ウェブブラウザのJavaScript(ジャバスクリプト)の設定が無効になっています。Javascriptが無効になっていると、サイト内の一部機能がご利用いただけません。 ハクさんにたまごふわふわを作って欲しかった。料理できる系ハクさんに夢を見過ぎている気がする。そしてトウカさんとクオンをこんなに不器用にしてしまって申し訳ない。前作にブクマ、評価、スタンプありがとうございました。 それは昨日の仕事の報告書をまとめあげ、さぁ一仕事終わったことだし一杯やるかと棚を漁っている時のことだった。「あ、あああああああああああ!!」 突如として白楼閣内に大きな悲鳴が響き渡った。(何か面倒ごとが起きそうな予感がする) 嫌な予感とは往々にしてよく当たるものだ。大抵クオンが持ち込んできたり絡まれて巻き込まれたり、向こうから舞い込んでくる。今日はそうでないことを願いつつ、今の悲鳴は聞かなかったことにしてハクは棚から秘蔵の酒と猪口を取り出した。 この酒は以前オシュトルの屋敷で飲んだ時に気に入ったものを、家人に頼み分けてもらったものだ。20年物の熟成酒であまり市場には出回らないらしい。さすがはオシュトル、良いものを持っている。 栓を開け、とくりとくりと猪口へ注ぐ。薄黄色で少し粘度があるように見えるそれは、香りを嗅ぐとふわりと芳醇な果物を思わせた。くいっと一口。「あぁ、美味い」 とろりとした酒が舌に絡みつき酒精が喉を焼く。香りが鼻に抜け、舌は酒のまろやかな甘みに包まれる。最高の一杯だ。一気に猪口を開けてしまうのはもったいないな、とちびりちびり飲んでいると、襖の外から声がかかった。「ハク、ちょっといいかな?」 クオンだ。来てしまった。これは間違いなく持ってきた。逃げられないので仕方なくクオンが入ってくるのを迎えようとするが、机の上には酒瓶と猪口がある。このまま開けられたらこんな真っ昼間から酒を飲んでいるのがばれてしまうだろう。瞬時の判断で酒瓶と猪口を机の下に押し込むと何気ない風を装ってハクは襖を開けた。「どうしたんだ、クオン」「あのね、さっきの悲鳴に関することでちょっとハクの力を借りたいな、と思って」 やっぱりだ。やっぱり面倒ごとが舞い込んだ。 しかしこの白楼閣には世話になっているので、断るとあまり気分が良くない。はぁとため息をつき仕方ないと腹を括った。「分かった。場所はどこだ?」「あぁ、うん、厨なんだけど、それよりも、ハク?」 にっこりとクオンが笑う。また嫌な予感がする。冷や汗がつっと背中を伝った。「お酒、飲んでたんだね?」「うぇ?!」「さすがに匂いはごまかせないかな」 ひゅっと風を切る音がして、額に何かが巻きつく感触。あ、まずい。 ギチリギチリと締め付ける音に意識が飛んだ。「あー……。で、うっかり卵を割ってしまった、と」 厨に向かうとそこには床にうずくまるクオンの母の一人––––トウカと、床に落ち無残にも割れてしまった卵があった。聞けば、今日の宴会料理の前菜に使うものの一部で、かなり卵を消費するため半分近くも減ってしまっては料理にならないとのことだ。「某が、某が不甲斐ないばかりに、これではカルラになんと言われるか!」「ああもう、泣いていないで、とりあえず床を掃除しようよトウカお母様。そういうことだから、ハクの知恵を借りたいの」 なるほど、残った10数個の卵を使った宴会にも出せる卵料理かなんかを考えろということか。やっぱり面倒ごとになったなと内心でうんざりしながら、ハクは台の上の籠に残った卵の数を数えた。(ひぃ、ふぅ、みぃ……全部で12個か)「宴会って何人来るんですか? トウカさん」「ぐすっ、10名だ。一人に少なくとも二つは使う料理だったのでこれでは……」 10人分の前菜の卵料理、卵の数は12個。ピンとくるものがあった。 時間のかからない、すぐにできる……かは分からないが、まぁ大丈夫だろうと思われる卵料理。使うのは卵とだし汁くらい。これならきっと前菜でもおかしくはないはずだ。「トウカさん。なんとかするんで、今から言う調理器具を用意してもらってもいいですか?」 ハクの言葉にトウカが素早く頭を上げる。「ど、どうにかなるのか?!」「まぁ、多分ですけど。さすがにこっちの厨の食材を使わせてもらうわけにはいかないんで、食材はうちが借りてる小厨房の方から持ってきますね」「ハク、何を持って来ればいいの?」 ハクがクオンを振り返る。こういう時、こちらの意図を汲んですぐ動いてくれるクオンには頭が上がらない。頭の中に必要な材料を思い描き、クオン一人で持ってこられるなと判断する。「カッツの枯れ節と卵、それと醤と砂糖だな。砂糖は出来れば白がいいが、まぁ黒砂糖でも構わん。あとあったら胡椒か小ギネもあるといいんだが」「カッツの枯れ節、卵、醤、砂糖、それに胡椒か小ギネ、だね。うん、分かった。じゃあちょっと取ってくるね」 トトトと、小走りに隠密で借り上げている小厨房へ向かうクオンの背中に転ぶなよーと一声かけ、さて、とハクはトウカを振り返った。 クオンが戻ってくるまでに必要になる調理器具の準備をしておこう。「ハク殿、何か必要なものはあるだろうか」「ええと、大きめの椀が二つ、小皿が二つ、よそう用の椀を三つ、枯れ節を削る鉋、紐と包丁、箸、匙、鍋、土鍋……。あ、泡立器ってあります?」 椀に小皿にと食器棚を漁っていたトウカがふと動きを止め、ハクを見てきょとりと首をかしげる。「アワタテキ……?」(げ、その反応、もしや無いなんてことは……。無いと困るんだがなぁ) ハクが思い描いている泡立器は金属でできたものだ。持ち手があって、細長い金属を曲げたような輪がいくつも重なってるあれである。電動ミキサーみたいな非常に便利なものは、そもそもこの世界に電気エネルギーなど存在しないのだから、端から期待していない。 お玉があるならこのあたりの器具もあると思ってたいたのだが、最悪無かった場合は箸を幾本も重ねた即席の泡立器を作るしかない。「あー……えっと、メレンゲを作るときに使う物とか、泡立てるものって無いですか?」「泡立てるもの……。それなら、これを使っているな」 そう言って棚を漁っていたトウカが差し出したのは竹製で穂先が幾本にも分かれたもの。 お茶を点てるのに使うあれだった。「うわぁ……茶筅か……」「茶筅? これはスムアシという道具で、泡立てるのに使うものだ」「スムアシっていうのか。へぇ」 ざりざりと指先で穂先を触る。竹が幾重にも細く削られていて力を込めるとパキッと折れてしまいそうだ。そっと台の上に置きトウカが食器と器具を出し終わるのを待つ。「鉋と包丁……よし、これで全部だな」「ただいま、ハク。卵をどのくらい使うのか分からなかったから、とりあえず今残ってる卵と同じ数だけ持ってきたよ」 トウカが器具を台の上に置くと同時にクオンが食材の入ったカゴを抱えて戻って来た。カゴの中にはハクが頼んだものが全て入っている。今朝市場に行って食材を買い足していたためあるとは思っていたが、きっちり全部あったようだ。 真っ白な卵は朝採れた生みたてのもの。カッツの枯れ節は市場の乾物屋でルルティエが吟味していたはずだ。きっと良いものなのだろう。醤は普段から使っている小瓶に入ったものが。砂糖はどうやら黒砂糖の方だ。そんなにたくさん使うわけではないし、甘みを加えるために入れるわけではないから問題無い。ついでにと頼んだ小ギネ、胡椒は両方ともあったようだ。使用は各々のお好みにすればいい。「すまんな、助かる」「どういたしまして。ハクがどんな料理を作るのか興味あるし。楽しみだなぁ」 ぴくりと耳を動かし機嫌よく尻尾を揺らすクオン。きっと楽しみなのは料理を食べることにちがいない。なぜならクオンだからだ。 ん、ちょっと待て、とハクは動きを止めた。なにやら聞き捨てならない言葉を聞いた気がする。「クオン、自分は料理を作らんからな」 クオンはぽかんとしてハクを見つめた。ハクが作らないなら一体誰が作るというのか。「自分は料理の手順を言うだけだ。だってこれから包丁人の人が作らにゃならんのだから、自分がやるよりは勝手の分かるトウカさんがやったほうがいいだろう?」「それは、そうだが……」 トウカがそう言って難しい顔をする。クオンもトウカがやることにあまりいい顔をしていない。こんなことをしていては日が落ちてしまうとハクはトウカを急かした。「習うより慣れろってやつですよ。ほら。卵を割って黄身と白身に分けてください」 ハクに言われてトウカは諦めたように卵を手に取った。台の角にごつん、と卵を当てる。 グシャッ。「……は?」「あ、あ、あああすまないハク殿! そ、その、ちょっと、力を入れすぎてしまって」 ぼそぼそと口ごもるように語尾が小さくなっていく。恥ずかしさのあまりトウカは火を噴くように真っ赤な顔を伏せてしまった。トウカの手をボタボタと卵が伝っていく。かなり力を入れて角に叩きつけられた卵は無残な姿で台と床を汚していった。 しばしほうけていたハクは我に帰ると台と床を布巾で拭った。 まさか母のトウカもクオンと同じ馬鹿力なのだろうか。というか加減ができていないだけか? しかしこの分では先が思いやられる。そんなとき、じゃあ私がとクオンが卵を手に取った。「クオン、大丈夫なのか?」「もう、ハクったら。私の方が上手にできるかな。だって旅の間は一人で料理を作ってたんだよ? 卵を割るくらい楽勝だよ」「そ、うなのか? ハク殿」 トウカが不安そうな顔でクオンを見る。母として接していたことがあるために、クオンの大雑把さは十分承知しているのだろう。ハクは曖昧に苦く笑って見せた。 クオンがコンと台に卵を当てる。「……」 が、割れない。かなり弱く当てたのだろう。ヒビが入った様子はこれっぽっちも見られない。む、と眉をひそめたクオンはもう一度コン、と台に当てる。しかしまだ割れない。 柳眉をぴくりと震わせ、クオンは卵を持つ手を大きく振りかぶった。 グシャッ。「あ……」「……」 ポタポタとクオンの手を可哀想な卵がつたい落ちていく。 見ていられなくなったハクはええいと声を上げた「もう見てられん……!! もういい、自分がやるから二人はそこで見ていてくれ!! 」 クオンに繊細な力加減など無駄だろうとは思っていたが、まさかこれほどとは。あの男勝りな料理と、クジュウリの水車小屋で見せた、粉挽きの臼をちょっぴり弾いて勢いよく回転させるあの馬鹿力を考えればおのずと結末も見えてはいたが、まさか方向性が違うとはいえトウカもなのか。トウカのは不器用なだけだ、多分。それもものすごく。 そこらにかかっている襷用の紐を取り、慣れた手つきでシュルリと袖を留める。「卵から……と思ったけど、後のことを考えたら先にだし作ったほうがいいな。クオン、枯れ節削ってくれ」「うん、わかった」 クオンに枯れ節を削るよういい、自分は大きめの鍋を持ってきて中に水を汲み入れていく。それを火にかけ煮立ってきたら、クオンが削り終えたカッツの削り節を湯に投入した。湯の中で削り節がゆらゆらと泳ぐ。すぐ弱火にしたいところだがかまどの火は微調整できない。このまま沸騰させていると風味が飛んでしまうので、鍋を火からおろして余熱でじっくり煮出すことにした。 煮出している間に薬味の小ギネを細かく刻んでおく。小ギネの束を紐で留め、切るのに合わせて少しずつ紐をずらしていくのだ。こうすれば細い小ギネも切りやすい。小さな山が出来るくらい小ギネを切ったら器に取り分けて避けておく。次にこれの出番が来るのは完成した後だ。 さてそろそろいいだろう、と鍋を覗けば、湯が黄金色にゆらゆらと揺れている。どうやらうまくいったらしい。匙で少し掬って口に含むと、魚介の香りが口いっぱいに染み渡る。渋みなどは特に無いようだから成功だ。我ながらいい仕事をした。 トウカに別の鍋を用意してもらいそこに漉し器を置くと、削り節の入った湯を一気に流し込む。漉し器の湯を切ってどかせばカッツのだし汁の完成だ。しかしここで終わらせず漉し器に何度も湯を通す。最後に目の細かい漉し器に通せば、薄茶色で透明感のあるだし汁が出来上がった。 匙で掬い一口すすり味を見て、適度に醤を足してすまし汁に仕立てていく。後で卵を投入するので出来れば味は濃いめの方がいいだろう。この辺りは女子衆さんの判断に任せよう、とハクはまた一口すまし汁を啜った。「これでどうだ。いい感じのカッツのすまし汁が出来たぞ」 ハクの言葉に女二人が匙でカッツのすまし汁を掬う。出来立て熱々のそれをするりと口に流しいれれば、カッツの香ばしい香りと醤の豊かな香りがふわりと口の中に広がった。「少し醤が濃い気もするが……十分美味いぞハク殿」「うん、美味しい。でもこれと卵をどうするの?」「ふっふっふー。まぁ見てろって。先ずは卵を割って、白身と黄身を分けます」 そういうとハクは卵を手に取った。ゴツンと台の角に当てヒビを入れると椀を二つ手元に引き寄せる。まず大きい椀に卵を割るのだが、黄身を落とさず殻の中に収めたまま器用に卵白だけを椀に落としていくのだ。殻から殻へ黄身を移し替えていくこの作業は案外楽しかったりする。たまに殻の角で黄身を破ってしまうこともあるがそこはご愛嬌だ。「お、おおお」「ハクってばほんっとうに器用だね」「褒めても何も出んぞー」 黄身についているカラザも殻の端でこそげ落とし卵白の椀へ入れる。確か泡立ちがどうのとか栄養価が高いとか聞いたことがある気がするのだ。どこでかは分からないが。「次に、白身の椀に砂糖をちょっと入れて泡立てます」 さっと手を拭いて卵白に砂糖をほんの少し加えたら、ここで茶筅、もといスムアシの出番だ。卵白だけの椀を抱えてひたすらスムアシでかき混ぜる。これが真っ白な泡になって、ツノが立つくらいになればいい、はずだ。シャカシャカと、椀の底とスムアシの擦れる音が小気味よく響く。かき混ぜるにつれて透明で薄黄色がかっていた卵白が次第に白く泡立ち、こんもりと膨らんでいった。「あ、やっぱ無理」 ある程度泡立てたところでハクは根を上げた。クオンとトウカがハクが抱える椀を覗くと、卵白の泡立ちが中途半端なのが容易に見て取れる。スムアシを持ち上げると竹の穂先からメレンゲがどろりとこぼれ落ちる。ハクに体力仕事は無理だと、本人も言っていたが、これすらも満足にできないのかとクオンは呆れたように肩を竦め、トウカは苦笑漏らした。「腕が……死ぬ……」「では某がやっておこう。ハク殿は次の準備に取り掛かってくれ」 シャコシャコとトウカがスムアシを振る。先ほどまでハクが振るっていたよりも早いスピードで泡立てられ、ハクがぽかんとしている間にメレンゲはすっかり完成してしまった。 自分の記憶の中にある泡立器は金属製でもっと効率良く泡立てられた気がするのだが、なるほど、この力任せのスピードがあるなら泡立器も茶筅の形状で十分だなと納得する。(いかん、あっという間にメレンゲができてしまったから、だし汁の準備ができていない)「土鍋にだし汁を入れて火にかけてっと」 メレンゲの泡がしぼまないうちに取り掛からねばと、土鍋を手にかまどへ向かう。お玉で先ほどのだし汁をこぼれないようにそっと掬いあげ、煮立っても土鍋から溢れないであろうと目星をつけたラインまでたっぷりと注ぎいれた。あとはこれを火にかけ煮立つのを待つだけである。 ここまでくればもう少しだ。ふぅ、とかいてもいない汗を拭っていると、トウカが声をかけてきた。「ハク殿? この後はどうすればいいのだろうか?」「あぁ、ちょっと待ってください」 トウカの持つスムアシを拝借し、しゅわりと真っ白なメレンゲをひとすくいする。椀の中のメレンゲはしっかりとツノが立っていて、更に椀をひょいとひっくり返しても落ちてこない。メレンゲはこれで完成だ。「んじゃ生地やりますね。先ずこっちの卵黄の椀にメレンゲを少し入れて、混ざったらメレンゲの椀に戻すんです」 卵黄の入った椀を手に取り、砂糖を少し入れスムアシでしっかりと解きほぐす。砂糖が擦れてシャリと音が鳴り、とろりと溢れでる黄身と混ざり溶け合う。濃かった黄色が薄くなり白っぽくなったところで、トウカが作ってくれたメレンゲを半分ほど入れて馴染ませ、メレンゲの入った椀に卵黄の生地を流し込む。全体がきっちり混ぜれば、これで生地の完成だ。 ふんわりとした薄黄色い卵の生地に、トウカはおおと目を輝かせた。「ハク、だしが煮立ってるよ」 かまどを振り返るとクオンが土鍋を覗き込んでいた。土鍋からグツグツというだし汁の沸き立つ音が響き、もうもうと白い湯気が立ち上っている。そして鼻をくすぐるだしの香りがこの厨にいる三人の食欲をちりちりと焦がしていく。くぅと誰かの腹が鳴いた。「美味しそうな香り……。ねぇハク、早く早く」「まぁそうせっつくな。クオン、土鍋の蓋を用意してくれるか」 クオンが台の上にある土鍋の蓋を手に取ったのを確認すると、ハクはもう一度生地を均すようにゆっくりとかき混ぜた。「最後にこの生地をこの煮立っただし汁の中に入れるんだが……。自分がこいつを入れたら直ぐに蓋をしてくれ」「うん、任せて」 クオンがこくりと頷く。背後ではトウカが少し緊張した面持ちでこちらを伺っている。別にそんなに緊張することでもないのになぁ、とハクは鍋に向き直った。 そして生地の入った椀を持ち直すと、土鍋の端から生地を一気に流し入れた。「蓋をするよ!」 生地を入れ切ると素早くクオンが蓋をした。グツグツとだし汁の立てる音が厨に満ちる。「ハク殿、これで終わりなのか?」「あとはほんの少し待つだけですよ。ゆっくり、10秒くらい」「本当にほんのちょっとだね」 そう談笑している間にもう10秒だ。熱くなっている蓋を持ち上げるのは二人ならできるのだろうが、ハクには到底できない。なので、布巾を蓋に乗せしっかりと掴むとそっと持ち上げた。 ずっと厨を漂っていただしの香りがぶわりと濃くなり視界が一瞬白い湯気に包まれる。その白い湯気の隙間からだんだんと姿を現したのは黄色い卵の生地。端は火が通り固まっているが、中心に行くにつれてふわふわの泡状の生地になっていく。それに入れたときよりもかなり大きく膨らんでおり、とても卵一つから作られたとは思えない。「うわぁ、なにこれ……!」「卵一つでこんなに膨らむものなのか……!」 感嘆の声をあげるクオンとトウカを見て二人の反応の良さにこれなら前菜として出してもいい反応を得られるだろうとほっとする。蓋を台に置き、土鍋を下ろすと切っておいた小ギネをパラリとかける。「これで完成。問題は味の方だな。小ギネをかけたが、胡椒の方も試したければ自分でよそって好きにかけてくれ」 お玉を土鍋の淵に立てかけるとぐるぐると肩を回す。非常に疲れた。普段の料理は基本ルルティエに任せきりで自分が手を出すことはほとんどない。というよりも全くない。 しかし久しぶりに料理というものをしてみたが、実験の延長線のようで存外楽しかったような気がする。古来、錬金術は台所で生まれただかなんだかという話があった、はず。それと同じだ。また何かを作ってみてもいいかもしれないな、とハクは袖を留めていた紐を解いた。「じゃあ遠慮なく!」 クオンがお玉を取り、自分の分とトウカの分とハクの分をよそう。そして小ギネと胡椒を、散々迷った結果、小ギネをパラパラと卵の上に振りかけた。クオンから器を受け取ったトウカは胡椒を振りかけたようだ。ハクもクオンから器を受け取り胡椒の瓶を振る。「じゃあお先に、いただきまーす!」 期待に満ちた笑みでクオンは匙を卵の生地にそっと匙を入れた。 しゅわ、と泡の潰れる音が耳の良いクオンにはよく聞こえる。軽やかでどこか心地よい。とろりとしたそれをそっと掬い口に入れれば、口の中でカッツのすまし汁の香りと優しい卵の生地が舌の上で溶け合った。泡状の生地なのに卵の味がしっかりしていて、濃いと思っていたカッツのすまし汁と混ざり合っていい塩梅だ。とても優しくて、どこか懐かしい味。こくりと飲めばお腹がなんだかぽかぽかしてくる。どこかほっとした心地にさせる、そんな料理だ。「おい、しい……」「うむ。この優しい感じ、なんだか落ち着くな」(よかった) 思った以上の高評価に安堵しながら、ハクも卵も掬い口へ運ぶ。とろりと溶ける卵とふわりと香るカッツのすまし汁と胡椒。胡椒は時折ピリッとした刺激を与え、食欲を大いに刺激する。『ありがとう––––、すっごく美味しいよ!』 突然、幼い少女の声が脳裏に響く。今のは誰の声なのだろう。自分の家族だろうか。何かイメージが浮かび上がってきそうな気がして、ハクはぼうと厨の天井を見つめた。「ハク?」「ん、ああ、なんだ?」 クオンに話しかけられ、意識を戻す。組み上がりそうだったイメージは霧散してしまった。「この料理、是非とも前菜に使わせてもらいたいって。包丁人の人たちに話は通さなきゃいけないらしいけど、トウカお母様が、これならきっと大丈夫だって言ってたよ」「そうか。で、トウカさんは?」「包丁人の人たちを呼びに行ってる。教えるのもそうなんだけど、肝心の食材をダメにしちゃったことへのお詫びもね」 厨の窓から外を見上げる。日はまだ高い。手際のよい包丁人であればこれを作るなど造作もないことだろう。宴会には十分間に合うはずだ。「ところでハク。この料理、何ていうのかな」 ハクはしばし考えた。はてさて何という名前だったか。記憶をいくら探してみてもどんな名前だったのか全く思い出せない。仕方なくハクはこう告げた。「確か、ふわふわたまご、だった気がする」「ふわふわたまご……? なんだかそのまんまなんだね」(……はたして本当にこんな間抜けな名前だったか? いやしかしいくら考えてみても思い出せんしなぁ) 図らずもこの名前は本当の名前にかなり近かったのだが、記憶のないハクには思い出すこともできない話だ。 この後、トウカが包丁人の面々に説明しようとしたのだが上手くできず、再びハクを呼び出し教えを請うことになってしまった。完全に二度手間になってしまい、こんなことなら最初から人を集めて説明すればよかったとハクは唇を尖らせた。 この料理の評判だが、数日後、白楼閣の宴会料理の前菜の一品に珍しい料理が追加されたという噂が流れことから推し量ることができるだろう。 また、あくる日に、珍しい生き物が入った、どう食べればいいと包丁人がハクへ相談にくるのだが、それはまた別の話である。