野田知佑
バイカル湖を目指す

2012年6月



左・野田さんと
右・藤門さん



(1) 風のように

いい具合に年を取った野田知佑さんを久しぶりに拝見した。もちろんテレビ画面(BSアーカイブ=2002年放送分)でのことである。昭和13年のお生まれだから、当時は60歳をいくつも過ぎていらっしゃったわけだが、とてもそのお年には見えない。

番組は北海道で牧場を営む藤門弘さんと一緒に、モンゴル・エグ川を下ってバイカル湖まで1300kmの長旅である。

豊かで穢れのない澄んだ水の上をカヌーで下る旅はさぞかし快適だろうなと感じさせ、一服の清涼剤の役割を果たしてくれた。

旅は途中のモンゴル人たちとの交流を交えながら進む・・・。

***

野田知佑さんはカヌーイストの日本の先駆者であり、第一人者だ。

日本のみでなく、得意の英語を駆使して世界の名だたる川や山岳地方にも足を延ばしチャレンジ精神を発揮してきた。

愛犬ガクとともに単独で、アラスカ・ユーコン川などの河川を下った旅はあまりにも有名で、1982年に、私の手元にある『日本の川を旅する』で日本ノンフィクション賞・新人賞を受賞している。

わたしにとってこの本は、疲れたときや滅入ったときの格好の隠れ場所であった。

『おれの理想は、持ち物はすべてバックパックの中に入るだけにして、風のように自由に好きなところに移動して暮らすことだ』。

それができれば言うことはないが、できないよねぇ。

『男は常に身一つで生きるべきなのである』。

よくわかる、でも、できないよねぇ。

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エグ川でイトウを釣る光景は開高健を思い出させるが、あの開高よりずっとナチュラルだ。第一かまえているところがない。

イトウが釣れなくても地元のマスを釣って調理して、あるいは木の実や野草を採集していただく。自然体の自給自足。

野いちごを採集して河原でジャムにする。同量の砂糖と混ぜた鍋を火にかけてかき回すだけ。そのほかにも自然人たちは食に関するサバイバルのノウハウをたくさん持つ。特に、寒い北海道で暮らす藤門さんは保存食について詳しい。

5つの保存方法がある」 という。

まずはソルト(塩)による漬物。二つ目はピクルスなどの酢漬け。3つ目は干物でこれはドライ(乾燥)、次ぎはスモーク(煙で炙る)、最後はシュガー(砂糖)によるジャム。

いずれも寒い冬に栄養を摂取するための保存食だ。北国の知恵だ。自給自足の達人だ。

大河の水辺で、パンに作りたてのジャムを塗って食す。

「うん、美味い」 と満足そうである。

南の国で生まれた人たちにはピンと来ない。日常生活でその必要がないから当然のこと。さてどちらの食生活が豊かといえば、“今の世の中では”という条件をつけて、“北国”といいたい。


(2) イグール村のナーダム(祭り)

遊牧民は、冬は風の少ない山に、夏は川べりに移動して、移動可能な家屋・ゲルに住む。かれらは通り過ぎる旅人を歓迎すると言う習慣を持つ。そういうことに慣れた野田さんは、あまんじてそのもてなしを受ける。



まさしくワイルド
エグ川の川べりに放牧される馬たち




馬たちはカヌーに寄り添うように戯れる

そのかわり子どもたちをカヌーに乗せてあげたり、ハーモニカを吹いたりして、お返しをする。

その交流が自然である。

1日30km、ゆっくり、のんびり、ときどきウィスキーを口に含みながらの川旅だ。

放牧の馬がカヌーを追いかけてくる。牧童たちは裸馬に乗っている。

河岸にゲルが見えたので寄り道をする・・・。

***

猟銃をかかえた男が丘の上から現れた。危険を感じるところだが、男は「狼ハンターだ!」という。その男の家に招かれると子どもたちが寄って来た。

この週末にイグール村のナーダム(お祭)があるという。そのお祭に子どもたちの競馬の催しがあり、このゲルの子どもが二人参加する。

何もない緑の草原で馬の調教を見せてもらう。

ウォー、ウォーと抑揚のある声を出して馬を操る子ども二人。それが古くからのモンゴル式調教術で、少しずつ馬の闘志を高めていくために声を発する。周囲に聞こえるのはただ風の音だけ、そんな草原の風を引き裂くように、子どもたちのかん高い叫びが響き渡る。

馬といえばモンゴル民族は、馬でもって強大な帝国を築いたのだから、その末裔たちがこうやって訓練するのに何の不思議はない。さて子ども競馬の結果はいかに!

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子どもたちのダービーが始まった。

コースの距離は28kmと異常に長い。この草原を1時間近くかけて走る。それも鞍をつけない裸馬である。しかしさすがにジンギスカンの末裔たちはたくましく、苦もなく乗りこなし、最後は左右にムチを入れて次々とゴールする。

応援している子どもの目標は10位以内であったが、・・・その一人、10歳のドルチェ君は17位、ナラン(12歳の女の子)ちゃんはレースが終わってももどってこない。ゴール直前にコースをはずれ、馬がいうことを聞かなくなった。泣き崩れるナランちゃんを父親が慰める。

遊牧民の素顔に触れるゲルの家族だった。

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How many roads must a man walk down.

Before you call him a man?

Yes, 'n' how many seas must a white dove sail.

Before she sleeps in thesand?

懐かしいボブ・ディランの『風に吹かれて』が背景に流れて、川旅は続く。


(3) ロシアからバイカル湖へ



こういう景色に出会うのも旅の楽しみだ

川はバイカル湖まで切れることなくつながっているが、ロシアへの入国管理の手続きはどうするのだろうかと疑問があった。案の定、国境をカヌーで越えることはできない。いったんカヌーを陸に上げて地元の車に乗せて運んだ。

結果的に二人にとって、ここが最大の障害物になって7時間も待たされてしまった。

26日目にしてやっとロシアに入る。川の名前もセレンガ川に変わると、眺めも一変する。モンゴル人たちは釣りをしないがロシア人は積極的に魚を獲る。川も泥で濁っている。清流の魚は棲めない。

人口40万人というブリヤート共和国の首都ウランウデの町を通りかかる。町の中心部に、黒くて巨大なモニュメントがどっしりと構えている。なんだろう、レーニン像である。共産革命の象徴であるレーニン像がまだ残っていた。

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8月1日、一漕ぎしてバイカル湖へはいった。36日間、1300kmの旅の終着駅である。

“バイカル”と聞くだけで寒いイメージを感じるが、ここで暮らす人々にとっては豊かさの象徴でもある。琵琶湖の50倍の広さで“シベリヤの真珠”と歌われてきた。

「バイカル湖で終われたので達成感がある。今までの経験の中でベストの川に入る」と二人。

「湖から流れ出す最初の30kmから50km、ちょうどいい流れがあって、ジン・クリアーというが、ジン(酒)のようにきれいに澄んでいて、岸辺を馬たちが駆け抜けてゆく。子どもは走ってくる。あの光景は良かったなぁ。ツーリングカヌーの理想的なかたちでしょう」と野田さん。

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野田さんのことは、一人で川下りをしていて寂しくないのだろうかと、単純に思う。

角度を変えて野田さんを眺めてみる。

野田さんのしゃべりを聞いてみると、抑揚なく淡々としゃべる。その特徴に気付く。果てこれはどうしたことか、何か原因があるに違いないと考える。

カヌー行には様々なリスクがつきまとう。急流のなかで突然大岩が行く手を遮ったり、巨大なダムが現れたり、あるいは熊に出会ったりと、そういうとき立ち向かえるのは己のみで、助っ人はいない。一瞬の判断で困難の種類を見分けて手立てを考えなければならない。

他人と一緒の旅であれば、「うわぁ、どうしようか!」と声をあげることにも意味があるが、一人ゆえに聞いてくれる人もいない。

驚きや感動の言葉を発することも少ないだろう。

穏やかな川を流れているときもいろんなことを考えるのだろうが、話しかけるべき相手がいない。しかたないから自分自身に小さな声で話しかける。

そんな習慣が人をして寡黙にさせる。抑揚のないしゃべりを習慣づける。そんな気がした。

こういう人の人格を否定するものではないが、人と深く交わりながら仕事をしてきた者からみると寂しいのではないかと思うが、本人からは「とんでもありません」と反論されそうだ。



(4)おまけ・・・尻別川を下る



尻別川と羊蹄山

『日本の川を旅する』のなかから、尻別川のことを紹介したい。

野田さんは北海道南部、胆振線(今は廃線になっている)の喜茂別で下車した。

車なら札幌から2時間、中山峠を越えるとまもなくこの町に入る。

6月中旬のいまごろは、ちょっと寒いが清清しい陽光が迎えてくれる。とくにこのあたりからは、目の前に尻別岳(1107m)や羊蹄山(1893m)の高嶺を見上げることができて爽快である。

北海道初心者にとっては同時に、(ああ、北海道に来たのだ!)という実感を得られる場所。

喜茂別はアスパラガスの町だ。全国の生産量の7割が羊蹄山麓の黒土の畑にできる。喜茂別、ルスツ、真狩、ニセコのこのあたりでは、アスパラばかりでなく種々の野菜が収穫され、札幌市民の台所に送られる。

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尻別川は道南の山なみ(支笏湖周辺の山々や森)に源を発し、羊蹄山の裾野をめぐって流れ、岩内の南端で日本海に出る。全長126km、北海道では6番目に長い川だ。

途中に著名な湧水の里がいくつもあって、天然の伏流水が勢いよく流れ出ている。札幌在住時、車に10リッターポリタンクを二本載せて、水汲みに来たことを思い出す。

そのころから、尻別川の存在はよく知っていた。

観光シーズンになると地元のマスコミにもしばしば写真が登場して、アウトドア派のチャレンジ・スピリットをくすぐった。

待ちに待っていたものが来た、と。これはゴルフ族のおじさんにとっても同じで、長い冬に耐えてきた反動のエネルギーは驚くほど凄まじい。

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『風の中で生活する習慣がつくと、いつも体の周りの空気が動いていないと気分が悪い。家の中の淀んだ空気が耐えられない』。 著書のなかにこういう記述がある。

川を愛し、泳ぎまわる魚を愛し、野の草花や風に心を和ませる・・・。

魚獲りの極意をこう話す。

「川の中に潜っていくと魚たちはみんな岩の下に隠れる。さまざまな種類の魚がいる。大きいものもいれば小さいのもいる。必要な魚を必要なだけ岩の下に行ってつかんでくるだけですよ」。

私にも子どもの頃、こういう経験があった。しかし、魚の鼻が掌に当ると、こちらがビックリして取り逃がすというのが常で、魚をつかんで捕獲するなどとは到底考えられなかった。

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尻別川は山間を走るだけあって勾配が大きく急流が多い。だから、喜茂別―蘭越間の50kmのあいだに7ヶ所のダムを作った。

川を行く舟にとって恐いのは、流れの中にある岩や杭だ。ぶつかると舟は障害物を基点にぐるりと向きを変え、横を向く。そうするともろに流れを受けて横転する。

水面に出た障害物は遠くから見て避けられるから問題はない。水面下の「隠れ岩」や障害物は、並みの形を見て判断するしかない。

だからはじめての川を行くときは、流れの音が変わったり、瀬音が近づいたら、舟を着岸して、前方の様子を見に行く。そして、急流の通るべきコースを頭に入れる。

狭い島国の日本の川は、概して流れが急だ。だからホンモノのカヌーの醍醐味を味わえるかと思うが、リスクもそれだけ多い。チャレンジ精神を忘れたら、大きな事故につながりかねない。

この発想は人生観の持ち方につながる

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『日本の川を行くのは哀しい。それは失われたものの挽歌を聴く旅だ』

著書の中でこうもらしているが、本を出版されたころに比べると、日本人の自然保護に対する姿勢がずいぶん変わった。そうはいうものの破壊された自然を元に戻すには100年単位の時間がかかる。

ちょうど原発再開の是非論が国民を巻き込んで盛んになっている。

自然を150%知り尽くした野田さんの意見をぜひ聞いてみたいものだ。

(終り 2012年6月16日)


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