オーガニックコットン(認証機関に認められた農地で、栽培に使われる農薬・肥料の厳格な基準を守って育てられた綿花)による製品を扱う事業を25年前に立ち上げ、日本に普及させた先駆者が渡邊智惠子さんだ。日本を代表する社会起業家である。現在は、オーガニックコットンを通じた社会貢献事業も展開している。その拠点の1つが、2011年に長野県小諸市で開設した「小諸エコビレッジ」。来年には、本社も東京都新宿区から長野県小諸市に移転する予定だという。

「企業の本社が東京のような都会にあることを求められる時代ではない。ましてやオーガニックコットンのような事業であれば、土や自然に囲まれた中で会社経営をするという選択肢は自然な考えです。企業の本社を地方に移し、地方をもっと元気にする。それが今求められていると思います」と渡邊さんは言う。

渡邊智惠子(わたなべ・ちえこ)
1952年北海道生まれ。75年明治大学商学部卒業後、光学機器メーカーの日本代理店タスコジャパンに入社。英文経理、総務などを担当し、31歳で副社長に就任。85年、子会社として設立されたアバンティの代表取締役に33歳で就任。90年、タスコジャパンとの子会社関係を解消し、独立。オーガニックコットンの輸入を開始。96年より自社ブランド「プリスティン」を展開し、服や寝具など200アイテム以上を全国の直営店(8店舗)やオンラインで販売している。現在、従業員数53人、売り上げ約11億円(2015年度)。ソーシャル事業部門として09年に長野県小諸市に「小諸エコビレッジ」を開設。2011年「東北グランマの仕事づくり」、2012年「ふくしまオーガニックコットン」プロジェクトを立ち上げる。09年日経WOMAN「ウーマン・オブ・ザ・イヤ―」受賞。同年経済産業省「日本を代表するソーシャルビジネス55選」選出。10年NHK『プロフェッショナル仕事の流儀』に社会起業家として取り上げられる。著書に『女だからできたこと』(budori)(写真:大槻純一)
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女性が生活と仕事を両立しやすい「村」をつくりたかった

――オーガニックコットンの事業を25年前に立ち上げ、日本に普及させた先駆者として知られる渡邊さんが、2011年に長野県小諸市に「エコビレッジ」をつくりました。一度訪ねてみたいと思っていたのですが、今日、初めて見せていただき、とても広くて驚きました。

渡邊:ここ「小諸エコビレッジ」は、敷地が約1万4000坪あるんです。丘の向こうには綿や野菜を栽培しているオーガニック農園があり、その横には子どもたちが駆け回れるグラウンドがあります。林の奥には体育館や野外ステージ、炊事場などが点在しています。ここは東京都港区が所有する土地で、もともと港区内の学校の林間学校用施設(旧・港区小諸高原学園)として、昭和40年代から利用されていたのです。

――だから立派な体育館もあるのですね。

渡邊:そうなんです。施設の一部にアスベストが使われていたことや耐震性の問題で、2003年頃に廃止され、放置されていました。

 2009年に港区が土地の有効活用のため民間事業者に貸し出し募集を行ったとき、私たちが手を挙げて、港区と賃貸契約を結んだのです。長年使われていなかったので、当初は土地が背丈ほどの草に覆われて、大変でした。自分たちで草刈りや開墾をしたり、建物の修理をしたりして、7年かけて整備したんですよ。

――「小諸エコビレッジ」の運営はどのように行っているのですか?

渡邊:私どもの会社アバンティと、地元・小諸の住民主体でロハスな暮らしを推進する任意団体「こもろはす倶楽部」、太陽光発電の普及を進める「特定非営利活動法人 太陽光発電所ネットワーク」の3団体で、「一般社団法人 小諸エコビレッジ」を設立し、共同で運営しています。

――エコビレッジ内では具体的にどんな活動をしているのですか。

渡邊: 一つは「アバンティ農園」。敷地内に畑をつくり、オーガニック農法によるコットンや大豆、野菜などを育てて販売しています。農業体験も受け入れていて、国内だけでなく海外からも若者が滞在しに来ています。また、毎月一度、地元の生産者によるオーガニック野菜や天然酵母パン、手作り品などを販売する「ビオマルシェ」を開いています。毎回20店舗あまりが出店し、200人ほどのお客様が県内外から集まります。野外ステージではコンサートやイベントも開催して、地元出店者とお客様との交流の場をつくっています。

――敷地内に、小さな藁の家が建っていましたね。あれはなんですか?

渡邊:2013年から始めた「わくわく のびのび えこども塾」で子どもたちが建てたものです。この活動では、子どもたちが農作業をしたり、綿花から糸をつむいだり、小さな家を建てるワークショップを実施して、自然とふれあいながら「衣・食・住」を学べる場を提供しています。これまでに福島県の被災地の子どもたちや、児童養護施設の子どもたちを招待しました。

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「小諸エコビレッジ」を運営するメンバーたちと(左上)。毎月一度ビオマルシェを開催する(上中央)。田んぼも借りてお米をつくる(右上)。綿や野菜を栽培するオーガニック農園(左下)。もとは東京港区の林間学校用の施設だったので、体育館もある(右下)。(写真:上中央はアバンティ提供、それ以外は大槻純一)
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敷地内には、子どもたちがつくったわらの家と木の家がある。木の家の中は天井まで子どもたちの描いた絵が(写真:大槻純一)
小諸市で農業体験ができる(写真提供:アバンティ)
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――地方に新たな拠点をつくったのには、どんな意図があったのですか?

渡邊:いつか職住近接の「アバンティ村」をつくりたいというのが最大の目的です。私自身の経験からも、女性が結婚して子育てをしながらキャリアも高めるためには、保育と介護を企業が何らかの形でサポートしなくてはいけないと思っているんですね。住まいのそばに職場と託児所、託老所があって、その周りにオーガニック綿畑が広がっている――。そんな、女性が生活と仕事を両立しやすい「アバンティ村」の構想を、私は20年以上前から思い描いてきたんです。10年ほど前から、その拠点を探して地方をいろいろと見て回りました。その中で出会ったのが、この小諸の地だったのです。

――小諸での経験から、地方で活動を成功させるには何が必要だと感じていますか?

渡邊:あきらめないこと、でしょうか。外から地方に来て何かするには、準備が必要で、時間がかかります。私たちもここで7年間かけて準備を進め、ようやく来年、本社を移転させる目途が立ってきました。もう1つは、地元の方たちとコミュニケーションをちゃんととって、根っこの部分でつながっていくこと。私は、地元の自然と歴史を築いてきた方の知恵を大事にしたいといつも思っているんですね。何か決めるのにも、地元の方のいろいろな声を聴くので、正直、大変です。でも、活動を根付かせるためには、地元の方が持つ情報やつながりがとても大事なんですよね。

7世代後(350年後)のことを考えながら仕事をする

――渡邊さんがアバンティでオーガニックコットンの事業を始めた理由を、あらためて教えていただけますか。

渡邊:20代にさかのぼりますが、私は大学卒業後、75年に米国の光学機器の輸入代理店に入社しました。経理や総務を担当していたのですが、社員5人の外資系企業だったこともあって、次第に取引先との交渉など社長の右腕的な仕事を任され、31歳で取締役副社長に昇進したんです。33歳のとき、社長が子会社を設立し、「渡邊さん、社長をやりなさい」と言ってくださったのが、アバンティ創業のきっかけです。

――女性で33歳の若さで社長に抜擢されたのは、当時では異例ともいえる昇進ですね。

渡邊:本当に恵まれていました。創業当初は、子会社として本社の商品の広告宣伝などを行っていたのですが、「アバンティを自立させて、事業も会社ももっと大きくしたい」という思いが強まり、90年に本社から独立させていただいたのです。自分の会社となったアバンティで、どんな事業を生業にするべきか模索していたときに、知人のイギリス人から「オーガニックコットンの生地をアメリカから輸入してほしい」と頼まれたんですね。コットンのことなんて何も知りませんでしたが、「業績を上げるためにはなんでもやろう」とお引き受けしたのが、オーガニックコットンとの最初の出合いです。

――当時、日本ではまだなじみのないオーガニックコットンを扱うことに、不安はありませんでしたか。

オーガニックコットン(写真提供:アバンティ)
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渡邊:輸入を始めて3年後に、オーガニックコットンについてもっと知りたいと思い、テキサス州のオーガニックコットン農場を訪ねました。そのときの光景は今でも忘れられません。地平線まで広がるコットン畑で、農場主がオーガニックのふかふかとした柔らかい土を手に取って、「この土地は神様からの預かりものだから、きれいな状態にして神様にお返ししなければならない」と言ったのです。その言葉を聞いたとき、「私が生涯をかけてするべき仕事はこれだ!」と思いました。オーガニックコットンをアバンティの生業にしようと、心に決めたのです。

――なぜそこまで思えたのでしょうか。

渡邊:「セブンス・ジェネレーション」という言葉をご存じですか?「7世代後(350年後)のことを考えながら生活をしなさい」という意味の、ネイティブアメリカンの言葉です。同じ頃にアメリカで初めてこの言葉を知り、豊かな自然環境を子孫に受け継ぐための知恵と教えに、感銘を受けました。オーガニックコットンを広げることは、その言葉とも見事につながったのです。

――アバンティが商品に使っているコットンは、やはり輸入が多いのでしょうか。

渡邊:オーガニックコットンの原綿は、主にアメリカやインドから輸入しています。日本は食料自給率も39%(2014年度)と低いですが、実は、綿の自給率はほぼゼロなのです。日本で綿を栽培すると、その価格は人件費などもあって海外から買う原綿の5倍くらいしてしまいます。しかしながら原綿まで国産にこだわった製品づくりのために、少しずつですが、全国各地で綿の栽培に挑戦しています。

――商品の加工や縫製はどこで行っているのですか。

渡邊:当初はアメリカから生地やTシャツなどを輸入していたのですが、生地の肌ざわりも縫製もクオリティが納得のいくものではありませんでした。紡績や加工、縫製は、やはり日本の技術は素晴らしくて、日本で作ると生地の風合いも着心地も、全然違うんですね。糸や生地をなんとか日本でつくりたいと思い、協力してくださる会社を探して、日本全国の繊維会社や紡績会社を一軒一軒訪ねてお願いをして歩き、独自のネットワークを築きました。93年からはアメリカから原綿だけを輸入し、糸にするのも、生地にするのも、縫製も、すべて日本で行っています。アバンティの全商品がメイド・イン・ジャパンです。

――日本製ではコストが高くなりますが、どのように工夫していますか。

渡邊:商社や問屋さんを通さずに、直接、取引していただける織屋さんや紡績会社との関係を築くことで、コストを抑えています。それでも、素晴らしい技術を持った日本の繊維関連の会社が、海外に仕事を奪われて、どんどん減っているんです。それがとても悔しい。日本の第二次産業を守って、優れた技術が継承されるように、全商品「メイド・イン・ジャパン」にこだわることは、アバンティの理念です。

オーガニックコットンを通して地球環境に貢献する

(写真:大槻純一)
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――オーガニックコットンの事業を始めて約30年ですが、日本の市場は広がっていますか。

渡邊:アバンティの売り上げは年々、上昇して、現在は11億円(2015年度)です。けれどもオーガニックコットンの市場そのものが増えているかというと、日本だけではなく世界でもまだまだですね。世界中で取引されている綿のオーガニック率は0.7%にすぎませんから。

――オーガニックコットンが市場に増えることで、自然環境にどのようなインパクトを与えるのでしょうか。

渡邊:それにはオーガニックではない綿が、自然環境に与えるダメージを説明するほうが、分かりやすいかもしれません。綿の栽培で、10年ほど前から最も問題になっているのが、遺伝子組み換えの種の問題です。綿の遺伝子組み換えの種は、除草剤と対応しています。除草剤をまいたとき、雑草は枯れるけれども綿は枯れないように、遺伝子を組み替えた種がつくられ、それが世界の綿の栽培地で使われているんですね。現在、世界で栽培される綿の約8割が、遺伝子組み換えだといわれています。ところが、遺伝子組み換えの綿は特許を種子会社が持っているために、毎年買わなければならず、インドなどの途上国の農家が借金を負ったり、除草剤で健康を害したりする問題が起きています。

――「循環型農業」になっていないのですね。

渡邊:その通りです。除草剤以外にも、綿の栽培には化学肥料、殺虫剤、落葉材と、多くの薬剤が使われています。こうした薬剤が土壌を傷め、生態系に影響を及ぼすことが懸念されているのです。世界の耕作面積の約2.5%に綿が植えられているのですが、その栽培に使われる化学薬剤の量は、全世界で使用される化学薬剤の16%にのぼるともいわれているんです。

――一方で、オーガニック農場ではどのように栽培しているのですか?

渡邊:化学薬剤は使わず、例えばアブラムシの駆除にはテントウムシの力を借りたり、肥料も牛糞や枯れ葉などの有機肥料を使ったりしています。

 もう1つ、深刻なのが途上国の児童労働の問題です。ノーベル平和賞を受賞したカイラシュ・サティヤルティ氏が設立したNPOが2012年に発表した調査レポート(※)によると、インドの綿花生産地域の約90%を占める4つの州で、約38万人もの児童労働者(18歳以下)がいて、そのうち約4割が14歳未満といわれています。インドの綿花生産地で児童労働をなくすために、私は現地の子どもの就学や職業訓練を支援するNPOの活動にも協力しています。

※ NPO「児童労働に反対するグローバルマーチ」の「DURTY COTTON 2012年版」より

――オーガニックコットンを買うことは、もう一つの世界を支持することになるのですね。こうした「エシカル消費(倫理的な消費)」を意識するユーザーも増えてきています。

渡邊:はい。そういうことを私たちはちゃんと消費者に伝えなければいけない。なんでも安いからいいのではなくて、そのバックグラウンドを感じてもらえるように情報を伝えていくことが大事だと思っています。

小諸エコビレッジは海外からインターン生も受け入れる(写真:大槻純一)
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福島など全国8カ所でオーガニックコットンの栽培を始める

2011年の東日本大震災のときに、東北の女性たちを支援するためにはじめた「東北グランマの仕事づくり」(写真提供:アバンティ)
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――渡邊さんは「小諸エコビレッジ」を拠点とした事業のほかにも、地方でいくつもソーシャルビジネス事業を立ち上げていますね。

渡邊: 2011年の東日本大震災のときに、東北の女性たちを支援するため「東北グランマの仕事づくり」を始めたのがきっかけです。このプロジェクトでは、宮城県と岩手県の女性たちが手づくりしたクリスマス・オーナメントを販売し、2011年に2万5000個、2500万円を売り上げました。翌2012年に立ち上げたのが、「ふくしまオーガニックコットンプロジェクト」です。

――福島でのコットン栽培は、渡邊さんのアイデアだったのですか。

渡邊:そうです。2012年当時、原発事故後の風評被害で、福島県内で栽培した野菜が売れず、耕作放棄地が増えていました。食品ではなく身につけるものなら、線量の安全基準をクリアすれば消費者に受け入れてもらえるのではないかと思って、いわき市で雇用創出の活動をしていた知人に、提案したのです。いわき市内の15の拠点で種が植えられ、草取りや収穫には首都圏から約3000人のボランティアが参加してくれました。

 栽培は今も続いていて、現在、手ぬぐい、タオル、Tシャツなどの一部の商品に国産のオーガニックコットンを5%を使用しています。福島以外にも千葉県御宿、長野県上田市、愛媛県松山市、宮崎県高鍋町など、オーガニック綿花の栽培地が全国8カ所に広がりました。最近は、先日被災した熊本県益城町でも新たに栽培が始まっています。

 日本の綿の自給率を、ゼロから少しでも高めて、繊維産業の復活につなげたいですね。

――今後はどんな計画がありますか。

渡邊:今年2016年には、「一般財団法人 森から海へ」という財団を私費を投じて作りました。

 実は今、温暖化の影響で全国の森で鹿の数が増え、下草や芽を食べつくしてしまう「鹿害」が広がっているんです。捕獲もされているのですが、捕獲後の鹿が食用として活用されているのはわずか10%です。「命を粗末にしたくない」という思いから、捕獲した鹿肉でペットフードをつくる事業を始めます。その販売収益は森を守る人々の育成に使う計画です。

――先ほど、エコビレッジの林の中を、草履で軽やかに走り回る渡邊さんを見て驚きましたが、事業でも風を切るように、新しいことを次々と切り拓いていらっしゃいますね。

渡邊:一人一人の選択で、世界は変わります。健康で美しい自然環境を、7世代先の子どもたちにまで引き継げるように、これからも全力で駆け回っていきたいですね。

(写真:大槻純一)
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<インタビューを終えて>
アバンティのオーガニックコットンのTシャツを着るとなんとも言えない清々しさ、心地よさを味わいます。渡邊さんは、オーガニックコットンを通じて社会をよりよく変える活動を30年間続けてきました。「私はアバンティ村をつくりたいんです」。最初にお会いしたときに渡邊さんがこう言ったことをずっと覚えていました。職住接近で女性が生活と仕事を両立することができる村、なんと理想的なところだろうと。その村をようやく訪れることができました。「地元の自然と歴史を築いてきた方の知恵を大事にしたい」と7年かけて地元の人たちと信頼関係を築いたこの小諸市は、オーガニックコットン事業をするのにふさわしい美しいまちです。都会でなければビジネスは成立しない――そんな固定観念を軽々と飛び越え、渡邊さんは事業を進めます。「7世代後」のことを考えながら。オーガニックコットンのシャツを着ると、私自身も「7世代後のことを考えて生きているか」と意識するようになりました。これもオーガニックコットンの持つ力なのでしょうか。
麓幸子
麓 幸子(ふもと・さちこ)
日経BPヒット総合研究所長・執行役員
1984年筑波大学卒業。同年日経BP社入社。88年日経ウーマンの創刊メンバーとなる。06年日経ウーマン編集長。12年ビズライフ局長。日経ウーマン、日経ヘルスなど3媒体の発行人となる。14年日経BPヒット総合研究所長・執行役員。15年日経BP総合研究所副所長。16年現職。2014年法政大学大学院経営学研究科修士課程修了。内閣府、林野庁、経団連・21世紀政策研究所研究委員などを歴任。筑波大学非常勤講師。一男一女の母。著書等に『女性活躍の教科書』『なぜ、あの会社は女性管理職が順調に増えているのか』(日経BP社)、『企業力を高める―女性の活躍推進と働き方改革』(共著、経団連出版)、『就活生の親が今、知っておくべきこと』(日本経済新聞出版社)などがある。

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