意し、テーブルに広げる。「軽くつぶしといて」そう御幸に言って、灰谷はテーブルに大き目にラップを敷き、そこに軽く薄力粉を振りかけた。麺棒も同じように粉をまとわりつかせる。「これでいい?」御幸は軽くつぶされた生地をビニールごと灰谷に渡す。灰谷はこくりと頷いて、ビニール袋から生地を取り出した。それをラップの上に乗せると、ぐっと麺棒で真ん中を押してへこませてから、そこから広げるようにして生地を伸ばしていく。「ハイくんやっぱ上手だね」「料理の腕は伊達じゃないぞ」背後から覗き込む御幸に少し誇らしそうに答え、灰谷は生地を薄く広げきる。「御幸もやるか? 型抜き」「やるー。二人でやった方が早く終わるでしょ」それを聞いた灰谷は了承するように頷き、型抜きをもう一つ持って来るとそのまま御幸に渡した。渡されたそれを、御幸は生地にぐっと押し当てる。すると、軽い抵抗ののち、すとんとドーナツの輪が切り抜かれた。「うん、いいな。その調子で頼む」機嫌よさそうな口調でいい、灰谷も生地を切り抜いていく。二人がかりで、生地はあっという間にドーナツの輪になっていった。「御幸、油あっためといて。180度な」「はーい、りょーかい。揚げるのはハイくんお願いね」生地を切り抜き終え、切り抜いた生地を並べながら、灰谷は御幸に短く告げる。御幸は揚げ物専用となっている鍋を持ち出して、油をどぼどぼと注ぎ、180度になるように火の設定をしてから、灰谷に振り返った。灰谷はラップの上に乗った生地を持ち、御幸と入れ替わるように油の前に立つ。バットと切り抜いた生地を横に置き、灰谷は菜箸を手に取った。しばらく待つと、ゆらゆらと油から熱が立ち上って来る。灰谷が菜箸を手に取って先をちょんとつけると、ぷつぷつと泡が生まれた。「大丈夫かな」「ああ、もういいぞ。入れてくれ」「じゃあ、入れよっと」切り抜かれた生地の一つを、御幸は摘まんでぽんと投げ入れる。粘性のある油に、とぽんと生地が飛び込むと、生地がじゅわっと泡に包まれ、ぱちぱちと空気の弾ける軽やかな音がキッチンを包んだ。「もっと静かに入れな」たしなめるように灰谷は御幸を肘でつつく。はあい、と返事はしつつも、続けざまに生地を複数個、油に放り込む。瞬間、ひときわ大きな音がばちんと響いた。「あっつ!」同時に御幸が悲鳴にも似た声を上げ、右腕をさっと自分の元に引き寄せる。高い位置から入れたのがまずかったのか、複数の生地を入れたせいか、油が爆ぜて御幸の右腕に飛んだのだ。痛みに顔をしかめた御幸が、当たった場所を見ると、そこはひりひりとした赤い火傷になっている。うわ、と御幸が呟いたとき、灰谷が血相を変え、菜箸を放り出し、がしりと灰谷が御幸の腕を掴んだ。そのまま灰谷はぐいと引っ張り、水道のハンドルに手を伸ばして水をどばりと出し、そこに御幸の腕を突っ込む。流れ出た水は、御幸の肌の上を跳ねながら冷やし、ぼたぼたと音を立ててシンクに落ちていく。「いわんこっちゃない」吐き捨てるように小さく灰谷は呟いた。「ちょっと、ハイくん? そんな大したことじゃないって」「大ごとだ。火傷を甘く見るなよ」淡々と話してはいたが、灰谷は御幸の腕をしっかりと掴んだまま離そうとしない。「お前はいっつもそうだ、危なっかしい」「だーかーら、大丈夫だって。ちょっと熱かったけどさ。……それとも、心配してんの?」御幸はへらりと笑いながら、灰谷の手をそっと振りほどこうとしたが、灰谷はぐっと手に力を込めてそれをさせなかった。いつもそうだ、と灰谷は抑えた声で言う。「御幸はいつも心配だ。ふわふわしてる。地に足がついていない。いつかぽっといなくなるんじゃないかって思ってる」「え? そんな風に思ってたの?」「言っただろ。御幸は傘が似合いすぎるんだって。メリーポピンズなんだよ、御幸は」真っ直ぐ御幸を見据え、灰谷はぽつぽつと語る。御幸は怪訝そうに眉を寄せ、肩をすくめて見せた。そして、明るい笑顔で答える。「うーん……。よく分かんないや!」「……そうか。なら、それでいい」灰谷の声は平坦で、どこか寂しそうだった。そのとき、ぱちんとまた油が爆ぜる。御幸がはっとして火にかけた油を見ると、もうすでにきつね色の焦げ目がついたドーナツが、泡を出しながら油にぷかぷかと浮かんでいた。「ハイくん、焦げちゃうよ。もう大したことないから。だから、ね、手離して?」それを聞き、灰谷もはっとする。御幸が優しく腕を振り払うと、今度は灰谷はすんなりと手を離した。御幸は水を止め、ずぶ濡れになった腕を拭く。火傷は、もう目立たないほどになっていた。「腕まくりしてたから、当たっちゃったんだよ。ほら、これでもう安心」御幸はくしゃくしゃと丸めていた袖を元の長さに戻し、灰谷に見せるように腕を伸ばす。完全に納得したわけではないようだが、それでも灰谷は頷いた。火元に戻ると、灰谷は菜箸を手に取り、浮かび上がってきたドーナツを掴んで油から上げる。ドーナツは黒くなりかけていたが、まだ食べられそうではあった。灰谷は揚げ終わったドーナツをバットに乗せ、油の中を空にする。「次入れるよー」御幸はまだ残っている生地を、今度はそっと油の中に入れた。灰谷は油をじっと見つめたまま、ぷつぷつと沸く泡をつついていた。「あ、御幸。あらかた冷めたら砂糖振ってくれ」「はーい」御幸はテーブルの上に置かれた砂糖を持ち出し、適当なスプーンを手にする。そして、袋の中にさじを突っ込み、盛られた砂糖をドーナツに振りかけていった。ドーナツが揚げあがると、灰谷がそれをバットを取り出し、御幸が新たな生地を油に入れる。灰谷がドーナツを揚げている内に、御幸は砂糖を振りかけていく。砂糖が振りかけられたドーナツが増えてくると、御幸は皿を持ってきて、そこにドーナツを盛り付けていった。ぱちん、と灰谷が油にかけていた火を消す。最後のドーナツがバットに取り出され、それに砂糖が振りかけられると、二人は同時にお互いを見た。「完成?」「だな」御幸の問いかけに、灰谷がこくりと頷く。「これで今日のドーナツは安心だ」「ねえハイくん、ちょっと味見しない?」「味見しよう。その分余分に作ってある」「さっすが!」きゃいきゃいとはしゃぎだした御幸に、内緒だぞ、とわざと潜めた声で灰谷は言い、御幸にドーナツを渡した。「いただきまーす」ぱくり、と御幸がドーナツを頬張る。じわり、とまず砂糖の甘さが下に広がり、次にさくりとした食感と共に、ほんのりとした素朴なドーナツそのものの甘さが口いっぱいに広がる。幸せそうに目を細め、御幸はにまにまと頬をほころばせる。灰谷もドーナツにかぶりつくと、ぱっとまぶたが開き、瞳が輝きだした。その瞳を嬉しそうに御幸に向ける。「うまいな、よかった。うん、これなら文句も言われない」「ほんと!」「御幸と一緒に作ったからな。うまいよな」期待通り、といったように、灰谷は何度も何度も頷いていた。ドーナツを食べ終えた御幸は、指の腹についた砂糖をなめとってから、灰谷の方を向く。「ハイくん、片づけとか任せちゃっていい? 俺ちょっとくたびれちゃった」「いいぞ。まだ帰ってきてないやつもいるし、みんな来たら呼ぶよ。ありがとな」ドーナツを口の中に入れたまま、灰谷は答える。ありがと、と御幸は短く言い、キッチンを後にした。そのまま真っ直ぐ、自分の部屋に向かう。からからと扉を横に開けると、御幸の視界にすっきりとした光が入る。その光は窓から差し込んでいた。窓ガラス越しに外を見れば、しとしとと降り続いていた雨はいつの間にか止んでいて、分厚い雲も風によって千々に飛ばされている。窓ガラスに残った水滴が、ぼんやりとした虹色を反射させていた。「雨、上がったんだ。せっかくいい雨だったのに」御幸はベッドにどかりと腰を降ろして、枕もとの白い猫のぬいぐるみを手繰り寄せて、軽く抱きしめる。またあのうんざりする暑さに戻るのか、と思うと、御幸は次の雨が待ち遠しくなった。「……早くみんな集まらないかな」ぽすりとぬいぐるみに顎を乗せ、御幸は呟いた。口の中で舌を動かし、味見したドーナツの味を反芻する。いつものドーナツの時間が、この日はとても楽しみで仕方が無かった。FIN.