笛ふき男
男は奉仕者だと名乗った。灰色の目立たぬ衣裳に実直そうな顔。どこからとも知れず町に現れた。その男、町の辻つじに立っては口上をのべた。ヒョロヒョロヒョロと笛を吹いては口上をのべた。
あなたの望みを何でもかなえてあげましょう。お代はご心配なく。あなたの家に巣喰う鼠を一匹。それだけですとも。望みをひとつかなえるたびに、厄介ものの鼠を一匹。なに、わざわざ捕まえることはありません。お手はわずらわせず、万事、うまくやっておきますとも。
口上をのべては笛を吹く。ヒョロヒョロヒョロと笛を吹く。
その代りと言っちゃなんですが、望みがかなうのは夢の中だけ。そりゃあそうですとも、私は神さまじゃあありません。本当に望みをかなえることなんて、できるはずがありません。でも、考えてごらんなさい。だいそれた望みがかなった日には世間がうるさくてたまりません。それだけじゃない。人に知られたくない望みなんざあ、夢の中だけがかえって良いものです。
口上をのべては笛を吹く。ヒョロヒョロヒョロと笛を吹く。
いかにもうさんくさい話だ。こんな話を真に受ける者がいるだろうか。男の話を聞いていた閑人も一人減り二人減り、やがて、遠まきにして見ていた連中もいつの間にかいなくなった。
しかし、あやしげな話ほど忘れられないものだ。何日かたつうちに、家に巣喰う鼠がめっきりと減ったなどと、ひそひそ話をする者が現れた。一人増え、二人増え、やがて町の中は、その話でもちきりになった。どんな望みをかなえてもらったのかは誰も言わない。誰も言わないが、その満足気な顔をみれば、人には言えぬ望みを満たしたに違いなかった。
男は相変らず辻に立っては口上をのべる。人々は知らぬふりをする。男の笛の音が風にのって町をおおった。
やがて町には鼠が一匹もいなくなった。どこを探しても一匹もいない。台所のすみにもいない、棚の後にもいない、厩にもいない、どぶにもいない、穀物倉にもいない。本当に、どこを探しても一匹も見当たらなかった。
男は相変らず辻に立っては口上をのべる。男の笛の音が町をおおう。もはや誰も知らぬふりはできなかった。何と引き換えに望みをかなえてもらえばよいのか。鼠はどこにもいないのだ。どうやって望みをかなえてもらうのか。人々の焦噪に染まったかのような夕空を背に男は言った。
なに、鼠でなくてもよいのですよ。皆さんの家の汚ないものをいただきましょう。なんだっていいのですよ。皆さんが家にあってほしくないもの、不浄だと感じるものをいただきましょう。
人々はほっと息をついた。
しかし、同じことだ。人々の家はどんどんきれいになっていった。やがて町はちりひとつなく、磨きあげたようになった。鼻たれ小僧の青っ鼻でさえ、きれいになくなってしまった。もはや、望みと引き換えるものは何もなかった。どうすれば良いのか。人々は憑かれたように男のまわりに集まった。
いいですとも、これ以上はお代はいただきません。皆さんからはあり余るほどいただいた。もう十分ですとも。最後に皆さんのとっておきの望みをかなえてさしあげましょう。いいですか、最後の望みですよ。ほらほら、あるでしょう、とっておきのが。誰にも言えないような、だいそれた望み。今の今まで私にだって言えなかった望み。さあ、心に念じてください。口に出して言うことはありません。心に念じればよいのです。それだけで、どんな望みだってかなうのです。
そうだ、これで最後なのですから、ほんのささやかなお代をちょうだいすることにしましょう。なに、大したものではありません。私が今から笛を吹きます。その笛の音について来たものをいただくことにしましょう。心配はありませんとも。私の下手な笛について来るものなど、おおかた野良犬のたぐいでしょうよ。それで皆さんのとっておきの望みがかなうのです。
それでは皆さん、私は町を出ることにします。男は笛を吹きながら街道へと向かっていった。いつものようにヒョロヒョロと笛を吹きながら。男の笛の音が風にのって町をおおった。男は踊るような足どりで街道を遠ざかっていった。人々は男の後姿を見ながら、最後の望みのことを一心に考えていた。
その時だ。男の後を追うものが現れた。町の子供たちだ。
「やあやあ、笛吹きが町を出て行くぞ」
「どこへ行くのだ、この町には飽きたのか」
面しろ半分に後を追う子供たちだ。町中の子供たちが後を追いかけているではないか。意味を悟った人々の顔が蒼ざめた。なにをしている、帰ってくるのだ。その男の後を追ってはならぬ。
必死で声をあげようとするのだが、喉からはかすれた息すらも出なかった。足は萎えたように一歩も踏みだすことができなかった。子供たちは歓声をあげながら、男のあとを追っていく。私の子供が行ってしまう。息子が、娘が行ってしまう。
人々が悲痛な息をのみこもうとした時、男の前に小柄な人かげが現れた。見ると、町から少しばかり離れた堀ったて小屋に住む小僧だった。家族はなく、使い走りや物ごいのようなことをして一人で暮らしていた。小僧は男の前に立った。
「おらも連れていってくれ。おらならお前さまの気に入るはずだ。見てみろ。おらは、こんなにも汚ない。おらなら、町の子供、百人ぶんの値打だってあるに違えねえ。お前さまは汚ないものが大好きだというではねえか」
確かに汚ない。顔は汚れで黒ずみ、髪はぼうぼう。もつれたうえにフケとホコリでまだら模様になっている。身につけたものは言うに及ばず、かつては服だったようだが、あちこち擦り切れて穴があき、垢の黒ずみと染みとで、もとの色は見当もつかない。
「おらは望みなんかねえ。ただ、こんななりで、あてもなく暮らすよりも、お前さまに連れていってもらったほうが、少しはましではないかと思っただけだ。なにしろ、おらは汚ねえ。こんなことが人様の気に入るなら、そんな良いことはねえ」
「さあ、おらを連れていってくれ」
男が笛を吹くのをやめた。
小僧が両手をひろげて男にしがみつこうとした。
「さあ、おらを連れていってくれ」
男がひるんだようだった。
「さあ」
小僧が男に抱きついた。
「おらを連れて行け、おらを連れて行け」
男の身体がこわばった。小僧の腕のなかでしゅうしゅうという音がおこった。しゅうしゅうという音とともに、白い煙があがった。白い煙に男と小僧の姿が見えなくなった。人々は動けないままに見守った。やがて煙が晴れると男の姿はどこにもなかった。男について行こうとした子供たちはきょとんとしたままだ。小僧は空っぽの手のなかにあの笛だけを握りしめていた。
なにが起こったのかわからないまま、人々は金縛りがとけた。子供たちは何事もなかったかのように町へもどった。小僧は少しがっかりして小屋へもどった。
大変だったのはそれからだ。なにしろ、男にやったはずの物が、すべて戻ってきたのだ。家は鼠だらけだった。町はごみだらけだった。子供たちの着たものは汚れほうだい。鼻の下には、青いものがふたすじ。とにかく、ありとあらゆる汚ないものが返ってきたのだ。
おかげで小僧はさんざんな目にあった。こんなに汚ないことになったのは、みんな小僧のせいだというのだ。あんなにも美しかった町を台なしにしたのはお前だ。この鼠の群をどうするのだ。町じゅうにワナを仕掛けねばならぬ。このごみの山は誰が始末するのだ。さんざんにこき使われたが、おかげで食いっぱぐれることはなかったということだ。それどころか、大層な仕事のあとには小遣い銭をもらうことすらあっって、多少はこざっぱりした着物を手に入れることもできた。
やがて歳月が流れ、男と小僧の話だけが残った。男がどこへ消えたのか、誰も口にしなかった。小僧はといえば、笛を持った姿の像となって、町の広場に立っているそうだ。聞くところによれば、台座には何やらありがたい名前がたてまつられているそうである。
おわり
May/2000