ウェブブラウザのJavaScript(ジャバスクリプト)の設定が無効になっています。Javascriptが無効になっていると、サイト内の一部機能がご利用いただけません。 何でもない朝の歌さに2017年2月8日 00:41 つい先日、審神者らに新たな命が届けられた。 ――「各審神者は政府の指示された時代へ近侍と共に歴史を遡ること。その時代にて現代において歴史修正の影響を受けるであろう歴史的重要人物、またはその人物の血縁者を秘密裏に護衛・監視にあたること。政府から撤退の指示があるまでその時代において一般人と変わらぬ生活を送り、隠れ潜むこと。期間は未定。」 近年、時間遡行軍の行動範囲が広まっている。 大きな歴史の転換点となる合戦場や政変などが主たる活動域であったが、今はその血縁者に対してもその魔の手は及ぶようになっていた。その為にこんな異質な命が下されたのだろう。 その命令に従い、2010年代に歌仙と審神者が飛んだのはもうかれこれ三か月前になる。 部屋のランクはその審神者の業績や保護対象の生活階級によって決められている。 審神者と歌仙は東京の郊外にて1DKのアパートが与えられていた。――二人暮らしにはやや狭い。 ベットを二つ置いてしまえばもう机など置くには狭いので、歌仙と審神者はセミダブルのベットを二人で共有していた。 男女が同じベットで過ごす……、というのはもちろん結ばれているからこそ出来ることであった。とは言え、歌仙の身体は案外大きくたくましいので朝方になると審神者の半身はベットからこぼれてしまいそうになる。落ちそうな感覚に審神者は目を覚まし、寝惚け眼を擦りながら歌仙を端に追いやることも出来ず、諦めて歌仙に圧し掛かって二度寝をするというのが審神者の朝の定番だ。そうしてその重みで目を覚ますのは歌仙だ。「重いよ、主……」 歌仙は審神者を抱き寄せて、冷える審神者の手足を布団の中に仕舞いこんだ。ひんやりとしている手足は歌仙の眠気を消し飛ばしてしまう。「しかも寒いよ、主……」 朝から文句を垂れて、審神者を起こさぬようにベットから抜け出して台所へと向かった。 台所は余計に冷えている。歌仙は昨日審神者が使っていたストールが台所に置いたままになっているのを羽織り、身震いした。ふんわりと審神者の香りが身を包んだが、すぐに彼女の吸っている煙草の曇った匂いが鼻を突く。臭くてたまらないのに、嫌いにはなれない。仕事にもっていくだろうこのストールに少しでも自分の香りがつけばいいと歌仙はぎゅっと、より身に引き寄せた。「主は今日も仕事なのか……? 最近働いてばかりで僕のことを放っておいてばかりじゃないか。全く……。ひどい女だ」 と、溜息を吐く。ダイニングテーブルにのった卓上カレンダーへと目を向けるけてもう一度溜め息をした。審神者が休みの日には歌仙が買ってきた女児が好みな花のシールが貼られているが、今日はあいにく貼られていないようだ。 歌仙はまた溜め息をついて冷蔵庫から新しい卵のパックを開けてそこから二つ取り出した。「いい加減起きたらどうだい、主。今日も仕事なのだろう?」 布団をやっと独占した審神者は芋虫のように縮こまり、布団に納まっている。審神者は鈍く低く唸り「あとちょっと……」と絞り出した声で言った。 歌仙は「起きないと遅刻するよ」と無理に布団を剥ぎ取って、軽々と審神者を持ち抱えると無理に椅子に座らせる。手早く目の前に朝食を並べて、寝起きで不機嫌そうな審神者の寝癖のついた髪をひと撫でした。 目玉焼きと白菜の味噌汁と、納豆。それに日本茶と珈琲を付け加えた。 審神者は頬杖ついて珈琲をずず……、と音を立てて啜り、歌仙にテレビを点けるように顎で促した。 テレビではこの時代の日本の不況や、環境汚染問題など暗いニュースばかりが流れている。けれどもそんな事二人には過ぎ去ったことで興味無さげにふうんと眺めた。「この時代ってこんなにも不穏だったかな。昔は良かったのになあ。今の時代、歴史修正の波を受けて環境破壊だの、不況がどうだの言っていられないからねえ」 と、歌仙が懐かしんでいる。「……その言い方、なんかジジイ臭いぞ、歌仙」 珈琲をすでに半分ほど胃に流しこんだ審神者は朝の一服と煙草に火をつけている所であった。歌仙はむっとした顔をして、「食事前に吸うのはやめてくれないか」 と唇を尖らせた。しかし、すでに煙草の先を赤くしてしまっていて、審神者は「あー、はいはい」と空返事して灰を空の灰皿へと落とそうとしていた。「寝起きの一服ぐらい好きにさせてよ。これからマンインデンシャ……? とかいうオシクラマンジュウ方式の移動しないといけないんだから。あれ、ストレスすげえんだ。よくわかんねえオッサンの息は近けえし、学生のリュックは当たって痛えし、OLのヒールで踏まれた日なんて最悪だぞ。ヒールで踏まれると最悪足の指の骨が折れるんだと。出勤前に重傷とか笑えねえよ、まったく」 重傷進軍とかしねえタチだぞと、寝癖の髪をぐしゃぐしゃと掻きむしった審神者が文句を垂れるので歌仙は苦笑いして「はやく食べたらどうだい? 冷めるよ」と急かした。 きっちりと食べきられて空になった食器を洗っている頃には審神者はこの時代に合わせた服を着て、身支度も済ましていた。とはいえ、普段からスーツ姿の審神者はこの時代でも似たようなスーツに身を包んでいてそこまで代わり映えしなかった。ただ普段はしない化粧をして多少女気が出ていて、普段はしない化粧品の粉っぽい匂いがした。それをふわふわと纏わせながら両手がふさがったままの歌仙から自分のストールを「いつまで私の使ってんだよ」と奪い取った。 歌仙は大して気にした様子もなく、「今日の帰りは?」 と聞く。 審神者はいそいそとストールを巻きながら卓上のカレンダーに目を向ける。そしてセットしたはずの髪をまたがしがしと乱暴に掻き、低く唸る。「ううん……多分、遅いな」「多分ってなんだい、多分って。君ね、夕食を作る僕のことも考えてくれてもいいんじゃないか? 最近は帰ってくる時間がまばらで夕飯を君の帰宅時間に合わせてつくるの、大変なんだからね」「そんな事私に言われても。この時代の職場の上司になんとか言ってくれ。本丸と違って時間が自由に使えないんだよ、仕方ないだろ」「仕方なくないね。僕ひとりをこんな狭い家にして申し訳ないと思わないのかい」「歌仙も外にいけばいいじゃん」「そういう事が言いたいんじゃないよ、まったく君は!」 歌仙はまたむっと唇を尖らせた。「すねるなよ。ほら、いってきますのキスしてやろうか?」 審神者が困ったように笑う。「いらない!」「あ、そう。……じゃあ行ってくる」 踵を返し、そっけなく玄関へ向かおうとする審神者を見て、「……嘘だよ。きす、しよう」 と歌仙は納得のいかない声で引き留めた。「なんなんだよお前は」 審神者は苦笑いを浮かべて、歌仙に向きなおすと先ほどよりももう一歩近づいた。 歌仙は手が離せないので、首だけ審神者のほうに向けて目を閉じた。歌仙の服にしがみつくようにして背伸びをした審神者はちゅ、と触れるだけのキスを頬にして「じゃあな」とあっけなく家を出て行った。「……なんだよ、もう」 てっきり唇にするものだと、歌仙は泡のついた手で彼女の唇が触れた頬を撫でてしまっていた。頬はほんのりと熱を帯びていた。