ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
エステ家
エステけ
Este, House of
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
エステ家
えすてけ
世界大百科事典内のエステ家の言及
【イタリア音楽】より
…ルネサンス期に他の諸分野において,イタリア人の活躍がどれほどいちじるしかったかを考えると,音楽の創作の不振の理由を説明するのは困難である。1500年前後のイタリア人の創作としては,マントバ(ゴンザーガ家),フェラーラ(エステ家),フィレンツェ(メディチ家)における,フロットラ(世俗歌)やカント・カルナシャレスコ(謝肉祭の歌)などの創作が目だっている。01年にベネチアの印刷業者のペトルッチが《オデカトン(百の歌の意)》と名づけて出版した多声音楽の曲集は,印刷譜の最初のものとされている。…
【宮廷文学】より
…同時に誇張した儀礼的賛辞と,矜持(きようじ)と卑屈が微妙に混在する姿勢が彼らの多くの作品を特徴づけることにもなる。ルネサンス期イタリアの名家も文人庇護で知られ,ポリツィアーノやベンボを擁したメディチ家,アリオストやタッソを庇護したエステ家の例は,イギリス,フランス,スペイン,ポルトガルの王侯貴族が見習うところとなった。しかしこれらは17世紀フランスのルイ14世の宮廷に比べれば,擬似的宮廷にすぎない。…
【シニョリーア制】より
…一部の都市,とくに大都市に圧迫されているロンバルディアやロマーニャの中小規模の都市において,権力を一人の有力者の手に集中することによって危機を克服する試みが行われた。フェラーラ(1209年以降エステ家が支配)やベローナ(1226年からエッツェリーノ・ダ・ロマーノが,1260年からデラ・スカラ家が支配)などが早い例である。シニョーレとして権力を掌握した者の出自はさまざまであった。…
【タッソ】より
…16歳になると父親の意志によりパドバで法律を学び始めるが,他方で文学者たちとの交流を重ね,古今の文学作品を耽読(たんどく)しながら,着実に文学的熟成を遂げてゆき,数々の恋愛詩および騎士物語詩《リナルド》を執筆。 1565年,21歳になったタッソはパドバの町と法律の勉強とをすててフェラーラに移り,エステ家の当主アルフォンソ2世の実弟ルイージ枢機卿に仕えた。かつてボイアルドやアリオストらを擁し,ルネサンス文化の中心的役割を担いながら栄華をきわめたエステ家の宮廷は,スペイン支配と反宗教改革の弾圧による不安と苦悩の時流が強まるなかで,落(ちようらく)の運命をたどりつつあったが,なおそこには数多くの学者や芸術家が集っていた。…
【フェラーラ】より
…イタリア北部,エミリア・ロマーニャ州の同名県の県都。人口13万7384(1994)。州の北東部,ポー川の南数kmのところにあり,ボローニャとパドバを結ぶ鉄道が通る。起源はかなり古いと思われるが,記録にあらわれるのは8世紀にビザンティン帝国の総督領となってからである。774年にローマ教会に委譲された。10世紀にカノッサ伯の所領として教会によって封じられ,12世紀ごろに市民によって選出される執政官に治められる都市国家となった。…
【モデナ】より
…9世紀ごろ再建され,1115年から自由都市として経済的にも繁栄に向かい,大聖堂も建造された。1288年エステ家のオビッツォの所領となるが,1306年再び自由都市に復帰した。しかし36年,シニョーレに戻ったエステ家は,途中,多少の中断はあるものの,19世紀半ばのイタリア統一までほぼ一貫してこの都市を支配した。…
【レッジョ・ネレミリア】より
…同州のほかの主要都市同様,周囲に豊かな農業地域をもっているため,食肉加工,酪農製品の製造が盛んで,チーズ,サラミなどが有名である。ローマ起源のアエミリア街道に沿う都市で,15世紀にエステ家の支配に入ってからは,その歴史的命運を,隣のモデナとほぼ分かちもってきた。【萩原 愛一】。…
※「エステ家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報
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