映画「es」(もろネタバレです)

映画es(エス)を見て

 この映画は、スタンフォード大学心理学部が出した新聞広告によって集まった被験者を無作為に囚人役と看守役に分けて、刑務所を再現した実験場で2週間暮らさせ、この時の被験者の行動と心理状態を観察する実験の様子を描いたものである。この実験のように、人間の精神を極限状態に追いやり、観察するような実験は絶対にしてはいけないと思う。物理的実験と違い、将来において人類の発展に貢献することは分かっていても、核やウイルスや経済の研究と同じで、実際に問題が起こった事例を分析するしかない学問なのではないだろうか。どうしても必要に迫られてする場合は、被験者の安全確保を最優先すべきである。この映画の中で実験者であるトーン教授には、事前準備の不備や、危険判断の客観化の欠落が見られた。以下、映画の流れに沿って感想を述べていくこととする。
〜導入〜
 主人公タレク・ファハトの背景説明。元記者のタレクは、面白い記事を書いて返り咲くために実験への参加を決める。様々な理由で実験への参加を決めた男性達が一堂に会し、初顔合わせ。タレクは顔見知りであったキオスクの店主と言葉を交わし、和やかな雰囲気である。体力テストや精神テストを受け、実験に耐えられると判断された被験者達が教授から説明を受ける。コンピューターが無作為に囚人役と看守役に分け、看守役に選ばれた被験者は別室で看守服に着替える。この時点で看守役の被験者は、自分が看守になったことに対し喜びを露にしている。彼らのはしゃぎぶりから、今後の展開に不安が募った。トーン教授から遊びではない旨、暴力は禁止の旨、そして違反者は実験からおろされることが伝えられる。
〜1日目〜 
 いよいよ看守の誘導により、囚人役の入獄が開始される。囚人役は服を奪われ裸で消毒等を受ける。囚人役は面白半分で一様に笑顔である。囚人の言ったジョークに看守役も笑い、囚人を注意する看守はいない。3人ずつの少人数に分かれて監獄に入れられ、看守により鍵をおろされた瞬間に初めて少し不安げな表情を浮かべる。しかし、すぐに立ち直り笑顔を取り戻す。
 囚人同士でバスケットボールをプレーしている最中に、参加しようとした看守の一人に対し、他の看守がやめろ、という意思表示をする。役割分担を初めて数時間が経過したことで、看守の中に、囚人とは違うという意識が生まれて来たことの表れだろうか。このころから、看守が笑顔を消して命令し始める。
 タレクが看守の命令に従わず、逆に挑発するような態度をとることで、看守と囚人という役割の間に溝が生まれる。タレクに挑発された看守が、仲間内での面目を保つために初めて罰則を用いて厳しい口調で命令する。このことから看守が、命令すること、人を思い通りに動かすことに快感を覚えるようになる。
〜2日目〜
 タレクが看守を2人監獄に閉じ込め、囚人を挑発して騒ぐという“事件”を起こす。看守は仲間を助けるのに精一杯で、騒ぎを収拾することが出来ないまま逃げ帰り、別室で対策を考える。看守役の一人であるベルスが、屈辱を与えて大人しくさせるという方法を提案する。その提案に乗った看守役の被験者達は、囚人に向けて消化器を噴射して動きを封じ、服とベッドとシーツを奪う。タレクは腕を手錠で監獄に固定される。この“事件”により、囚人は初めて心身の痛みを感じ、看守に対して怯えるようになる。囚人と看守の間に回復不能な溝が形成される。映画の中でのトーン教授の台詞にもあったが、この事件は実験開始からわずか36時間後に起こったものであり、こんな短時間でここまで人の人権を奪うことへの躊躇がなくなることに少なからず驚いた。
〜3日目〜
 体臭を気にするベルスを、臭いぞと挑発するタレク。一番気にしていることをからかわれたベルスは、ひどく自尊心を傷つけられた。この時に初めてベルスの中で実験と関係なく、タレクが決して許せない男になったのではないか。
 その日の夕方、タレクがリンチされる。今までの挑発的な行動、秩序を乱す行動への不満に加えて、先程のベルスのたぎる怒りが引き金となって噴出したのではないだろうか。タレクは手足を拘束され、口にはガムテープを貼られ、暴行を受け、頭髪を刈られた。最後には床に倒され、上から小便をかけられる。力なく横たわるタレクに向かって、ベルスが「お前、臭うぞ」と、タレクに言われた台詞をそのまま返す。後にベルスはもう一度この台詞をタレクに向かって言うのだが、この異様なまでの執着に、ベルスのコンプレックスの深さが感じられる。それとも、単に粘着的な性格なのだろうか。恐らくどちらもだろう。
〜4日目〜
 ついに限界の者が出る。精神が錯乱し、看守に殴りかかる囚人の後ろからベルスが警棒で打撃し、脳震盪を起こさせてしまった。これがきっかけで実質的にベルスが看守を指揮するようになる。実験が悪い方向へ向かっていると危惧したアシスタントがトーン教授へ意見するが、トーン教授はベルスもタレクもこの実験の要素として必要不可欠だとして、何ら措置を講じない。アシスタントは自分の判断でベルスに注意を与えるが、ベルスは文句があるなら教授から言ってくれと相手にしない。まだ看守という役割を与えられてからわずか4日しか経っていないのに、すでにアシスタントを見下したような態度を取るベルスに、自己正当化の強さを感じた。
〜5日目〜
 タレクが目を覚ますと、通路に暗室が設置され、扉は誘うように開け放たれていた。アシスタントは暗室を登場させたことでトーン教授を非難するが、教授は脅しのために置いてあるだけだと説明する。アシスタントを無理に納得させた教授は、会議のため大学を後にしてしまう。そして教授の不在はアシスタントの口から看守の知るところとなる。
 この日は面会日で、囚人は訪ねて来た外部の者と会うことができる。タレクはこの機に雑誌の編集長に内部の様子を知らせようと、看守の一人を説得しメモを上階で面会人に渡してもらうよう頼む。タレクに会いに来たのは、実験開始前日に出会った女性。タレクは女性に、上で看守からメモを受け取るように耳打ちするが、この企みがベルスにバレてしまう。タレクが実験を邪魔しようとしていると思ったベルスは、教授が戻るまで鍵を閉めアシスタントを拘束し、実験場を外界から隔絶することを決める。理性をなくした看守達は、囚人の口にテープを貼り、タレクを暗室へ閉じ込めた。ベルスをナチズムだと非難した囚人は警棒で頭を殴られ、椅子へ縛り付けられた。ベルスが場を離れている間に、看守達は鼻から血を流し続けぐったりとする彼を無視して部屋へと戻り、そのうち一人は監獄に入れた女性アシスタントをレイプしようとする。その時自力で暗室を脱出したタレクがその看守から鍵を奪い、皆を解放する。ベルスが戻ると囚人は壁板を外し、脱獄している所だった。看守を先導し必死で追いかけるベルス。
 時を同じくして、拘束される直前の留守電を聞いたトーン教授が急いで戻ってくる。鍵がかけられ誰もいない実験場を前にして唖然とする教授が被験者を探して構内を歩いていると、一人の看守に出会う。何があったと問いかける教授に対して、混乱した彼は洒落で持っていた銃で弾みで教授を射殺してしまう。一方早回りし待ち伏せしていたベルスは、逃げて来たタレスともみ合ううちに、包丁を手にしてしまう。タレスが突き出された包丁を握ることで流れが変わり、我に返ったが、人を殺害してしまうまでにベルスの精神状態は追いつめられていた。
 結局この実験は、2人が死亡し3人が重傷を負うという最悪の結果に終わった。
 ベルスには権力への服従と、強い自己正当化が見られた。地下の実験場(刑務所)という閉鎖された空間では、普段なら冷静に判断出来る人でも、強い意思が存在すればそれに引きずられるのだろう。ベルスのやり方に疑問を持ち、葛藤する看守の姿もあったが、考えを相対化したり薄めたりする事が難しい閉鎖空間であることや、賛同者が増えていき少数派になることを恐れることで、正しいとは思わないながらも流れに乗ってしまっていた。人が正・不正の判断をするのに、外界からの情報が果たす役割は本当に大きいと思う。
 また、やるせなかったのは、凶器の存在である。この映画に登場する凶器は、看守の持つ警棒と教授を射殺した銃、そしてベルスがタレクに向かって突き出したナイフである。凶器は少しの労力で大きな効果をもたらす点でもっとも危険だと思う。銃などはその最たる例で、指をほんの数センチメートル動かすだけで人一人殺してしまう程の威力がある。印象的だったのは、トーン教授を射殺した後の撃つつもりはなかったと呟く看守の唖然とした顔である。これら凶器が、この映画の結末をよりやるせないものにしている。
 最後に気付いたのは、権力の二重構造である。この実験の趣旨は(看守―囚人)という権力の二重構造の分析であったが、この結末を招く大きな要因となったのが(実験者―被験者)というもう一つの二重構造である。権力を与えられた看守が次第に増長していったのと同様に、そうした人間模様の観察者として一段高い場所からみおろしていた教授も無意識のうちに正常な感覚を失っていたのではないだろうか。アシスタントが危険な状態であることを指摘しているにも関わらず、強引に実験続行を指示した教授は自分の研究の進展に心を奪われている。危機意識が麻痺しているとしか思えない。この実験には少なくとも、完全な第三者としてのオブザーバーが必要だったと思う。
 全体を通して、何事にも冷静でいること、客観的視点を保つことの難しさを思った。権力を持つととかく盲目的になりがちだが、そんな時こそ視野を広く持ち、他者とのアクセスを密にする必要がある。また、一つの者、団体が権力を持つということは不自然なことだという意識を持ち、揺るがない自己を確立する必要性も感じた。これらは矛盾することのようだが、知識の蓄積によって、客観的な視点を持ち、その上で自分が正しいと思えることを確立させることは可能だと思う。
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