2017年1月23日 更新

ボーカルの歌声が渋いけどカッコいい!! R&E(リズム&演歌)と名乗りを上げるロックバンド『怒髪天』

喜怒哀楽を曲で思う存分詰め込んだバンドで、彼らの曲を聴いたら好きにならずにいられません。盛り上がれる曲ばかりでテンションが上がる事間違いなしです。

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怒髪天

怒髪天

1984年バンド結成。
1991年日本クラウンよりメジャーデビューするが、その後1996年に活動を一時休止。1999年にインディーズに戻り活動再開、2004年にテイチクエンタテインメントのレーベルインペリアルレコードより再メジャーデビューした。
歌心とロックを掛け合わせた独自の“R&E(リズム&演歌)”サウンドで人気を集め、男気あふれるライヴ・パフォーマンスも魅力。結成30周年となった2014年には初の日本武道館単独公演を開催。他アーティストからの信頼も厚く、ももいろクローバーZや関ジャニ∞らへ楽曲提供を行なうなど幅広い支持を得ている。

メンバー

増子 直純(ますこ なおずみ)

1966年4月23日 -  ボーカル。
出身地:北海道札幌市 血液型:A型 愛称:兄ィ、増子さん。
ダミ声で歌い上げるボーカル。ほとんどの楽曲で作詞を務める。

自衛隊に2年在籍していた。

清水 泰次(しみず やすつぐ)

1967年2月26日 -  ギター。
出身地:北海道留萌市 血液型:A型 愛称:王子、友康さん。

穏やかな性格で王子的存在。根っからのギター好きで、待ち時間や本番前の楽屋でも四六時中ギターを弾いているほど。ほとんどの楽曲で作曲を務める。

上原子 友康(かみはらこ ともやす)

1967年2月26日 -  ギター
出身地:北海道留萌市 血液型:A型 愛称:王子、友康さん

穏やかな性格で王子的存在。根っからのギター好きで、待ち時間や本番前の楽屋でも四六時中ギターを弾いているほど。ほとんどの楽曲で作曲を務める。双子の兄がいる。

坂詰 克彦(さかづめ かつひこ)

1966年8月18日 - ドラム。
出身地:北海道幌加内町 血液型:O型 愛称:坂さん。

ライブのMCでは、ドラムでありながら積極的にしゃべる。
ご覧の通り、メンバー全員が北海道の出身です。

今のメンバーになるまでのエピソード

増子:そうだね。友康が入るまでに全員クビにしたんだよ(笑)。ざっと6人くらいはクビにしたかな? 友康が入ってからもドラムが2人替わってるからね。坂さんで3人目だったっけ?
上原子:いや、坂さんでドラムは4人目だよ。
増子:そうか。坂さんは前頭4枚目だね(笑)。

──増子さんと友康さんがタッグを組んでからバンドが急速に回転していった感じですよね?
増子:友康は畜生やチェリーブラッドっていうブッチャーズの前身バンドをやっててよく知ってたけど、タイプが全然違うから、一緒にバンドをやるなんて思ってもみなかったんだよ。友康は当時から凄くギターが巧かったから、俺と一緒にやるような奴じゃないだろうなと思ってた。それに、友康は割とメタル寄りだったからね。でも、ちょうど友康がチェリーブラッドを辞めた頃に、俺も諸々の理由でギターをクビにしてたんだよ。
上原子:そうそう。俺が何もバンドをやってないから、一緒に何かやろうかっていう話になって。「『ツイスト&シャウト』をやろうよ」みたいなことを言った気がする。
増子:割とルーツっぽい音楽って言うか、フーとかのブリティッシュ・ロックみたいな音楽をやろうとしたんだよね。
上原子:それまでは激しい音楽ばかりやっていたから、もうちょっとスタンダードなロックをやりたいと思ったんだよ。キンクスとかビートルズとかね。そういうバンドのコピー・バンドをやろうよって話になって、スタジオに入って遊んでた。

結成から活動休止まで

1984年札幌にてバンド結成。
そんな彼らは、音楽活動に苦労していました。
増子:活動を再開させてからは一気に加速するんだけどね。上京してからはライヴも全然ウケなくてさ。暖簾に腕押しとはまさにあのことだよ。暖簾に腕押しで反応がないくらいならまだイイけど、完全にイヤがられてるんだもん(笑)。札幌のベッシーで常時300人を動員していたのが、東京に来て西荻ワッツで3人とかさ、そんな状況だったからね。東京はどうなってんだろう!? と思ったよね。
1996年から3年間活動を休止して1999年に活動を再開!!

なんとボーカルが桃屋のCMに出演していました!!

ボーカルの増子 直純が桃屋の『辛そうで辛くない少し辛いラー油』のTV CM出演をしていました。しかしCMの放送からおよそ12日間でオンエアが自粛。理由は、商品が売れ過ぎて店頭に並ばなくなってしまったためだとか。確かに食べるラー油ブームがありました!!特に桃屋のラー油は凄い人気でしたね。ネットで高く売られたり…。それにしてもCM期間が短すぎますね。

「怒髪天」 『辛そうで辛くない少し辛いラー油』うまい!!篇 - YouTube

具だくさんで、何にかけてもおいしく食べられる汎用性とその衝撃的な味わいを、 人気ロックバンド「怒髪天」の増子直純さんが、表情豊かに表現します。 「サクサクとした食感がたまらない!」と、夢中で商品を食べる増子さん。 演技を越えた素のリアクションは如何に!?

休止中メンバーはどうだったのか!?

─活動休止中は、4人それぞれの生活を送っていましたよね。増子さんはイヴェントの司会や穴あき包丁の実演販売をやったり、友康さんは佐久間学さんのツアーに参加したりスタジオ・ミュージシャンに徹して、シミさんはナートに参加して、坂さんはテレヅメ,名義で弾き語りライヴをやってみたり。
坂詰:テレヅメ,は2回しかライヴをやらなかったんですけどね。
清水:友康さんと俺は1回だけ見に行ったよね。2回目も遅れて行ったんだけど、坂さんはもう帰っちゃっていなかったんだよ。
上原子:2回目をやる時にはもう、坂さんは「ライヴやります」って誰にも言わなくなったんだよね。
増子:そういう冷たい男ですよ(笑)。
坂詰:常にクールを装いますから(笑)。
──いずれまた怒髪天をやるだろうなという考えは各々にあったんですか。
増子:俺はなかったよ。働いて生活の保証もあったし、何よりもこれでやっと生みの苦しみから解放されたと思ってたから。
上原子:俺もなかったね。気ままにギターを弾くのが楽しかったし、バンド自体もうやらないつもりでいた。
清水:じゃあ俺だけがあったわけだ。坂さんには聞いても意味がないからね(笑)。
──実際、活動再開はシミさんがいろいろと立ち回って実現しましたよね。
清水:それは多分、最初に俺が第三者として怒髪天を見ていたからだと思うよ。
増子:シミは俺に「ライヴをやってないで可哀想だ」って言うんだから。全然そんなことないのに(笑)
増子 直純は、活動休止中に色々経験して得た事があったようです↓
1996年~1999年の活動休止期間中に、工事現場の仕事やプロレスのリングアナウンサー、穴あき包丁の実演販売などの経験を持つ。包丁の実演販売の際、主婦の方と接し「大人って意外とみんないい人じゃないか」と感じ、音楽性にも変化が表れたと話している。

怒髪天の30周年を振り返る

アンコールでは、
4人は真っ赤な法被姿で再度ステージに上がった。増子は「新しい言葉を開発すればいいんだけど、ヘンな感じになるから。ありがとうとしか言えないわ」と改めて感謝の思いを述べ、「ここで愛すべきメンバーを紹介したい」と3人を紹介しつつ、それぞれにコメントを求めた。バンドへの思い、武道館への思いが3人それぞれの言葉で語られると、場内は大きな感動に包まれ、そのたびに増子は肩をすくめて後ろを向いてしまう。そして「俺はこのメンバーとやることが楽しくてやってきた。バンドでどれぐらい持つのかがんばってみようと思う」と、この4人でいつまでも駆け抜けていくことを約束した。最後は全員楽器を置き、浴衣ダンサーを交えての「ニッポン・ワッショイ」でフィニッシュ。紅白の幕がゆっくりと降りる中、4人は最後の最後まで客席に手を振って声援に応えた。
なんだかんだいっても日本のロックバンドの最高の栄養は、単独で武道館ライブを行うことだと思うのですが、それを実現してしまった怒髪天はすごいです。日本のロックバンドで武道館ではなかなか出来るものでもないし、それこそ昔武道館でLIVEをやったバンドが、今は全国ツアーと銘打って、ライブハウス周りをしているというのが当たりまえのことなんですよ。それ50手前の彼らが武道館でLIVEをやるというのは、本当にすごい。
怒髪天は、ボーカルの熱い歌声が心に響き元気が貰える曲が多いです。そして明るくメロディーもとても聴きやすいです。

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