2009年07月12日

キャサリン・アシェンバーク著

不潔の歴史 The Dirt on Clean







力作である。

西欧社会において、「清潔」という「感覚」が、どのような変遷を経てきたかについて。
1000年以上の歴史を概観している。

はじめに、、、

西欧社会の基盤を作ったのは、古代ローマであるが、ローマ人ほど、風呂を愛した民族はいない(もちろん、我が日本人を除くが)。
ローマのカラカラ浴場の遺跡をはじめとして、ヨーロッパ各地で発掘されたローマの都市遺跡には、必ずと言っていいほど、公共浴場がある。

一方、そんな風呂好き、綺麗好きのローマ人とは、うって変わって、中世の秋を生きた西欧人は、富める者も貧しき者も、皆、一様に、汚く、かつ、臭かった。
それも、そのはず、中世の西ヨーロッパでは、珍説が広まっていたのだ。

その珍説とは、、、

病気というものは皮膚の気孔を通して感染する。したがって、垢(あか)まみれになって、皮膚の穴をうめることが病気予防の第一歩だ、というもの。

このため、当時の西ヨーロッパでは、人々はほとんど風呂に入らなかった。

モンテーニュは書いている。「毎日からだを洗う習慣を失っても、我々の健康にとって、何ら不都合なことはないように思う。かようにして、手足の垢(あか)が層になり、体表の孔(あな)が汚れで詰まっているより、マシなことがあるとは想像しがたい。」

当時の医者達も、体を垢まみれにしてることを推奨しており、かくして、垢が層をなした手足と、垢でふさがった孔は、あたりまえのことになるばかりか、目的にさえなったと著者は書いている。

ちなみに、衛生観念が劇的に改善された19世紀になって、風呂に入って体を洗うよう言われた下層階級の人々は、露骨に嫌悪と恐怖の様子を示したそうだ。彼らが言うには、「何年もかけてためた垢(あか)をおとすなんて、、、それは、長年着慣れたコートを剥(は)ぎ取られるようなものだ」。

垢で体をコーティングする。そんなことが望ましいとされた背景には、中世ヨーロッパにおけるペスト(黒死病)の大流行がある。

14世紀にヴェネチアを経由して、アジアから伝播し、瞬く間に全欧に感染がひろがったペストは、数千万の人命を奪い、各地を荒廃させた。

1568年、フランス王室つきの外科医アンブローズ・パレは書いている。「蒸し風呂と共同浴場は禁止すべきである。なぜなら、風呂から上がると、肌と肉、そして体の器官全体がやわらかくなり、細孔が開くからである。その結果、悪疫の『気』は、たちまち体に入って、頻繁に観察されてきたとおり、突然の死を引き起こすのである。」

この恐ろしい伝染病(ペスト)の感染予防策として、ローマ帝国の没落以降も各地で細々と営業を継続していた公衆浴場が、次々と閉鎖される。風呂は、ペスト以外にも、梅毒やその他の病気全てにつながる危険な施設だとされたのである。

16世紀になると、不潔さにさらに拍車がかかる。


皮肉なことに、生涯に数えるほどしか入浴しなかった当時の貴族階級は、見た目のおしゃれには人一倍熱心だった。フランスの王侯貴族は、財の限りを尽くして、エレガンスを競い合った。
だが、服の下は、酷く汚れていて、のみやしらみがたかっていたのである。

貴族達やブルジョワは、体臭をかき消すために、様々にブレンドされた香水をつけていたが、それでも、口臭をはじめとして、人々の臭いはすさまじかったようだ。
ハグやキスがコミュニケーションの手段となっている社会でありながら、どんな相手も抱き寄せないようにしている人がいた(ちょうど、現代の東京、朝の満員電車の中で、露骨に加齢臭ただよう『おやじ』を嫌うOLたちのように)し、、、

1611年にあるイタリアの詩人が記すところによると、「、、、(人々は)薄汚く、手に疥癬(かいせん)ができていることも多い」というありさまだった。

すでにして「不潔」なこと極まりない。しかしながら、17世紀、ヨーロッパは史上かつてないほど、不潔な時代を迎えることになる。

再び、著者の記述を引用しよう。

「劇的に、もう無分別なほど汚くなったのだ。イングランドのエリザベス1世は、月に一度しか入浴しなかった。エリザベス1世の後を継いだジェイムズ1世は、生涯に指しか洗うことがなかったと言われている。」

他国の王侯も似たり寄ったりで、フランスのアンリ4世の体臭のすさまじさは、伝説的となっている。

また、アンリ4世を継いだルイ13世が生まれたとき、侍医が記録をつけているのだが、その内容には恐れ入る。

、、、王太子(のちのルイ13世)は、生後6週間めに頭のマッサージを受ける。7週目で、皮膚炎だらけになった頭にバターとアーモンド油をすりこまれれる。王太子の髪の毛には、生後9ヶ月目にならないと櫛(くし)が入らない。5歳になって始めて、ぬるま湯で足を洗った。ようやく産湯をつかったのは、すっかり大きくなった7歳ごろである、、、

当時の乳児死亡率が高かったわけである。

この本では、こんな驚くべき歴史のトリビアが次々と続くが、あまりの「惨状」に、飽きることなく読みふけってしまう。

だが、19世紀なかごろになって、ようやく、恐るべき西欧の不潔の歴史が徐々に変化してゆく。

産業革命の前後から、ヨーロッパそしてアメリカの人々の「清潔」に対する意識が変わり始めたのだ。

それは、医学の発達により、「皮膚呼吸」が発見されたことが大きい。

人体の孔(あな)という孔を垢(あか)でふさぐのでは、息がつまってしまうのではないか?

ほかにも、戦場で軍医が手を「洗う」ことで戦病死が劇的に低下したという実例が紹介されて、人々の衛生感の変化に寄与した。

さらに、産業革命後の社会の発展の中で、当時、興隆し始めていた産業、とくに石鹸などのサニタリー "Sanitary" 産業が、大々的な「衛生」キャンペーンを繰り広げたことが決定的な影響を与えた。

「不潔の歴史」第8章は、そんな「不潔恐怖症」の時代の話だ。

中世ヨーロッパとは打って変わった、病的なまでに不潔を避ける社会が描き出される。

この部分、ラジオ番組のプロデューサーである著者(アッシェンバーグ)のユーモアの感覚が見事に発揮されている。

たとえば、

これを書いている私の生活にも欠かせない「リステリン」の販売元ランバート・ファーマカル社の広告は、エドナという流行に敏感なチャーミングな女性を登場させて、こんな風に物語る、、、

「(エドナ)は、誕生日が不気味な気配で、『悲劇的な30という数字』に忍び寄っており、『花嫁の介添え人にはしょっちゅう』なっても、『花嫁にはまったく』なれそうにないままだった。」、それはなぜか?

また、同じランバート・ファーマカルの広告で、スメドリーなる男性が登場するバージョン。
スメドリーは、良縁に恵まれそうになる、、、しかし、それも、相手の女性がこの男性の息を感じるまでの話だった。

こんな風にして、現代のサニタリー産業は、人々に実態のない恐怖感を増殖させる。

すなわち、自分自身は気づかないが他人は気づいている「いやなにおい」についての恐怖である。
それは、出世をはばみ、恋愛の敗因となり、家庭不和の遠因ともなる。
サニタリー産業が大々的にアピールする広告は、自分は、他人から避けられる原因である「悪臭」(口臭や体臭)を発散させているのではないかという恐怖感をあおりたて、自社の製品を、否応なく購買するように仕向けるのである。

このあたりの著述は、実におもしろく、ぐいぐいとひきこまれてしまう、ところどころ、忍び笑いをもらしながら。


というわけで、膨大な歴史資料を駆使して物語る欧米の「不潔」の歴史。

純粋な学問的研究の成果なのだが、エンターテインメント性すら兼ね備えている。

お買い得な一冊だと思います。


by らいおんまる


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